私の知らないあなた2
「大丈夫ですか? ちゃんと冷やせばすぐに良くなりますからね」
私は水で濡らした手ぬぐいを紫紺の腕にあててあげました。
腕には青痣ができていてとても痛そうなのです。
でも怪我はそこだけではありません。
「次は足です。薬を塗りましょう」
「……。……それいたい?」
「大丈夫、痛くありませんよ。すぐに終わります」
そう言って私は紫紺の足に薬を塗っていきます。
少し染みてしまったようで紫紺は「うぐっ」と唇を噛みしめました。
でも紫紺はじっと耐えて、薬を塗っている私の手元を見つめています。
私は手早く手当てを終わらせてあげました。
「はい、出来ました。もう終わりましたよ?」
顔を覗きこんで安心させるように微笑みかけました。
目が合うと紫紺は大きな瞳をぱちくりさせます。でもじわじわと瞳が潤みだして。
「ははうえっ……!」
ぎゅっと抱きついてきました。
突然のことに私は焦ってしまう。
「だ、大丈夫ですか? どこか痛いんですか?」
でも紫紺は黙ったまま首を横に振ると、私にぎゅうぎゅうしがみ付きました。
紫紺の小さな肩が震えています。
かわいそうに、泣いているのですね。
私は紫紺の背中を撫でてあげます。慰めるように何度も何度も。
少しして紫紺は私の膝を枕にして眠っていきました。
可愛い寝顔です。安心したように眠っている寝顔が可愛くて、紫紺の黒髪を撫でてあげました。
そんな私の背後から声がかかります。
「紫紺は眠ったのか」
湯上がりの黒緋が姿を見せました。
私は恨みがましげに黒緋を見てしまう。
「黒緋様、どういうつもりです」
「怒っているのか?」
「当たり前です。紫紺はまだ三歳です。それを猪と戦わせるなんて」
「見かけは三歳だが普通の人間の三歳とは違うぞ。お前も分かってるだろ」
「そうかもしれませんが、でも……」
言いかけて、視線を落としました。
でも私の膝枕で眠っている紫紺の寝顔を見つめて口を開きます。
「黒緋様が紫紺を強くしたいことはよく知っています。でも性急すぎじゃないですか? 紫紺がもう少し成長するのを待ってからではいけないのですか?」
私は黒緋を見つめて続けます。
「紫紺はまだ三歳です。どうして紫紺を強くすることに拘るんですか? どうか今一度考え直してはいただけないでしょうか」
私は膝枕している紫紺の肩に手を置き、もう片方の手を床について頭を下げました。
この手のなかにいる幼い紫紺を少しでも守ってあげたかったのです。
そんな私の願いを黒緋は静かに聞いてくれていましたが。
「強くなければ守れないからだ」
ふいに紡がれた言葉。
顔を上げると黒緋は思いがけないほど真剣な顔をしていました。
その真剣さに困惑してしまう。でも黒緋はふっと表情を和らげると、私の前に膝をついて肩にそっと手を置きます。
「分かってくれ、鶯。お前が紫紺を心配する気持ちは分かる。紫紺はお前の子でもあるからな。だが俺はどうしても紫紺に強くなってもらいたい」
優しく言い聞かせるような口調で言われました。
でもひしひしと伝わってくる黒緋の意志は怖いほど真剣なもの。
黒緋が本気なのだと伝わってきて私はなにも言えなくなってしまう。
でもせめてもの気持ちで聞いてみます。
「……あなたが紫紺に望むほどの強さとはどれくらいのものですか? 紫紺はどれだけ頑張ればいいのですか?」
「そうだな、紫紺には俺や離寛に並ぶほどの力を得てもらいたい。もちろん鬼神討伐にも連れていくつもりだ」
「えっ!?」
思わず大きな声を上げました。
驚愕に黒緋を凝視してしまう。
鬼神討伐は子どもを作る条件でしたが、まさか紫紺を連れていくなんて思わなかったのです。
「ま、待ってください! 本気ですか!?」
「俺も一緒だから心配はいらない。とりあえず鬼神と渡り合えるくらいには強くなってもらう」
「そ、それは承知しかねます! 紫紺が強くなるために鍛錬が必要なのは分かりますが、鬼神と戦わせるなんて危険すぎます!」
「危険は承知だ。だが戦ってもらう」
「そんなっ……」
言葉を失いました。
そして気づいてしまう。
紫紺を強くすることへの黒緋の思い入れが尋常ではないことを。それは親から我が子に対する『強くなってほしい』『元気で丈夫な子になってほしい』という一般的な愛情とは違っているのです。
「黒緋様、あなたはいったい……」
そこまで思い入れるほどのなにかがあったのですね。
私は黒緋のことを陰陽師ということしか知りません。過去になにがあったのか、どうして強い子どもを望むのか知りません。
黒緋はいつも穏やかな雰囲気を纏っていて、相手が誰であろうと寛大で優しい人です。
でも、なにかがあるのですね。
黙り込んでしまった私に黒緋は「すまない……」と言葉を続けます。
「許してくれ、鶯。俺は後悔を知っている。守れなかった絶望を知っている。もう二度と繰り返したくないんだ」
「黒緋様……」
黒緋の優しい眼差しの奥には灼熱が宿っているのでしょう。それは慟哭に似た悲しみ、憤怒、なにより切ないほどの後悔。それゆえの覚悟。
黒緋は私と紫紺を静かに見つめて、でもそれ以上なにも言うことなく座敷を出ていきました。
私は何も言えないまま視線を落とし、ただ紫紺の寝顔を見つめていたのでした。




