遺志
一週間後。
―――カチャ、カチャ
「(あれ?)」
朝。宿の食堂であるものが視界に入り、俺は思わず目を疑った。
「ラルフ、」
「(もぐもぐ)?」
「……もうちょっと厚い服さがそうか?」
「?、いらない」
「あっ、そう?」
―――カチャッ
ラルフに不思議そうな顔をされたので、咄嗟に平静を装って食器を摑んだ。
「おい」
「うん?」
「上下逆になってんぞ」
「わっ、ホントだ!」
ぜんぜん平静を装えてなかった……。駄目だ、気になる。でもなんか聞けない。とりあえずラルフの袖口を見ないようにして朝食をやり過ごした。
―――コンコン、ガチャッ
「ホアロー」
「勝手に開けんな」
朝食を終えて部屋で一服してるとマーラがやってきた。まあ、来るとは思ってたが……。奴は俺の注意など全く聞いてない様子でどかどか中に入ってくると、大きな溜息を吐きながら床に腰を下ろした。
「ねえ、どうしたんだろう?ラルフどうしたのかな?」
「俺に聞かれてもな」
「また寒くなっちゃったのかな?でもさっきは寒いって言わなかったよね?」
「ああ」
「じゃあ、なんで包帯巻いてるんだー!?」
「……」
ラルフは長袖の下に包帯を巻いていた。食堂に来た時は分からなかったが食事をしてる最中に袖口から白い包帯が見えた。
体調が悪いようには見えないし、いつもと変わった様子も窺えない。寒い以外の理由で包帯を巻くとしたら……
「……怪我したのかな」
俺が考えていたのと同じことをマーラが口にした。奴はらしくない物憂げな表情を浮かべると、呟くように喋り始めた。
「ラルフは何も言わない。つらくても、悲しくても……きっと痛くても」
「……」
「ラルフがそうしようと思ってそうしてるんだろうから、それは尊重したい。でも、そっとしておくことが、何も聞かないでいることだけが、正解だとは思わない」
いつしかマーラの口調は明瞭になっていた。迷いは消えたようだ。
―――バッ!
「よし!一緒にラルフの部屋に行こうっ!!」
「いや、一人で行けば……」
「なんか不安だから付いてきて!!」
「……」
そこは弱腰なのかよ、と思いつつ俺はマーラと共にラルフの部屋に向かった。
―――コンコン
「ラルフー、開けていい?」
「……(ラルフには聞くのかよ)」
―――……
―――……カチャ
「「!」」
「……」
しばらく待っていると、扉が小さく開いて隙間から茶色の目が覗いた。
―――……
共に行動してだいぶ経つが、俺たちがラルフの部屋を訪れるのは初めてだ。……相当驚いてんだろうな。
「驚かせちゃってごめんね、ちょっと話してもいい?」
「……」
「あ、部屋が嫌だったら全然外とかでもいいんだけど!」
――――……キィ
ゆっくりとドアが開いた。マーラと佇んでいると、ラルフが部屋の奥に移動した。
「「……」」
「……」
どうやら入っていいようだ。俺たちは息を吐いて室内に足を踏み入れた。
ラルフの部屋は、何も無かった。いや、俺たちの部屋と同じようにベッドと机はあるが、荷物がないせいか、やけに殺風景だった。
―――……
ラルフは俺たちに背を向けたまま、窓の近くに立っていた。
「ご、ごめんね急にっ、げ、元気?」
「……(おいおい)」
マーラが完全に天パっている。さっきの決意はどこいったんだ?ラルフはピクリとも動かない。……このまま続けて大丈夫だろうか。
―――ザッ!
「ねえラルフッ、手痛くない!?」
「!」
「(直球……)」
不安に思っているとマーラが前に出てドストレートな言葉を投げた。ラルフは驚いたように振り返ると、揺れる瞳で俺たちを見た。
「いや、さっき包帯巻いてるの見えてさ!でも寒くは無さそうだったから、怪我したんじゃないかと思って!!」
「……」
「あの、聞かれたくないのかなとか、言いたくないのかなとも思ったんだけど、俺は知りたかったから!怪我したんだったら治すの手伝うし!!あ、薬買うとか、その程度しか出来ないけどっ、でも体動かすのが辛いとかだったら、俺がラルフの手となり足となり……」
「落ち着け」
上下するマーラの肩を押さえた。ここまで言えば充分伝わっただろう。とゆうかこれ以上喋らせたらラルフが混乱しそうだ。そう思い、そっと窓際に目を向けると――ラルフは俯いていた。
「……」
「……」
「……」
静寂が横たわる。ラルフは下を向いたまま動かない……。まずかったのだろうか?やはり、聞くべきでは……
「……たくない」
「え?」
ラルフが絞り出すように言った。
「いたくない……」
「……」
「……」
“痛くない”。そう言ってるはずなのに、ラルフは苦しそうだった。
翌朝。食堂。
―――ビュォォォォッ
―――ゴォォォォォッ
「すごい風だね……」
「こりゃ暫く出られねえな」
朝からすごい嵐だ。窓の外では木々が大きく揺れている。ホアロの言う通り、しばらくは出られそうにない。
―――ヒュゥゥゥゥ……
「……ラルフ遅いね」
「ああ……」
朝食の時間を過ぎているのにラルフが食堂に来ない。普段から遅れることはあるけど、こんなに遅いのは初めてだ。そろそろ、部屋に様子を見に行ったほうがいい。でも……
“……たくない”
“え?”
“いたくない……”
―――ガタッ
「行くぞ」
「えっ」
昨日のことを思い出していると、ふいにホアロが席を立った。
「正解なんて分かんねえよ」
「え」
「俺は、この時間になっても姿を見せないラルフが心配だ。黙って待ってた方がいいこともあるかもしれねえが、今行かなくて何かあったら後で悔やむことになる」
「……」
「だから行く」
「……うん」
―――……ガタッ
不安な気持ちを抱えながら、俺はホアロとラルフの元に向かった。
―――コンコン
「ラルフ、起きてるか?」
―――……
返事がない……。まだ寝ているんだろうか?それとも俺たちのことを警戒して様子を窺っているのか、
「!マーラ」
「え?」
考えていると、ホアロが緊迫した声で俺を呼んだ。
「何か聞こえねえか?」
「え」
―――パッ
扉に張り付いて耳を澄ませる。すると――確かに、微かだけど何か……
「………っぅう……」
「「!」」
唸り声だ。
―――バンッ!
「ラルフッ!」
ドアを開けて部屋に踏み込む。ベッドの上でシーツが盛り上がっている。あそこにラルフがいる。
―――ダッ
「ラルフ、大丈夫っ、!!」
「……ぅぅ……ぁっ……」
ラルフは白いシーツを身体に巻き付けて苦しそうに唸っていた。額にも背中にもびっしょりと汗をかいている。どうしたんだ?どこか痛いのか?一体何が起こって……
―――タッ
「ラルフ、聞こえるか!?聞こえてたら返事しろ!」
ホアロがラルフの耳元で叫ぶ。そうだ、動揺してる場合じゃない。まずはこの状況を何とかしないと……。ラルフは苦しみ続けている。目はきつく閉じられたままで俺たちのことにも気付いてない。何かの夢を見ていて、うなされてるのか?とにかく起こそう、起こさなければ。
「ラルフッ!」
―――グイッ
華奢な肩を摑んで自分の方に思いっきり引っ張った。そのとき――乱れた包帯の下から、蛇のような痣が見えた。
“でも……同時にものすごい恐怖を感じた”
“いつか自分が踏み潰す命だ、って”
ふと、ナルの言葉が蘇った。
―――ふっ
ラルフの瞳が開く。虚ろな茶色の双眸が俺たちを捉える。
「……」
「……」
「……」
俺はその時、一歩を踏み出すことが出来なかった。
―――バッ
「!!ラルッ」
一瞬だった。急に身体を起こしたと思ったら、ラルフは身を翻してベットの上にある窓に手を掛け、そこから外に飛び出した。
―――ヒュォォォォッ
「「ラルフッ!!」」
俺とホアロは嵐の中に走り出た。
―――ゴォォォォォッ
―――ビュォォォォッ
「ラルフ!ラルフ!!」
「返事しろ!ラルフ!!」
遮られる視界。耳を劈く風の音――容赦なく降りつける雨の中で俺たちはラルフの名前を呼び続けた。
「ラルフッ!!ラルフッ!!」
「ラルフーッ!!」
けれど、返事は返ってこない。
“ラルフ。一緒に旅しよう?”
“ジュワッってなってパァッてなるよね!!”
“お前も一緒だ”
“ラルフが笑っちゃいけないとか、泣いちゃいけないとか、そんなこと絶対ないんだからな”
「……くそっ」
「!……」
「くそぉぉぉぉっ」
何が一人にさせたくない、だ。結局傷つけただけじゃないか。無理矢理つれ出して纏わりついて、期待させて……裏切った。
“……マーラ”
どんな気持ちで俺の服を引っ張ったんだ?どんな気持ちで俺の名前を呼んだんだ?ものすごい勇気が必要だったんじゃないのか?最悪だ。俺は最悪の人間だ……
“あはっ”
“あははっ”
でも……
“ラルフは200年に一度、世界を滅ぼさざるを得なくなった。でも10回目……2000年の時に、一つだけ願いを叶えてもらえるらしい”
―――バッ
「っラルフーーーッ!!」
俺は顔を上げた。そして灰色の空と大地の間で全身で叫んだ。
「2000年に必ず、必ずお前を迎えに行く!!だから、あの森で待っててくれ!!」
2000年目だったらいいだろ?
「その時はっ」
お前の願いが変わっていても変わってなくても、2000年目だったらこの星の人間と、俺たちと
「一緒にまた旅をしよう!!」
歩いて 話して 飯食って
上手くいかなかったり悲しくなったり嫌になる事もあるかもしれないけど それでも嬉しいことを拾っていける
そんな 笑える旅をしよう