旅の準備
「……今、なんて言った?」
空気が、一瞬で凍る。周囲で見ていた野次馬たちが僅かにざわめき始めるが、関わりたくないという空気も如実に感じられていた。
当然だ、衛兵を呼んで恨まれたりしたら今後に差し支える。チンピラもどきではあるが便利屋としての側面もある冒険者は、街の人間もなんだかんだで利用している存在なのだ。
「帰れって言ったんだよ、チンピラ。お互いもう関わらないのが一番だ」
「ケンカ売ってきといて、そんな綺麗に終われると思ってんのかオイ」
「ケンカ売ってるのはお前らだろ。スライム狩りたきゃ好きに狩れよ」
「ああ⁉」
カノンと男はにらみ合い……やがて、男の拳がカノンの顔面を捉える。
いきなりの不意打ち。しかし、男は顔を歪めると拳を抑えて一歩下がってしまう。
「か、硬ぇ……なんだてめえ、どうなってんだ!」
「別に。ただ『強化済』なだけだよ」
足強化、と。カノンが小さく唱えて。その姿が掻き消える。
次に現れたのは、男の眼前で。
「は?」
「吹っ飛べ」
ドゴン、と。大きな音をたてて男がカノンに蹴られて吹き飛び転がる。
誰もがその姿を唖然とした様子で眺め……男の仲間達が男に駆け寄り、完全に気絶した男を見てギョッとする。
「な、なんだあいつ……」
「やべえぞおい」
「に、逃げろ!」
バラバラに逃げていく冒険者たちを見て、カノンは追う事はしない。
別に彼等を殲滅するのが目的ではないし、調子に乗るつもりもない。
「……やっぱり凄いわよ、その魔法」
「ちょっとケンカに強くなったくらいで凄いとは言わないさ」
「そういう問題じゃないと思うのよねえ……」
鍛え武装した冒険者を一撃で昏倒させるというだけで凄まじいのだが、カノンの精神には劣等感のようなものが深く刻み込まれている。それをどうにかしなければどうしようもないというのは、なんとなくサーリアも感じ取っていた。
「ま、いいわ。さっさと買い物しましょ」
「ああ」
カノンの手を握り、サーリアは引っ張る。カノンはそれに逆らうこともせず、2人は市場を巡る。
「カノン。アンタは保存食はどれが好み?」
「どれでもいいんじゃないか?」
「良くないわよ。言っとくけど、干し肉だけで乗り切れると思うんじゃないわよ?」
飽きるんだからね、アレ……などと話すサーリアにカノンは頷き、近くの店先にあった干し果物を眺める。
しかし、そのカノンの視界をサーリアの手が塞ぐ。
「ダメよ、アレはダメ。アレはお貴族様の食べ物よ」
「いや、意味が分からん」
「めっちゃ口の中の水分吸うのよ……水の運搬に制限のある一般人が食べるものじゃないわ」
「そうなのか」
「そうなのよ」
「なら、どうするんだ?」
「うーん……お勧めはナッツかしらね」
保存食用に調整されたクルミを中心としたナッツ類は栄養もあるし、かなりもつ。これも処理方法が確立するまでは結構大変であったらしいが……それはさておき。
「ふーん。じゃあ多めに買っておくか」
「まいど!」
「待ちなさいってば! アンタ、ナッツだけで食事になると思ってんじゃないでしょうね!」
「あ、そうか。パンとかいるよな」
「白パンに手を伸ばそうとすんじゃないわよ馬鹿! 金持ち!」
「どんな罵倒だ」
「堅パンに決まってんでしょうが!」
保存食用に堅く焼き固めた堅パン。ちなみに、決してそのまま齧るようなものではない。
「サーリアは詳しいな」
「冒険者だもの。当然でしょ?」
「え。お嬢ちゃん、冒険者なのかい……?」
微妙な目で店主に見られて、サーリアはウッと呻く。
「そ、そうだけど……」
「若いんだから他にもいろいろ仕事探せるだろうに……」
「やっぱり、やめたらどうだ? 冒険者」
「こ、この街が特殊なのよ! 冒険者は、もっと人の役に立つ喜ばれる仕事なんだから……!」
「そうかなあ」
店主と頷きあうカノンに、サーリアが「アンタは私の味方しなさいよ!」と怒り出す。
そんな事もあったが……ひとまず、平和に旅の準備は進んでいく。