そして彼女は微笑を湛える
最近のキャンプ用マットは至極性能がいい。流石に、ホテルのベッド並みとは行かないが、薄い銀マットのゴワゴワした寝床より、断然寝心地が良いのは確かだろう。
アウトドア、俺達の場合は登山になるわけだが、この言葉もどうやら、リア充にとっては、お楽しみイベントの一つでしかないようだ。
お楽しみイベントというと語弊があるかもしれない。登山とてレジャーには違いないのだから。
端的に言ってしまえば、ランデブー。夜中に男女がドッキングてか。……この野郎。
リア充の、キャンプという名の乱交パーティーは、車で乗り付けるだけのような、オートキャンプ場には多いだろう。
テントのシートは、防音素材には程遠い。夜、キャンプ地で、隣のテントから、荒い息遣いが聞こえてきたら、明かりを持って周りを慌ただしく行き来することをおすすめする。途端に静かになる。
流石に、登山客しかいないような山頂のキャンプ地で、お楽しみタイムに入る馬鹿はいないだろうが。
要するに、何が言いたいかというと、
子作りは街でしてください。
こんなことを考えるに至った経緯は、山岳用品店でキャッキャウフフ騒ぎながら、キャンプ用品を物色している、大学生の集団(多分ウェイ)を見たことによる。
私見によると、ウェイは茶髪パーマが好みらしい。髪の毛の絡みは、異性と絡みたいという、深層心理を表しているに違いない(確定)。
おそらく、冬の終わりとともに、乱こ……もとい、キャンプの計画でも持ち上がり、店でグッズを揃えに来たのだろう。多分やりサー(断定)。……滅びればいい。汚らわしい。
「じゃさ、じゃさ、テント二つに、八人で寝るってのはどう?」
「ありよりのあり」
「でもそれだと、あれじゃね?」
「それな」
「でも、ゆーてワンチャン」
「ま?」
「それな」
「うぇーい!」
「うぇーい!!」
「「うぇーい!!!」」
……意味不明。
お前ら何人だよ? ここは日本だ、馬鹿野郎。日本語使え。
どうせ、就活になったら、「サークルで、自然と触れる活動をして、人間の矮小さを知ることができました」とか言うんだろう。
てめえら、自然なめんな。
いらいらしながら腕時計を見てみたら、約束の時間が近づいていることに気が付き、店を出た。
今日は、綿貫従姉妹と買い物をするために、街に出てきていた。綿貫の希望で、開店したばかりの大名古屋ビルヂングを見て回ることになっている。
綿貫とだけだったのなら、喜んで参加したろうが、今日は萌菜先輩も一緒だ。
待ち合わせ場所に向かったら、幾許も経たずに、彼女たちはやってきた。
美女が並んで歩いていると、それだけで絵になる。なんだろう、今でも映画の撮影でも始まるのだろうか、そんな気分にさせられる。
ダブルヒロインの作品は、どうせ、制作が「二人いたら、どっちか当たるっしょ」みたいなのりで作っていると思っているので、どうにも好きになれなかったのだが、これはいい。ごちそうさまです。
「おはようございます、深山さん」
綿貫はとびっきりの笑顔で挨拶をしてきた。
うん、綿貫は今日も世界一かわいい。
「おはよう深山くん。今日は荷物持ちよろしく」
先日の件で、まだ腹を立てているのだろうか。萌菜先輩は幾分か、ツンとした口調で言った。
あるいは、これが俺と、神宮高校執行委員長であるところの、綿貫萌菜との適切な距離ではないだろうか。冷たい視線を、これでもかと、下々の人間に向けるのが、彼女の自然だ。
だが、これはこれでいい。このそっけない感じが、彼女の美貌をより引き立たせる。むしろもっと凄絶に接してくれた方が、いろいろ捗る。
……。
いかん、涎が。
よだれを拭って、適当に挨拶を済ませて、目的の場所へと向かっていった。
*
「珍妙な服ばかり売ってあったな」
一通り、大名古屋ビルヂングに出店してあった店舗を見て回ったのだが、そこに売ってある服はどれも、普段着には到底できないようなものだった。ファッションショーで出てくるような服だ。あのような服を着ていては、通り過ぎる人皆、こちらを振り返るに違いない。
「ちょっと、イメージしていたのとは違っていましたね」
と綿貫は頬を掻きながら言った。
「狩猟採集民が着ていても、違和感なかったな」
太鼓でも叩いていれば完璧だ。
俺たちは小休止に、ベンチのある、自動販売機のところで休んでいた。
まあ、変な服しかなかったのは、どうにでもなったのだが、すれ違う人間の、好奇な視線は耐えがたった。
美女二人を連れて、高級店のひしめくモールを歩いている、あの若造は何者だ? そんな感想を、俺達三人組を見た、人間は抱いたことだろう。
実際、上品なマダムが連れていた、スーツに身を包んだ、五歳ぐらいのお子様が、俺達を見て指をさし、
「ママ、ドン・ファンだよ」
「人のことを指さしてはいけません。それとそんな事をよく知らない人に行ってはいけません」
というやり取りをそのマダムとしていた。
……このガキが。今日は七五三じゃねえぞ。というか、ドン・ファンという言葉は、五歳かそこらの年齢で覚えるような言葉だろうか。
上流階級の間では、知るべき教養なのかもしれない。ドン・ファンも貴族だしな。関係ないか。
「じゃあ、パパはドン・ファンなの? お手伝いの人が言ってたよ」
とちびっこがマダムに言ったところ、
「……パパの話は今しないで」
と彼女は心底つらそうな顔をして返した。
……ご愁傷様です。
いやあ、世の中は広いもんですな。
ふと萌菜先輩と目が合った。
「ドン・ファンだって。まさしくだな」
とニヤリとして俺に向かって言う。今朝は不機嫌だった彼女も、先ほどのやり取りを聞いて、気分が良くなったらしい。
「今朝は機嫌悪かったみたいなのに、今は楽しそうですね」
「今朝? 嗚呼。別に不機嫌だったわけじゃないよ。君がさやかの事を見て、だらしない顔をしていたのがちょっと気持ち悪かっただけ」
萌菜先輩、俺の事嫌いなのかな。……それはある。
「……まあそれはいいとして、俺ほどプレイボーイからほど遠い存在はいませんよ」
「君ほど、女子とばかりつるんでいる、高校生もいないと思うけど」
なんだか、綿貫の痛い視線を感じた気がしたのだが、そちらを向くのは怖かったので、見ないことにした。
*
買い物もそこそこに、二人を家まで送り、俺は名駅まで戻ってきて、本屋でも見るかと思って、上に上がって、本を買い、本屋に併設されているカフェで少し読んでいたところ、肩をとんとんと叩かれた。
驚いて、後ろを振り返ってみると、萌菜先輩が立っていた。
「そんなに本ばかり読んでいると、本の虫になるよ」
と微笑をたたえて、彼女は言った。
「俺実際に目にしたことないですけど」
本好きのことを本の虫と、欧米では言うらしいが、それの元ネタは、紙を食べる、紙魚という虫だ。だが俺はついぞ、見たことはない。なかなかグロテスクな姿らしいが。
それにしても、本ばかり読んでいる人間を、揶揄するような表現をするのは、いかにも西洋らしい。知識を蓄え、知恵を身につけた人間こそ、人類の最大の宝であるというのに。
最近は、日本でもその傾向があるらしいが。一人で本を読んでいるやつは、根暗だの陰キャだのオタクだの。文明の利器は全て、リア充が馬鹿にする、そのような専門家たちが作り上げてきたというのに。
おひとり様がカフェで本を読むのがそんなに悪いか。なぜ店員は、一人です、と言うと驚いた顔をして、それから可哀想な目をして俺を見るのだ。マックブックを持ってる奴は偉いのか。カフェで足組んで、iPadをいじるやつがそんなに偉いのか。
ひとりで本を読んでいて何が悪い?
……。
とにかく、読書家は今日の世界では、もはや絶滅危惧種である。だから、俺も保護して欲しい。
電車に乗ってみても、本を読んでいるやつなぞ、十に一もいないくらいだ。皆端末の小さな画面をのぞき込んでは、ポチポチやっている。
思うに、携帯会社の人間が喜ぶばかりで、現代人は何か大切なものを失っているような気がしなくもない。
今朝見た、ウェイの集団も、「ウェーイ!」「ウェーイ!!」という、お決まりの挨拶をした後は、集団でいるのにもかかわらず、端末をいじっているというのが真実だろう。何のために固まっているか、さっぱりわからん。
静かになるだけまだましなのかもしれないが。
閑話休題。
「あまり驚かないんだね」
萌菜先輩は、急に現れて俺を驚かすつもりだったらしい。彼女は不服そうに言った。
「顔に出ない質なんです。どうしたんすか? 家に帰ったんじゃ」
「ちょっと、塾でも覗いてみようかと思って」
「塾通ってたんですか?」
「いや、通ってないけど、今年でもう三年だからね」
「ああ」
うちの高校は進学校だ。進学率はほとんど十割に近いのではないだろうか。
直に聞いたわけではないのだが、萌菜先輩もおそらく、医学科志望なのだろう。今から塾を探すというのも、少し遅いような気もするが、聞くところによれば、学年でもトップの成績を誇る彼女のことだ。本当に気休めのような感じで、塾を探しているのだろう。
萌菜先輩は、腕時計に目をやって、
「まだ時間あるし、深山くんとお話でもしようかな」
といった。
「俺は話すことないですけど」
「冷たいな。この間のこととかいろいろあるじゃん」
そういって、わかりやすくムスッとする。
「それはもう終わった話ですよ。萌菜先輩だって、了承したじゃないですか」
俺は今後一切、執行部の面倒事には関わらないと。先日の体操服紛失事件の後に、先輩に会った俺は、そういったはずだ。
「うん、それでいいんだよ。私も引退するし、個人的にお願いしていたことを、私が抜けたあとも続けさせるのは道理じゃないからね」
「……ならいいですけど」
突然、金切り声が聞こえてきた。見ると、小さな子供が、泣いているようだ。母親が申し訳なさそうにして、必死になだめているが、泣き止む様子はない。
そんなとき、ふいに先輩が、
「ちょっと、上のカフェにでもいかない? おごるから」
「カフェのはしごはちょっと」
カフェインの大量摂取で胸焼けしそう。
「いいじゃん。おっきなパフェでも一緒に食べようよ」
「あ、俺小豆党なんで」
というか、女子とパフェをシェアとか、冗談じゃない。
彼女はジト目をして言う。
「ちぇ、さやかとなら喜んでするくせに」
それはそう。
*
カフェの席について、注文をしたところで、萌菜先輩が、
「幻滅した?」
とおずおずと聞いてきた。
はて、彼女は何を言っているのだろうか。
「何がですか?」
「さっき、ちっちゃい子が泣き出して、それで、ここに来ようって言ったじゃん」
「ああ。……そんな、幻滅するようなことじゃないと思いますけど。あの子は、赤ん坊ってほど小さくはなかったですし。赤子が泣き出して、舌打ちするようだと、それはどうかと思いますが」
最近は冷たい社会になってしまったようで、そういう人間も増えているようだが。文明がいくら発達しても、人々から余裕が失われてしまっては、意味のないような気がする。
彼女は、そっか、と小さく呟いてから、
「深山くんは、小さい子が泣き出したら、どうしてるの?」
と俺に尋ねてくる。
「街とかでってことですよね? ……俺は、本読むのに集中してたら、ほとんど気にならないんで、どうもしませんが」
「そっかあ。……わたし、ちょっと嫌な感じだったかな」
自分に言ったのか、俺に言ったのかよく分からないぐらいの声量だったが、俺は続けていった。
「でも、一人で本読むのと、二人で話をするのとは違いますから。流石にうるさいところじゃ、話はできませんでしょう。それに、あそこは、本読んでいた人たくさんいましたし。場所変えたのは自然だと思います」
「……深山くんて、子供好き?」
「前も言いましたけど、俺の恋愛対象は、同年代なんで。一応、まっとうに生きてるつもりなんで」
この間はひどい言われようだった。ロリコンだの、シスコンだの。夏帆ちゃん好きすぎだの。それはある。
「そうじゃなくて、普通の意味で、好きかどうか」
「……まあ、嫌いじゃないですけど、とりあえず、俺が子供に好かれないんで。どうにもならんです」
「そっか。やっぱりそうだよね」
なんですか? 俺そんなに子供に嫌われそうですか。そうですか。
「私はなんだろう。……ちょっと、苦手かな。何考えているかわかんなくて」
「俺らもそうだったんですよ」
「君は、ませていて、逆に何考えているかわかんなかったろうね」
おかしいな。今でもよくそう言われるんだけど。
「でも、君とさやかの子なら、好きになれるかも」
と彼女は微笑を顔に浮かべる。
「……急に恥ずかしいこと言わんでくださいよ」
「えー、いいじゃん」
だって、だって、子供ができるってことは、……そういうことですよね。
「なに顔赤くしてんの? 助平」
そういった彼女は、眉こそ顰めてはいたが、口元は笑っていた。
「俺、悪くないっすよ」
大分、恥ずかしいやり取りをしていたところに、店員が商品を運んできた。
*
注文した品に手を付けて、一息ついていたところで、
「時たま、一人になりたい時があるんだ」
と萌菜先輩が、窓の外を見ながら、言った。
「意外ですね」
いつでも、色んな人に慕われている彼女が、そんな感傷的なことを言うなんて。
「君は失礼なやつだな」
萌菜先輩は、笑うように、だが少し怒ったようにそう言った。
それを見て、自分の失言に気がつく。
確かに彼女だって一人の普通の高校生には違いない。
「すみません」
萌菜先輩は、微笑むようにして、
「一人になりたいときは、いつも、隠れ家に行って、周りの音が聞こえないようなところで、のんびり椅子にでも座って、ひたすらにボーっとする」
「隠れ家ですか?」
「そう。誰も来ない、秘密の場所。プールだってあるよ」
「なんか、かわいいっすね」
「えっ?」
「あっ、いや、なんか子供みたいで」
「女の子はいつまでも、少女の心を忘れないんだよ」
彼女のいたずらっぽい瞳は、それを言葉にする必要がない。
「もうすぐ卒業式だね」
「そうですね」
俺は三年に知り合いはいないし、実行委員でもないので、特に関係のない行事だが。
「……萌菜先輩は、寂しいですか。先輩が卒業していくの」
「まあ、そりゃね」
「慕う人もいるから?」
「慕う人? ……うんまあ」
俺はそこで、ちょっと彼女の心を透かしてみようと思った。いつもやられてばかりでは面白くない。
「最近はどうですか? 井上先輩とは」
俺は萌菜先輩と懇意にしていた、三年の元生徒会長の名前を出した。
「井上先輩と? ……いや、今は受験本番だから、会ったりはしてないけど」
「チョコも渡さなかったみたいですしね」
そのチョコは代わりに俺に渡している。
萌菜先輩は眉をひそめた。
「深山君、何言ってるの? なんか勘違いしてない?」
「えっ、萌菜先輩って、井上先輩のことが好きなんじゃないですか? 予餞会の時、尊敬する先輩、そして大好きなあなたにって言って、歌っていたじゃないですか?」
柄にもなく、意地悪を彼女に言ってみる。
そういったところ、萌菜先輩はきまり悪そうに苦笑いして、
「そっか、……君はそう思ったか。さしもの深山君でも、私の好きな人は分からないか」
といった。どうやら、本当に井上先輩ではないらしい。
であるなら、お手上げだ。俺は他に三年の先輩など知らない。
「……俺てっきり、井上先輩のことが好きなんだと思ってましたよ」
「まあ、嫌いではないけど。……多分君には私の惚れた人がだれかなんて、一生分からないだろうね。もし分かったら、私は君を刺して、あのビルから身投げするよ」
そういって、萌菜先輩は窓から見える、高層ビルを指さした。
「……その人って、反社会的な人物だったりするんですか?」
それならば、俺にそのことを知られて、彼女の名誉を守るために、俺の口封じをすると言うのは頷ける。
「その気はあるね」
「……誰にも漏らさないんで、もし分かったとしても勘弁してください」
「嫌だ」
そういって、萌菜先輩は笑った。
彼女は自分の腕時計を見て、
「馬鹿な話をしすぎたね。もう時間だ。でも楽しかったよ。付き合ってくれてありがとう」
といって、立ち上がった。
萌菜先輩は、その後塾に向かって、俺は帰路についた。




