謎の陰陽師と斎宮の白拍子1
今の私はなにに見えるでしょうか。
艶やかな遊び女でしょうか。それとも哀れな物乞いでしょうか。
京の都へ来るまでに見た骸の数は、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なあ、……それ以上は数えるのをやめてしまいました。
では京の都へ入ってからの物乞いの数は、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、……これも数えるのをやめてしまいました。
だって不気味だったのです。物乞いがいる路地を抜けた先には大通りがあって、そこでは貴族を乗せた立派な牛車がのそりのそりと進んでいたのですから。同じ世界なのにまるで別の世界のよう。伊勢の山奥で暮らしていた私にとって都は不可解で理不尽な悪夢のような世界でした。
だから今、地上の悪夢よ去れと祈って舞うのです。それが白拍子の役目。
「ほう、なんて優美な……」
「これが伊勢から来たという白拍子、鶯殿の舞か」
「まるで天女の舞だ……」
貴族たちが感嘆のため息をついていました。
酔いも忘れてぽかんと口を開け、私を食い入るように見つめています。
でも私は一瞥もしてあげません。今は玉砂利の庭園に造られた高舞台で悠久の物語を舞い続けます。
それはこの日本に古くから伝わる御伽噺。天上を統べる天帝と天妃の切ない神話の舞楽。
――――遥か遠い昔、天帝が天と地を創造し、人間を創った。
万物の創造主である天帝は人間を愛し、豊かな天恵を与え、それにより地上が繁栄していくことを喜びとした。
しかし邪神により四凶が目覚めてしまう。巨大な犬の姿をした渾沌、羊身人面の饕餮、翼の生えた虎の窮奇、人面虎足で猪の牙を持つ檮杌。四凶とは災厄であり最大の不幸。地上にあらゆる咎と業を振りまいて混沌をもたらす存在。
天帝によって邪神は封じられたが、四凶を滅ぼすことはできなかった。
野放しになった四凶は地上に災厄をもたらし、人心は荒れ、大地は腐敗していく。
地上の災厄に天帝は深く嘆き悲しんだ。
そんな心優しい天帝を誰よりも深く愛していたのは天妃であった。
深い悲しみに暮れる天帝に天妃は心を痛め、一つの決意をする。
それは地上に身を落とし、その身に四凶を封じることだった。
地上に身を落とすということは永遠の別れを意味したが、天妃の意志は固く、天妃はその尊い御身を地上に落とした。
天帝の愛するすべての人間を救うために、天妃は無償の愛と献身で地上の災厄を一身に負ったのである。
こうして天上から天妃が姿を消したことで地上に平穏がもたらされた。
これがいにしえの時代から伝わる天地創造の神話であった。――――
奏者の奏でる横笛と和琴の音色にあわせ、手にした扇をひらりひらり。ひらりひらり。
黒い烏帽子をかぶり、紅袴の長い裾をしゅるりと捌く。いにしえより伝わる舞いは優美ながらも儚いもので、広げた扇がひらひらと舞う様は地上に落ちる天妃を表現するもの。観衆の心を現世から浮世へ誘っていく。
そう、指先一つ目線の一つにいたるまで、私の動きのすべてが観衆を魅了します。幼い頃から厳しい舞いの稽古を受けてきた私にとって当然の反応でした。
……なんという屈辱なんでしょうね。
本来、私の舞いは天上の天帝に奉納するための舞いなのです。酒宴の席で男を喜ばせるためのものではありません。
そして舞楽が終わると惜しみない賛美が降ってきます。
まるで絵巻物を見ていたようだとため息をつく貴族たち。私は舞台の床板に両手をついて頭を下げ、賛美する声を聞き流して高舞台から降りました。
舞いで酒宴に花を添えれば私の白拍子としての役目も終わりです。
でも奥へ引っ込もうとしたところで「鶯殿、鶯殿」と男に呼び止められました。酒宴を主催した貴族の男です。
「……なんでしょうか」
ああ酒臭い。振り向いた男はまっすぐ立てないほどに酔っていました。
できるなら無視してしまいたいけれど、それが許されないことも分かっています。
「鶯殿、すばらしい舞いに感謝する。まるで鶯殿が天妃のような美しさであった。あまりの美しさに酒宴の席でも鶯殿の話題で持ちきりになっているぞ」
「畏れ多いことです」
私は淡々と答えました。
そっけない態度になってしまいましたが、男は執拗に私を賛美します。
「旅の白拍子であることが惜しいくらいだ。よかったらここに身を置いてくれても構わないのだが」
「ここで舞ったのは一晩の寝床を借りる恩義です。明日ここを発ちます」
「これほど頼んでいるというのに」
「私は旅の白拍子です。一つの場所に留まることはいたしません」
「……ああ、それは残念だ」
「お許しください」
今まで何度この誘いを断ってきたでしょうか。考えるのも嫌になる。
旅を始めてから半年ほどが経過していました。日銭を得るために幼い頃から身につけてきた芸を披露しながら都まで来ました。
街道では河原や神社で舞うことが多かったですが、町や村に入ると噂を聞いた貴族や豪族に呼ばれて宴席で舞うことが多かったのです。
宴席で舞えばそれなりに銭が入るので貴族は上客でしたが、私が好ましい気持ちで舞ったことは一度としてありません。どの貴族も風流と雅を好みながら、この世のすべてが金銭で手に入ると思っている傲慢さがあるのです。伊勢の山奥で厳しい稽古をしながら育った私にとってそれはひどく醜悪なものに見えました。
そう、銭を稼ぐための舞いなど私の舞いではないのです。
でも今、私は舞うことで食い扶持を稼ぎ、一夜の寝床を得ていました。
男の目に私はどう映っていることでしょう。きっと白拍子ではなく遊び女か物乞いのように映っているのでしょう。
「では、私は失礼します」
そう言って話しを終わらせると、もう役目は終わったと告げるように部屋に引きこもるのでした。