満点の星
夜。
―――……
―――……
全く眠れない。
あの後ラルフは何事もなかったように私と同じ宿に入り、相変わらずの食欲で夕飯を食べて、おやすみ、と言って隣の部屋に入っていった。
“へんな顔しないでよ”
“なんともないから”
私のこと……どう思ってるんだろう。どうして何も言わないんだろう。勝手に離れて、追ってきたラルフに酷いことをして……私だったら絶対こんな奴と一緒にいたくない。私だったら……
『……』
置いていくな。確実に。
―――ギィ……
ドアを開ける。何してるんだろうって自分でも思う。でも、もう確かめずにはいられなかた。
―――コン、コン
隣のドアをノックする。反応はない。
―――キィ……
『……だよね』
ドアを開けると、そこには誰もいなかった。……出て行ったのか。いや出て行って当然だ。これでまだ居たら異常だ。ふざけるなって、はっきり言ってくれてよかったのに……。
―――タンッ、タンッ……
開け放たれた窓に近付く。身を乗り出すと、街の上にたくさんの星が光っているのが見えた。
「なにしてんの」
『え?』
顔を上げる。すると、
「そこ、俺のへやだよ」
『……』
屋根の上に、異常な奴がいた。
『……そっちこそ何してんの』
「空みてた」
『空……?』
「よく見えるよ」
……私も上るべきなのだろうか。
『ちょっと、そこで待ってて』
―――タタッ
―――ガサゴソ……
一度部屋に戻って自分の鞄を探る。確か持ってきてたはずなんだけど……
『!(あった!)』
蓋を開けて中身を確認する。……うん、これなら何とかなる。古ぼけた木箱と小さなランプを持って、私はラルフのいる屋根に上がった。
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『わあっ』
のぼりきって顔を上げると、夜空には満点の星が広がっていた。綺麗……手を伸ばしたら届きそう。
『(ん?)』
ふいに視線を感じて横を見ると、ラルフが屋根の端で足を放り出しながらこちらを見ていた。
『……?』
「ガキみたいだね」
『は?』
「年そうおう?」
なんて答えていいのか分からない……。取りあえず小さく肩をすくめておいた。
―――……ギッ、ギッ
姿勢を低くして、落ちないように気を付けながらラルフがいる端に向かう。周りは静かで何の音もしない。なんだか、この世に私たち二人しか居ないみたいだ。
―――ギッ、……ガシッ!
ラルフの横に着くや否や、右腕を掴んだ。
『かして』
「は?」
―――シュルッ
返答を待たずにぞんざいに巻かれた布を取る。……血は止まってるけど、傷口はぱっくり空いていた。
―――パカッ……カチャ、カチャ
ランプを置いて木箱を開ける。そこから必要な器具を取り出した。
「なにそれ」
『縫う』
「は?」
『やったことないけど出来ると思う。抉ったことはあるから』
「えー」
『動かないで』
ラルフは不服そうだったけど、私が手を動かし始めると、その場で黙ってじっとしていた。
―――……
神経を集中させて丁寧に縫合する。治るように、早く治るように……。
『……よしっ』
「ヘタじゃない?」
『……』
縫合は無事に終わったけど、確かになんか汚かった。白い腕に不格好なものが残った。
『……ごめん』
ごめん……そう口にしたら急に胸が苦しくなった。数々の失態が波のように頭の中に押し寄せる。勝手に出て行ったこと、攫われたこと、助けに来させたこと、痛い思いをさせたこと、傷を残したこと、その傷を上手く縫い合わせられなかったこと、そして
『ごめん、ごめんっ』
今まで一つも謝れなかったこと。
なんでこんなに弱いんだろう?なんでこんなに役に立たないんだろう?一人で生きていけるように知識も技術も身に付けたのに。いろんなことが出来るはずなのに。出来ると思っていたのに。
『……っ』
どうして何もできないんだろう。どうして無力なんだろう。間違ってた?私がやってきたことは、選んできたことは、全部……
「いいんだよ、なんだって」
『……え』
「ただ、そうなっただけだよ」
ただ、そうなっただけ……
―――……
そっとラルフを見る。彼は相変わらず、何を考えているのか分からない顔をしていた。
―――ぶらんっ……
ラルフの真似をして足を放り出してみる。フッと身体が楽になったような気がした。顔を上げる。いくつもの星が眩しいくらいに輝いて見えた。
『……すごい星』
「うん」
『いつもこんなに綺麗に見えるの?』
「きれい?」
『え?』
「ああ、うん。これくらい見える」
……今、話逸らした?
『……この空、どう思う?』
「え?」
『あんたは、この星がたくさんある空を見てどう思うの』
「みあきた」
『……そっか』
「うん」
『ま、人それぞれだよね』
「え?」
ラルフが目を丸くする。子供みたいだ……。可愛いと思ったけど、私は何でもないような顔をして話を続けた。
『だって同じ物を見たって同じように感じるとは限らないじゃん。多い方が正しいみたいになってるけど絶対違うよね。どれも誰かが決めたことでしょ?私はそんなものに惑わされたくないね』
「……」
『なによ』
「アンタってたくましいよね」
『?まあね?』
「ははっ」
『ちょ、そんなに可笑し……』
……あれ?
今、ラルフ……泣いてる?
目の前のこいつはヘラヘラ笑ってる。でも何故だろう。泣いてるように見えてしまうのは。
『……あのさあ』
「うん?」
『その“アンタ”っていうのやめてくれない?』
「は?」
『同い年じゃん。名前で呼んでよ。アンタって言われると……なんか……』
遠い他人みたいに感じる。
『年下扱いされてるみたいでムカッとする』
「そうなの?」
『そうだよ』
「でもアンタもあんたってよぶよね」
『あんたがアンタって言ってくるからだよ』
「そうなんだ」
『そうだよ……っていうか、そもそも私の名前覚えてないんじゃ』
「おぼえてるよ」
『……言ってみなよ』
ラルフはすっとヘラヘラ笑いを引っ込めた。そして表情のない顔で、でもどこか悲しそうな瞳でゆっくりと口を開いた。
「サラーフ」
ラルフに名前を呼ばれた瞬間
私の奥で何かが動いた