シスコンじゃないです
「それにしても意外でした」
「何が?」
劇場を出たところで、俺たち三人は軽く話をしていた。夏帆ちゃんが余計な提案をしたおかげで、近くのカフェに入ったところである。
「萌菜先輩もああいう映画見るんですね」
途中濃密なラブシーンがあって、劇場内の気温が下がったような気がしたのだが、隣の二人を見たら、食い入るように見ていた。俺は居心地が悪くて、もぞもぞとポップコーンをつまんでいた。
何が悲しくて、実の妹と、好きな女の従姉と、青少年の健全な発育にふさわしくないような、映像を鑑賞せねばならんのだ。
以降俺は、気まずい気分でいたのだが、二人は十二分に楽しめたようである。ちと過激なシーンがあったことについても気にしている様子はない。
「見てたら変?」
「変というか、あのような甘ったるいラブロマンスは鼻で笑うような人かと」
でも、あっちの方の興味はだいぶ強そうだが。英雄色を好むとはよく言ったものである。頭のいい人間は、知的好奇心に比例して、あっちの好奇心も大分強そうではある。医者と弁護士には変態が多いという話があるとかないとか……。脳をよく使うと、感受性でも高まるのだろうか? どうでもいいか。
「……君も大概口が悪いな。私だって、これでも女の子だぞ」
しまった。少しきついことを言ったかもしれない。
俺は執り成すようにして、
「いやいや、もちろん萌菜先輩は女の子っぽいし、綺麗だと思いますよ」
事実、下手なアイドルよりよほど綺麗だと俺は思う。いや、美人女優に混じっても霞みはしないだろう。見てくれは完全に美少女だ。
「でも君は、さやかのほうが可愛いと思っているんだろう」
……それはそうだが。
「お兄ちゃんの好きな人ってどんな人なんですか? そのさやかさんって人」
夏帆ちゃんが、萌菜先輩に聞いた。俺は気恥ずかしくて、目をそらす。
「私の従妹なんだが、よく似ているって言われる」
「へえ~、でしたらきっとお綺麗でしょうね」
「お兄さんはそれはもう、さやかにべた惚れだよ」
「ちょっと萌菜先輩! 要らんこと言わんでくださいよ」
「萌菜さん、留奈ちゃんと同じこと言ってる」
夏帆ちゃんはそう言って、俺を見てはニヤニヤしている。
「身内褒めになるんだが、さやかはいい子だよ。性格もいいし」
「うちの夏帆ちゃんもいい子ですよ」
「ちょっとお兄ちゃん!」
夏帆ちゃんは、悲鳴を上げるようにして、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「どうしたんだ? 夏帆ちゃん」
「だからっ、それ!」
「だから何だよ」
「……恥ずかしいから、ちゃん付けで呼ばないでよ」
妙なことを言う。
「だって、今までずっとそうだったじゃないか」
「人前ではやめてっ」
何かまずいことでもあるだろうか?
俺が少し戸惑っていたところ、
「深山君は妹のこと、夏帆ちゃんって呼んでいるんだね」
と萌菜先輩はニヤニヤしながら、言った。
「……変でしょうか?」
「少し変かな」
何だか、二人があまりに妙というか、少し引き気味な反応をするので、俺まで恥ずかしくなってきた。
「いや、その、俺にとってはいつまでも小さな妹のままというか、幼くて、可愛……じゃなくて、目下の存在にちゃん付けをしているだけであって……」
萌菜先輩は笑みを含みながら、
「君に妹属性があったとは知らなかったよ」
「……俺を変態みたいに言わんでくださいよ。別に妹に萌えているわけじゃありません」
「失敬。失言だったな。言い直そう。えっと……君がロリコンだったとは知らなかったよ」
「もっと酷くなっているんですが」
倫理的には、どちらも大問題であることには違いないのだが、日本の刑法的には、近親相姦は罪ではないので、明確に罰の定められている、小児性愛の方がより酷い。……もっとも、俺はまだ16歳なので、中学生が相手ならば許されるかもしれないが。年齢差を考慮に入れてくれないのは横暴である。……そういう問題ではない。
「そうですよ」さすが我が妹。俺を擁護してくれるのか。「お兄ちゃんは重度のシスコンです」
「……お前は黙ろうか」
大体この俺がシスコンならば、間違いなく夏帆ちゃんの高校の編入試験を受けているはずだ。女子高だろうが関係ない。女装して、何としてでも試験に受かって見せる。そして多分、一か月もたたないうちに、性別がばれて、変態と罵られながら、退学させられるのである。
現段階でそのようなことにはなっていないのだから、俺はシスコンではない。愛情深い素敵なお兄様であるだけだ。
「だったら私と結婚しないか」
唐突のプロポーズ。文脈も何もかも無視した、暴力的言葉。
「どうしてそういう話になるんですか」
「だって、さやかがいるだろう。私と結婚したら、さやかにお兄ちゃんと呼んでもらえるぞ。親戚の」
綿貫にせよ、隆一さんにせよ、萌菜先輩にせよ、皆冗談がきつい。……綿貫家のとがっていて、どぎつい冗談の根源はいったいどこにあるのだろうか。賢二さんも少し箍が外れているところがある気もする。とすると遺伝的なものか? あるいは浮世離れした元華族の、お家の風潮が色濃く残っているせいかもしれない。
「後付けみたいに言いましたが、最後の台詞の有無ってだいぶ大きいですよ」
だが萌菜先輩は俺の話など聞きやしない。
「それで、私はある日、不運に変死を遂げて、妻を失った男と自分をお兄ちゃんと慕う女との禁断の恋が始まるんだ」
不運に変死って……。
「俺絶対それ、萌菜先輩殺しているじゃないですか」
「君の倒錯的性癖を満たすにはそれくらいじゃないと足りんだろう」
この人は俺を一体なんだと思っているんだ?
「……あの、妹にあまり変な言葉教えないでください」
萌菜先輩の発言は青少年の健全な発育に悪影響を及ぼす。
「でもそのさやかさんにせよ、萌菜さんにせよ、こんな綺麗な人がお義姉さんになってくれたら、嬉しいかもです」
萌菜先輩のきわどい発言に臆することなく、かなり恥ずかしいことを言う我が妹。
「あなたもすごく可愛いじゃない」
女子の乱用されがちな定型句「可愛い」が飛び出すが、この場合は適切である。むしろ、そのくらいの形容では足りないくらいである。
「えへへそうですか?」
「どうして深山君が照れるんだ」
「もうお兄ちゃん!」
だって俺の妹は可愛いのだ。仕方あるまい。
喋り疲れた頃に、萌菜先輩が帰るのを提案したので、俺達はレジに並んだ。当然のごとく、夏帆ちゃんの分は俺が払う。電車賃しかないのだから仕方ない。
萌菜先輩の財布は、さすがお嬢様にふさわしいものだ。下手したら、俺の財布を三十倍した値段でも届かないようなもの。格差社会って実在するんだねえ。
そんな、豪奢な財布から、紙が一片ひらりと舞い落ちた。
俺はかがんでそれを取る。見たところ、映画の前売り券らしい。
「萌菜先輩、落ちましたよ」
そう言って、俺は萌菜先輩に紙を渡した。
「ああ、すまない」
そう言って券を受け取り、財布にしまった。
俺は財布から、なけなしの紙幣を出す。今日の散財のおかげで、財布はすっからかん。所持金、五百円の高校生を探すのは、そう容易いことではない。今の俺は、そんな稀有な存在だ。そのうち、レッドリストに載ることになるかもしれない。
「綺麗な人ね」
電車で二人で並んで座っていたところ、夏帆ちゃんはポツリといった。
「誰が?」
「萌菜さんよ」
ああ、あの人のことか。
「まあ、そうだな」
「今度はさやかさんにも会わせてよね」
別に今日も、仕組んだことではないんだが。
「……そのうちな」
あたりはすっかり暗くなっている。電車の窓の向こうは、冷たい北風が吹き付け、恐ろしいほど寒いのだが、車内で妹と二人、座る間は、しばしの暖かさを享受できる。
それも永遠には続かないが。




