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私はスパイにはなれませんな

「そういえばなんだが、萌菜先輩って塾には結局入ったのか?」

 頭を冷やすために、ほんの気晴らしで聞いたつもりだった。

「なんのことです?」

「え、だって、先輩、塾探していたじゃないか」

 確かにそうだった。綿貫と、先輩と、俺とで大名古屋ビルヂングに行ったあと、塾の見学をしに行こうとしていた彼女と、俺は駅のカフェで鉢合わせしていたのだ。

「そうなんですか? 私知りませんでした」

 おかしなことのあるものだ。同じ家に住んでいるというのに、家人の動向を全く把握していないということがあるのだろうか。それも全部、綿貫邸が大きすぎるせいだろうか。


「まあいいが。……今家の人って誰がいる?」

「とりあえず家族は私だけで、他は黒岩さんとか、お手伝いさんばかりです」

「その人たちはもう知っているんだよな」

「黒岩さんにはすぐにお話ししたので、伝わっていると思います」

「黒岩さんと話してみるか」


 綿貫は黒岩さんを呼びに行って、すぐに戻ってきた。


「萌菜さんが行きそうなところに心当たりはないですか?」

「私もよく考えてみたのですが、お嬢様方がこっそり抜けられるようなことは滅多に御座いませんので、皆目見当もつかないのです」

「一応聞きますが、萌菜さんを車に乗せて、どこかに届けられたりとかはしましたか」

「そんなことはございません。今日は車を動かすことはしていません」

「賢二さんとかを乗せたりとかは?」

「大旦那様も、旦那様も、昨日から医局に詰めておりますので、お帰りになられていないのです。奥様はご友人の方々と、旅行に行かれていますので、昨日、あなた方を屋敷にお連れしたのが最後でございます」

「そうですか。屋敷の入口の所にカメラ何かはないんですか?」

「つけておりますが、メンテナンスのために今朝だけ止めていたのです。ですから、お嬢様が出て行かれた時間はおおよそ六時ごろかと推定されますが、お姿は移っていないのです」

「じゃあ、本当に外にいるのかはわからんのじゃないか。実は屋敷の中にいるとかないのか」

「私もそうかもしれないと思って、よく探したんですが、見つかりませんでした。お手伝いさんにも手伝ってもらったんですが」

「だが、もう一度だけ、中を探してみようぜ」

「そうですね。分かりました」


 俺たちは手分けして、家の中だけでなく、一般に公開されている、表の庭園の中まで捜索した。

 

 俺は一人で、裏のガレージの方を見に行って、もしかしたら、車の中に隠れているのかもしれないと思って、のぞき込んでみたが、人のいる気配は全くしない。

 

 外に出て、木や屋根にでも上っているのだろうかと、上を見上げてみるが、当然先輩の姿はない。

 

 そんな折、お手伝いさんの一人であろうか、中年の女性が通りかかったので、俺は話しかけた。

「すみません少しお話を聞いても良いですか?」

「なんでしょう?」

「監視カメラというのは、門のところにだけあるんですか?」

「カメラでしょうか? カメラは門のほか、庭の塀の所にもおよそ等間隔で設置されています」

「今日はメンテナンスで、少しの間撮影が止まっていたそうですが」

「はい。黒岩が監督しておりまして、異状がないか月に一回ほど、確かめて再起動しているのです」

「それは日付は固定されていたりとかは?」

「大体月の終わりですが、絶対的に固定されているわけではありません」

「そうですか。ありがとうございます」

「失礼します」


 その後も引き続き一時間ほど探して、一度集合したが、他の奴らはこれといった収穫はなかったようだ。


「こりゃ、外に行ったみたいだな」

「そうですね」

「綿貫家が所有している建物ってどのくらいある?」

「えっと、地図を持ってきますので、少々お待ちください」

 そういって綿貫は部屋から出て行って、大きな一枚の地図を持ってきた。そして赤色のマジックで丸印を付けながら、

「尾張だけで考えますと、大海原病院が三つありまして、他に倉庫やら、少人数だけですが、人が寝泊まりできるようなところも複数あります。あとは、外のひろばや、テニスコートに、ゴルフ練習場など」

 このような緊急事態でなかったら、突っ込みたくなるような、金持ちぶりを発揮している。

 病院経営は苦しいとか何とか言っているが、なかなか景気はいいようではないか。

「あと、うちの所有物ではないんですが、あるビルの最上階のラウンジが、綿貫家専用契約になっていて、私や萌菜さんでも入ることができます」

「そのビルっていうのは?」

 綿貫はマジックで印をつけた。なるほど、駅ビルから見えるあの高いビルか。

「そこ、プールってあったりするか?」

「ありますけど、どうしてです?」

「いや聞いただけだ。……そっか。じゃあ、そん中から手分けして探していくか」

「待ってよ太郎。そんなに絞って大丈夫なのかい? 全く別なところにいる可能性もあるじゃないか」

「先輩は、携帯電話も金も持って行ってないんだぞ。そんな人が、家出をして、どこに行くって言うんだ。金がなくても入れて、飲み食いできるものが、ただで手に入るようなところじゃないといかんだろ。それに仮にほかの場所に行っているのだとしても、探しようがない。とりあえずは今言った場所を探して、見つからなかったらまた考えるしかないだろ」

「まあ、そうだけど」

「とりあえずは近くから探していこう。多分そんなに遠くには行けていないはずだから。俺はビルを見に行く。それとなんだが……」

 俺はそこで綿貫に耳打ちをするようにした。それを聞いた綿貫は、少しだけ不思議そうな顔をしたが、了承したようで頷いた。

「私はお兄ちゃんについていくよ」

 と夏帆ちゃんは言った。もとより夏帆ちゃんを一人にはできないが。

「では私は、勝手がよくわかっておりますので、病院をあたります」

「じゃあ僕は、この建物をまとめて見に行くよ」

「じゃあ私はテニスコートとゴルフ場? そんなところにいるのかなあ」

 と各々担当が決まったところで、

「見つかったらすぐに連絡をしてください。深山さんの所は少し距離があるので、黒岩さんに車を出してもらいます」

 綿貫にお願いしたように、車を手配してもらう。

「すまんな」

「いえ、無理を言ってお願いをしているのは私ですから。……それに深山さん何か考えがあるのでしょう」

「……ちょっとした、予想なんだが」

「それが良く当たるのは、私は知っていますから。では皆さんよろしくお願いします」


 各々玄関に向かう。

 その途中で雄清に声を掛けられた。

「太郎、ちょっといいかい?」

「なんだ」

「萌菜先輩に関することで妙な事はなかったかって、さっき聞かれて思い出したんだけど、みんなの前じゃ言いにくくて」

「どうしたんだ?」

「マント事件のこと覚えているかい?」

「まあ、そう簡単には忘れられんな」

 一月も上旬、三学期が始まったばかりの時の話だが、消えた劇の小道具の事件の事はよく覚えている。外されてクラスの奴らに逆恨みした演者が、自分のマントを燃やしたという事件だ。


「あれで、太郎、萌菜先輩と最後言い争いしただろう」

「……まあ、そんなこともあったな」

 そのおかげで、彼女に対し申し訳ない気持ちになった俺は、その後に起こった事件で泥をかぶることになった。……薫ちゃんのビンタを二発。

「その時太郎、先輩とすれ違った僕に、彼女が怒っていたかどうか聞いたよね」

「かもな」

「太郎はそういうこと、意外と気にするから、あえて言わなかったんだけど、彼女怒ってはいなかったんだよ」

「じゃあ、なんだって言うんだ」

「怒ってはいなかったけど、……多分、泣いていたんだと思う」

 

   *


 先ほど雄清に言われたことをよく考えていた俺は、思いつめていたような顔をしていたのか、

「ねえ、お兄ちゃん大丈夫なの?」

 とガレージに一緒に立っていた夏帆ちゃんに言われた。

「いや、ちょっとな」

 そこに、車のカギを取りに行った黒岩さんがやってきて、ドアロックを解除してくれた。昨日も乗った黒塗りの外車だ。バックでガレージから車を出したあと、道路に出て、例のビルの方へと走り出す。

 そこで、俺は運転席をのぞき込むようにして、計器類を確認した。

  

 そんな俺を見た黒岩さんは、

「どうかなさいましたか?」

 と尋ねてくる。


 俺は意を決して、こう言った。

「どうして嘘をついたんですか?」

 ルームミラー越しに俺と目を合わせた黒岩さんは、俺の言っている意味をすぐに理解したようだ。


「お嬢様方がおっしゃるように、あなたは聡明であられるようだ。いつ気付かれましたか?」

「きっかけは、朝、綿貫邸に来た時ですよ。昨日は車のフロントがガレージの入口を向くようにして駐車していたのに、今日来たら、リアが入口から見えましたから。まあ、その時はどこかに出かけて、反対の方向で駐車したんだな、ぐらいにしか思いませんでしたが。だから、どこかに車を出したものだと思って、それとなくあなたに聞いたところ、車は昨日から動かしていないと言うもんですから、妙に思ったんですよ。それで、今トリップメーターを見たら、雄清がゼロにしたはずのそれが、二〇も動いている。」

 それを聞いた黒岩さんが苦笑いするのが、ミラー越しに見えた。

「はあ。私にスパイは務まりませんな。そんな間抜けなミスをしてしまうとは」

「先輩がどこにいるのか知っているのでしょう。でなきゃ、主人が不在の時に、勤め先のお嬢さんが失踪したっていうのに、そんな悠長には構えていられませんて。しかも、萌菜先輩がいなくなったちょうどその時に監視カメラがメンテナンス中で、その管理があなたの仕事だなんて」

「……萌菜お嬢様は、あなた様が向かわれている所にいますよ。つまり、我々の目的地にいます。さあ、もう着きます」

 窓の外を見れば、例の高層ビルが天高くそびえていた。

「入る際は、カードキーが必要ですので、これをお使いください」

「……あなたは綿貫家に仕えているんですよね。いいんですかそこのお嬢さんの命令に背くようなことをして。先輩に言われているんでしょう。どこに行ったのか黙っているように」

「私は綿貫に忠誠を誓っていますが、それはつまり、主人とその家族が幸福になるよう、努力するということです。よる年端には勝てませんが、歳を重ねると、うら若き娘さんが何を考えているかは、その目を見れば大体わかるようになるもんです。あなたはお嬢様がなぜいなくなったまではお分かりではないでしょうが」

「理由は教えてくれないんですか?」

「申し上げましたように、私が願うのは、お嬢様の幸福です。それを私の口から話してしまっては、意味がないのです。……ではどうぞ。ラウンジは最上階です」

 車のドアは自動で開き、俺と夏帆ちゃんはビルのエントランスに立った。


「ねえ、お兄ちゃん。どういうことなの?」

「なにが?」

「このビルだってことは何となく予想がついていたんでしょう」

「確信があったわけじゃないし、黒岩さんに聞けば、答えは分かるもんだと思っていたからな」

「じゃあ、その曖昧な予想の根拠は?」

「簡単な事だよ。先輩は高いところが好きなんだ」

 本当を言うと、もっとそれを後押しする理由はあるのだが。

 いつだったか、萌菜先輩は言っていた。「一人になりたいときは、よく隠れ家に行く」と。しかもそこは、静かで、プールまであるという。都会の中で、そのような場所は限られる。

 この高層ビルの最上階のようなところは、町の喧騒も聞こえてはこないだろうし、綿貫が言うにはプールがあるそうじゃないか。こここそ、萌菜先輩が言っていた隠れ家だと思ったのだ。

「なにそれ」

 夏帆ちゃんは俺の言葉を聞いて不思議そうな顔をした。

「いいから、行くぞ」

「あ、ちょっと待って」

「なんだ?」

「私、やっぱり上まで行かない」

「……どうして?」

「お兄ちゃんが一人で行くべきだよ」

「だからなんで?」

「私、萌菜さんがいなくなった理由なんとなくわかるもん」

「……なんだよ?」

「そういう所だよ、お兄ちゃん。萌菜さん、ずっと苦しかったんだと思う。知ってほしいけど、知られたくはなくて。その相手は鈍くて、全然気づかなくて」

「何の話だ?」

 俺は次に夏帆ちゃんの口から発せられた言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。


「萌菜さん、お兄ちゃんの事が好きなんだよ」




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