よろしく
ユラはイオリに向かって叫んだ。
「助けろイオリ!!」
「命令すんなっ」
―――ガィィィンッ
「!ちっ」
「……」
飛び蹴りを男が受け止める。イオリはすぐに距離をとり、体勢を立て直した。
「……くそっ」
煙が部屋の中に充満しているため相手の姿がはっきり見えない。イオリは神経を集中させた。
―――スッ
右に動いた。
―――バッ
今だ。気配に向かって足を繰り出す。が、
―――ビュッ
「!なっ」
予想外の方向から男の腕が伸びてきた。無骨な手が足首を掴む。まずい。このままでは……
―――ヒュンッ
ふと、何かが横を通り過ぎた。と思った次の瞬間に男の手が足から離れた。……何が起こったのか?今、飛んできたものは……
「動くな」
鋭利な刃物のような声がした。それが自分に向けられたものでないことは分かったが、あまりにも冷たい響きにイオリは一瞬動けなくなった。
―――すっ
言葉を発した者が風のように抜けていく。
―――……
―――……
少しずつ、煙が晴れてきた。
「!」
先程の男が壁に張りついている。男の首の両脇には針が二本刺さっていた。もう一人の男は床に蹲り、少し離れた所には火薬職人が座り込んでいる。
「……殺るなら、殺れ……」
張りつけにされている男がイオリの前に立つ人物――ラルフに向けて言った。
「我々は何も喋らぬ……」
「だれのために?」
「……」
「まあ、いいや」
ラルフはくるりと入口を振り返った。
「メガネー」
「あっ、バレてた!?」
―――ギシッ
ノベルがわざとらしく肩をすくめて工場の入口に現れる。その後ろには正子もいた。
「ノベル殿!?なぜここに……?」
ユラが目を丸くする。ノベルはいつもの軽い口調でペラペラと話し始めた。
「いやですね、報告したいことがあって皆さんの宿に向かってたら、街でラルフくんと、引きずられてるタナカさんを見かけまして。こっそり後を付けてたらここに辿り着いたんですけど、なんか危なそうだったんで離れた所で傍観してたらイオリさんに見つかってタナカさんを押し付けられて、今ここにいるって感じです」
『……えっと……なんか、すいません』
正子がぎこちなく謝った。
「あとよろしく」
そう言うとラルフは近くの机の上にぴょん、と座った。
「丸投げ!?っていうかこの状況大丈夫?怪我とかしない?」
「たぶん」
「えー」
「早くしなよ」
「まったく……」
ノベルは大仰にため息を吐くと、壁にいる男に視線を向けた。
「三つ質問があります」
「……」
男は口を結んだまま目だけをギョロリとノベルに向けた。
「貴方たちが所持している針――注射器は、どこで手に入れたものですか?」
「……」
男は答えない。ノベルは構わず続けた。
「貴方たちは火薬職人を殺しにきた。そうですよね?なぜ、このタイミングで彼を殺そうと思ったんですか」
「……」
男の口は固く結ばれたままだ。じゃあ最後にと言った後、ノベルは低い声で訊ねた。
「ロレンスさんは何処にいる……」
紫の瞳が鋭く光る。男が顎を引く。しかし、その口が開かれることは無かった。
「ダメだこりゃっ」
ノベルは両手を上げると、おどけた顔でラルフに向き直った。
「なにも聞き出せそうにないよ」
「そう」
―――……ババッ
「「「『!』」」」
と、突然男の手が動いた。男は懐から注射器を取り出すと、その先端を自分の首筋に向けた。
―――トンッ
「!……」
ラルフの手刀が頭部に入り、男は針を手にしたまま眠るように倒れ込んだ。ラルフはその足で床に蹲る男の元に向かうと、その者にも同じ様に手刀を打った。
―――バタンッ
「ひぃっ!」
座り込んでいた火薬職人――イネが、思わず悲鳴を上げる。ラルフは彼を一瞥すると、ユラに顔を向けた。
「……」
「!」
二人の視線が交差する。
―――……
ユラは瞬きを一つすると視線をイネに移し、静かに彼の元へ歩き出した。そして怯えるイネの前にしゃがみ込み、その瞳をゆっくり捉えた。
「……火薬職人殿、驚かせてすまなかった。我々は、理由あってこの国のことを探っている。……街で貴殿の話を聞き、何か情報を得られるかもしれぬと思い、貴殿を見張らせてもらっていた。無礼なことをして申し訳ない」
「……」
「貴殿はあの男達から、なにか依頼を受けていたのか……?」
「……まあ……」
「あの者達とは、どういった関わりが……」
「……知らない」
「え?」
男が発した言葉にユラは目を丸くした。その響きが、本当に知らないという混じりけのない音に聞こえたからだ。
「最初は親父が依頼を受けていたが、親父も知らない。俺も知らない。……材料を渡されて、指示された物を作って金をもらう。それだけだ」
「……自分たちが何を作り、それがどのように使われるのかも知らない、ということか?」
「ああ」
「……気には、ならなかったのか」
「……」
どうだったろう、とイネは思った。男達が初めてここに来た時、親父が隠し部屋を作った時、親父が死んで今度は自分がその仕事を引き受けることになった時……自分は、何を思っていただろうか。
「……気に、ならなかった」
「……」
「金がもらえて、生活できれば、なんでもいい」
「……」
「なんでもいい」
「……」
ユラはスッと体を引いた。
「タナカ殿、」
『えっ?』
ユラは視線をイネに向けたまま、背中越しに正子に問うた。
「あれは、何といっただろうか?ここに来た時にタナカ殿が言っていた、空に向かって投げるという……」
『!あ、花火ですか……?』
「!」
イネの瞳が僅かに揺れたことをユラは見逃さなかった。
「何をしたっていいのだ」
「え?」
“へえ……”
“変わった火薬ですね”
「心が動いたら無視するな。無かったことにするな」
動かなくなる時もある
それがずっと続く時もある
「それは、大切にしていいものなのだ」
「……」
“キレイなんですよ!ピンクとか黄色とか緑とか、色んな色の火花?がパーン!ってなって、あの、暗い空に大きな花がバーンって咲くって感じで!”
「……作ってみたい」
イネの口から言葉が零れた。
「……俺は、それを、作ってみたい……そう、思った……」
「……そうか」
―――バッ
ユラは頷くと、勢いよくノベルの方を振り返った。
「ノベル殿!なんとかして職人の安全を確保できぬか!!」
「僕―!?なんか皆さん何でも僕に丸投げしてません?」
「信頼されてんだろ、よかったな」
「他人事っ!」
全く心が籠もってないイオリの発言に悲鳴混じりの突っ込みが入る。
「……まあ、まず、そこに転がってるクラーレの二人をどうするか……」
「どっかにおいてくる」
「へ?」
ノベルは思わずラルフを凝視した。
「たぶん、もうソイツには近付かないよ」
「……なんで」
「いみないから」
「……」
ノベルは眉間に皺を寄せた。ラルフがどうゆうつもりで言っているのか分からない。しかし、彼に問うたところで素直に答えるとも思えない。
―――……ちらっ
周りを見る。イオリもユラも黙っていた。
「……はあっ」
ノベルは息を吐くと確認するようにラルフに訊ねた。
「じゃ、彼は安全ってわけだ」
「うん」
「あれ、じゃあ問題解決?」
「そうだね」
「なにそれっ」
「「『(……さすがに不憫だ)』」」
―――……スッ
ユラはノベルとラルフのやり取りから目を離すと、再び目の前の男に顔を向けた。
「火薬職人、名はなんと言うのだ?」
「え?ああ、イネ……」
「イネか。俺はユラだ。よろしくな」
「……」
「む?どうしたのだ?」
「……いや……」
イネは何だか可笑しくなった。もうすぐ世界は終わるのに自分には作りたい物があって、目の前の男はよろしくと言ってくる。
終わるのに。すぐに消えてなくなるのに。でも、
「……よろしく。ユラ」
そう言いたくなった。