希望を持つ者
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―――……
いつの間にか、ゴデチアは彼女に話し掛けていた。
「……お前がやってきたことは、全てあいつの……」
“200年目が来る前に、この世界を終わらせること”
“あのさ、国、つくらない?”
「全て、あいつのため……」
「……初めて、呼んだね」
「…………え」
闇の中で、動かないはずの影が動いた。
「まだ死んでないし……まあ、もうすぐだけ」
―――ぎゅっ
「……ゴデチア」
「……っ」
腕の中にある小さな身体は今にも壊れてしまいそうだ。いや、もう壊れるのだろう。いなくなったら壊れたも同然だ。
「あんた……全然呼んでくれないから」
―――……スッ
皮と骨になった手が、ゴデチアの髪に触れた。
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「エポナ様」
「は?」
突然、ゴデチアがその名前であたしを呼んだ。
「なに?急にそんな呼び方……」
「オウド国も軌道に乗って参りました。同時に他国の目も厳しくなってきております。いつ、どこで誰が聞いているか分かりません。気を抜かぬ方がいいかと」
「……そう?」
「はい」
「……」
「……」
「わかった」
「失礼致します」
「地下に、研究室を……?」
「ああ」
あたしの話を聞いたゴデチアが久しぶりに不可解な顔をした。ちょっとかわいい……。
「前々から考えていたことだ。ようやく実現できる。表向きには食糧庫を作るという事にしておいてくれ。物資の調達、運搬などは国民を雇い、重要箇所の建設はクラーレの者に任せる。人手が足りなければ他国から奪ってきて構わない」
「畏まりました」
「研究室が出来上がったら……」
「はい」
「……」
「……エポナ様?」
「いや、なんでもない」
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―――さわっ……
手が、緩やかにゴデチアの髪を撫でる。
「誰もいなかったら……なに話したっていいじゃん……」
「……え?」
「……へへ……勝手過ぎるか」
「……」
「ごめんね……」
「謝るな」
「……」
……お前に謝られるのは、もう御免だ。
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―――ポタッ、ポタッ……
「……っ」
血が、止まらない。
失態をした。こんなに深手を負ったのは生まれて初めてだ。このまま、死ぬのだろうか。
「……」
任務は終わったのだから取り敢えず戻ろう。あの御方の元へ。
―――……
「……ゴデチア」
ああ、声が出ない。
「……生きたいか……」
「……」
「……もっと……私と……生きてくれるか……」
なぜそんな顔をする……。その顔は、俺に向ける顔ではないだろう。
「ゴデチア……」
やめてくれ。そんな顔をするのは。胸が潰れそうだ。
「……すまない……」
「……」
【1998】
「ゴデチア宰相!」
「ロレンス?どうした」
いつも穏やかなロレンスが足早に廊下を駆けてきた。
「……エポナ様が、倒れました……っ」
「……なに」
「今、自室にお運びしました。ゴデチア宰相をお呼びです」
「わかった」
嫌な胸騒ぎがした。
―――ガチャッ
「失礼いたします」
「ああ……」
「!」
いつも凛としていた声が、老人のように嗄れていた。
「地下へ、連れて行ってくれ……」
「……畏まりました」
―――……
「急に……きたな……これが、老いるということか……」
「……」
「すまない……」
「え?」
「お前にも、私と同じ薬を投与してしまった……お前も……ある日、突然、こうなってしまうかもしれない……」
「……」
「すまない……」
なぜ謝ってくる……。
「私は、もう、表には立たない……ふふっ、いい機会だ……200年目まで、あと二年……ここで、研究を続ける……そして……間に合わせてみせる……」
「……」
「アメリアと停戦協定を……そして東の、モートン国と交渉を……」
「畏まりました」
「国のことはお前と、ロレンスに任せる……」
「はい」
「ゴデチア……」
「はい」
「すまな」
「エポナ様、今はお休みください」
「……ああ」
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―――……
暗い空間に静寂が横たわる。呼吸だけが、微かに聞こえる。ゴデチアは何も言えずにいた。昔も今も、伝える術が分からなかった。
「一つ、訊いていい……?」
「……なんだ」
彼女――サラーフはゴデチアの腕の中で小さく息を吸った。
「どうして、糸、抜かなかったの?」
―――ドクン
ゴデチアは、心臓を摑まれたような感覚に陥った。
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―――カチャ、カチャ……
「……エポナ様、おやめ下さい」
「黙っていろ」
「……」
延命薬で一命を取り留めた俺は二日もすると支障なく動けるようになった。体中についた傷も塗り薬で殆ど癒えたが一か所、腕についた傷だけが深く残っていた。
―――……パチンッ
「これでいいだろう」
「……」
「不服か」
「いえ……」
縫合された傷口は醜かった。
「……完治したら糸を外せ。そうすれば何も問題ない」
「はい」
でも俺はその糸を外すことをしなかった。いつしか糸は埋まり、醜い縫い目は傷跡として右の腕に残った。
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―――……
ゴデチアは静かに息を吸った。
「……外したくなかった」
「……」
「……それだけでは駄目か」
「……ふふっ」
「……」
「充分……」
―――すぅ……
再び彼女の気配が小さくなり始めた。今度こそ、終わりなのだ。
“ゴデチア、これからもよろしくね”
“好きな奴に良いことが起こるのは嬉しいよ?”
ゴデチアは必死に自分の心を探った。なにか、なにか伝えなければ……
「ゴデチア、楽しい……?」
ふと、昔のように弾んだ声が聞こえた。
“ゴデチアさー、楽しい?”
“は?”
“いやどうなのかなと思って”
“……特に何も思わない”
“そっか”
「あたしは、楽しかった」
“お前は”
“うん?”
“お前はどうなんだ”
“面白いよ”
“面白い?”
「一人で生きようと思ってたけど、ラルフに会って……別れて寂しかったけど、あんたに会って……ずっと一緒になんかやってて……」
“目的があって、それに向かって突っ走るってのは面白い”
“……世界を終わらせようとすることが、か”
“そ”
“……”
“ただの自己満足だけどね”
「結局終わらせることが出来なくて、なんにもあいつの役に立てなかったけど」
“何かせずにはいられなくて、他人の人生犠牲にして自分の心を満たそうとしてる”
“……”
“自己満足以外の何物でもないよ”
「ははっ……中途半端でカッコ悪」
「そうなのか?」
「え?」
“……そうなのか?”
“え?”
“いや……なんでもない”
「俺は、美しいと思ったんだ」
「……」
「……」
「……ふふっ」
「……」
「ありがと……」
……
……
……本当にそう思ったんだ。