相当あれだろ
日本人は集団化が好きだ。
陰キャだ、陽キャだ、ウェイだ、リア充だ、と。
人間の集団を型に当てはめようとする心理は、どのようなものだろう。思えば、学生に制服を着せるというのも、そのような日本人の性格特性を形成する、一因となっているのかもしれない。
未知のもの、というものは至極恐ろしく感じられる。型に当てはめて、とりあえず分類してしまえば、心理的には一応の理解ができたと思える。それを考えると、大まかな枠に当てはめるという行為も、ある程度は正当化されるのだろう。
しかし、行き過ぎは良くない。単に、グループ化するだけならば、問題は生じようもないのだが、その行為には多分に、排他的で、差別的な思惑が入り交じる。
オタク⇒根暗⇒キモい、みたいなものは、それの最たる例だ。
偏見と、蔑視を以て、人々を十把一絡げに分類するのは、愚か者の所業だ。誰しも、よく関わりもしない人々を馬鹿にすべきではないし、多くの場合で、相容れない考えを持つように思えた人のことも、深く関わりを持って、その人となりを知れるようになったら、ストンと腑に落ちる説明ができる。
だから、この耐え難い、苦行とも言うべき時間を、俺は甘んじて受け入れなければならない。
そのような説明を自分自身にして、なんとか理性を保っていた。
場所は、卒業式練習中の体育館。卒業式前日のことだ。
俺は、ある一組のカップルに挟まれて、パイプ椅子に座っていた。彼らがイチャイチャ、話をしているのを、練習中も、この休憩時間中も聞き忍んでいた。女のほうが、体を揺らして、パイプ椅子を軋ませる度、「ギシギシいわせるのはベッドだけにしろよ」と心の中で毒づきながら、瞼をピクピクさせていたのだ。
そのような否定的な考えを持つことは、自身の人間性を貧しくするのかもしれないと思って、彼らがこのような公共の場で、だらしのないことをしているのにも、なにか深い訳があるのだろうと、自分なりに考えていた次第である。
……。
うん、やはり無理だ。
「今日、午後休じゃん。カラオケでも行こうよ」
と男が女に言った。
「えー、行っても結局いつもあまり歌わないじゃん」(意訳:私の体触ってばっかりなんだから♡)
「えー、いーじゃん行こうぜ」(意訳:おっぱいおっぱいおっぱい)
「まーいーけど」(意訳:もうエッチなんだから♡)
長時間暇にされたせいで、俺の頭も狂っちまったらしい。画面下に変な字幕が出てくる。ブラウン管テレビみたく、こいつらを叩けば治るだろうか。いや、治らなくてもいいから叩いてやりたい。何が楽しくて、カップルに挟まれた状態で、彼らのイチャイチャを見物しなければならないのだろうか。
おそらくこいつらは、蛍が尻を光らせる、という歌詞に興奮してしまったのだろう。虫の求愛ダンスをスコットランド民謡に組み込み、それを卒業式という真面目な式典で歌わせるのだから、日本人というのは変態に違いない(ほとんど歌われることの無い、三番四番はある意味もっと過激だが)。
……なるほど。蛍を見て人が興奮するのは、それが暗喩的に性行為を意味しているからか。であるならば、異性に「蛍を見に行こう」と口説かれたら、警戒した方がいい。かなりの確率でそいつは下心を持っている。これは真に近いだろう。
……俺は何考えているんだか。
立っては礼をし、座って、立って、歌って、礼。それを何度か繰り返して、開始から三時間ほど経ってから、開放された。
午後は休みである。せっかく時間が出来たので、たまには一人で名古屋にでも繰り出すか。
一応部室には顔を出しておこうと思って、ホームルームが終わってすぐに、雄清と一緒に部室棟へと向かった。
部室に入ったところ、綿貫と佐藤が椅子に座って、談笑していた。
いつも通りに、軽く挨拶をして、俺たちも席に着く。
「深山さん今日は運動なさいますか?」
「いや、今日はすぐに帰ろうと思う」
そこで雄清が、
「それにしても、一年というのは早いねえ。この前入学したばかりだと思っていたのに、もう三年生が卒業しちゃうなんて。感慨深くもなるよ」
といった。
確かに、この一年は、目の回るような忙しさのためか、あっという間に過ぎていった気がする。
「でも、卒業した後に、携帯電話の使用が解禁されるなんて、ちょっとかわいそうじゃない?」
と佐藤が言う。
「そうか? 別に携帯電話が学校で使えないからと言って特に困ることはないだろうが」
「そりゃ、あんたは持ってないからそんなことが言えるんでしょうが」
「持ってなくても困らんという事は、別に使わなくても困らんということだ」
「……そうだけど」
「というか、俺は別に持ってないわけじゃないぞ」
「えっ、だってあんた」
佐藤他、綿貫と雄清も眉を顰めた所で、俺はポケットから、真新しいスマートフォンを出した。
「買ったんだ?!」
「買ったというより、買ってもらったという方が適当だな」
そうなのだ。俺もとうとう時代の波に流されて、この電脳機器を手にすることになってしまった。
「僕も知らなかったんだけど」
「今初めて言ったからな」
がたっと音を立てて、綿貫が立ち上がった。
「あのっ」
「どうした綿貫?」
「深山さん、連絡先……」
そう言って、頬を赤く染めている。
「ああ……うん」
そう言って、俺は震える手つきで、綿貫と連絡先の交換をし、また、雄清の電話番号を入力して、その様子を見ていた佐藤と目が合い、「別に、あんたとなんか連絡なんて取らないでしょうけど、万が一にも緊急事態が発生した時には、連絡するかもしれないから、交換してあげる」とツンデレのテンプレのような態度で、スマートフォンを差し出してきた。
そんなわけで、デフォルトで入っている夏帆ちゃんの連絡先の他、両親に加え、綿貫、雄清、佐藤の連絡先が、俺のスマートフォンに記録されることになった。
まあ、佐藤の言ったように、俺は必要のない限り、連絡しないようにするつもりだ。
スマートフォンを手に入れてから、俺が覚えた教訓は、連絡は頻繁にするものではないということだ。
夏帆ちゃんに、おはようからおやすみまで、ライオンの提供をしたところ、しまいには既読すらつかなくなった。いや、多分忙しいんだろう。そうだ相違ない。いやそうしよう。
家に帰ってから、私服に着替えて、すぐに外に出掛けた。三月上旬でまだ少し寒いが、それでもコートを着る必要がないくらいには、空気は温んでいた。自転車を漕いで、最寄り駅へと向かって、名古屋行の電車に乗る。
平日の昼間とあって、電車は空いている。適当な席に座って、窓枠に肘をつけ、外の風景を眺めていた。
名古屋についてホームに降りてから、さて何をしようかと考える。……特に目的もないまま家を出てきたので、何をすればいいかわからない。まあいい、適当に散歩でもしよう。そう思って、桜通口を出て、真っすぐ進んでいった。
スマートフォンを耳に当ててせかせかと歩いていく、ビジネスマン風の男。
腕を絡ませて、ちんたらと歩いている、大学生風の茶髪カップル。
硬いセラミックスの路面に、高いヒールをコツコツと響かせて歩く、スーツ姿の女性。
姿も、身分も百人百様だが、誰しも何かしらの目的を持って、歩いているには違いない。
この街を歩いている人間で、俺のように何の目的もなくぶらついているようなやつはどれくらいいるのだろうか。
そんな事をぼんやりを考えながら、歩を進めた。
三十分ほど歩いたところで、テレビ塔が見えてきた。そしてガラス張りの巨大な楕円状の構造物が目に映る。オアシス21だ。それを見て、ここが栄であることを理解する。栄で買い物をしたことはない。特に何か必要なものがあるわけではないが、見て回ることにした。
ぐるりとオアシス21を見たあとは、近くのカフェに入って、読みかけの本をやっつけてから、名古屋駅へと戻っていった。特に何かしたわけではなかったのだが、不思議と俺は充実した気分で居た。
名古屋からまた、電車に乗って家へと帰る。だいぶ日も延びてきて、一カ月前はこの時間でも、暗かったと思うのだが、西の空には、赤い光がまだ沈まずに見えていた。
清州城やビール工場を見たあとぐらいだったろうか。俺と同年代くらいの女子の会話が耳に入ってきた。俺の後ろの席に座っているらしい。声の様子から、三人組だろうか。学校がどうとか、うちの先生はおかしいだとか、そんな話だ。よくあるティーンエイジャーの会話だ。特に意識して聞くようなことではないので、そのまま窓の外をぼーっと眺める。
それでも彼女らの会話は耳に入ってくる。
「ていうか、カホって彼氏とはどうなの?」
カホ、か。まあ、よくある名前だ。乗った電車に、妹と同名の女子が、近くの席に座る確率は、それほど低いわけではないだろう。俺の妹であるはずがない。何せ俺の妹は大阪にいるのだから、こんなところで、だべっているわけがないのだ。
「まあ、それなりに」
カホちゃんとやらが答えたらしい。声まで俺の妹に似ている気がする。
「って、そのホーム画の人が彼氏?」
おそらく、スマートフォンの画面を開きながら会話をしていたのだろう。
「違う違う。さすがに彼氏の写真は、ホーム画面にはできないよ。恥ずかしいもん」
「ふーん。じゃあ、それだれなの?」
「お兄ちゃん」
「は?」
周りの友達は、耳を疑う、というような感じの反応を見せた。俺も大方そんな気持ちだ。あるいは、鬼威ちゃんという、珍しい苗字なのかもしれない。
「わたしのお兄ちゃん」
……。
とんだ、ブラコンだな。妹をブラコンにしてしまうとは、どうしようもない兄貴には違いない。自立を促すためには、時に鞭を打つ必要があるのだ。
「いやいやいや、普通自分の兄を、携帯のホーム画にする方が恥ずかしいでしょ。ていうか、見た人十中八九それ彼氏だと思うよ」
「そうかな? 私的にはなかなか自慢の兄なんだけれど。頭いいし、基本的にハイスペックだし。最近はスマホ買ってもらって、はしゃいでいるのか知らないけど、メール頻繁にしてくるのが少しうざいくらい」
なんか、胸に刺さるなあ。どうしてだろう。
「……まあ、顔は悪くないけど」
「それにすっごく優しんだよ。多分、荷物が重いから、迎えに来てって言ったら、来てくれると思う」
「ほんと?」
「やってみよっか」
そのカホちゃんは、そのどうしようもない兄貴に電話をかけたらしく、後ろの席はしばし無言になった。
須臾の後、俺のポケットが振動した。
スマートフォンを取り出して開いてみた所、愛しの夏帆ちゃんからの着信である。
耳にそっと当てる。
『お兄ちゃん、今日愛知に戻ってきたから、駅まで迎えに来てくれない? どうせ家にいるんでしょ』
俺は何も言わずに、スマートフォンの電源を切り、席から立ち上がって、後ろの席を覗いた。
そしてこう言った。
「電車内で電話なんかするな」
三人の少女は、至極驚いた顔をしたが、真ん中にいた、ある一人の超絶かわいい美少女だけは、そのあと顔を真っ赤にしていた。




