本能
オウド国、地下。
―――ビュッ
―――キィィィィン
―――カカッ
―――ザンッ
「くっ……」
「イオリ!前っ!!」
「!ちっ」
ユラの声にイオリは身を屈めた。屈んだ瞬間、体がふらついた。
「(……まずいな)」
―――ダンッ
―――ビュビュッ
―――シュッ
数時間前――床下に隠されていた銀色の蓋を開けると、狭い階段があった。警戒しながら下りて行くと薄暗い廊下に辿り着き、暫く歩くと目の前にクラーレが現れた。
彼らはいつかと同じように注射針と短刀を巧みに使い六人に襲い掛かって来た。なんとか切り抜けて先に進んだが、数十分後に新たなクラーレが現れ再び攻撃を仕掛けてきた。
体力を消耗しているイオリ達には、明らかに不利な状況だった。
「避けろ!イオリ!!」
「!」
リンの怒号にイオリは顔を上げた。
―――ビュッ
針が飛んでくる。咄嗟に身を翻した。
―――カカッ
「……っ」
針は数秒前にイオリが居た場所に刺さっていた。……危なかった。あと少し遅ければ確実に己に刺さっていた。
―――フッ
「年はとりたくないものだな」
いつの間にか後ろに居たリンが、背中越しに嘲笑う。
「引退したほうがいいんじゃないか?」
「……うるせえよ」
不貞腐れたようなイオリの回答を聞くと、リンは小さく息を漏らした。
「あんたは周りを気にしすぎだ」
「……」
「強いはずなのに、他の奴らまで守ろうとするから弱くなる」
「……」
「だが、それがあんただ」
ふっ、とリンが横顔を向ける。
「存分に守れ。あとは俺がなんとかする」
「……!」
ハッとした。自分は、一人で闘っていた。
「イオリさーん!良かったらどうぞー!!」
「!!」
―――ブンッ
―――パシッ
ノベルがクラーレから奪った短刀をイオリに投げて寄越した。
「貴様ぁぁぁ!」
「わ!まだ元気だった!!」
―――パシャッ
「ぐあああああっ」
「すいません」
ノベルは五人に守られながらも謎の液体を手にクラーレと闘っていた。
「……」
「おい!リン!俺たちの事は手伝ってくれないのかよっ」
「そうだそうだ!こっちだって若くないんだぜ!?」
敵と刃を交えながらジミニア国の二人――アビルとゼニバが野次を飛ばす。
「知るか。勝手に闘え」
「ひどっ」
「差別じゃねえか!!」
がははっ、と二人は豪快に笑った。
「イオリ、いつまでボサっとしておるのだ!」
逃げるように闘いながら、ユラが叫ぶ。
「早く俺を助けろ!」
「……」
気が付くと、イオリの肩の力は抜けていた。息をするのも楽になった。
「うるせえな……」
手にした短刀の柄を握り締める。
「今行こうとしてたんだよっ」
―――タッ
駆け出したイオリの背中は軽やかだった。リンは小さく笑って、その後を追った。
――――ザンッ
――――ダダダダッ
――――ビュッ
――――カァァァン
イオリの動きが俊敏になったことで形勢は逆転しつつあった。間もなくここを抜けられるだろうと誰もが思った。
「……ん?」
ふと、ノベルの視界に人影が入った。クラーレの向こう側――廊下の先に誰かいる。新たな敵だろうか……?しかし、それにしては動きがおかしい。
「……」
目を凝らす。その人物はゆっくりこちらに向かって来る。
「……え?」
闇から抜け出た人影を見てノベルは息を呑んだ。
―――ダッ
「!あっ」
人影に気付いたクラーレの一人が踵を返し、その者に迫った。
「ロレンスさん!!」
「「「「「!?」」」」」
ノベルの口から出た言葉に五人が振り返る。
―――ダンッ
「ぐっ!」
「「「「「!!」」」」」
見ると、そこにはクラーレに押さえ付けられているロレンスの姿があった。
「全員、動くな」
男の低い声が響く。
「武器を捨てろ。さもなくば、こやつの命はない」
「っつ……」
「「「「「……」」」」」
五人は顔を見合わせた。
―――……すっ
そして誰からともなく武器を持つ手を緩めようとした、その時
「そうでしょうか」
ノベルの淡々とした声が薄暗い空間に響いた。
「……なに?」
「貴方達にロレンスさんを殺す気があるんですか」
男の肩がピクリと動く。ノベルは構わず続けた。
「ロレンスさんが姿を消してからもう三日は経っています。でもロレンスさんは生きていて、拷問などを受けた様子も窺えない。理由は分かりませんが、彼が必要だから危害を加えず生かしているのではありませんか?」
―――タタッ
ノベルが喋り終わる前にリンが動いた。
「!」
一直線に駆けて行く。リンは男の傍までいくと高く飛び、長剣を振りかざした。
―――ザシュッ
「!!ぐああっ」
男は反撃する間もなく、その場に倒れた。リンが動いたのをきっかけに五人も再び動き出した。
―――ドスッ
―――バキバキッ
―――ダァァァンッ
―――……
暫くすると、立っているのは六人とロレンスだけになった。
「……リン様、ご無事でしたか」
ロレンスが静かに沈黙を破った。
「ああ。あんたも無事だったんだな」
「ええ……」
「ロレンスさん、」
ロレンスの返答を聞くや否やノベルはスッと前に出た。
「ご無事で何よりです。早速で申し訳ないのですが、貴方が知っている事を全て教えて頂けませんか?」
「!」
「ロレンスさんがこの国の秘密を調べていた事は聞いています。その内容も、ゴデチア宰相のことも」
「……」
「ここに連れて来られてから、新たに知ったことはありませんか」
「……ありません。ただ、クラーレは、何故か私を毎日外に連れ出しました」
ロレンスは目を伏せると、不可解な表情を浮かべて話し始めた。
「何処かの森なのですが、正確な場所は分かりません。私はそこで一人にされ、日が沈む頃に何もない四角い部屋に戻されていました」
「……妙な話ですね」
「……ええ」
「誰の指示なんでしょう」
「わかりません」
ロレンスはそっと瞼を上げた。
「先ほど外から戻ってきたら、どこか騒がしいことに気が付きました。そして……部屋の鍵が開いていた」
「……」
「単純に掛け忘れたのだと思います。平静を装いながらも彼らは慌てていた……ここを出るなら今しかないと思いました」
「部屋を出て、一人で逃げ切れると本気で思ったのか?」
黙って聞いていたリンがロレンスに冷たい瞳を向ける。
「……そこまでは」
「思っていなかった」
「……」
「いや、考えていなかった、か」
「……」
「王の代理が聞いて呆れるな」
「……」
ロレンスは黙って俯いた。手が、微かに震えている。見兼ねたイオリが口を開こうとしたその時
「……何もできないことは分かってる。でも何かせずにはいられなかった」
ロレンスは拳を握ると芯のある声で言った。
「今まで様々なことを学び、考え、出来ることは全てやってきたつもりでした。でもこんな状況になった時、それらは何の役にも立たなかった。敵と闘うことにも、逃げ出すことにも役立たない」
「……」
「自分が足掻いてもこの状況を変えることは出来ない。わかる、頭ではわかる。でも色んなことを思い出すんです。この国の人々のこと、部下のこと、友のこと、そして勝手な願いを託してしまった、貴方のことも」
リンの黒い瞳が見開かれる。
「何もできない、じゃあ何もしなくていいのか?私には耐えられない。何かしなければ、何もできない自分でも、何かをせずにはいられない」
「……」
ロレンスはそこで言葉を切ると、小さく息を吐いた。
「……ただの自己満足ですが」
「……」
「リン様。巻き込んでしまって本当に申し訳ありま」
「謝るな」
「……」
「あんたの為じゃない」
「……」
「ぶっ!」
近くで聞いていたノベルが吹き出した。
「あははははっ!リンさんって面白いですねっ」
「殺すぞクソ眼鏡……」
「ひどっ!」
「ノベル、お前も悪い」
イオリが冷静に突っ込む。
「で、ロレンスさん。この先には、何があるんです?」
ノベルは笑いを引っ込めると真剣な眼差しでロレンスに訊ねた。
「分かりません……。ただここに来る途中、他の場所へ延びる通路が幾つかありました。皆さんは、城の小屋から来られたのですか?」
「はい」
「私はおそらく、こことは反対側にある出口からいつも外に連れ出されていました。目隠しをされていましたが感覚で分かります。きっとあと一つ出口があって、そこもオウド国の何処かと繋がっているのだと思います」
「?ロレンス殿、出口はあと二つあるのでは?」
「地図を見た限り、通路の先にある出口は三つだけでした」
「三つ?じゃあ、あとの一つは何処と繋がってんだ」
「……研究室のような所に、直接繋がっていました」
「「「「「「!!」」」」」」
六人は息を呑んだ。
「……その研究室は、ここからでも行けるんですか」
「私が見た通路のどれかが、そこに繋がっているのだと思います」
「なるほど。じゃ、行きますか」
「え?」
ノベルの発言にロレンスは目を丸くした。
「あの、この先はとても危険だと」
「はい」
「え……と……」
「あ、僕はもともとこの為に来たようなものなので」
「え?」
「モヤモヤを解消するために来ました」
「もやもや……」
「早く案内しろ」
「!」
―――コツ、コツ
リンはロレンスに背を向けると、長い廊下を歩き始めた。
「グズグズするな」
「……」
「すいませんねロレンスさん。うちのリン、口が悪くて」
「まあただのツンデ」
「殺すぞ」
「「がははっ」」
アビルとゼニバもそれに続く。
―――スッ
「そうゆう事だ。余計な心配はいらねえよ」
「うむ!参ろう、ロレンス殿!」
イオリとユラがロレンスの横に並ぶ。
「……そう、ですね」
「「……」」
「行きましょう」
「おう」
「うむ!」
―――ザッ
先の見えない道を、七人は歩き始めた。