ここにいる
―――ガチャ
「あ、お帰りなさ~いっ!」
どことなく不安な気持ちでユラさんの部屋のドアを開けると、ノベルさんが腹ばいになって寛いでいた。
「ほら、ラルフくん起きてっ」
「zzくそメガネzzz……」
「ひどいなー」
ベッドには、数十秒前に私たちを迎えたラルフが寝ていた。
「ほらほら、大事な報告会だよ~!」
「zzメガネくたばった?」
「ゲンキでーす」
「「『(慣れてる……)』」」
―――グイッ
ノベルさんがラルフの体を起こしてベットの端に座らせる。それを見て、私たちも床に腰を下ろした。
「では、始めましょう!」
全員が座ったことを確認すると、ノベルさんは人差し指を立てて口を開いた。
「ゴデチア宰相ですが、この国にいることは間違いないようです。でもここ数日は国民の前に姿を現していないとか」
「……宰相ってのは、国民の前にしょっちゅう現れるもんなのか?」
「エポナ王が体調を崩してからは、ロレンスさんとゴデチア宰相の二人が積極的に国民と交流を図っていたみたいです。でもその回数はロレンスさんの方が圧倒的に多かった」
「……」
「なので宰相を見かけないことについては、みんな特に不安を感じていないようです。だけどロレンスさんの不在は……」
「心細い、というわけだな……」
「はい。しかも替わりがあの人ですからね、そりゃ不安にもなりますよ」
『……』
「でもやっぱり僕は、この状況で宰相が姿を見せないことが一番引っ掛かる」
ノベルさんは顎に手を当てると少し低い声で言った。
「いつ200年の時が来るのか分からないのに、ロレンスさんがいない今、宰相が表に出てこないなんて無責任というか、不自然だ。宰相は非常に重大な仕事を抱えているのか、それとも……」
すっと、紫の瞳が私たちに向けられる。
「身を隠さなければならない理由があるのか」
「え?」
ノベルさんは真っすぐこちらを見ている。
「……どうゆうことだ」
イオリさんの黒い瞳が細まる。その眼差しを受け止めてノベルさんは口を開いた。
「皆さんが入国した時に宰相を見なかったと言っていたことが、ずっと気になってたんです。ゴデチア宰相なら、同盟国がどんな人間を派遣してきたのか自分の目で確かめそうなのにって」
「……ノベル殿、貴殿が言いたいのは、つまり」
「はい。宰相が皆さんを避けてるんじゃないか、ってことです」
「「『!』」」
私たちを避けてる?どうして……?
「何か心当たりはありませんか?」
「いや……こっちはそいつの存在すら知らなかったからな……」
「うむ……」
『……』
「ラルフくんは?」
この場にいる全員がラルフを見る。ラルフはベッドに座ったまま、いつもの涼しい顔で答えた。
「ないよ」
「だよね~」
考えすぎかなあ、と言いながらノベルさんは首を掻いた。
「あ、皆さんの方はどうです?」
「ああ、」
イオリさんが今日の出来事を話す。主に林に住む火薬職人さんのことだ。
「なるほど……」
聞き終えると、ノベルさんは腕を組みながら言った。
「職人もそうですけど、すれ違った男達もカナリ怪しいですね」
「ああ。林の中にはあの家しかなかったからな……火薬職人になにか“依頼”したのかもしれねえ」
「工場には、変わった物は無かったんですよね?」
「うむ。狭い場所で必要最低限の物が置いてあるという様子であった」
『あ、あの……』
「「「うん?」」」
皆が私を見る。……な、なんか緊張するな。
「どうしたタナカ?」
『あ、はい……あの、紙を持ってました、よね?』
「紙?」
ノベルさんが身を乗り出してきた。どうでもいい情報だったら申し訳ないけど……一応知らせておいたほうがいいよね。
『あの、その人が私たちに気付く前、白い紙が一枚、風で飛んだんです。慌てることもなく普通に拾ってましたけど……でも私たちに気付いた後、その紙を畳んで自分の服の中にいれたんです』
「紙を畳んだのは、どのタイミングだったか覚えてる?」
『あ、えっと、依頼じゃないのかって言われて、工場にどうぞ、って案内されてる時に歩きながら畳んでしまってました』
「「「……」」」
『あ、でも、なんにも関係ないかもしれません!何書いてあるかも全然見えなかったし!』
「いや……もしかしたら、“依頼”と関係あるのかもしれない。ありがとう、タナカさん」
『!いえ』
役に立つかは分からないけど……言って良かった。
「じゃっ、取り敢えずその火薬職人を張り込みしてみます?」
「……まあ出来るのはそれくらいしか」
「お願いしまっす!」
「いやお前は!?」
イオリさんがすかさず突っ込んだ。
「僕は向いてないですも~ん。インテリ王子なんで!」
「自分で言うか」
「事実ですから」
「じゃあ、お前は何してんだよ」
「街の散策とか?」
「は?」
「時間は無い、でも焦らない。これが僕のモットーです!」
いぇーい、と両手を上げるノベルさん。あ、イオリさんの黒いオーラが……
「じゃ、そうゆうことで!」
―――バタンッ
そのオーラから逃げるようにノベルさんは部屋を出て行った。
「……」
「……」
『……』
「zzz……」
気まずいー!誰か何か喋ってください!!
「……ユラ、行くぞ……」
『!!』
黒いオーラを放ちながらイオリさんがゆっくり立ち上がる。え、えらい……ちゃんと言われた通りにするんだ……。ユラさんも、うむ、と言って立ち上がった。
「タナカ殿、ラルフと留守を頼む」
『!は、はい』
「一人でどっか出んなよ」
『ハイ』
そう言うと、二人は静かに部屋を出て行った。
―――パタン……
―――……
ラルフと二人になった。
―――ちらっ
「zzz……zzz……」
ラルフはベットの端で座ったまま寝ている。ほんとによく寝るよなあ……。
“おかえり”
そういえば、ラルフにお帰りって言われたのって初めてだったかも。
―――……
窓から入る夕陽がラルフを照らす。白い肌、少し顔にかかる金色の髪……キレイ、というか……
“もう少しだね”
“タナカが帰れるまで”
このまま何処かに消えてしまいそう。
―――すっ
私はラルフに手を伸ばした。
―――がしっ
『!』
いつかのように手首を掴まれた。後悔した。きっとまた、あの目で見られる。すっとラルフの瞼が持ち上がる。
『……』
「……」
茶色の双眸と目が合う。その瞳は揺れている。手首を掴んでいた手がゆるりと掌に移動した。
―――ぎゅっ
その手は、私の手を握った。
弱くもないし強くもない。小さい子供が何かに摑まるような……そんな握り方だった。
気が付くとラルフの目は閉じられていた。手の力も抜けて、私とラルフの手は重なったままベッドの上に落ちた。
―――……
ラルフはまた寝ぼけてたんだ。私がここに居ることにも気付いてない。きっと何かの夢を見てて、起きたら今のことは覚えてない。でも……
―――ぎゅっ
今度は私から手を握った。ラルフの手はひんやりしている。
―――ぎゅうっ
『!』
冷たい手が握り返してきた。顔を向ける。相変わらずラルフは眠ったままだ。手だけが強く握られている。
……今、何を見てるんだろう?この手を誰の手だと思って握り締めているんだろう。私には分からない。
でも、ラルフが自分から手を離すまで、私はこの手を握っていようと思った。