仮面
「……」
「お腹すいたー」
ユラさんが言った通り、夕食の時間になるとイオリさんもラルフさんもシンイ隊舎の食堂に来た。
「……ソラノに、色々連れてってもらったか?」
『!あ、はいっ』
心配していたイオリさんの怒りは、なんとか落ち着いたみたいだった。
「さ!タダ飯を食おうぞ!!」
「声でけえ」
「肉、10皿ちょうだい」
『……』
それから私たちは他愛もない話をした。
ユラさんが天然ボケな発言をして、イオリさんが突っ込んで、ラルフさんが食べて寝て……。当たり前になっていた光景が、今日はちょっと特別に感じた。
「ではタナカ殿、またこの場所で!」
『はいっ』
「zzz……」
「ここで寝んな」
シンイ隊舎は男子棟と女子棟に別れていたので、明日の集合時間を決めて私は食堂の前で三人と別れた。
―――ガチャッ
『(!あっ)』
部屋のドアを開けると、窓の外にベランダがついているのが見えた。さすが隊舎だ。きっと、みんな自分で洗濯をしてあそこに干すんだろう。服が少ない私にとっては、とても有難い設備だ。
さっそく洗面台に水を溜めて今日着ていた服と下着を洗う。ああ良かった、これで臭いって言われなくてすむ……。少しでも早く乾くように、それらをギユッと絞って一番前の竿に干した。よしっ、きっとこれで明日の朝には取りこめるはず……
“明日、もう一度キヨズミ殿と話すことになっている”
明日……どうなるんだろう。オウド国に行かなきゃいけないのかな?ソラノさんは断ってくれていいって言ってたけど、断れるものなんだろうか。
“いけ好かねえ野郎だとは思ってたが……ここまで腐ってたとはな”
“友のために動いた者が、己の出世のためだけに動くとは思えないのだ……”
イオリさんとユラさんのキヨズミさんの見方は全く違う。どっちが合ってるんだろう?本当のキヨズミさんって一体……
―――ビュオオオッ
『!わっ』
ベランダに座って悶々と考えていると、突然、強い風が吹いた。
―――バッ
『あっ!!』
そしてその風は、いま干したばかりの私の下着を何とも無慈悲にさらって行った。
―――……
……え、どうしよう。
下着はないと……まずい。だってお金が無いから新しい物は買ってもらえないし、ソラノさんは何かあったら遠慮なくいってねって言ってくれたけどやっぱりこの件は言いづらい。ってゆうか恥ずかしい。どうしようどうしよう……。いや、自力で見つけるしかない。
『!あっ』
下に目をやると、女子寮に隣接する演習場の茂みに白っぽい物が引っ掛かっているのが見えた。何なのかはよく分からないけど……。それでもそこに可能性があるなら行ってみる価値は充分に……
―――ピィィィィッ
『!?』
―――バタバタバタッ
「全員整列!!番号!!」
「1!」
「2!」
「3!」
「4……」
『……』
演習場で、訓練的なものが始まってしまった……。
そりゃそうだよね。演習場だもんね。まだ夜になったばっかりだし、皆さんすごく熱心そうだし。そんななか下着を捜しに行くなんて……。
遅い時間に行こう。皆が寝静まった頃とか。ここはシンイ隊舎の中だし、危険なことは無いだろう。
『(よしっ)』
そう決めて、私は夜が更けるのを待った。
深夜、街角。
―――コツ、コツ
「……」
今日も遅くなってしまった。今年は仕事が増えるだろうとある程度覚悟はしていたが、連日この時間に帰路につくのはやはり身にこたえる。
―――コツ、コツ、コツ
しかし、時間はいくらあっても足りない。やらなければならないことは山ほどある。
“いけ好かねえ野郎だとは思ってたが……ここまで腐ってたとはな”
切り捨てていかなければ――次は、何を
―――……コツ
「(……うん?)」
角を曲がってようやくシンイ隊舎が見えた時、建物の入口で黒い影が揺れた。……隊員ではなさそうだ。目を凝らし、短刀にそっと手をかけようとしたその時、
「おつかれー」
「!」
―――スタ、スタ、スタ
そいつは気の抜けた声を出しながら軽い足取りで近付いて来た。
「……何をしているのかな?」
「キヨズミをまってたんだよ」
「なんの用だね?」
「ちょっとつきあって」
「……」
そう言うとラルフは、背中を向けて敷地の中に入って行った。
―――ピタッ
「俺と勝負しようよ」
「勝負?」
演習場までやって来ると唐突にラルフが足を止めた。奴はこちらに横顔を向けると、飄々とした様子で言い退けた。
「うん。俺と戦ってキヨズミが傷一つでも付けられたら、言うこときいてあげる」
「……」
馬鹿げている。何を企んでいるのか知らないが、そんなことに付き合ってる暇はない。
「ははっ、生憎仕事が残っていてね。また今度にするとし」
―――ブンッ
「!」
突然、ラルフが殴り掛かってきた。すんでの所で手を止める。その拳は重かった。
「……なんの真似だ」
「キヨズミが勝ったら、オウド国にいってあげるよ」
「なに?」
「だから勝ちなよ」
「こんな茶番に付き合ってられるか……」
「こっちのセリフだよ」
―――バッ
ラルフは大きく跳び上がると数メートル先に着地し、獲物を狙う獣のようにダラリと腕の力を抜いた。……どうやら遊びではないようだ。
「……何が言いたいんだね?」
「こっちは命懸けでオウド国にいくんだよ?命令を下したアンタが迷っててどうすんの」
「な……」
なにを言う、と言いかけた時には眼前に茶色の瞳があった。
「!!」
―――ブンッ
―――バシッ
―――ビュンッ
―――ガッ
容赦のない拳が飛んでくる。防いだと思ったら次は全く違う方向から、休む間もなく迫ってくる。
「(くっ……)」
「短刀ぬきなよ」
「!」
「そのままじゃ傷付けられないよ?」
「……っ」
なんなんだコイツは……。この歳で、この身体で、どう生きてきたらここまで強くなるのか……
―――ガッ
「っ!」
ラルフの蹴りが右足に入った。景色が傾く。すかさず拳が飛んでくる。駄目だ、このままでは……
「くそっ」
―――スッ……
―――ピタッ
「やる気になった?」
「……」
俺は短刀を抜いた。
―――サアアア……
ここで負けるわけにはいかない。如何なる戦いであれ、負ければシンイ隊の名に傷がつく。
“キヨズミが勝ったら、オウド国にいってあげるよ”
行ってもらわねばならない……なら、勝てばいい。どんな手を使ってでも。自分はそれが出来る人間だ。
―――ダッ
体勢を低くしてラルフの懐に飛び込む。
―――シュッ
―――フッ
しかし、ラルフはこちらの動きが分かっているかのように突き出した短刀を身軽に避けた。
「……」
「……」
―――ザッ
―――スッ
―――ザンッ
―――ヒュッ
何度も刃を突き出すがギリギリのところで躱される。……埒が明かない。このままではこちらが体力を消耗して……
―――ぐらっ
「あ」
「!!」
ふいにラルフが体のバランスを崩した。今だ。
―――ダンッ!!
細い肩に手を掛けて地面に強く押し倒す。透かさず馬乗りになり、大きく腕を振り上げた。
―――バッ
―――……
「どうしたの」
「……」
「傷付けないと俺いかないよ」
「……」
「キヨズミ」
「……っ」
―――ザクッ
―――……
―――ポタッ……
―――ポタポタッ
「……なにやってんの」
ラルフが呆れたように、しかし、どこか切なそうに笑う。
「なにやってんのキヨズミ」
「……」
本当だ。俺は何をやっているのだろう?……左手が痛い。当たり前だ。自分で傷付けたのだから。これは、しばらく仕事に支障をきたすかもしれない。何をやってるんだ、こんな時間のない時に。
“第六班を呼び戻したという話は、本当ですか”
“貴殿が最も重要だと言っていたセンコウになる為の条件、“武器を所持しない”という掟は……もう、いいのですか?”
―――グッ……
仮面を被れ、心を捨てろ。そうしなければ成しえない事がこの世の中には山ほどあるのだ。
「……オウド国には、行ってもらわねばならない……」
「うん」
「……しかし、お前に傷を付けるのは御免だ」
駄目だ。止めろ。それ以上言ったら……
「誰も、傷つけたくない……誰にも、死んで欲しくない……」
「……」
「俺は……」
なんて情けないのだろう。視界は潤み、言葉は震えている。
―――ぽたっ……
不本意にこぼれた雫が、静かにラルフの頬に落ちた。
―――……
「いいよ」
「え」
「オウド国、いってあげるよ。ただし」
茶色い双眸が、俺の目を覗きこむ。
「三人は置いていく」
そう言うとラルフは身を翻して、軽やかに立ち上がった。
―――タッ、スタスタスタ……
そしてもと来た道……シンイ隊舎の入口へ去って行った。