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レトロモダンのレモンタルト

 (からす)という鳥は、その羽の色と、狡猾(こうかつ)さを(もっ)て、多く人間に忌み嫌われている。中には、その知能の高さに、特別な意味を見出し、神の使いだとするような、考えもあるにはあるようだが。大勢(たいせい)では、ごみ捨て場を荒らす、厄介者という意見が、妥当だろう。

 (からす)というと、大抵は、かの黒い鳥を、連想するだろうが、人間の身近にいたせいか、様々な意味を持つ。

 玄人(くろうと)のくろ、という音にかけ、技に熟達する者を(からす)と言い、別の意味では意地汚い者も、(からす)と言われる。

 使われ方に大分、幅のある言葉だが、それだけ人間に馴染んだ鳥だということが分かる。

 多くの生物が、ホモサピエンスの台頭により、住処(すみか)を奪われ、数を減らし、少なくない種が絶滅してきたというのに、(からす)という鳥ほど、人間の生活に順応した野生生物は珍しい。

 だが、俺は(からす)が嫌いだ。その理由が、今朝フンをひっかけられて、家に引き返すことになったから、だなんてことは説明しなくてもいいだろう。羽の色だけで嫌うような人間もいるのだから。


 今朝のことを思い出して、ぶるぶると身を震わせていたところ、

「太郎見てよ。琵琶湖だよ!」

 と雄清に肩を叩かれた。

 神宮(かみのみや)高校一年生一行は、その日、長浜に向かうバスに乗っていた。秀吉が築城したとされる、滋賀の長浜城の城下町に向かっていたのだ。

 皆大好き、遠足である。そんな日に、悲劇に見舞われる俺は、チャップリンも仰天するほどの喜劇王になれるかもしれない。


 隣に座る雄清は、窓に顔を貼り付け、外の景色を見ては興奮している。……小学生かよ。

 

「やっぱ、智代(ともよ)の服、超かわいい」

 通路を挟んだ隣の席から、そんな声が聞こえてくる。見ると、いかにも女子女子している格好の、女子生徒が座っていた。……へー、この子、智代って言うんだ。今知ったね。名字なんだっけ?

 遠足は例外として、服装が自由だ。女子の中には気合を入れた装いをしてきているものも多数。

 何気なく、一瞥(いちべつ)をくれるが、俺の趣味ではない。派手すぎる。あれに何が入るんだ、と思うような、小さな鞄には、ジャラジャラと、アクセサリーが付けられていた。

 ……どうでもいいけど。


 大変ありがたいことに、自律を校訓の一つに掲げる、神宮高校の遠足では、グループ決めなんて言う、公開処刑は存在しない。文字通り、好きな人と組めるわけだ。


 思うに、あれはぼっちの(いぶ)り出し作業としか思えない。

 なんだよ好きな人って。なめてんのか。


 封印されし、悪夢が蘇ってくる。

「ちょっと男子ぃー。深山君を仲間外れにしないの」

「そんなに言うなら、委員長の班に入れてやれよ」

「……いやー、それはさすがに無理っていうかぁー」


 わお。アニメとか、漫画とかで出てきそうな会話だね。誰だよ深山って。かわいそうな奴。

 ……俺でした。……別に平気だし。泣いてないし。


 まあ、今年のクラスには雄清がいるので、かの残酷な刑が執行されたとしても、俺は耐えられただろうが。


 閑話休題。

 

 そういうわけで、長浜城の城下町であり、レトロモダンの街とも呼ばれる、滋賀の長浜を雄清とぶらり、男旅をしている次第だ。

「なんかー、色気ないなー」

 食い歩きをしていた、雄清はそんなことを言う。

「何が」

「華だよ。華がない」

「花屋ならそこにあるぞ」

「だーかーら、男二人で散歩したってつまらないじゃないか」

「俺は楽しいけどな」

「そりゃ、太郎はそうだろうさ」

 なんなら、俺は一人でも楽しめる自信が、大いにある。


「お前、だからと言ってクラスの女子とつるんでいるところ、佐藤にでも見られてみろ。俺まで半殺しの目にあわされる。監督不行き届きだなんだと言って」

「太郎は僕の保護者なのかい?」

「知るか。そんなに女子が欲しいなら、佐藤に連絡すればいいだろう」

「そりゃ、できたらそうするさ。何なら綿貫さんだって呼べる。でも、クラスの子たちと一緒だろうから、迷惑はかけられないよ」

「まあ、そうか」

 佐藤は、一緒に歩くような、友達もいるだろうが、綿貫はどうなのだろう。皆気後れして、話しかけにくそうな感じではある。実際、名古屋駅のデパートで出会った、グループの女子みたく、綿貫のことを快く思っていないような、奴もいるらしい。心配だ。いじめられていないだろうか。


 俺のそんな心配はさておき、城でも見に行くか、という話になって、琵琶湖の湖畔に向かって歩いていた時、雄清のスマートフォンが鳴った。

「おっと、ぶるった」

 とかなんとか、大げさな、反応をして、雄清はスマートフォンを取り出し(遠足では例外的に携帯電話の使用が許可されている)、電話に出た。

「あっ、もしもし。留奈? どうしたの?」

 どうやら佐藤が電話を掛けてきたらしい。

 電話口の向こうは、かなり大きな声で、がなり立てている。


「えっ。そんなの聞いてないけど」

『早く来なさいっ』

 なんだ? 呼び出しか?


「どうした」

 スマートフォンをしまった雄清に俺は尋ねた。

「……太郎。留奈から聞いてないかい」

 雄清は胡乱げに俺のことを見る。

「何が」

「遠足当日は山岳部で回ろうって話」

「はあ? そんな話……そんな話……。あっ」

 雄清はやれやれと溜息を()いた。


 そういえば、二、三日前、部室で俺が本を読んでいた時、佐藤が遠足の話をしていた。綿貫にも話して、部員四人で回るから、とかなんとか言っていたのだが、本を読む俺の耳には、馬耳東風。ほとんど意識に登っていなかった。

 家に帰ってから、そういえば佐藤が何か言っていたな、何だっけ? と少し考えたのだが、思い出すのも、電話で確認するのも面倒になったので、大事なことなら、あとでまた言われるだろうと、そのまま放っておいたのだ。

 俺の優秀な頭は、無駄なデータをすぐに排斥し、今の今まで、雄清に言われるまで、ごみ箱ファイルで、完全削除を待つまでになっていた。


 二人を待たせているので、雄清からのお説教は後にして、すぐに待ち合わせ場所へと向かった。


「おそい!」

 女子二人は、カフェにいた。店名はワイクロと言う。首相のお膝元、山口発の衣料品店ではない。

 店の標章に、鳥の絵が使われている。

 綿貫のお嬢様然とした私服は、その店のレトロな雰囲気によく似合っていて、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように見えた。


「まあ、そう怒るな。レトロモダンの香りを、ゆっくり楽しめたろう」

「はあ? レモンタルトなんか頼んでないわよ」

 何をのたまうか。

 哀しいかな、現代日本で意思疎通のできない、状況に陥るとは。……危うく失笑。

「あんたたち何やってたのよ」

 笑いをこらえるのに必死な俺をよそに、佐藤は眉を吊り上げる。

「いやあ、ごめんごめん。道に迷っちゃって」

 武士の情けで、雄清は俺がポカをやらかしたことを佐藤に伏せてくれるらしい。

 しかし、佐藤という女は、こういう時に限って、嫌に鼻が()く。

 綿貫の私服を見て、目眩(めくるめ)いていた俺の袖を そっと、綿貫と雄清に気づかれないように、引っ張り、

「あんた、何やってんのよ」

 と低い声で問い詰めてきた。とても堅気の世界の、女の子とは思えない。……怖いよ。

「……俺は何もしてないぞ」

「それが、問題でしょうが!」 

「……はい、すみません」

 俺はとっさに謝ってしまった。……まあ、悪いのは俺なんだが。

「つーか、こっちゃん見て、よだれ垂らすなし」

 えっ、嘘。やべ。


「どうなさいました?」

 綿貫が俺たちの様子を不審に思ったのか、席から立ち上がり、声をかけてきた。

「なんでもないよ、こっちゃん気にしないで」

 ほう。声のトーンの違いというのは、ここまで印象を変えるのか。勉強になる。


「まったく。もっとしっかりしなさいよ。はい」

 そういって佐藤は、紙袋を俺に渡してきた。

「なんだこれは?」

「罰ゲームよ。荷物持ちなさい」

 畜生。この女。

「そっちのポシェットも貸せよ。それあれだろ」

「ちっ、違うし。今日はまだ。……念のために持ってきただけだし」

「我慢しなくていいぞ。……痛いから、俺に荷物持たせたいんだろ」

 俺、マジ紳士。少女漫画で言えば、今のシーンは、キラキラトーンが貼ってあるところだ。

「この変態!」

 はい。殴られる。例え、多い日でも平常運転である。……まったく、俺が何をしたというのやら。

 ……やっぱり、何もしてないよな。

 

 長浜のレトロモダンの街の、象徴とも言える、黒壁スクエア、及びこの街の景観は、観光地化するため、第三セクター「黒壁」が立ち上がり、昭和後期から平成初頭にかけ、街を前近代風に整備したことに始まる。

 ガラス工芸品を取り入れ、長浜城や、姉川の戦いの古戦場を始め、歴史的に(ゆかり)のある、ここ長浜を、立派な観光地に仕上げた。琵琶湖に面し、山々の見下ろすこの街は、観光地化するにはうってつけだったのかもしれない。


 まあ、発情期真っ盛りの、高校生にとって、そんな歴史がどうとか、ガラスがどうとか言われても、いまいちピンとは来ないだろうが。……低俗な奴らめ。

 

「深山さーん。こっちですよー」  

 おっと、俺の綿貫が、呼んでるぜ。行かねば。


 俺達は、ガラスのアートギャラリーへと来ていた。


「綺麗ね」

 作品を見ていた佐藤が、誰に言うでもなく言った。周りには俺の他、誰もいない。

「お前の方が綺麗だぜ」

 はい、棒読み。

「……あんたね」

 佐藤は心底呆れた顔で、俺を見た。

「知っているか、ガラスが何でできているか」

「えっと。ダイアモンド?」

「……お前は馬鹿なのか?」

「う、うっさい」

「はあ。……広く普及しているガラスは、ソーダ石灰ガラスと言ってだな、二酸化ケイ素を主成分に、ナトリウムイオンやカルシウムイオンを含んでいる。ガラスには数種類あるんだが、どれも主な元素はケイ素、つまりシリコンだ。覚えておけ」

「っ……。偉そうに。癪に障るんですけど」

「フッ。お馬鹿さんめ。なんとでも言え」

 佐藤は頬を膨らませ、いかにも不機嫌な顔をしていたが、俺は放っておいて、向こうへといった。



 

 

 


 

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