オカルトもファンタジーも似たようなものでしょう
マリーシア・アトワイル子爵令嬢は転生者である。
前世は日本でどこにでもいるような平凡な一般市民として生活し、そこそこ年を重ねた後確か冬頃に死んだ記憶はある。転生して前世の記憶を思い出した時に今思えばあれはヒートショックだったのかしら、となったけれどどのみち死因を考えた所で今更であった。
成程これが異世界転生ってやつね、と把握したのはこの世界に魔法があったからに他ならない。
マリーの前世ではそこまでサブカルチャーと呼ばれるものに触れる機会はなかったけれど、しかし異世界転生物はどうやら一時期流行していたようで、テレビアニメでもやっていたのをいくつか見かける機会はあった。マリーの知識はその程度である。
異世界転生して前世の記憶を使って凄い凄いと持て囃される話というのもその中にはあったけれど、マリーはそういったものを実践しようとは思わなかった。
そもそも専門知識がなかった、というだけの話である。
こういうのがあったなー、と思っても、ではそれをどうすれば作れるのか、なんて専門知識はなかったし、料理に関しては案外幅広く他国のものも知られているのでマリーの前世で食べていたようなものは、一般的に広まってなくともそれなりの金を払えば食べられる店はある。
冷蔵庫はあっても冷凍庫が普及して無かったとはいえ、魔法で食材を凍らせることができているので冷凍庫そのものがなくとも別段困りはしていないようだし、灯りに関しても魔法で灯す事ができるので蝋燭に火をつけて、なんて感じの昔の生活そのものというわけでもない。
所々にマリーの前世で知った昔の暮らしのような部分はあったけれど、前世の知識のせいで今の暮らしに困る、というほどのものではなかった。若干中世のような雰囲気はあれど、衣食住は比較的前世と大きく異なるでもなかったのだ。
強いて言えば、すっかり前世ではなくてはならない存在だったスマートフォンだとかの文明の利器は存在していない。テレビやラジオといったものもないけれど、それでも電話のように遠くの人間と連絡をとれる道具がないわけでもないのだ。魔法頼みだけれど。
そういったものがある生活から無い生活へ、となると色々と不便ではあったけれど、しかしこの世界には最初からそんなものはなかったし、前世の記憶を思い出す前まではそうやって暮らしていたのだから、思い出した時にちょっとだけ違和感はあったが慣れてしまえばどうという事もない。
マリーが暮らしている街はそこそこ大きいけれど、前世の田舎暮らしみたいなものと割り切れば案外前世の記憶を思い出したとしても馴染むのは早かった。
とはいえ、それでも最初のうちは貴族だとかのあれこれで苦労したものだが。
「――……婚約、ですか?」
そんなマリーもお年頃の女性である。
だから、そういう話が持ち出されるのはいずれ来るだろうと思っていた。早いところは年齢一桁のうちからくる、と言われているしそちらと比べればむしろマリーにその話が来たのは遅いくらいかもしれない。
とはいえ子爵家である。貴族としては下の方。場合によっては結婚相手が平民である、なんて事もそこそこある程度の身分だし、アトワイル家は血眼になってまで家を続けさせようと言える程の何かがあるでもない。小さな領地はあるけれど、それだけだ。
「あぁそうだ。いい話だと思うんだが、どうかな? マリー」
婚約の話を持ちかけてきた父親に、マリーはこてん、と首を傾げた。次いで、視線を近くにいた母へと向ける。
マリーの母エリザベートは真顔のままだった。ですよねぇ、と声に出さずに思う。
アトワイル家は元々女系なのか、男児が生まれる事が極端に少ない。だからこそこの家の当主はマリーの母エリーであったし、その夫であるライアンは入り婿である。
マリーの目から見た父ライアンは、決して悪い人ではないと思う。
貴族としてはちょっとお人好しな部分もあるかな、と思わなくはないけれど、まぁ家族を物のように見る人物よりは好感が持てたし、何か、貴族として致命的な失敗を起こしそうになったなら、その時は自分と母が止めればいい。そう思っていた。
とはいえライアンも元は男爵家の人間で、貴族として最低限の知識は持ち合わせている。だから、そう派手なやらかしはなかったし、だからこそ今回の発言が際立ってしまったのだろう。
「お断りさせていただきます。その話、まだ決定はされてないのですよね? でしたら、絶対に反対です。わたくしまだ死にたくありませんもの」
「そうですよあなた、よりにもよってその家との縁談なんて縁起でもない」
マリーの言葉に続いてすぐさまエリーが言い切る。
あまりの剣幕……というほどでもなかったが、それでもこうもバッサリいやだと言われるとは思っていなかったライアンは目を白黒させた。
「え、えぇ……そんなにかな? まぁ二人がそこまで言うなら……この話は無かったことにするよ」
「えぇ、そうして下さいまし」
「まだ申し入れもしていないのですよね? ではその話そのものをあなたの頭の中から完全に無かった事にして下さいね」
娘のためを思っての縁談なのだろう、とはマリーもわかっている。しかし相手が悪すぎた。
アルベルト・ジョフロキア伯爵。
マリーの縁談相手に、とライアンが話を持ってきた相手である。
文武両道眉目秀麗を地でいく青年。
性格もそう悪いという話は聞かず、それどころか彼は多大なる才能を持っていた。
本来であれば引く手あまたで結婚相手に困るような相手ではない。
だがしかし、彼には浮いた話の一つどころか、縁談すら舞い込む事はなかったのである。
「よりにもよってアルベルト様とは……お父様、あの話知らないのかしら」
「あの話はそう大きく広まってるわけじゃないから、知らない人は知らないのでしょうね。私たちはお茶会などでそういった話を聞く事もありますけれど、殿方の社交でああいった話が出る事は……恐らくそうないのではなくて?」
父が部屋を出ていった後、マリーは母と二人で茶を飲みつつそんな話をしていた。
ライアンは知らないだろうけれど、マリーは知っている。
アルベルトは、マリーと同じく転生者だ。
とはいえ、今の今までマリーとアルベルトが関わった事はない。アルベルトはマリーが転生者であるなんて事、知りもしないだろう。
アルベルトが特に前世の記憶を用いてあれこれしていなければ、マリーもアルベルトが転生者だと思わなかった。
例えば治水工事だとかの水害対策、例えば農耕に関してのいくつかのものが、明らかに前世での知識からくるものだったのだ。魔法があるとはいえ、それでも魔法は万能でも全能でもない。だから、魔法を使わないでできる対策は重宝されるが、しかしそう簡単に思いつくものでもない。大半の人間は魔法ありきで物事を考えるからだ。便利な魔法を抜きにして使える案を考えるとなると、この世界の人間には中々に難易度の高い事らしい。
だが、アルベルトはそういった知識を惜しみなく発表し、そうして結果を出してきた。生活に関する事だけではない、幼い頃に遊んで学べるタイプのゲームをいくつか発表し、今では市井の子まではまだ広まらずとも、貴族の子供のほとんどはアルベルトが発表した知育ゲームなどで遊びながら学ぶという事も当たり前になってきていた。
転生者だという事を知らなければ、アルベルトは才能の塊のような男だ。
性格もそう悪くないと聞く。
むしろ、何も知らない市井の者たちからの人気は絶大。市井の娘たちからの人気はとんでもない事になっていた。恋に恋する乙女とかそんなレベルじゃない。もうアイドルか何かか? ってくらい熱狂してる者もいる。彼に妻になってほしい、なんて言われたら何も知らない娘なら、簡単に頷くだろうくらいには。
家柄も財産もあって顔も良くて性格も良くて才能もある。将来が安泰すぎる男からの求婚を断らない娘などいないだろう。
だがしかし、今の今まで彼に婚約者ができたという話は一つもないのである。
「いっそ何も知らない平民の娘と結婚して、彼自身貴族じゃなくなれば……とは思うのですけれど」
「無理でしょうね。あれだけの才を野に放つなど周囲が止めるでしょうし、ましてや本人にもその気はないでしょうし」
だろうなぁ、とマリーは思う。
転生して前世の暮らしを思い出してしまえば、平民の生活はちょっとな……と思う部分もあるのだ。
確かに魔法があってそれなりに便利な生活ができているけれど、それはあくまでも貴族だからであって平民として暮らすとなるとそれなりに不便な事は増える。
何より、仕事が平民だと限られてしまうのだ。マリーは今現在、エリーの教えに従って小さくはあるが領地もある事だし、と領地経営をしているわけだが平民になればそういった仕事があるはずもない。
頭脳労働といったものは貴族か商人くらいだろうか。他にあったとしても、女性がその仕事を、となるのは平民だと少しばかり厳しいかもしれない。メイドのような、誰かの身の回りの世話をする仕事もないわけじゃないけれど、あれだって思っている以上に肉体労働であるのだ。
女性の場合はそれなりに苦労するのが目に見えている。
だが、かと言って男性であるアルベルトが市井に下るとなったとして、それも問題が出るかもしれない。
既に優秀さを知らしめているのが問題と言えなくもない。
そんな男が貴族である事をやめ市井に下った、などという話、面白おかしくありもしない噂をくっつけられて広められれば国の評判に関わるし、他の国に行くにしても優秀過ぎる人材が他国へ渡る事でこの国の危機が訪れる可能性もある。
これが、他国へ行ったところでどうでもいいような人物であったなら問題はなかったのだが。
いや、普通の貴族であるならば違ったかもしれないけれど、アルベルトならもしかしたら。
他国へ行く事も可能かもしれない、とはいえ、何も知らない者限定になるだろうか。
もし別の国へ行き、そこで貴族としての待遇のまま優待されたとしても。
彼の一族にまつわる話が知られたらその時点で叩きだされそうではある。
マリーとエリーがアルベルトの事を考えて、ちょっとだけうんざりしていると、コンコンと控えめなノックがされてそっとドアが開けられる。
そこからライアンが顔を覗かせている。
「さっきはごめんね? よくわからないけれど、あの話は無かった事にしておいたよ。それで、その、お詫びといってはなんだけど」
ドアの隙間をすり抜ける猫のような動作でライアンが部屋に入ってくる。その手は盆を持っていて、そこには――
「まぁ、それは」
「パティシエールステラの新商品だよ。きっと二人とも好きだろうと思って用意しておいたんだ」
お詫び、と言っているが元々用意してあったのだろう。お詫びなんてのは体のいい口実だった。
とはいえ、この街一番の人気を誇る菓子店の新商品。マリーとエリーは思わず目を輝かせた。
ついでだからとライアンの分の茶も改めて淹れて、家族だけの茶会を開催する。
「そういえば、どうしてジョフロキア伯爵との縁談は駄目なんだい? 彼に関する何か悪い噂でもあっただろうか?」
菓子に舌鼓を打っていると、ライアンが申し訳なさそうな顔で聞いてきた。
「お父様、知りませんの?」
「え。もしかして有名な話なのかな? 常識だったりする?」
「あなた、そう慌てなくても仕方ありませんわ。あの話は一部界隈では常識ですけれど、知らない人は本当に何も知らないので」
ライアンは貴族として優秀な方か、と問われれば可もなく不可もなく、である。
だからこそ、婿としてこの家に入った時に自分を婿として迎え入れてくれた妻が悪く言われないようにと努力をしてきた。とはいえ、努力で全てが解決するわけでもない。知ろうと思った事はともかく、知る機会もない事に関してはどうしようもない。本人はなるべくそういったものを減らそうとして日夜努力しているが、カバーしきれない部分はどうしたって出る。
とはいえ、知らない事をさも知っているように振舞うよりはマシだろう。社交の場では多少の見栄やハッタリも必要になるけれど、家族相手にまでそういう事をせず知らない事は素直に知らないと言えるのは美徳かもしれなかった。
「平たく言いますとね、あの家呪われているんです」
マリーがさらっと告げれば、ライアンは丁度菓子を口に入れたばかりだったせいか、んぐっ、と小さく呻いて目を白黒させた。
「のっ、呪い……!?」
「えぇ、呪いです。このご時世に何て古めかしい、と思いましたか?」
「いや、まぁ、ちょっとはね? その呪いというのは……?」
魔法があるのだから呪いがあっても別におかしな話ではないのだが、それでも呪いは一般的に普及しているものではない。だからこそライアンも知らなかったのだろう。そもそも知ろうと思わなければそういった話が入ってくる事もないのだし。
「アルベルト様が直接、というわけではないのです。ただ、親の因果が子に……とでも言いましょうか。ジョフロキア家そのものが呪われてしまっていて。
そのとばっちりを受けて死にたくはないので、あの方に対する縁談の話が出てこないのだと思いますわ」
「……そういえば過去、彼との縁談が持ち上がった話はあったけど、いずれも成立前に立ち消えていたようだね……呪いが原因だったのか……」
ライアンはまだどこか半信半疑のようだ。とはいえ、一応過去に彼との縁談が持ち上がった相手がいるというのは知っていたらしい。そこからもうちょっと調べれば、呪いの事はわかっただろうに。
「ちなみに呪いって一体何の呪いなんだい? その話しぶりからすると、まるで死ぬみたいな感じがするけれど」
「死にますよ。あれは一族が滅ぶまで続く呪いですわね」
「そっ……」
あまりにもマリーがあっけらかんと答えた事で、ライアンは思わず絶句していた。
危うくその呪いに我が子を巻き込むところだったのだ。知らぬこととはいえ、とんでもない事をするところだった。
びゃっ、とキュウリを前にした猫のように身体を跳ねさせるライアンを見て、本当に知らなかったのねぇ、とマリーはどこか納得した様子だった。これで知っててやらかしたのであれば、今頃はエリーが何を仕出かしていたか……
「あの家は昔、精霊に呪われたのです」
エリーの言葉にライアンは思わず居住まいを正した。呪いと聞いて、魔法を使える誰かのやらかしだろうと軽く考えていたに違いない。しかし呪ったのが精霊であると聞けば、流石にどうにかできそうな問題ではないと嫌でも理解するしかなかったのだろう。
マリーもそこら辺ふんわりとしか知らなかったのだが、エリーは詳しく知っていた。
だからこそ、彼女は滔々と語る。
昔――アルベルトの祖父の時代までさかのぼる。
当時は隣国との関係も悪く、ちょっとした小競り合い程度の争いがそこらでよく起きていたらしい。
そのせいもあってか、当時は国境として明確な境はともかく、それ以外の小さな境目はあやふやになっている所もいくつかあったのだとか。
ジョフロキア家の隣の領地は、ティティアルド伯爵の領地であった。だがしかし、隣国との小競り合いなどのせいでその境目も荒れに荒れ、一時期、どこまでがどちらの家の領地なのか、というのが曖昧になってしまった事があったらしい。
その、お互いの領地の丁度境目になるかどうか、みたいな微妙な位置に小さな森に囲まれた池があった。本来はティティアルド家の領地になっていたそこはしかし、隣国との争いの際に大いに荒らされ森は焼け、池は半分ほど埋まる形になってしまったのだとか。
そうして隣国との争いに終わりがやってきた後で、改めて国内では戦後処理のようなものが行われ――その時にどうしてか一時的に池があった土地はジョフロキア領のものだとなってしまった。
国内もそれなりに色々と大変だったので、そういったミスは当時実はそこかしこで発生していた。
エリーの話を聞きながらマリーは、そうよねデータとしてパソコンとかに残ってるとかならまだしも、紙で残すしかないこっちじゃ、そういうのなくなってたら有り得ない話でもないわね……なんて思う。役所の人間がきっちりと正確な仕事をこなしていたとしても、人間なのだから気を付けていてもミスはする。ましてやごたごたしていたのであれば、戦いに出ていなくとも忙しくはあったのだろう。忙しすぎて頭がマトモに働いていなかった可能性もある。
そうして一時的とはいえ池があった場所はジョフロキア家の領地となったものの、それに関してすぐさまティティアルド家は抗議し、領地を返すようにと通達。
すぐさま、と言ったが実際は少し時間があいたらしい。元は自分の領地なのだから、それを疑う事もなかったティティアルド家が気付いたのは、ジョフロキア家が池を完全に埋め立ててそこに道を作ろうとしたからだ。
そんな事がなければ気付かないままだったかもしれない。
気付いてすぐさま行動に移ったとはいえ、その頃には既に池は埋め立てられてしまい、元の姿に戻すのは不可能なまでになっていた。
領地として戻ってきたものの、池の復活はならず。
その時に当時のティティアルド家の当主は言ったのだ。
あの池には精霊が住んでいた、と。
そして代々大切に管理するようにとお告げがあったのだと。
しかしこうなってしまっては、もう精霊が住めるはずもない。
あの池をこんな風にしてしまった者には天罰が下るだろう、と。
それを聞いたジョフロキア家当時の当主は鼻で嗤ったそうだ。
天罰だと? そもそも隣国との争いでほぼ池は潰れていたも同然なのだから、そうなれば隣国に裁きが下るだけ。それにこちらにそんなお告げはなかったし、では管理できなかったそちらの責任ではないか、と。
ここで、もし当時のジョフロキア家の当主――アルベルトの祖父が真摯な対応をしていたら結果は違ったかもしれない。しかし、彼は魔法を扱う事はあれど精霊など今まで一度もお目にかかった事のない人種で、だからこそそんなものは単なる迷信だと言い切ってしまった。
確かにきちんと管理できなかった、という部分はティティアルド家にとっても事実なのでそれ以上ジョフロキア家に対して何も言えなかった。
ただ、池があったあたりに再び木を植えて、どうにか精霊に許してもらおうとティティアルド家は手を尽くしたらしい。
そしてある日、ティティアルド家の当主に夢の中でお告げが下ったそうだ。
池の事は残念だけど仕方がない。そちらは失った事に真摯に悔い、また池の復活は無理でもどうにかしようと色々こちらに心を砕いてくれた。その気持ちだけで充分だ。
だが、あの池を失う事になった行いをした者――あれは駄目だ。何の反省もしていない。我らは、あの家の血を根絶やしにするまで恨むだろう――と。
許されたくば、それに見合う行いを示せ、と。
目が覚めたティティアルド家の当主は、最初これをジョフロキア家に伝える事に悩んだ。
だがしかし、それでも一応伝えておくべきだろうと思い伝えたようだ。
結果として、ジョフロキア家はこれを一笑に付しただけだった。
「この一件が、ジョフロキア家とティティアルド家との確執の原因となったのですわ」
「……へぇ、そうだったのか……」
エリーの言葉にライアンはふむふむと頷く。
「でも、それで終わりかい?」
「いいえ? 呪いは今も続いています。まず、当時の当主――アルベルト様のお爺様ですが、彼は馬に乗っていた時に落馬し失命いたしました。これだけなら不幸な事故で済むのですが、当時のその状況はあまりにも不自然で誰かが刺客として彼を殺したのではないか、という話は社交界でしばらく噂されていたようです」
まぁ、落馬して死ぬ事ってないわけじゃないけど、その馬が気性の激しいとかじゃないなら、突然乗ってる人間振り落とすような事になったら何かあったな、って勘繰る人は出てもおかしくないなとマリーも思う。
「その後、彼の奥様――アルベルト様から見て祖母ですわね。彼女もすぐに儚くなられてしまいました。とはいえ、こちらは夫が亡くなった事で精神的にガクッときた、と言われていましたが」
それだけを聞くならば。
これが精霊の呪いだとは思うはずがない。
むしろ、それを精霊の呪いだと言う方がおかしく思える。
しかしそんなマリーの考えを否定するかのようにエリーはそっと首を横に振った。
「ですがおかしいのですよ。当時の当主夫妻の仲は冷え込んでいました。というか政略で結ばれた縁でしたし、歩み寄ろうにも最初からそんな歩み寄るような隙もなかったと言われています。
お互いに家のために最低限の勤めを果たしはしたものの、お互いに情なんてものはなかった、と当時を知る人であれば皆口を揃えて言うほどです。
どちらかが死んでも、悲しむどころか祝いの宴を開きかねないとまで言われていたのです」
「そう聞くと何となく精霊の呪いかも……? という気がしてきますね。でもまだそれでもこじつけでは? と思うのですが」
「これだけなら、ね……」
ふぅ、と小さな溜息を一つこぼすと、エリーはそっとカップを持ち上げその中の液体で喉を潤す。
「次に狙われたのは、新たに当主となった――アルベルト様のお父様にあたる方ですわ。彼もまた、精霊の話を信じてはいませんでした。ですが、ご両親が亡くなられた後、彼の身の回りでは様々な不幸が訪れたのです。
それこそ、偶然だというような小さなものから、明らかに不自然だと思えるようなものまで。
小さな怪我が絶えず、その怪我を癒すため治癒魔法が得意な者を雇い入れ――その中の一人と彼は恋に落ちました。そうして結ばれ生まれたのがアルベルト様です。
奥方となった治癒魔法師ですが、彼女は精霊の呪いの話を結婚後、息子を生んだ後で聞かされたようです。そして彼女は夜逃げした。
逃げ出した途中、事故に遭い死亡いたしましたが。
えぇ、晴れていたにも関わらず、水辺が近くにあるでもないのに溺死していたとの事ですわ」
うわ、と思わず言葉が出たのはライアンもマリーもほとんど同時だった。
「彼女の家族は離れた町で暮らしていたのですが、それと時を同じくして不自然な火災に遭い亡くなられたそうです。火の気なんてなかったのに。何者かが魔法で、と考えられたようですが、当時その場に魔法を――家ごと燃やし尽くして灰も残らない程の威力の魔法を扱える者はいなかった。
これも勿論別の何かがたまたま重なってしまっただけ、と言ってしまえばそれまでかもしれません。
しかし嫁入りした魔法師の家族までもが不審な死を遂げた事で、精霊の呪いではないかという話が爆発的に広まったのです。
あの家の人間だと判断されてしまえば、命を失う。だからこそ、アルベルト様がどれだけ素晴らしい人物だろうと婚約の話が出てこないのです。
嫁にいけば死ぬかもしれない。ましてや、結婚という形で家同士、縁付いたらその家までもが被害に遭うやも……と考えれば、軽率に縁を結ぼうなどとはとてもとても……」
「アルベルト様のお父上は? その話の中ではまだ生きてるように思えるけれど」
「あらあなた。そんなの、今アルベルト様が当主であるという時点でわかるでしょう?
あの方のお父上は、ほら、アルベルト様が当主となられる数日前に雷に打たれて亡くなられたではありませんか。よく晴れた日だというのに」
「あっ……!」
そこで、ようやくライアンは思い出したらしい。
マリーもあの事件は忘れたくとも忘れられなかった。
魔法で誰かが、という疑いも勿論あったのだが、いざ調べたところ魔法の痕跡はその時点で何もなかったとの事。晴れた日の雨ならまだしも、晴れた日の雷などどう考えても魔法だろうと思われたというのに。
ジョフロキア家が精霊に呪われているという話を知っている者たちからすれば、驚きはしたけれどだがしかし、精霊に呪われてるのであれば仕方ない、とも思っていた。
「どう考えても呪われてるでしょうし、そんな相手と近づいて下手にこちらまで精霊の怒りに触れるつもりはありません。一応、アルベルト様も精霊の呪いについては知っているはずなのですが……現状を見れば彼がどうお考えか、なんて言わずともわかるでしょう?」
エリーの言葉にライアンは神妙な顔をして頷いた。
偶然だ、の一言で済ませるには少々無理がありすぎる。
これが、ただ単純に池を埋め立てられてしまったティティアルド家の嫌がらせのような妄言であったなら一笑に付して終わっても問題はなかっただろう。しかし家族があまりにも不自然なタイミングで亡くなっている以上、もしかして……? と疑ったっていいはずだ。
「直系に関してはもう今はアルベルト様が残るだけですけれど、遠縁とも言える親戚筋にもその影響はあるようですわ。
とはいえ、そちらは精霊を恐れ彼らなりに精霊に対する謝罪をし、これからも精霊に畏れと感謝を忘れず生きていくと誓って実際に行動に移ったようなので死ぬのだけは免れたようですけれど」
でも、本家でもあるアルベルト様は、ねぇ……とエリーが呟けば、ライアンも言わんとする事がわかったのだろう。
マリーも勿論理解している。
アルベルトは間違いなく転生者だとマリーは確信している。
そして、彼は魔法がある世界に生まれ、実際魔法を自らも使えるようになった事で魔法の存在を受けいれはしたものの、実際にその目にした事のない精霊に関しては信じていないのだろう。
恐らくは前世でもそうだったに違いない。自分の目で見た事しか信じない。そういう人間は一定数存在していたのだから、マリーからすればおかしいとは思わない。
だがその結果を彼は理解できているのだろうか。
前世でも幽霊とか見た事ないからいるわけない、と言う人間はそれこそ多くいた。マリーもどちらかといえばそういう部類の人間だった。実際に見るような機会があれば幽霊はいる、と言ったかもしれないが、見たことがないのでいないと思いたい派だったのだ。
アルベルトはきっと幽霊? いるわけないだろ非科学的な。と断言するタイプではなかろうか。
魔法の存在を認めておいて、それ以外の超常的なものは認めない、というのもどうかと思うが、これもマリーだけなら何となく感覚的にわからないでもないのだ。
この世界の人間からすれば理解はされないかもしれない。
けれども前世、特に宗教を信じてるわけでもないがとりあえず宗教的イベントには参加するタイプだった日本人なら。
ハロウィンやクリスマス、初詣と宗教ジャンル無視して参加するタイプの日本人だったマリーにはアルベルトがこうまで身内が不幸な事になったというのに何の対策もしないのも頷ける。
だっていないと思ってる精霊に詫びを入れるとか意味が分からない。いると信じてるならともかく、いない相手にそれをやる意味などあるはずがない。アルベルトもそういう考えなのだろう。
身内に降りかかった不幸に関しては、単なる偶然としか思っていないに違いない。科学的に原因が実証されているなら違ったかもしれないが、少なくとも精霊を直接目にする事もなく、またその存在を別の方法で証明できているわけでもないのであれば。
そんな事をするのは時間の無駄だと考えている可能性がとても高い。
ここまでくるとマリーの偏見ではあるが、彼はきっと前世、仏壇に手を合わせるとかそういうのも先祖の霊に対して、というより個人の自己満足だと言い切るタイプだと思っている。勿論偏見だ。本人の口から直接聞いたわけでもない。
だが、この世界には確かに精霊が存在しているのである。
というか、妖精だとかのメルヘンな存在も普通にいる。
マリーは子供の頃に何度か目撃しているのでその存在を否定などできるはずがなかった。
だが、見た事のない相手に「いるよ、私見た事あるもん」と言ったところですんなり信じてもらえるはずもないのもまた理解していた。子供の戯言だとしか受け取られないだろうし。
「ちなみに、ティティアルド家の次期当主でもあるプリメーラ様と少し前にお茶会でお話する機会があったのですけれど。
アルベルト様も恐らくはもう長くはないでしょう、との事でしたわね。
本人に直接言ったところで信じるはずもないでしょうし、そもそも当時の当主が言った言葉を一切信じる事のないままにきてしまったので、今更アルベルト様だけが心を入れ替えても手遅れでしょう、と。
……あなた、本当によくそんな家との縁談を結ぼうなんて思ったものですね」
「うぅっ、知らなかったんだ。悪かったよ。知っていたら私だって可愛い娘を死にに行かせるような真似するはずがないだろう!?」
「えぇ、それは信用しています。けど、残念ですわね。
あれだけ有能なのに、もう長くはないのだから」
「むしろ、長くはないからこそ神様があれだけの才能を与えたのかもしれないよ」
「それもそうかもしれませんね」
両親が何だかちょっといい話、みたいなオチにしているのを聞きながら、マリーは最後の一つが残っていたので菓子をそっと口に放り込んだ。
前世ならともかく、こっちの世界には妖精も精霊もなんなら幽霊だっている場所にはいるのだから、魔法の存在を目の当たりにした時点で精霊の存在も見た事無いけどいるんだろうな、で受け入れておけばよかったのに。
そこまで考えてふと思う。
もしかして、他にも転生者はいるかもしれないし、同じように魔法はあるけどそれ以外の存在は信じない、なんて人間実は一定数いるんじゃないだろうか、と。
今よりももっと昔にも、そういう人間はいたのではないだろうか、と。
まぁ調べたところで確証が得られるわけでもなし。
アルベルトだって本当に転生者であるかどうかは確認していないのだ。もしかしたら転生なんてしていない才能あふれるだけの男性かもしれないじゃないか。
どちらにしてもマリーが彼と関わる事はない。真相が明らかになる事などあるはずがないのだ。
――そう、思っていたのだが。
後日、風の噂でアルベルトに関する話題を耳にして、やっぱり転生者だったのかと納得する事になったのである。
そう、一応彼の事を心配する友人に、精霊に対して許しを請う事はしないのか? と聞いた者がいたらしいのだ。
だがしかし、それに対するアルベルトの言葉はといえば、そんな非科学的な存在信じてるのか、だったようなので。
科学という言葉自体、こちらの世界ではまだ存在していない。一応近い言葉はあるけれど、科学という分野はまだ無い。別の学問からいずれ派生するかもしれないが、アルベルトに非科学的と言われた友人もその言葉の意味を理解できていないようだった。
その言葉でマリーからすれば彼もまた転生していたという確証を得た。が、だからなんだという話であるし、その噂がマリーの耳に届いた頃には既にアルベルトは謎の死を遂げていたので。
「魔法っていうファンタジーを信じたくせに幽霊っていうオカルトは信じないとか、異世界でそれは命取りなのよねぇ……」
誰にともなくそう呟く。
本来それを言っておいた方がいいかつての同郷だったかもしれない相手は既にいないので、本当にその呟きは今更過ぎるものだった。