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ライフ  作者: 道野ハル
パリツェ国
18/162

変化



 翌日、午後。


 ヴェルカさんの計らいで、私はさっそく今日から食堂で働くことになった。

 

「あんたが、ヴェルカの知り合いだね?」

『は、はいっ』

 

 ここの従業員は7人。その中で最もリーダー的な雰囲気を出しているおばさんからアイドルタイムに説明を受けた。


 仕事の内容は普段バイトでやっている事とほとんど変わらなかった。注文をとって料理を運び、食べ終わった食器を下げてテーブルを拭く……その繰り返しだ。


「ココの女の子たちは読み書きができないから紙のメニューはないんだ。メニューは日替わりで三種類、全部口頭でやりとりするのさ」

『!(手書き伝票もないんだ……)』


 昼が終わると、次に混むのは夕方だそうだ。ヨシワで働く女性たちが出勤前に腹ごしらえをするのだという。私は渡された白の上下に着替えて、ドキドキしながらその時を待った。

 



―――ざわざわ


―――きゃっきゃっ

  


「あ~ねむ~い」

「またあのオヤジくんのかなあ」

「今日なに食べる~?」


 日が暮れ始めると、赤いワンピースを着たお姉さんたちが続々と食堂にやってきた。うわあ……人数多いな。想像以上に大変そうだ。


「おーい!」

『!、はいっ』


 ソワソワしていると、すぐに三人組のお姉さんに呼ばれた。小走りでテーブルに行き、教えてもらった通りに今日のメニューを説明する。


『一番が豚肉と山菜の煮物、二番が青魚と貝の炒め物、三番が鶏肉と根菜のスープ、です』

「じゃ、あたしは一番の塩少なめ」

「あたしも一番!山菜の量は半分くらいでいいや」

「あたしは三番、根菜小さく切って」


 え。……ちょっと注文多くない?


「おーい!こっちにもきてー!」

『は、はい!』


 考える間もなく急いで次の席に行き、同じようにメニューの説明をする。


「二番、魚の皮ナシで」

「一番、胡椒もかけて」

「鶏肉は柔らかいやつにして」


 な、なにこの人たち……。全員なんかしらの注文つけてくるんですけど。誰一人として普通にオーダーしてくれないんですけど!!


「新入り!注文聞いたら厨房に伝えに来る!」

『は、はい!!』


 おばさんの声に急かされて慌てて厨房へ向かう。中では数人の料理人さんがバタバタと忙しそうに動き回っていた。大きな声で、番号と要望を伝えないと……


『えっと……』


 あれ?


 誰が一番頼んでたっけ?なんの肉を柔らかくするんだっけ?いや柔らかくするの魚だったっけ?塩とか胡椒はどうするんだっけ?


 ……ダ、ダメだ。頭の中が整理できない。


「なんだい!ちゃんと聞いてなかったのかい、みんな時間ないんだよ!?すぐ聞き直してきな!!」

『は、はい!』



――――タタッ



 おばさんの声に押されて、再び先ほどのテーブルに行って注文を聞いた。……案の定、嫌な顔をされた。同じようなことはそのあと何回も続いて、食堂の人にもお姉さんたちにも、何度も嫌な顔をされた。


「ちょっといい加減にしてくれる!?時間無いんだけど!」

『す、すいません!』



―――タタタッ



「新入り、早く聞いてきな!」

『は、はい!すぐに……』



―――タタッ……



 嫌だな。早くこの時間が終わって欲しい……。



―――ちらっ



 周りを見ると給仕はあと三人いた。私はなるべく注文を受けずに済むように、食器を下げたりテーブルを拭く仕事に専念することにした。


「おーい!こっちー!」

『……』

「あ、今いきまーす!」

「こっちも来てー!」

『……』

「少々お待ちをー!」


 苦手なことから、逃げて逃げて逃げまくった。どうせ短期間しか働かないんだから、ちゃんと仕事が出来なくてもいい。怒られないようにだけすればいい。


 ここで頑張らなくたっていい……。


 


「新入り、これヴェルカの所に持ってってくれる?」

『え?』



―――ズイッ



 帰り支度をしていると、おばさんに小さながま口を渡された。……これは、お財布?


「椅子の上に落ちてたんだよ。中央棟の3階にいるから、帰りがけに届けてやってくれるかい?ドアの脇に置いとけばいいからさ」

『あ、はい……』


 ヴェルカさん来てたのか、全然気付かなかった……。おばさんに詳しい行き方を聞いて、私は食堂を出た。




―――サワサワ……



 外に出ると、空にはもう月が登っていた。いま何時くらいなんだろう?


『(……ん?)』


 そういえば、これから行く中央棟はお姉さんたちの仕事場だと言っていた。仕事場……。仕事というのは……



“ドアの脇に置いとけばいいからさ”



『……』


 確かにそう言ってた。なんでドアの脇?って思った。ノックして直接渡せばいいのにって。なんで直接渡さないの?それはきっと仕事中だから。なんの仕事?それは……


 ……


 ……



 え、どうしよう。


 いやいや落ち着け大丈夫。だってドアは閉まってるんだから。ドアが閉まってたら何てことないじゃん、壁と同じじゃん?うん、大丈夫。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……



―――タッ、タッ、タッ……タ



『あ……』


 大丈夫だって自分に言い聞せて歩いてたら、あっという間に中央棟に辿り着いた。目の前の入口では小洒落たランプが妖しい光を放っている。……やっぱり入りたくないっ!だ、誰か通らないかなっ?男性スッタフ的な人とか、掃除のおばちゃんとか、そしたらその人に頼んで……



―――サワサワ……


―――……



 気配ゼロだ。葉っぱの音しか聞こえない。っていうかこの葉っぱの音でさえなんか恐怖に感じてきた。


 もう、行くしかない……か。



―――ガチャッ!……ダダダッ!!

 


 思い切って扉を開き、真っ赤な絨毯が敷かれた階段を全速力で一気に駆け上がった。


『(3階の奥から2番目の部屋!!3階の奥から2番目の部屋!!)』


 蝋燭が置かれた暗い廊下を目を凝らして突っ走る。早く、早くたどり着いて……!


『(!!、あれだ!)』


 ようやく目当ての扉を見つけた。直ぐさまポケットからがま口を取り出してドアの脇に置く。よしっ、任務完了だ。すばやく踵を返し、再びダッシュしようと腕を振り上げたその時、



―――バンッ!!



「二度とくるか!!この阿婆擦れが!!」

『!?』


 突然、怒号と共に荒々しくドアが開いた。な、なにごと!?


「!、なんだお前はっ!?」

『えっ』


 驚きのあまり壁に張り付いていると部屋から出てきた男の人に思いっきり睨まれた。め、目が血走ってる……恐い!



―――バタタッ



「その子は食堂で働いてる子だよ!」

『!』


 硬直しているとヴェルカさんが慌てた様子で中から出てきた。男の鋭い眼光がギンッと彼女に向けられる。


「……チッ!!」


 その人は盛大に舌打ちをすると、般若のような形相で去って行った。す、すごい怒り方だった……。


「ごめんね、大丈夫?」

『!あ、はい……』

「いやあ、変なところ見られちゃったなあ~。あの人、あたしの常連だったんだけどさ」


 ヴェルカさんはすこし大げさな苦笑いを浮かべると、頭を掻きながら明るい口調で話しはじめた。


「いつも好きだ好きだって言ってきて、まあこっちも商売だから合わせてたんだけど、さっき本気で求婚されて」

『え』

「適当に返事して通わせつづければお金は入ってくるけど、それはしたくなくてさ」

『……』

「あたしは、いつでも好きな自分でいたいんだ」


 ……好きな、自分?


「どう足掻いたって、ここで、こうやって生きていく事しか出来ない……でも、なりたい自分になることは、どこにいたってきっとできる」

『……』


 ヴェルカさんは顎を引いて、暗い廊下の先を見つめていた。蝋燭の火に照らされたその横顔が……とても綺麗だった。


「で、正直に“あたしに結婚する気はない”って言ったら、ああなっちゃった!」

『えっ』


 栗色の瞳がいたずらっ子のように笑う――さっきまでの、胸が締め付けられるような空気はもうどこかに消えていた。


「っていうかマサコはなんでここにいるの?」

『!あ、あの、これを届けに……』



―――サッ



 私は咄嗟にがま口を拾って、ヴェルカさんに差し出した。


「えっ、あたし食堂に置いてきてた!?うっそ、ごめん!!」

『い、いえ!』

「ホントごめんね!」


 ヴェルカさんは何度も謝りながら、一階の出口まで一緒に付いて来てくれた。





―――タン、タン



 中央棟を後にしてヨシワの出口に向かう。木に囲まれた敷地内はとても暗かった。空の月と、所々に置かれた赤いランプの光がなければすぐに迷ってしまいそうだ。暫く歩くと、ようやく門が見えた。


「……遅かったな」

『!』


 聞き慣れた声に目を凝らすと、外側にイオリさんとユラさんが立っていた。……え、もしかして、迎えに来てくれた……?


「帰るぞ」

『!あ、はいっ』


 慌てて二人に駆け寄る。私が辿り着くとイオリさんとユラさんは静かに歩き出した。その歩調は、いつもよりゆっくりだった。


「……タナカ殿、仕事はどうだった?」

『!あ、あー……』



“いい加減にしてくれる!?時間無いんだけど!”


“ちゃんと聞いてなかったのかい!?すぐ聞き直してきな!!”



 言いたくない……。仕事ができなくて逃げ続けてたなんて……二人に知られたくない。


『忙しかったです、けど、やったことある仕事だったんで大丈夫でした!』

「!、そうか」


 なんとかテンションを上げて答えると、ユラさんが安心したように微笑んだ。どうやら上手く嘘をつけたみたいだ。学校でやった事がちょっとは役に立ったかな……?


「この調子でいけば、一週間ほどでこの国を出られるであろう!」

「ったく、誰かさんのせいでとんだ災難だな」

「本当だ!」

「いやお前のことだから」

「タナカ殿、明日は洗濯日和らしいぞ?」

『えっ?』

「話を逸らすな。そして巻き込むな」


 あと一週間、か……。



“あたしは、いつでも好きな自分でいたいんだ”



 ヴェルカさんの言葉が頭の中で重く響いた。





―――リー、リー、リー……



 四人で遅めの夕食を済ませた後、イオリとユラは部屋に戻った。出費を抑えるため、今回借りる部屋は二部屋にした。一部屋は正子、もう一部屋に三人が寝泊まりする。


 ラルフは外に出て行ったので部屋にはイオリとユラの二人だけだった。何を喋るでもない彼らの間を、ゆっくりと時が流れていく――そろそろ出納簿をつけようとユラが巾着を取り出したその時、控えめにドアがノックされた。



―――コン、コン……



「「……?」」


 二人は顔を見合わせた。正子だろうか?いや、彼女が自ら自分たちを訪ねてくることは無いだろう。となると、宿の者か。


「……どなたかな?」

『あ、タナカです』

「「!」」


 少し驚いた。ユラは巾着を置いて、速やかに扉に向かった。



―――ガチャ



「……タナカ殿、いかがしたのだ?」

『え、えっと』


 正子はソラノからもらった就寝用の麻の上下を着て立っていた。心なしか、いつもより幼く見える。ユラは心配になり思わずその顔を覗き込んだ。


『あっ、あの……明日、紙と書く物を買いたいんですけど……お金、借りてもいいですか……』

「!」


 不安なのか、正子の声は段々と小さくなっていき最終的に彼女は俯いてしまった。その様子を見て、ユラはひどく申し訳ない気持ちになった。


「暫し待っていてくれ」



―――クルッ



 踵を返してベッドに向かい、巾着を開ける。そこから銅貨を数枚持って足早に正子のもとに戻った。



―――スッ……



「これはタナカ殿の分だ」

『えっ』


 小さな手に、そっと銅貨をのせた。それは正子がヨシワで稼ぎ、夕食時にユラに渡したものと同じ枚数だった。


「気を遣わせてすまなかった。好きに使ってくれ」

『……』

「ただし、明日からは我々に納めてくれ。よろしく頼むっ!」


 ユラは顔の横でビシっと片手を上げた。正子は戸惑ったように目を泳がせたが、やがて瞬きをすると小さな声で言った。


『……ありがとうございます』

「!」


 初めて聞く、お礼の言葉だった。


『あ、あと』

「?」


 彼女は一歩下がると、ユラと、その奥にいるイオリに顔を向けた。


『むかえにきてくれてありがとうございました』

「!……おう」



―――ササッ



 それだけ言うと正子は逃げるように去って行った。


「……」

「……」


 二人はぼんやりと、開いたままの扉を見つめた。


「ガキみてえな言い方だったな……」

「ああ……ほぼ棒読みだった」

「まあ悪い気はしねえが」

「同感だ」


 そう話す自分たちの口元が緩んでいたことを、イオリもユラも自覚していなかった。




 翌日、食堂。


 私は街で買った紙と鉛筆をポケットに入れて、ドキドキしながらフロアに立った。


「おーい!」

『は、はい!』


 さっそく呼ばれた……!



―――タタッ



『あのっ、一番が鶏肉と野草の煮物、二番が白魚のスープと果物、三番が豚肉のサラダと炒り卵、です』

「あたし2番、スープ少なくして」

『2番、スープ少なめで』

「3番、卵固めに焼いて」

『3番、卵固めで』

「2番にしようかな~、種とってね」

『2番、種無しで。かしこまりました』



―――ささっ



 他の人に見られるのは恥ずかしいので隅でこっそり言われたことをメモする。えっと……2のスープ少なめと、3の卵固めと、2の種無し、っと……。


「こっちもきてー!」

『あ、はい!ただいま!』


 メモをポケットにしまって次のテーブルに行く。かなり急いで書かないと間に合わないなコレ……。



―――タタッ


―――ささっ


―――タタッ


―――ささっ




「なにやってんの?」

『!』


 何回かコソコソ作業を繰り返していると、ふいに後ろから声を掛けられた――ヴェルカさんだ。彼女は不思議そうな顔で私の手もとに目を落とした。


『!あ、あの、言われたことをメモしようと思って……忘れちゃうんで……』

「……注文、とりに行く気になったんだ……」

『え?』


 ヴェルカさんは意味ありげにニヤニヤと笑うと、いたずらっぽい目で私を見た。


「いや、昨日は逃げまくってたからさ~」

『!!』


 バ、バレてたんだ!恥ずかしい、穴があったら入りたい……。思わず、栗色の瞳から目を逸らした。しかし次に聞こえてきたのは、太陽みたいな明るい声だった。


「あたしは1番!豆抜いて欲しいな」

『!は、はいっ、1番、豆無しで!』


 復唱すると、ヴェルカさんは“よろしくね”と手を振って席に戻っていった。


「新入り!次あそこのテーブル行って!」

『は、はい!』


 バタバタと次のテーブルに向かう。……メモをとりながら注文を受ける私は他の給仕に比べて明らかにペースが遅い。でも、


「ちょっと遅いんだけど~!」

『すいません!お伺いします』


 逃げるよりはマシだと思った。


「おーい、こっちもきてー!」

「はーい!次に行きま……」

『あ、私が行きます!』


 こっち自分の方が、好きになれそうだ。




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