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私の知らないあなた3


 翌日の朝。

 私は正門まで黒緋と紫紺を見送ります。

 今日も紫紺は朝から鍛錬たんれんなのです。

 私は用意していたおにぎりを布につつみ、紫紺に持たせてあげました。


「どうぞ、お昼に食べてくださいね。たくさん食べてください」

「うん……」


 紫紺は小さな両手でおにぎりを受け取ってくれたけれど、どこか浮かない様子なのは気のせいではありません。

 昨日の初めての鍛錬は厳しいものだったので、もう楽しい気持ちにはなれなくなったのですね。

 紫紺の気持ちを思うと切ないけれど、黒緋に今日はお休みさせてあげてくださいとお願いすることもできません。


「紫紺」

「なに……?」


 紫紺がおずおずと見上げてきます。

 つらくなったら帰ってきていいのですよ。

 怪我をしたら帰ってきていいのですよ。

 嫌になったら大きな声で泣いてしまってもいいのですよ。

 そう言いたいのに言えなくて、私はぎこちない気持ちになりながらも優しく笑いかけます。


「今日のおにぎりには少しだけ味噌を塗ったんです。おいしいですよ」

「みそ……」

「はい、きっと気に入りますから、だから」


 元気をだしてください、……これも言えませんでした。

 紫紺は困ったように視線を泳がせだします。

 私は優しく笑いかけたつもりだけど失敗していたのかもしれません。困らせてしまいました……。


「では紫紺、気を付けて」

「はい、ははうえ」


 私は頷いて次に黒緋を見つめます。

 分からないことがたくさんあるけれど、でもたしかなのは黒緋の紫紺を強くすることへの強い意志。その意志の前で私はなにも言えなくなってしまう。


「……いってらっしゃい。あなたのお昼もありますから」

「鶯、いつもありがとう」

「いいえ、私はなにも……」


 そう答えながらも少しだけ視線が落ちてしまいました。

 黒緋はそんな私を黙って見ていましたが、少しして歩き出しました。


「では行ってくる。紫紺、行くぞ」

「……はい」

「黒緋様、紫紺、いってらっしゃい」


 私は頭を下げて二人を見送りました。

 紫紺の様子に一抹いちまつの不安を覚えます。

 まだ三歳の紫紺にとって厳しい鍛錬かもしれませんが、いつか慣れてくれるといいのですが……。

 私は二人が見えなくなるまで見送ると、いつものように掃除と洗濯に取り掛かるのでした。




 太陽が真上に昇る時刻。

 寝殿しんでんの裏庭の手入れをしていると、にわかに寝殿内が騒がしくなりました。

 炊事をしている式神たちになにかあったのでしょうか。

 不審ふしんに思って寝殿に戻ると、そこには黒緋がいて驚きました。


「黒緋様、どうしたんですか? お戻りには早いような……」


 帰りは夕暮れ頃になると思っていたので首をかしげてしまいます。

 しかも黒緋は困ったような顔をしていました。


「実は……」


 黒緋は珍しく言葉をにごします。


「なにかあったんですか? ところで紫紺はどこです。姿を見ないのですが」


 一緒にいるはずの紫紺がいません。

 周囲を見回す私に黒緋がますます困った顔になります。

 そして。


「…………紫紺ならそこだ」


 そう言って黒緋が指を差した先は狭い物置部屋でした。


「え?」

「実は昼休憩をしている時に逃げだしたんだ。川に水をみに行くと言ってそのままここにな……」

「鍛錬から逃げたというのですね……」


 やはり三歳の紫紺には厳しいものだったのです。

 私は紫紺が閉じこもっている物置部屋を見つめました。きっと今、あの木戸きどの向こうで泣いています。

 しかし黒緋はけわしい顔で木戸を見据えました。


「さっきから呼んでるんだが返事もしない」

「……黒緋様、やはり少し厳しくしすぎたのではないですか?」


 私はそう言ってみましたが黒緋はけわしい顔つきのままです。


「強くなるには必要なことだ」

「そうかもしれませんが」

「仕方ない。木戸を破壊する」

「えええっ、待ってください! 絶対にいけません!」


 私は慌てて黒緋の前に飛び出しました。

 木戸の破壊はあまりにも乱暴すぎです。


「お願いします。それだけはやめてください!」

「邪魔するな。こうしている時間もしい」

「そんなっ……」


 唇を噛みしめました。

 黒緋が紫紺を強くしたいことはよく分かっています。その思いは強く、真剣であることも。

 でも少し横暴おうぼうすぎです。これ以外のことはとても寛大かんだいで優しいのに、この件に関してだけは驚くほど強引に叶えようとするのですから。


「黒緋様、どうか紫紺にまだ無理をさせないでください。あの子はまだ三歳です。手も足もまだまだ小さいのです。幼い子どもには厳しすぎます」

「無理をさせた覚えはない。あれは俺の大切な息子だ」

「それなら……」


 お願いしようとして言葉に詰まりました。

 この件に関して、きっと何を言っても聞き入れてもらえないでしょう。それほどまでに黒緋の意志は固いのです。


「……分かりました。では木戸を破壊して無理やり外に出すのだけはやめてください。私が紫紺と話します」


 私はそう言うと、紫紺が閉じこもっている物置部屋の木戸を見つめました。

 深呼吸をひとつして、コンコンコン。木戸を叩きます。


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