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知の巨人になりたいか

 翌日、授業を終え、放課後。クラスメートが部活に行く用意やら、帰り支度をする中、俺もそそくさと教室を出て、一年A組の教室へと向かった。

 

 他のクラスというのは、どうも入ってはいけないような場所に感じられるのはなぜだろうか。俺にとっては、もはやそこは宇宙(そら)よりも遠い場所である。知らない人間に囲まれた空間というのは、この上なく居心地が悪い。既に完成された人間関係があるから、なおさら。

 ……自分の教室でも同じような状況なのは、この際置いておこう。

 

 俺はきょろきょろと中を見渡して、佐藤を見つける。


 俺と目のあった佐藤は、嫌そうな顔をしたが、この俺が、部員以外に用があるとは、考えられないらしく、すぐに俺のいるところまで出てきた。

「なによ。勘違いされるから手短にして」

「水瀬さんに話が聞きたいんだが」

「……わかった」

 そういって佐藤は教室に戻って、水瀬さんと(おぼ)しき女子に声をかけた。

 彼女は怪訝そうな顔で、佐藤の指さす方、つまり俺を見た。それから近づいてくる。

 一応言っておくが、頭に太ったウサギは乗っていない。


「……なんですか?」

 すごく胡散臭いものを見る目で見られた。初見の相手に不快感を与えるというのが、俺の隠れたスキルなのかもしれない。……多分表情がいけないのだと思う。スマイルスマイル。

 ……

 余計ひかれた。


「……昨日のことについて聞きたいんだが、単刀直入に言うが、二年B組のマントを借りて、一年B組の小道具入れに混ぜたのは、君だね」

 俺がそういった所、水瀬さんの頬がピクリと動いたような気がした。


「……どうしてそんなこと聞くんですか」

「執行部に頼まれたんだ。女傑に命令されちゃ、俺も無碍(むげ)にはできない。二年生の人にも君が借りに来たことは聞いている」

「……確かにマントを紛れ込ませたのは私ですけど、特に問題はなかったでしょう」

 開き直ったか。


「まあ、そうかもしれないが。……俺は君が悪くないこともわかっている。誰かを庇おうとしていることも」

「私は何も言いません」

「それでいいが、多分、執行委員長は事実を知って、どうこうしようとはしないと思うぞ」

「……」

 だんまりか。まあいい。ほとんど事実確認はできたようなものだ。


「……彼氏によろしく言っといてくれ」

 それを聞いた彼女は、はっとした顔をしたが、俺は気に留めずに、すぐにその場をあとにした。


「ねえ、どうすんの?」

 佐藤は俺について、教室から離れていた。

「何が」

「そろそろ、C組の演技だけど」

 ああ、綿貫のクラスか。

「……見に行く」

 そう言うと、佐藤はニヤニヤして俺を見た。……


 実を言うと、恥ずかしいから綿貫には見に来るな、と言われていたのだが、彼女に気づかれないようにすれば、問題なかろう。


 だから、静かに隅で見ていようとした。


 だが、

「許さん。あの王子って野郎。綿貫に馴れ馴れしくしやがって。張り倒してやる!」

「ちょっと! 落ち着きなさいって」

 飛び出そうとする俺を、佐藤が抑えるというように、そんなやり取りを、何回かする羽目になった。

 

 その王子役は、終盤でひどい目にあっていたので、まあ良しとする。


 さてこのあとは、


   *


「じゃあ深山君の推理ショーとするか」

 萌菜先輩は、いかにも楽しそうな顔で言った。


 場所は執行室。全クラスの選考会が終了し、おそらくは本選の出場クラスも決定しているのだろう。仕事が一段落付いたためか、萌菜先輩は随分と晴れやかな顔をしている。

 ……推理なんて大層なもんじゃないんだがな。

 

「ほとんどプロローグみたいな話からですけど、多分これが動機なんで、こいつから話します。

 一年B組の綾部という男がいて、予餞会に向けて、劇の練習に励んでいました。

 けれど、選考会の二日前になって、急遽台本が変更され、綾部の演じるシーンが削られ、役目がなくなったそうです。

 綾部は、役のためにマントを自分で用意したそうですが、そのマントもお役御免、ということにはならなかったみたいです。

 はじめは劇中でマントを使うシーンは綾部のシーンだけだったそうなのですが、別のシーンで綾部のマントを使おうということになりました。

 話は変わりますが、昨日学校で焼却炉が無断で使用された事件、知っていますか?」

「一応、耳に入れているが」

「あれで燃やされたのは、おそらくウール素材のものです」

「どうしてそんなことわかるんだ? そんな報告は教員の間でもなかったと思うけれど」

「これは偶然なんですが、昨日雄清に呼び出されて、部室棟の階段を降りている時、異臭を感じたんです。ものを燃やす臭いを。

 ご存知かもしれませんが、動物性繊維を燃やすと、髪の毛を焦がしたときのような臭いがします。

 絹と羊毛とで、燃やす臭いは同じようなものですが、より高価な絹製のものを燃やす輩はそうそういないでしょう。

 俺が感じたのはそんな臭いです。

 ところで、綾部のマントは黒のウール製だと聞きました。

 おまけに、綾部が焼却炉のある部室棟の裏に向かう姿も、目撃されています。……何があったかは想像に難くないでしょう。

 演者から外された綾部が、B組の演技時間に外をうろついていたとしても不思議はありません」

「じゃあ綾部という男子が、腹いせにマントを燃やしたと」

「腹が立ったのは分からんでもないです」

 一所懸命に練習したのに、直前で外され、しかも、自分の用意したマントを、他で使われるなんて言われたら、怒り狂って、復讐してやろう、とくらい思うかもしれない。

 無論、俺は、高価なウール製の衣服を燃やそうだなんて、つゆも思わないだろうが。

 

「……うん。それで、二年B組にマントを借りに行ったのは」

「青いドレスを着た一年A組の水瀬って女子です」

「彼女はどうしてそんなことを」

「水瀬は綾部と恋人関係にあるようです。綾部がクラスの連中に腹を立てていたことは知っていたでしょうし、B組の演技前に綾部がいなかったことは、すぐに気づいたでしょう。ここまで来たら、多分勘の領域になるんでしょうが、彼女は嫌な予感がした。綾部を探して、彼がマントを燃やしたことに気づいたんでしょう。

 燃やしてしまったものは仕方ない。彼の所業がクラスでバレて、後ろ指さされることがないように、せめて替えのものを用意しようと思った。だから上級生のクラスにマントを借りに行ったんだと思います」

「……そうか」

 俺ならそんな恋人、すぐにでも見捨ててしまうのだろうが、世の中には寛大な御仁もいるらしい。


「……なるほど、辻褄(つじつま)が合っている。さすが深山くんといったところか」

「偶然に偶然が重なっただけですよ」

 実際、少しでも部室を出る時間がずれていれば、俺はマントが燃やされた臭いに気づくことはなかっただろうし、綿貫が綾部を目撃しなかった可能性もあった。

 

「でも、いつも言っていますが……」

「これは君の想像の話で、私も君もすぐに忘れるべき、だろう」

 俺の言おうとした注意を、萌菜先輩は代わりに口にした。

「……そうです」


「でも良かった。何にせよ一件落着だ。何が起こったのか知らないと気持ち悪いからね」

 俺は彼女のその言葉を聞いて、少し考えることがあった。


「どうしたの? 深山君」

「いや、ちょっと考えてしまって」

「何を?」


「どうして萌菜先輩は、今回の件を躍起になって調べようとしたんですか? 綾部が自分のマントを燃やしたことを除けば、殆ど実害がないと思うんですが」

「問題が無かったからと言って、知らなくてよい事にはならないと思うよ」


「俺は今でも懐疑的です。……今回のことは、知るべきことだったのかなって。知る行為は人間の権利として主張されていますけど、知ることすなわち、正義みたいな、短絡的な考えでいていいのかと」

 この事件の全容を知ったところで、誰かが得するということもなければ、執行部が再発防止に努めるといったこともできない。


「でも、知らないでいることが善いことだともいえないんじゃないの? いつの日か、同じような話を君としたと思うけれど」

「……大須で話したやつですか? 妹もいたと思うんですけど」

「そうそう。そうだった。アイドルの白血病の話だったかな」

 何が起きたのか、人々が知ることによって、世界がより良い方向に変わるということは、確かにあるのだろう。


 だけどだ。


「知る権利が保障されるとしたら、それは市民の人間らしく生きる権利が脅かされるときに限ると俺は思います」

「知ることで救われる人がいるとは君は思わないの? 誰かに知られないで苦しむ人がいるっていうのは分からない?」

「……ニュースで流れてくるようなことは、悲しいものばかりです。あれはなんのためにあると思いますか?」

「それも同じだ。画面の向こう側の人の為、自分には何ができるか? そう考えるきっかけになれば、十分だろう」

「けれど、大抵の人は、悲劇を娯楽として扱う。実際、悲しい事件事故の報道の後に、楽しいニュースが流れていたりする。テレビの前の視聴者、スマホを見つめる視線。そこにあるのは世界中の悲劇を漁ろうとする、あさましい人間の目ではないですか? 俺たちは悲劇を消費するんです。ソファに座り、菓子でもつまみながら。見ている時は、当事者の心情を慮って、心を痛め、涙さえ流すかもしれない。その気持ちは多分本当なんでしょう。

 でもそれは、エンターテイメントの一環なんですよ。

 大災害が起きた。人が数百と死んだ。そんな事件を知った翌日、人は興奮してそのことを周りの人間と共有する。悲劇は話のネタにまで、卑近に貶められる。

 どうしてそんなことができると思いますか?

 悲劇が、画面の向こう、視聴者の遠く離れた場所で起こっているからですよ。

 ……『ハゲワシと少女』って写真のこと知っていますか?」

「ピッツァリー賞を取った写真でしょう。報道倫理を問われた作品だ」

「……それが賞をとった時、カメラマンは非難され、最後には自殺した。写真の中の少女は、餓死寸前で、それをハゲワシが狙っている、という構図です。

 写真を見た人は言った。どうしてカメラマンは少女を助けずに、写真なんか撮っているんだって。

 けれど、視聴者に彼を断罪する権利がどうしてあるんでしょうか? 

 悲劇を伝えるのがメディアならば、消費するのは視聴者。俺たちがいるから、悲劇は金になる。視聴者は悲劇を求める。

 どうせ何もできないのだから、とポテチを頬張りながら、悲劇を遠くの出来事として、消費するだけの視聴者が、メディアより偉いという考えがどうして正当化されるのか。俺にはそれがわからんのです。

 俺たち人間は安全な場所で悲劇を楽しんでいるだけです。悲劇を見て涙を流す自分を見て、自らの人間性を担保したいだけです。だから、知ることが尊いことだと十把一絡げにできると俺には思えません」

「……そうだね。じゃあ聞くけど、何も知らないで、君は被写体が、媒体でつながれる向こう側の人間が、どういう気持ちでいるかわかるの?」

「俺にはなんも分かりませんよ。ただ、何かを知って、人の気持ちを分かった気になるような、傲慢な人間にだけはなりたくないです」

「人の気持ちは人には分からない、か。……でも、これだけは言わせて。知ろうと努力してもらえるだけで、救われる人がいるってことを。……じゃあ、私は来週の予選会の準備があるから、これで。戸締りは気にしなくていいよ」

 そういって萌菜先輩は立ち上がり、執行室から出ていった。


 つい熱くなって、要らんことを言ったかもしれない。萌菜先輩もすこしばかり、興奮していたようだ。

 

 俺も帰ろうかと、椅子を引いたところ、雄清が執行室に入ってきた。

「太郎じゃないか。今、萌菜先輩とすれ違ったけど、どうかしたのかい?」

 どうかした、か。

「……萌菜先輩、怒っていたか?」

「怒ってた? うーん、……怒ってたかな」

「そうか」


 雄清はどういう訳か説明しろ、と言う顔をした。この件に俺を巻き込んだのは、こいつであるので、事件の概要と、その後、彼女とどういう話をしたかについても、細大漏らさず話した。


 雄清は俺の話を聞いて、

「そっか……。僕は太郎の言いたいことも分かるよ。物心つく前から一緒にいるようなものだからね。でも、萌菜先輩は、太郎の世間と少しずれた思想を、完全に受け入れているわけじゃない。時には、過激ともとれる太郎の考えが、気に障る事もあるだろうさ」

 俺の考えは、他の人間には理解されにくい。そのことは自分でもよく分かっている。彼女が少し怒ってしまったのも仕方ないかもしれない。……いつもの萌菜先輩らしくは無かったが。

「まあ、先輩は大人だ。落ち着いたら許してくれるだろうよ。彼女なりに太郎の考えを理解しようとして」

「……そうか」

「もうここは閉めるけどいいかい?」

「ああ。俺も帰る」


 後味の悪い結果に終わったが、その原因が自分にあるので、文句はどうにも言いようがなかった。





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