言い訳無用。それが平和だ
「……って、待った待った! つい頷いたけど今のは」
「はい言質とーった! もう逃がさないわよ!」
ギュウと抱きしめるように掴んでくる少女に、カノンは叫ぶように悲鳴をあげる。
「抱き着くな! そういうの嫌じゃなかったのかよ!」
「だってアンタ逃げるし」
「逃げないから!」
「なら良し」
アッサリと離す少女にカノンは心の中で軽く戦慄する。
(こいつ……精神力強化したからこうなったってわけじゃないよな?)
あまり話さないうちに逃げていたから、よく分からないが……さすがに人格が変わるレベルで強化を施した覚えはないし、たぶん元々こういう性格なのだろうとカノンは思う。
それとも、強化されたことで恥とかそういう概念が消えている……いや、それはないかもしれない。
「大体、互いに名前も知らないってのに」
「そういえばそうね。でもアンタがすぐ逃げるからよね」
「否定はしないけどさ」
「ま、いいわ。アタシはサーリアよ」
「俺はカノンだ」
言いながら、カノンは自分の中の諦めスイッチが入っていくのを感じていた。
なんとなくだが、この少女からは逃げられない。そんな気がしたのだ。
「早速だけど、明日は冒険者ギルドで登録しましょ」
「いいけど……王もがっ」
「その話をこんなとこでするんじゃないわよ」
「あー……悪い」
確かにこんな噂がフルスピードで広がる場所でするべきではないだろう。
彼女が……サーリアが襲われてもおかしくはない。
「しかし何処に泊まってるんだ? 色々危ないだろうに」
「だから宿代で稼ぎが飛ぶわ。あんまし良い傾向じゃないわよね」
「あー……」
安い宿は自分の荷物を守るのも難しい。ある程度のセキュリティを確保したければ、金を払ってランクの高い宿に泊まるのが常識だ。
そして……彼女と組むと決めた以上は、彼女の身の安全を考えるべきだろうと……カノンはそう考える。
「そうだなあ。今日から一緒の宿に泊まるか」
「え、何よ。いきなり大胆ね」
「手を出すとか面倒な事はしないから安心していいぞ」
「それはそれでムカつくんだけど」
魔法学校でも、男女の痴情のもつれで刺されたアホを結構な頻度で見てきた。
魔法使いになろうという人間はヒエラルキーを自然形成することが多いため、そうした確率も高くなるのだろう……と、カノンは当時そんなことを考えていたが、同時に「男女関係程面倒なものはない」という考えも刷り込まれている。
故に、カノンは軽々しく相手に手を出すことはない、という絶対に近い自信が自分にあった。
「ま、いいわ。それじゃあそうしましょ。とりあえずは……」
「ああ」
2人の視線が向くのは、目の前にある公衆浴場。そう、そもそもカノンは風呂に入りに来たのだ。
決して、こんなところで悪目立ちするために来たのではない。
「お風呂入りましょ」
「賛成だ」
「早く出ても待ってなさいよ。逃げるんじゃないわよ」
「逃げないよ」
「そう?」
「ああ」
頷くカノンを見て、サーリアは女性用入り口に向けて進んでいき……そこで、振り返る。
「絶対よ?」
「ああ」
「逃げたら追うわよ」
「いいから行けってば」
チラチラと振り返ってくるサーリアが風呂屋の中に完全に消えた後、カノンはその場に座り込み大きく溜息をつく。
「……やっぱ失敗したかあ? 条件が魅力的だったとはいえ……」
王都の家に住めるということは、それだけで信用度が上がるという事だ。
住民登録をすれば、この街で働くよりもずっと高い信用が手に入る。
つまり、未来への道も大きく拓けるわけだが……。
「いや、待てよ。そんなの持ってるのに、どうしてあいつ……」
悩むカノンの肩に、ポンと手が置かれてカノンは思わず振り返る。
そこには、何やら分かった風の表情の知らない男たち。
「分かるよ。男なら美女には惹かれるよな」
「罠だって分かってても抗えないんだ」
「そういうもんだよ、気にすんな」
何を勘違いされたんだか分からないが、妙な仲間意識を持たれてしまったらしい。
色々違うんだが、とは思いつつも……事情を説明するわけにもいかないし、ごまかすのも面倒くさい。
だからこそ、カノンは死んだ表情で一言だけ答える。
「……そっすね」
それで、世の中は今日も平和である。