約束
騒がしく夕食を食べた後、いつものように“おやすみ”と言って俺たちはそれぞれの部屋に戻った。ホアロの所に行こうか――とも思ったけど結局やめた。俺は一人でこの夜を過ごすことにした。
―――リー、リー……
―――……
なんか、夢を見てるみたいだ。知らない間に現実から切り離されて気が付いたら夢の中にいた……そんな感じだ。見える物も聞こえる音も、どこかふわふわしている。
夢だったらいい、夢だったら納得だ。でも何故かこれだけは分かってしまう――俺たちは、ナルと別れる。
“っ!!、侮辱するなっ!!”
出会った時は変な奴だと思ったけど、いつのまにか大切な仲間になっていた。出来るなら一緒に旅を続けたい……。でもナルは半端な気持ちであんなことは言わない。もう、決めたのだろう。ナルにそれほどの固い決意をさせたのは……
“僕は人々が語り継いで守ってくれるような言い伝えを作る”
“それを何個も何個も、時間の許す限り岩に彫り続けるんだ。ラルフが少しでも寂しい思いをしなくてすむように”
「……」
ラルフ……。
本当にラルフが世界を滅ぼす者なのか、俺には分からない。ナルが嘘を言っているとは思えないけどあの話をすんなり受け入れることも出来ない。でも、一つだけ自分の中にストンと落ちてきたものがあった。
“寂しいという気持ちを無くしてくれ”
“そう願うつもりだ”
―――グッ……
きっとあれは本当だ。
“名前だよ、ねえっ”
“ラルフ”
ラルフはどんな気持ちで自分の名前を言ったんだろう?その悲しい瞳の奥にあるものが知りたくて、俺はラルフを旅に誘った。
それの正体が“寂しいという気持ち”なんだろうか?無くしたいほど寂しい気持ち……。誰か、大切な人を失ったのか?ラルフにとって、かけがえのない誰かを……
―――サクッ、サクッ……
ふと、窓の外で芝を踏む音がした。こんな時間に誰が……
「!」
表を見ると、ラルフがいた。一人で宿から離れていく――俺は直ぐさま扉に走った。
―――ガチャッ
「!マーラ」
「ホアロ……!」
ドアを開けるとホアロがいた。その目には焦燥の色が浮かんでいる。……考えてることは同じみたいだ。俺たちは急いで玄関に向かった。
―――……
夜気を含んだ外の風はひんやりしていた。華奢な背中は先ほどよりも小さくなっている。このまま行かせるわけにはいかない。息を吸い、遠ざかる後ろ姿に声を掛けようとしたその時、
―――バッ!
「ラルフッ!!」
「「!」」
突然、一階の窓からナルが飛び出てきた。髪を振り乱し、一直線にラルフの元に駆けて行く。
―――ダダッ
「待てよっ!」
「……」
―――サクッ、サクッ
「止まれっ!!」
―――……ぴた
ラルフが止まった。ナルは荒い息をつきながらその後ろに立った。俺とホアロは二人を見守るため、茂みに身を潜めることにした。
「……っどこへ行くんだ?」
「……」
「逃げるのか」
「……」
「そうやって、ずっと独りでいるつもりかっ」
ナルの声は震えていた。でも、ラルフは答えない。
「……僕は、ラルフがどうやって生きてきたのか知らない……夢で見たのは、ほんの一部だ。ラルフの全部は分からない。でも……無くしていいのか?」
「……」
「無くすってことは、大切だったものも無くなるってことじゃ……」
「いい」
「え?」
ラルフは背中を向けたまま、夜空を仰いだ。
「それでいい」
「……」
……なんでだよ。
“(もぐもぐ)”
“……マーラ”
なんでそんなこと言うんだよ……
「……ラルフは、人間でいることを諦めてしまったんだね」
ふと、静かなナルの声が夜風に乗って届いた。
「でも、僕は諦めさせない」
ラルフが振り返る。ナルの声は、まるで別人みたいだった。
「ラルフ、僕はお前と友達になれて嬉しかった。でもお前は僕じゃなくてこの星の人間とちゃんと関わるべきだ。自分のことを見てくれる人がいるっていうのは凄いことなんだぞ。……だから、自分から離れるようなことをするなよ。傷つけるかもしれない、悲しませるかもしれない、でもどうなるかなんて誰にも分からないだろ?関わってみなければ分からないだろ」
「……」
「僕はこの街に残って、今自分が一番やりたいことをする」
「……」
「ラルフは二人と旅を続けるんだ。最後まで続けるんだ」
「……」
「いいな」
「……」
「約束だよ」
―――スッ
そう言って、ナルはラルフに手を差し出した。ラルフの視線がその手に落ちる。静かな夜の風が二人の髪を揺らした。
「……」
「……」
―――……すっ
白い手が動いた。手は何かを求めるようにナルの手に伸びた。
―――ぎゅっ
「約束成立だ」
「……」
「破ったら、向こうに帰っても恨み続けるからなっ」
ナルはそう言うと笑いながら繋いだ手をブンブン振った。ラルフはどんな顔をしていいのか分からない子供みたいな表情で、力なくその場に立っていた。
「ラルフ、」
「……」
「楽しめよ!」
弾んだ声が夜空に響いた。
―――……
「……」
「……」
俺とホアロは黙って空を見上げた。そこには星が光っていた。
“僕は自分にできることをしたい”
“そう思えたのはラルフと……あんたたちのお陰だ”
……これは、悲しい別れじゃないんだ。ナルはその先にあるもののために俺たちと別れることにしたんだ。
我慢でも犠牲でも諦めでもなく、自分が見つけた希望のために、前に進むことにしたんだ。
二日後、俺たちとナルは別れた。ナルは初めて会った時のような小憎たらしい顔で元気でやれよ、と手を振った。お前もな、と俺たちも手を振った。
また いつでも会えるような簡単な別れ方だ。
ラルフもヒラヒラと手を振っていた。
―――ザッ、ザッ、ザッ
「……」
「……」
「……」
ナルがいなくなった旅は静かだった。三人に戻っただけなのに変な感じだ。でも、
「?、ラルフどうした」
「いい天気だなって」
「!!そうだよねっ、雲一つない晴天……」
「雲あるじゃねえか」
ラルフは、少しずつだけど俺たちを見てくれるようになった。
“人に名前を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀だろう?”
“綺麗だなあ……”
“……マーラに言われても”
寂しくてどこか悲しくて素直に喜ぶことはできないけど、俺はナルのことを心から尊敬した。やっぱり、あいつはいい奴だ。