逃亡者
―――ドォォォォンッ
―――ドドッ、ドォォォンッ
「いけぇぇぇ!!」
―――キィィィンッ、キィィィンッ
「ぐあっ」
―――ザシュッ
「ごふっ」
―――ドサッ
―――ドサドサドサッ
「あ……あ……」
轟音、硝煙、喚き、悲鳴……血の臭い。今もまた、自分の隣で生きていた者が死んでいく。
地獄だ。
―――ドドドォォォォンッ
「!!」
近くに砲弾が落ちた。また人が死んだ。駄目だ、逃げろ。ここにいては……いけない。
―――ダッ
「!マーラ!!離脱するつもりか!?」
上官が叫ぶ。俺は振り返らずに走り続けた。
「このっ、腰抜けがぁぁぁ!!」
―――バンッ
「!!がっ」
左足に衝撃が走る。撃たれたのか、上官に。
「っくそっ……くそぉぉぉぉぉっ!!」
―――ダダッ
痛い、熱い。倒れそうだ。だが俺の足は止まらなかった。なんのための戦だ。誰のための戦だ。いや、誰のためでもないのだ。自分たちは本当に無意味なことをしているだけだ。そのことが腹立たしい。分かっているのにどうしようもできないこの現実が憎い――死んで堪るか。
「っあああああああ!!」
走り続けた。とにかく遠くへ。
―――ドォォォンッ
―――ドドドォォォォンッ
また、後ろで砲弾が落ちる音がした。
【1199】
―――……
―――……ぴちょんっ
「う……ん?」
瞼に冷たいものが当たって目が覚めた。
―――……ぴちょん、ぴちょん
ここは……洞窟のようだ。天井の岩の割れ目から水が滴っている。
「……起きたか?」
「!!」
突然聞こえた声に慌てて飛び起きる。が、
「いたたたたたっ!!」
「……落ち着け」
左足が猛烈に痛い。そうだ、俺は撃たれて……って、あれ?
「……あんたが、手当てしてくれたのか?」
「……」
目の前の黒髪の男に問う。
「違う……俺じゃない。俺も負傷して、気付いたらここに居た」
そう言われて改めて男を見ると奴も胸に包帯……というかボロボロの布を巻いていた。俺の足に巻かれてるのと同じ物だ。
「お前は東軍か?」
男が俺の軍服を見て訊ねる。ギクリとした。
「い、いや、西軍……」
「どう見ても東軍の服だな」
「……」
じゃあ聞くなよ。
「その様子だと、そっちも脱走兵か」
「え、そっち“も”?」
「ああ、俺も戦場から逃げてきた」
「!!なんだー!仲間じゃないだだだだっ!!」
「落ち着け」
……良かった。とりあえず一安し……
「うん?あれ?って事は、ここはあんたの拠点じゃないのか?」
「話聞いてた?」
「え?というと?この布は一体誰が……」
―――パキッ
「「!!」」
ふと枝が折れる音がした。咄嗟に洞窟の入口を振り返ると……
「……え?」
「は?」
「……」
金色のボサボサの髪をした少年が、椀のような物を持って立っていた。……体も服も酷く汚れている。
―――すたすたすた……
少年は無言で俺たちの方に歩いてきた。そして近くまで来ると持っていた椀を地に置いて言った。
「きずぐちに……」
「え?」
その声は驚くほど掠れていた。何年も、何十年も喋っていないような声だった。
―――くるっ
少年は目も合わさず、洞窟の入口に向かって歩き出した。
「おい、俺たちを助けたのはお前か?」
黒髪が声を掛ける。華奢な背中が止まった。俺は固唾を呑んで彼の言葉を待った。しかし
―――すたすたすた……
黙って行ってしまった。
「……」
「……」
天井から落ちる水の音だけが、静かな洞窟に響いていた。
次の日もその次の日も、少年は姿を現さなかった。しかし薬と食料は、気が付くと毎日洞窟のどこかに置かれていた。
「なんで姿を見せねえんだ?」
黒髪の――ホアロが、眉間に皺を寄せる。
「うーん、謎だよねー」
「なんも考えてないだろ」
少年のお陰で俺たちは快復しつつあった。奇跡だ。重傷の脱走兵が見ず知らずの誰かの看病で快復するなんて奇跡みたいな話だ……。
「……あいつ、なんか企んでんのか?」
「こら失礼だろ!こんなに良くしてもらってるのに疑うなんて!!」
「お前、よく生き延びられたよな」
「まあな!」
どーんと胸を張ってみる。
「まあ考えててもしょうがねえ。そろそろ動けるか?」
「ああ!大丈夫だ」
「……外、出てみるか」
「……うん」
洞窟の壁に手をついて俺はゆっくり腰を上げた。しかし、
―――カクッ
「あれっ」
いつものように立てなかった。
「暫く動かなかったからな……やめとくか?」
「いや、時間を掛ければなんとか……!」
「……摑まれ」
「!ありがとう」
ホアロの腕を借りてゆっくり立ち上がった。
―――ズ、ズズ……
―――ズズズ……
支えられながらようやく入口近くまで来た。あと少しだ。外はどんな光景が広がっているのだろう……
“ぐあっ”
“このっ、腰抜けがぁぁぁ!!”
「……着いたぞ」
「!、うん」
不安に駆られながら、姿勢を低くしてそっと表に顔を出した。
―――……
―――チ……チチ……
―――リー……
「……」
「……」
ここは……どこだ?
森だということは分かる。でも俺が知ってるような森じゃない……大きな木が聳え立ち、陽の光を遮断している。洞窟の中よりマシだけどとにかく薄暗い。
―――シィッ……シシ……
鳥も動物も見当たらず、聞こえてくるのは虫の音のようなものだけだった。
「!あっ」
―――すたすたすた……
遠くにあの少年が見えた。こちらに向かって歩いてくる――が、少年は俺たちに気が付くとその場で足を止めた。
「……」
「……」
「……」
「(……ねえ、なんであの子あそこで止まってるの?)」
「(俺が聞きてえよ)」
「……」
「……行ってみるか」
「うん」
ホアロの腕を借りて少年の元に向かった。
―――……すた、すた
「「!」」
俺たちが近付くと少年は踵を返して歩き始めた。
「!おい、お前」
「しっ!」
「あ?」
「……付いてこいってことじゃないかな」
「!」
一向にこちらを向かないけれど、彼の歩みはゆっくりだった。まるで、まだ快復しきってない俺たちを気遣ってるみたいだ。俺とホアロは黙って付いて行くことにした。
かなりの距離を歩いた。次第に木の数は減り、隙間から光が差し込んできた。見慣れた森の姿に近付きつつある。ホッとしていると、ふと少年が足を止めた。
―――すっ
彼は白い指である方向を指した。
「……」
「「……」」
あっちへ行け、ということだろうか……。立ち尽くしていると少年はくるりと身体の向きを変えて俺たちの横を通り過ぎた。
「っ待って!」
―――ガシッ
咄嗟に手首を掴んだ。細くて冷たい……。少年は深い茶色の瞳で黙って俺を見た。俺はその時、初めてちゃんと目が合ったことに気付かされた。
「君、家族は?」
「……」
「一人なのかな?一人であそこに暮らしてるの?」
「……」
「一緒に来ない?」
「……は」
茶色の瞳が僅かに揺れた。
「俺はマーラ。こいつはホアロ。君の名前は?」
「……」
「名前だよ」
「……」
「ねえっ」
「ラルフ」
はっきりそう言った。でも、その瞳には悲しい色が浮かんでいた。
今までどうやって生きてきたんだろう……何であんな所にいたんだろう、そしてなぜ、自分たちを助けてくれたんだろう。……分からない、何一つとして分からないけど、
「じゃあ、ラルフ。一緒に旅しよう?」
一人にさせたくなかった。