はじめての恋2
■■■■■■
鶯が土間に向かい、黒緋と離寛がそれを見送った。
気配がなくなると離寛が黒緋をじろりと睨む。
「黒緋、詳しく聞かせろ。あの鶯って女にお前の子を宿らせて、いったいどういうつもりだ?」
「どういうつもりもなにも、見た通りだ。鶯には俺の子を生んでもらう」
「本気か?」
「本気に決まっている。鶯は鬼神に狙われていてな、伊勢からここまで逃げてきたんだ。俺なら鬼神を討伐し、斎王を守りたいという鶯の望みを叶えてやれる」
「……なるほど、それと引き替えに鶯にはお前の望みを叶えてもらうということか」
「そういうことだ。鶯にとっても悪い話しじゃないだろ?」
黒緋はにこりと笑った。
一切の悪びれを感じさせない笑顔に離寛は「ひどい男だな」と複雑な顔になる。
「鶯はお前のことをなにも知らないんだろ。少し可哀想じゃないか?」
「誤解するな。俺だって誰でも良かったわけじゃない。鶯との子なら欲しいと思ったんだ」
「…………似てるからか?」
この問いかけに黒緋の顔から笑みが消えた。
だが離寛は確信したように問い詰める。
「似てるよな。名前だって同じだ」
二人の間に沈黙が落ちた。
息が詰まるような沈黙だったが、少しして「降参だ」と黒緋が肩を竦める。
「そうだ。俺も鶯を初めて見た時にそう思った。だが違う。鶯は正真正銘の人間だ。神気を一切感じない」
「分かってるなら巻き込むなよ」
「そう言ってくれるな。俺はどうしても強い子どもが欲しい。俺やお前に並ぶほどの強さを持った子どもだ。一人よりも二人、二人よりも三人、たくさん欲しい」
この言葉に離寛は押し黙った。
そんな離寛の反応に黒緋は苦く笑うと、ここではない虚空を見つめるように言葉を続ける。
「俺はもう二度と後悔したくないんだ。なにを犠牲にしても、誰を傷つけることになっても」
「……忘れられないんだな」
「愚門だ。そのために俺はここにいる」
黒緋は厳しい顔で言った。強い決意を宿したそれ。
痛いほどの切実さに離寛も重く頷く。
友人の離寛はすべてを知っているのだ。この旧知の友に黒緋の表情が少しだけ柔らかくなる。
「そういうわけだ。子が生まれたらお前も鍛錬に付き合ってくれ。とにかく強く育てたい」
「分かったよ。俺に出来ることならなんでもやってやる」
「ハハハッ、頼んだぞ。やはり持つべきものは友人だな」
黒緋が朗らかに笑った。
もうそこに先ほどまでの重い雰囲気はない。
「頼りになる友人に一つ頼みごとをしたい」
「なんだよ」
「昨夜、この屋敷の結界が破られた」
「鬼神じゃないのか?」
「現われたのは鬼神だが、鬼神の背後に何者かがいる気がする」
「……黒緋がそう言うなら可能性はあるな。分かった、調べておく」
「悪いな」
「今更だろ。そのために俺もここに来たんだしな」
離寛はそう言うと、「長い付き合いだ」と笑ったのだった。
■■■■■■
「それでは市に行ってきますので、あとはお願いします」
私は式神の下女たちに声をかけると屋敷をでました。
夕餉を作っている途中でしたが材料が足りないことに気づいたのです。
買い物は下女に頼むべきだったかもしれませんが、炊事をする中で私が一番足手まといなのは分かっているのです。屋敷でお世話になるようになってから学んでいますが、すぐに覚えられるほど貴族の料理は単純ではありませんから。
私は麻布の垂れた市女笠を被り、貴族の贅沢な邸宅が建ち並ぶ区域を出て露店が並ぶ市へと向かいます。
京の都は帝が暮らしている御所を中心にして碁盤の目のように造られた都でした。市があるのは平民が多く住む区域なので少し歩かなければいけません。
でも市が近づくにつれて私の足取りも軽くなっていく。物売りの声や井戸端会議に花を咲かせる賑やかな声がして、そのなかを子どもたちが元気に駆けまわっているのです。
山奥の田舎育ちなので初めてこの光景を目にした時はとても驚いたものです。多くの人が行き交って、珍しい食材や品物がたくさん並んでいたんですから。
市の光景に私の頬が緩みました。
思えば京の都に来てからいろんなことがありました。中でも一番の驚きはやはり黒緋です。
黒緋の子を身籠るなんて想像もしていませんでした。でもこれで斎宮は鬼神から解放されるのです。斎王の萌黄を守ることができます。私の身一つでそれが叶うなら厭う理由はありません。
でもふと考えてしまう。黒緋はどうして私を選んだのでしょうか。
黒緋の子どもなら私でなくても喜んで身籠る女性も多いはずです。
…………。
………………。
……もしかして黒緋は私を悪しからず思っているのでしょうか。いえ、それどころか、もしかして、もしかして……私を愛おしく思っているのでは……!
気づいた瞬間、顔が耳まで熱くなりました。
熱くなる頬を両手で押さえて冷やす。でも顔は熱いままちっとも収まりません。
ど、どうしましょうっ。どうしましょう!
黒緋はきっと私のことを愛しいと思っているのです! だって優しくしてくれて、子どもを望んでくれました。これって私が愛おしいからですよね!
そう思うと胸が高鳴りだして、地面から足が浮いてしまったような浮足立つ心地になっていく。
でもハッと我に返りました。
こんな浮かれた気持ちになっている場合ではありません。鬼神を討伐するまで気を抜くわけにはいかないのです。
私は緩みそうになる頬を指でぐいぐい押して気持ちを切り替えました。
「えっと、せりとごぼうと油菜と……」
必要な食材を思い出しながら物売りへ足を向ける。
でもその途中、「もし、そこの人」と声をかけられました。
振り向くとそこには薄汚れた法衣を着た山伏がいました。錫杖を手にした山伏はニタリとした笑みを浮かべて私を見ています。
異様な雰囲気に内心警戒しました。




