第一章第一部一節(3)
「さて、自己紹介ね。一人あたり一分以内って感じでサクっと済まそうぜ」
セーラー服の女生徒が杖(これが彼女の武器らしい)を弄びながらそう言った。その杖は美しい音楽を奏でながら、五線譜の放射線を放っている。
「オレは照島かなた。日商芸の高等部三年の照島かなた。作曲家をしてる!体はこの通り貧弱だけど、ほら、こんな意味わからんことに巻き込まれることなんて人生にそうそう何度もないだろ? 終結の瞬間まで付き合わせてもらうぜ」
作曲家を志望してる、ではなく作曲家をしてる、と言い切った。
日商芸……国立日本商業芸術学校。大人になるにつれ大半の娯楽は規制されていく今の日本の中で、将来的には外貨を稼ぐことができるほどのポテンシャルを持つと認められた人間が集められたマンモス校。特例規制緩和法適用校の中のトップ校の更にその中で、高校生にしてすでに外貨を稼いでいるということだろう。本物の才能っていうやつに裏打ちされているのであろう、自信に溢れた態度をしている。
細く小さな体に見合わぬ横柄な態度。不測の事態に動じることなく次々に発言していく。小さい犬ほどよく吠える、といったのとはまた違う。そのへんのチンピラとかとは明らかに違うオーラ。覇王の風格のようなものが少なからずある。というか、顔がちょっと怖い。
校則であろう膝丈の長さをきちんと守り着用しているその濃紺のセーラー服は彼女の誇りだろうか。その割りに、スカートにシワが寄っていることが大変気になってしまうな。
黒髪を短く切り揃えたその少女の切り裂くように少し掠れた声は癖になる感じだ。
挑発的な瞳は薄緑。白目に溶け入るような色の中には、燃えるような闘志。誰にも負けるような気がしないだろう。勝ち続けてきた虎のプライド。その瞳に猛虎が宿る。
「ほら、お前も早くしゃべれよ! 得意だろ、人前でしゃべんの、さ」
照島かなたと名乗った少女に絡まれて「うっ」と小さく声を上げて肩を緊張させた少女は、俺の母校の制服と似通っている。姉妹校のものだろう、見覚えがあった。秀も丁度同じものを最近まで着用していたのだし。
「お、押忍! アタシは脇浜沙有です! 学校で生徒会長をしていて、それで結構人前で喋らされるんでテルシー……かなたが言ってるのはたぶん、それッスね……」
やや照れ臭そうな顔をする少女は、どことなくかなたちゃんの舎弟感が出ている、ような気がするのはしゃべり方のせいだろうか。
年上も力関係も無視して誰にでもため口をきいていたかなたちゃんと比較すると砕けた敬語でもかなり礼儀正しく感じられた。
「"彼"とは幼なじみ。あと、アタシの方は現役で空手をやってて、テルシーよりは実戦でも役に立つかも、です」
そう言う彼女はどことなく謙虚そうな物言いに反して、自信ありげな笑みを浮かべる。実際、どこかで結果を獲てきたのだろう。かなたちゃんの隣に立つと、背丈こそは変わらないだろうけど明らかにガタイが違う。
ブレザー越しでもわかる、しっかりと大きな肩幅。スパッツを履いた上からでも見てとれる太ももの筋肉も逞しいものだし、顔つきからまず全然違っている。三つ編みと眼鏡、という如何にもな優等生然とした大人しそうな格好とは不釣り合いに、太い眉はつり上がっており、キリリと精悍な印象。きゅっと引き締まった頬のラインは中性的だ。小麦色の肌もずいぶん健康的で、色白かつ細面のかなたちゃんとはずいぶん印象が違っている。
彼女らの親しげな立ち位置が実はさっきまで不思議だったのに、幼なじみとはっきり言われると納得がいく。友人、とはまた違うこの二人の雰囲気は、丁度幼なじみのそれだ。
「あたしは須磨鏡子です。中学三年生。」
撫でるような優しく高い声。銀のスプーンに絡みつく蜜の如く甘やかなそれに、かなたちゃんがピク、と眉を動かした。夜空に冴え渡るソプラノ。動じた様子がこちらにも一切なく、落ち着き払っているその声。最も丁寧に敬語を使っているのに、語気が微妙に生意気に感じるのは気のせいだろうか。
「急に戦えとか言われて事態も飲み込めないんですけど、とりあえず今は戦わなきゃまずそうだし? 一時間戦ったらあとで彼らに文句の一つでもつけてやるつもり」
口調とは裏腹に苛立ちなどはいまひとつ感じられない、淡々としつつもどことなくのんびりした口調。妙に腹も据わっているが、こちらは何かの実力に裏打ちされた自信というよりも、生来のものだろう。たぶん、この子はマイペース。やや空気の読めていなさそうな、緊張感のない甘さ。
「あなたたちも、どうです?」
これ以上異常事態に巻き込まれたくはないでしょ?と言いたいのだろう。そういう意味での誘いだろう。
「僕は遠慮しておくよ」
何かが起きることを、ずっと待ってたんだ。こんな特別な一日を今日だけにしておくには惜しい。ここで降りるなんて御免だ。
秀は黙っていた。俺の顔をちら、と見ただけだった。
「ふぅん? そぉ……。これから先会うつもりはないけど、とりあえず今日はよろしくお願いしまーす」
刺のある、突き放すような言葉と対照的に愛想のいい笑顔。声と同じく全体的に甘めの顔立ち。先ほどの二人とはずいぶん印象が違っていて、ややぷっくりと愛らしい頬をしている。ぱっちりと大きな目をしていて、二重は平行。色味の少し抜けた黒の髪を肩先まで伸ばしている。はっきり言って、美少女と言われるであろう、分かりやすく整った顔立ち。
ジャンパーの下に着ている制服は、俺の地元……神奈川の方の女子校のものだ。教育水準の高い学校で、かなり昔はお金持ちのご息女ばかりが通うことで有名だった。当時は学費も高かったし。政治も変わったので、今は単純に勉強のできる子が集まってるはずだけど。親も厳しいだろうに、こんな時間にここに居ていいのかな。……いや、ダメだろうな。だからこそ、彼女は今日っきりにするつもりなのだろう。
一秒。沈黙する。
「早くしろよ」
「あっ、俺か」
完全に呆けていた。じぃ、と怪訝そうにこちらを見る鏡子ちゃんの視線が刺さる。
「ええっと、僕は瀬名川未宇……。この見た目だけど十九才だから、僕が一応一番年上かな? 目立つような経歴とか特技はないんだけど、強いて言えば夜目は効く方かも。年長者って言っといてあれだけど、性格はリーダーシップとかそういう言葉とはかけ離れてる感じだからまとめ役とかは他の子がしてくれると助かるかなって……」
情けなくも、ちら、と俺は沙有ちゃんの顔を見た。沙有ちゃんは少なからず意図を察したようで、こちらを見て頷いた。
「十九? あなたが? 身分証見せてください、その見た目じゃ中学生がいいとこでしょ……」
鏡子ちゃんに促され、素直に健康保険証を差し出した。
「うっわ、マジじゃん……」
かなたちゃんが呟いた。ただでさえ童顔なのもあるけれど、俺は身長も著しく低かった。そういう家系、というのもあるだろうし、生活習慣がよろしくなかったのも多分ある。百六十センチを未だに越えることのない俺のからだと保険証を興味深そうに交互に見ているかなたちゃんはじめとする女子三人の視線を、しっしと払い除けた。
「僕についてはもういいでしょ~? 秀、オマエが最後だよ」
自己紹介を促すことで、視線をやや強引にも逸らすことに成功。少し口下手なところのある幼なじみの自己紹介を見守る。
「わ、わたしは矢薙秀です!今年度で十九になります……!あと、えっと……」
人の話を聞くのに集中して、自分が何を話すか考えていなかったのだろう。昔からこいつはアドリブは下手な方だし、吃りだってあった。悪気はないだろうけど、たじたじになってる秀を三人はじっと見ている。視線に敏感になっている秀が余計にパニックになっているのが見てとれた。
「それと、こいつは僕の幼なじみで、ちょっと鈍臭いところもあるけど、腕力と体力はある。多分僕よりかは役に立つと思う」
見かねて、助け船を出すつもりで僕が代わりに喋りだした。僕もおしゃべりが得意なわけではないけれど。
そこに一突き。俺の態度に一つ、釘を刺された。
「最後までそいつにしゃべらせてやんないの?」
薄い笑みを浮かべた虎、一匹。遥か彼方を見るような冷たい薄緑が先ほどの津々な興味も削がれたような顔をして俺を見透かす。俺は正直、鵺よりもこの女の子の方がちょっと怖い。
「ねえ?」
俺への興味は完全に失われてしまったのか、俺ではなく俺の奥に引っ込んでしまった秀にそう語りかける。長く伸びた前髪の、艶めく黒髪の隙間。揺れる緑が夜闇を浴びてひっそりと呼吸している。
「えぇ……っと」
秀はうつむいたまま、周りを伺うようにきょろ、と見回した。
「せっかく人間にうまれたのに、喋らなきゃ損だろ! 宝の持ち腐れなんだぞ! どんなに大人たちの規制が広がっても、魚は泳ぐし鳥は歌うし、人は喋るんだぞ! 喋ろう、お前の言葉を!オレたちにはまだ、それが許されているから……」
時折ナイフのように鋭く聞こえるその声が、今は落ち着いている。風に溶け込むような声で、子供に諭すようにすら聞こえるほど優しくそう言った。
俺は、秀の代わりにしゃべるなんてことはやめて、後押しするように秀の手を握った。
「えっと……未宇くんくらいの重さなら、余裕でお姫様だっこができます! 役に立てるようにがんばります!」
秀は「ちゃんと喋れたよ!」と言いたげに褒めて欲しそうな子犬のような笑顔でこちらを見ていた。かなたちゃんは「ほぉ……」と感心したような顔で秀を見ている。
「まあ……いいんじゃない?」
こんな言葉、褒めたうちには入らないだろう。けれども秀は、満足そうに「うんっ」と頷いて微笑んだ。
自己紹介だけだけれど、なんとなく全員の性格が把握もできた。そして、人間関係を形成するための、パワーバランスもなんとなく見てとれた。
集団になるのって、あんまり好きじゃないんだけれど。鏡子ちゃんはともかく、他のみんなとは次も会うことがあるのなら、俺もこの集団を愛せるといいな、とそう感じた。