製菓会社の陰謀というのは割と真実だと思う
学校から帰り、何気なく郵便受けを見てみた。
夕刊を取っているわけではないので、宅配便の不在票や、はがき、チラシなどが入っているだけのことが多いのだが、その日は違った。
少々分厚い、封筒が入っていた。
差出人を見たところ、夏帆ちゃんから送られてきたものらしい。宛名は、深山太郎様、つまり俺である。
家に入って中を開けてみた。
……。
「余計な気、回しやがって」
そこに入っていたのは、大阪にある銘店ショコラトリーのチョコレートだった。
昨日、二月十三日の出来事である。
*
本日、二月十四日。天気は晴天なり。まさしく雲ひとつない青空。
空はすっからかん。無。もはや虚無。
クラスでキャイキャイ、騒いでる奴らを見る俺の心も、すっからかん。今日この日ほど無感動な日は、未だかつてなかった。楽しくはないし、悲しくも、寂しくもない。
俺の情動システムは、完全に機能を停止してしまったらしい。
そう、今日はヴァレンタインデー。聖ヴァレンティヌスを追悼する記念日だ。
なぜ二月十四日なのかはわかっていない。今日を彼が絞首刑に処せられた日とする、説もあるが、記録は残っていないし、研究機関によれば、後世の寓話の可能性も高いとされている。
実際、現在、カトリックではヴァレンティヌスは聖人とされていない。
言ってみれば、幻想の存在。そこに意味などないのだ。
だのに、ヴァレンティヌスを恋人の守護聖人として、彼の命日らしい二月十四日は、世界中で愛を囁く日となっている。
まあ、日本各地の文化にも由来がはっきりしないものなど、無数にあるが。
百歩譲って、二月十四日を恋人の日とするのは構わない。だが、何なのだ、この国の悪習は。
何が、ヴァレンタインチョコだ。
国民総出で、製菓会社の陰謀に嵌められている。
ヴァレンタインデーには、好意を寄せる異性にチョコレートを贈りましょう、だと。しかも、女子から男子にだと。
こんな馬鹿げた慣習が、出来上がってしまったのも、みんなと同じことをしたがる、日本人の没個性の賜物だ。
要するに、何が言いたいかというと、
「ヴァレンタインデーとか、どうでもいい」
そう締めくくった俺に、雄清は呆れた顔をした。
なにか言い足りないような気がして、俺は付け足して言う。
「ついでに言っておくと、義理チョコなんていう、悪習の中の悪習も滅びればいい」
何が義理だ。そんな義理は義理じゃない。義理の愛だってか? いらねえよ。そんなものはツンドラ並みに不毛である。否、苔も生えないので、もはや氷雪地帯。生えているのは、苔でも、草でもなく、六花である。
無駄に、菓子を作って、作らせて、エネルギーを消費し、地球温暖化を進行させ、うきゃうきゃ騒いでる奴らは、北極に行って、シロクマに謝るべきだ。
……これは決して、家族以外から義理ですらチョコレートを貰えない、己を嘆いて、周りを僻んでいるからではない。それに、夏帆ちゃんからは、お兄ちゃんへの愛が溢れた、本命チョコレートが贈られてきているから、問題なぞこれっぽっちもないのだ。
……「友達にあげるチョコ作ってたら、時間無くなっちゃったからこれで勘弁してね」というメッセージがあったが、破り捨てたので、そんな事実も無くなった。
友達という部分が、書き直されていて、文字の跡が、「彼」とか書いてあった気がしなくもなかったが、多分普通に漢字を間違えただけだと思う。それで相違ない。いや、そうしよう。
昨日のことを思い出して、なぜか知らんが、山道を長時間歩いたときのように、膝が勝手に大笑いしている俺の横で、雄清は言った。
「とか言って、女の子にチョコ貰えたら嬉しいでしょ。夏帆ちゃんから貰って嬉しくなかったの?」
「夏帆ちゃんからは、何をいつ貰っても嬉しいから、日付も何も関係ないのだ」
そう。たとえ、くれるものが、冷たい視線だったとしても、俺の存在を認知してくれていることに、感謝感激雨あられ。
「……綿貫さんもくれるかもしれないよ」
「綿貫は周りの流れに迎合するような安い女じゃない」
「……ここまで来ると、逆に尊敬の念すら抱くよ」
「ほっとけ」
*
授業が始まっても、気分が晴れることはなく、気づいたら、コツコツと机を叩いているという始末だった。……おかしいなあ。どうでもいいはずなのに。
「じゃあ、山本くん、このwithは何のwith?」
担任であり、英語教師である北澤先生が雄清に尋ねた。
「えっと、そういうの詳しくないんで」
クラスは失笑。……俺はため息をついた。
with+O+Cの付帯状況のwithと一般には説明される。割とよく出てくる構文なので、そんなに難しい知識ではないと思うんだがな。
雄清の持論は、「文法用語を覚えたって、英語は使えない」であるから。
そう言われるといつも、
「名付けとはすなわち理解だ。
例えば、きのこ類は無数にあるが、毒キノコと可食キノコ、そして、えのき茸としめじ茸、といった違いを理解するには、まずそれらの名前を覚えるのが一番効率がいい。
あるいは、人名だってそうだ。名前を知らない奴は、その他大勢でしかないが、名前を覚えた途端、そいつの存在は、特別なものになる。名前のなかったものが、名前のある誰かになるわけだ。無意味が有意味に格上げされるわけだな。
名前を知らなかったら、あれとこれとは違う、くらいの認識しかできない。言語は、混沌に秩序をもたらすのだ」
と言説を垂れるのだが、
「ケイオスがコスモスにね。オーケーオーケー理解理解」
とか適当に聞き流される。多分、こいつは、最後だけしか聞いていない。
そんなことを思い出していると、朝からの謎の不機嫌と相まって、俺は険しい顔をしていたのだろう。担任は雄清に答えさせるのを諦めて、俺の方を見たのだが、
「もうしょうがないなあ。じゃあ、深山君……。どうかしたの? 怖い顔して」
と怯んだ顔をして聞いてくる。
だが、俺が答える前に、
「そっかぁ。今日バレンタインだもんね」
と自己完結してしまった。
俺の顔が更に引き攣ったのは、言うまでもない。
*
時間は流れて、放課後。
いつもどおりに部活をしていた。もうすぐ学年末考査があるので、今日でテスト前の部活は最後だ。
例のごとく、筋トレ、十キロランニングして、他の部活がアップを終え間もない頃に、部室に引き揚げる。
部室棟に上る前に、とある一組の男女が、何やら密会をしていたらしいのを見かけた。まじまじと見ようと思ったわけではないのだが、女のほうが男に、小包を渡しているようだ。ピンクの包装紙に、リボンが巻いてある。
日付のことを考えると、中身が何であるかは想像に難くない。けっ。
当然、男はデレデレとした表情をして、受け取るものと思ったが、何やら様子がおかしい。男は首を振って、女の方は項垂れるようになった。佐藤あたりが見れば、喜びそうな光景だな。
よくよく男の方を見ると、知った顔だった。とは言っても廊下ですれ違う程度だが。おそらく一年生だろう。
女は男の顔を、小包でひっぱたいて、どこかへと走り去ってしまった。生憎、女は始終向こう側を向いていたので、顔は見えなかった。
女であれば誰彼構わず発情するような馬鹿も居るが、某君は分別があるらしい。
分別があるからと言って、痛い目に遭わないというわけにはいかないみたいだが。
俺は前を向き直り、その場を後にした。
部室に戻ると、三人が共有スペースでくつろいでいた。女子が入れたのだろうか、紅茶の香りもする。
「お疲れ太郎」
「お疲れ様です」
俺が部室に入ったところで、声をかけた雄清と綿貫に(佐藤は俺をチラと見ただけ。ツンデレさんかな? 違う)、
「おっす」
とまあ、いつも通りに挨拶して、椅子に腰掛けた。
三人は顔を見合わせるようにした。俺を除け者にして、なにか企んでいるような。
「なんだよ?」
俺は思わず尋ねた。
「深山、今日なんの日かわかる?」
佐藤がそう尋ねてくる。
……またそれか。どうしてこうも、日本人は外国の宗教の記念日が、好きなのだろうか。
いい加減、捻くれた答えを出すのに疲れてきたので、素直に答えた。
「ヴァレンタインデーだろ」
そういったところ、佐藤と雄清は悔しそうな顔をした。
「こっちゃんが正解かぁ」
「だから、なんの話だよ」
「太郎が、質問になんて答えるか、予想してたんだよ」
「……お前ら俺がなんて言うと思った?」
「私は、普通に、ヴァレンティヌスの命日と答えると思った」
へえ、深山太郎の普通は、それなんだな。
「僕は、一年で一番不毛な日と言うと思ったよ。朝はそう言ってたのに」
……まぁ、そんな話はしたが。
「俺にとっては対岸の火事だからな。何を言ったところで、変わるものではない」
「……ヴァレンタインデーを災難みたく言う人、初めて見たよ」
「やっぱり深山よね」
「だが、嫌な臭いが臭っては来る。あまりその話は……」
俺が口を開いたところで、女子二人がカバンから、リボンで結ばれたビニール袋を取り出した。
綿貫と佐藤は、俺と雄清に、それぞれ袋を渡した。見ると、中にはチョコレート色の菓子が入っている。……佐藤の方のは、チロルチョコ一個が入っている。……下手したら、ラッピングのほうが高い。多分、いや、絶対雄清のために用意した包装の余り。……まあいいんだけど。
「何だこれは」
「ほんと、素直じゃないわね」
「ハッピーバレンタインです。深山さん」
「……ありがと。綿貫は二つも用意してくれたのか。すごいな」
別に何の気もなしに言ったのだが、佐藤が慌てて、
「しょうがないじゃない。昨晩になるまで、こっちゃんが雄くんの分も、用意してるなんて知らなかったんだから。わざわざ買いに行ったのよ」
「何と! こんな俺なんかのために、夜遅くに、チロルチョコを買いに行ってくれるとは。俺にそんな、チロルチョコ一個の価値なぞないのに!」
「太郎、いつになく卑屈になっているよ」
「ていうか皮肉にしか聞こえないんだけど」
「いやいやいや、すごく嬉しい。俺も生きてていいんだなと思えてくる」
「……分かった。ほっとけばいいのね」
佐藤は、俺に愛想を尽かし、そっぽを向いてしまった。




