煩悩にボンボヤージュ!
「私の従姉の話なんだけどね、いま大学に通っていて、一人暮らししているのよ」
佐藤のいとこねえ。女だろうか。それとも男か。
「そんで?」
「大体6日おきに夕方になると、知らない男が部屋を訪ねてくるらしいの」
「それは同一人物か?」
「そう聞いた。暗くなってから、女の人が一人で住む部屋に来るのよ。顔色は悪いし、むくんでいてお化けみたいだって。だから、怖くていつも居留守を使うらしいの」
「ふーん」
いとこはどうやら女らしい。佐藤と同じく、鬼神みたいな人だろうか。
「で妙なのが、その人が帰る前に、いつも何かしらドアノブにものをかけていくらしいのよ」
「何を」
「ビールとか。梅酒とか。よくおつまみも一緒に入ってるみたい」
「ほーん」
「従姉はまだ未成年だから、そんなの貰っても困るっていうのにね。だからうちに持ってくるのよ」
「ほぇー」
「……あんた聞いてんの?」
ひっ。
胡乱げに俺のことを見たが、佐藤は話を続ける。
「なんか、一人暮らしっていろいろ大変みたいね。たまに隣は夜遅くまで騒いでいるときもあるらしいし。休日前でなくてもうるさい時があるらしいのよね。
女だと特に、防犯面で不安だし」
「……で結局聞きたいことってなんだよ」
「あ……、なんのためだと思う?」
「何が?」
「その男が部屋に来る理由」
「俺が知るかよ」
「頭使ってよ」
幾度となく聞いた台詞だな。
「……その人どこに住んでんだよ」
「愛知よ。そんなの聞いてどうすんのよ」
「近くに工場とかあったりしないか。自動車工場とか、製造系の」
「……あるけど。なんで分かんの? もしかして犯人あんた?」
佐藤の台詞に反応して、萌菜先輩が、
「……深山君、同級生に対するセクハラで飽き足らず、ストーカーまでするとは……」
という。
……この人俺のことなんだと思っているんだ。
「どうしてそうなるんですか?! というかセクハラもしてませんし」
「女性がセクハラと感じたらそれは立派な犯罪だ」
……犯罪に立派もクソもない。
俺の発言のどこがセクハラだと? 単なるコミュニケーションだ!
と言い訳するおじさん多数。……俺も予備軍なのか?
……
はははは、まさか。
「まあ、私は慣れっこなんで、なんとも思ってないですけど」
おい。
「なぜお前が被害者という設定なのだ?」
どちらかというと、平手打ちを食らっている俺のほうが、被害は甚大である。
「でもどうして、近くに工場があるって思ったんだい?」
雄清が尋ねてきた。
「ちょっとした予想だ。……その従姉に言ってもいいと思う。そんなに怖がらなくていいって。その男に関しては」
「どうして?」
「わざわざ、迷惑を謝りに来て、詫びの品まで置いていくような奴だ。極悪人ではないだろうさ」
「ちょっと待って。何を謝るって?」
「迷惑かけたから謝りに来てるんだろうよ」
皆、困惑した表情を浮かべる。
「どゆこと?」
「製造業は交代制勤務のところが多い。二日労働、一日休み、というような、感じでな。
ところで、6日おきに供物があるんだろう」
「そう」
「で、たまに夜騒がしいときがあるらしいじゃないか。平日休日にかかわらず」
「そう聞いた」
「夜、うるさくしたから謝りに来ているんだろう。6日おきなのは、そいつが近くの工場で働いていて、休日が三日周期で巡って来るからじゃないか。二回目の休みの前日に、仲間がそいつの家に集まってくるんだろう。
翌日、昼過ぎに起き出してくるのか知らんが、前日の宴会の残りを詫の品として、隣の部屋の住人に持ってきているんだよ。多分。顔色が悪くてむくんでいるのは、二日酔いのせいだろうな」
「真偽はともかく……筋は通っているな。さすが深山君。膏薬を塗る時は君に頼もうかな」
佐藤は萌菜先輩の冗談を字面通りに受け取ったらしく、顔を赤くしている。……何考えているのやら。
「理屈も膏薬もどこにでもくっつくんですから、誰がやろうと変わらんと思うのですが」
「つれないな君は。君らしいといえばその通りだけど」
「内股に塗るよりましじゃないですか」
俺が萌菜先輩に洒落で返したところ、佐藤が口を挟む。
「さっきからなんの話してんの? 先輩の内股に薬塗るとか、あんた変態?」
……。儘よ。
「深山君と佐藤さんは随分仲が良いけど、どういう関係なの?」
佐藤の罵倒の言葉を聞いて、そう判断したのなら、萌菜先輩の感性は、相当変わっている。
俺が発声する前に、佐藤は答えた。
「仲いいなんてことないですよ。この男は、痴れ者の痴に、人畜の人と書く、幼馴染の単なる痴人です。幼馴染と言っても、家が近いだけですけど」
この通り、俺に対する憎しみを込めた言葉がスラスラ出てくるあたり、仲良しだなんて捉え方はできない。
愛のムチだってか? それならば大分歪んだ愛である。
「俺はそこまで、人を貶めて紹介できるやつを初めて見たぞ」
「フッ、事実でしょう、お馬鹿さん」
……この女。もはや悪意しか感じられない。
「こいつは恥部の恥に、人でなしの人と書く、俺の恥人です」
「あんた、なんて紹介してんの?! わっ私は、別にあんたのそういうんじゃないんだから」
お前は何を言っているんだ?
「……山本、これにはどう反応すればいいんだ?」
俺と佐藤以外の人間は、一歩引いたところで俺たちを観察していた。
……俺が変人扱いされるのは、周りの人間のせいなのかもしれない。……違うかもしれない。
「いつものことなんで、生温かい目で見てればいいですよ。兄と妹の馴れ合いみたいなもんです」
「ちょっと、雄くん。なんで私が年下なのよ!」
そういう問題なのか? もっと言うべき文句は他にあろうに。例えば、
「俺の妹はもっと可愛い」
「うわ出たよ、シスコン乙」
「佐藤に俺の妹が務まるはずがなかろう。お前は気品と知性にかけるからな。ついでに言うと、夏帆ちゃんのほうが、ナイスバディだ」
もはや、言う必要もないかもしれないが、俺の頬が数秒待たずして、赤くなったのは、佐藤の平手打ちのせいである。真冬のそれは、本当にきつい。
もっとも、より堪えたのは、女性陣の汚物を見るような視線だったが。我々の業界では……以下略。
*
「そういえば、どうして今日はばらばらだったんですか?」
雄清と佐藤たちと別れ、萌菜従姉妹との帰り道。電車の中でようやく目を合わせてくれるようになった萌菜先輩に訪ねた。
「何が? シスコンで無神経な深山君」
うん、最後の方は目にごみが入って、よく聞こえなかったぞ(涙)。
「……さやかさんと先輩、一緒に神宮に来てなかったじゃないですか」
「ああ。私は別で用事があって、直接来たから」
着物で済ませる用事、ね。おそらく、どこかにご挨拶でもしていたのだろう。正月早々、お家のお手伝いですか。
「ところであなたたち、キスぐらい済ませたの」
なっ。
「……そっ、そんなわけないじゃないですか」
綿貫は顔を真っ赤にしている。着ている服も赤なので、全身まっかっか。
「そんなわけって、悠長だなあ。知り合ってもう、九か月経つんだよ」
出会って九か月で、キ、キスとかできるわけないじゃないか。もし、世間がそれを認めるならば、そんな世界滅びればいい。そもそもだ、
「俺たちそもそも付き合ってないんですが」
「まさか、さやかのことは遊びだっていうの?」
「ちっ、違わい」
本気も本気、大真面目。こいつのせいで医者になろうとしている始末。やべぇ、俺不純すぎる。
「萌菜さんっ! 深山さん困っていますから!」
「悪い、さやか。あまりに余裕ぶっこいているから、もどかしくなって。……さやかもシャキッとしないと悪い女狐に取られちゃうわよ」
フッ萌菜先輩もわかってないな。俺みたいな男に惚れるような奴は、綿貫以外にいないのだ。大抵の女子には、ATフィールドを全開にして接するので、半径五メートルに近づかれることはない。ついでに言うと、男にも近づかれない。そもそも認識すらされない。
という設定にしといたほうが、精神衛生上、非常によろしい。
エブリデイ、机が友達。
……
俺は一人で灰になっていた。
そんな俺の横で綿貫は無邪気に言う。
「でも、その時は萌菜さんが追い払ってくれるでしょう」
うん? なぜ俺じゃないのかな?
萌菜先輩もそう思ったらしく、苦笑いした。
けれど、
「……そうだね」
と言う。
彼女も綿貫には甘々らしい。可愛いは正義だから仕方ない。
この正義だけは、絶対的普遍性を有すると、俺は信奉している。「可愛い」のためなら、人間はなんだってやってのけるだろう。
戦争も、政治問題も、環境問題すら、「可愛い」を前にして、膝まづくだろう。
可愛いは正義、もはや神。
畢竟、綿貫は女神である。
綿貫を天使から女神へ格上げしていたところ、萌菜先輩が、
「なんかさあ、深山君見てるとからかいたくなっちゃうのよね」
そう言ってツツツっと、俺の大腿を指でなぞ……ひゃぅ。
「おっ俺は並大抵のからかいじゃ動じませんよ」
俺は体をよじって、萌菜先輩からの攻めから逃げた。
「だから余計にさ」
「無駄です」
「じゃあ、おひとつ」
萌菜先輩はえへんと小さく咳払いして、
「着物着ている時、女の人って下着着けてないのよ」
えっうそ。
俺はとっさに綿貫の方を見た。つまり、あれですか。下からのぞいたら……。
はっ。邪念去るべし。いやいや冷静になれ俺。ここで動揺したら、今後会うたびに萌菜先輩にからかわれてしまう。
こほんこほん。
「そもそも襦袢が下着みたいなもんなんで、下着着けてないことにはなんないです。というか今時、正式な着方で着ている人なんて、いないんじゃないですか」
どうだ。君子はいつも冷静沈着なのだ。
萌菜先輩は、らしくもなく頬を膨らませている。畜生……ちょっと可愛いと思っちゃったよ。
「つまんないの。じゃあこれはどうだ。くすぐったがりは助平なのらしいけれど、確かめてみない? 山本の言ったように、私はくすぐったがりなんだけれども」
からかってきているとわかっていて、赤面するほど、俺は純朴ではない。
「そもそも、萌菜先輩が好色なの知ってますから、意味ないです」
「それ女の人に言う台詞かなあ」
これ始めたのあなたですよね?
「それより、萌菜先輩の発言も大概、セクハラだと思うんですが」
「あら、僕ちゃんにとっては、綺麗なお姉さんと、うっすらピンクなお話ができて、むしろご褒美じゃない?」
……否定できないところが悔しい。
うっすらピンクではなく、どピンクな気もするが。
だが、ここで喜ぶ素振りを見せては、沽券に関わる。
「好きでない人に、何言われようと、屁のかっぱですよ」
「深山君、……私のこと……嫌いなの?」
そう言って、子猫のような素振りを見せる。
……やりにくい。
どうせいつもの冗談だろうと思っていたのだが、目の縁に光るものが見えた。
おい、まじかよ。
「……あの、俺」
「なんて、嘘よ嘘。ちょっとドキッとしたでしょう」
そう言って、ケロッとした顔を見せた。
……この人は女優にでもなればいいと思う。
この勝負俺の負けか。……これが、からかいであるのかどうか、判断を保留したいところだが。
萌菜先輩の爆弾発言に、冷静な返答を返そうと躍起になる俺の横、綿貫は始終真っ赤な顔をして、窓の外を見ていた。
それは、名古屋駅に着き、彼女らと別れるまで続いたのだった。




