握った手
「イオリ」
ユラと火薬職人を眺めていると、ふいにラルフが俺を呼んだ。
「?なんだ」
「手伝って」
そう言って、ラルフは床に倒れてる――クラーレの奴らを指した。
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―――ザザザッ
男を担ぎながら暗闇を走る。人目につかない道を選んでるせいか、どこを走っているのかよく分からない。俺は、ひらすら白い背中を追いかけた。
―――ザザッ
“イオリ、手伝って”
……ラルフが俺に何かを頼んできたのは初めてだ。今、どんな顔で走っているのだろうか。
“おかえり”
“……早いな”
“そう?”
見えないことが、もどかしかった。
―――サワッ
暫くすると森に入った。頭上を木々が覆い視界が更に暗くなる。一体どこまで行くのか……。そう思った矢先、突如開けた場所に出た。
―――サァァァ……
「……ここは……」
月明かりが広場と……大きな岩を照らしていた。
「おいしょ」
―――ドサッ
ラルフはその岩――願いの書の近くに、担いでいた男を横たわらせた。
「ソイツもここ」
「!ああ……」
膝を折って、男を降ろす。……どうして、ここなんだ?疑問に思っていると上から声が降ってきた。
「ありがとう」
―――ガシッ
俺はラルフの手首を掴んだ。
「どうしたの?」
ラルフが涼しい顔でこちらを見る。普通だ。いつも通りのラルフだ。しかし……
「……なんで礼なんか言う」
「え?」
「なんで俺に礼なんか言うんだ」
胸がざわつく。落ち着かない。嫌な予感がする。
―――グッ
細い手首を一段と強く握った。
「痛いんだけど」
「答えろ」
「ありがとうって思ったから?」
ラルフが首を傾ける。……駄目だ。駄目なのか?のらりくらりと躱されて、結局何もできないのか。
「イオリ」
「なんだよ」
「へんな顔しないでよ」
何も言えない……。言葉が出てこない。この手を握ることしか出来ない。
「ちょっと、出かけようと思ってる」
手首を掴まれたまま、ラルフが涼やかな声で言った。
「……どこに」
「ないしよ」
「……」
「帰ってくるつもりだよ」
茶色の瞳は真っ直ぐこちらを見ていた。
―――すっ……
俺は、手を離した。
「気をつけて帰ってね」
ラルフはその場を動かなかった。……俺が去るしかないようだ。背を向ける。一歩踏み出す。二歩、三歩と離れて行く。
「……ラルフ」
「うん?」
足を止める。振り返ろうと思った――が、やはり背を向けたまま告げることにする。
「グダグダしてたら、とっ捕まえに行くからな」
「ええー」
「覚悟しとけ」
「こわいなあ」
あはは、と明るい笑い声が夜の森に響く。その声に押されるように俺は再び歩き出した。もう止まることも、振り向くこともしなかった。