青い春というけれど、思った以上にドロドロしている
俺は飯沼先生と話した翌日、大海原病院に出向くことにした。
授業が終わり、教室を出たところで雄清に、
「ごめん太郎。実行委員のほうを抜けられなくて。代わりに人をやるから、その人と行ってくれ」
と言われた。
雄清の派遣する人間か。一体誰だろう。
綿貫を連れて行くのでもよかったのだが、その人物がだれかわからない以上、気まずい感じになるだけだと思って、連れて行くのをやめにした。
……だってほら、噂になるのとかいやじゃん。
だが、そんな心配も無駄だった。
「で、なんでお前?」
校門の前で、ため息交じりに、俺はそいつに聞く。
「なんでって、あんた、山岳部の人間以外話できる人いないでしょう」
失敬な。話ができないんじゃなくて、しないだけだ。
……まあ雄清が遣る奴と言ったらこいつだわな。
俺は幼馴染の顔をまじまじと見た。またまた、ため息混じりに尋ねる。
「佐藤よ。どうしてお前ひとりなんだ。綿貫は?」
「あんたが呼ぶと思ったから」
佐藤はしれっと言う。
ちぃ、ぬかった。佐藤だと知っていたのなら、絶対綿貫を連れてきた。佐藤を置いて二人だけで行く可能性すらあった。というかそれしかなかった。畜生。
「あからさまに残念そうな顔すんなし」
とかなんとか、佐藤は非難がましく、俺のことを見ていたが、悲嘆にくれる俺には、耳に入るだけで、ちっとも気にならなかった。
過ぎたことはどうにもできない。おとなしく佐藤と二人で大海原病院へと向かった。
道中、幼馴染の汗でしっとり濡れた項に、欲情の感を覚えることもなければ、見慣れた平たい胸元に目が惹かれることもない。
長い間一緒にいたせいで、隣のこれはもはや、異性ということを俺に認識させない。
俺は多分、佐藤に、人だとも思われてないけどね!
「で、その飯沼先生にはちゃんと会えるんでしょうね?」
俺ははじめ、この女何を言っているんだ? 飯沼先生には職員室に行けば会えるではないか、と思ったのだが、彼の娘である飯沼春子も先生といわれる存在であることに気が付いた。
「一応連絡はしてある。少しなら話を聞いてくれるらしい」
「ふーん」
大きな病院がある。言われなければ、ホテルか、高級マンションだと思うだろう。その病院、大海原の病棟が、空に高く伸びている。
最上階の部屋にはいったい誰がいるのやら。VIP患者か? それとも院長か?
今度綿貫に聞いてみよう。
たわいないことを考えながら、ホテルのロビーと見紛う病院のエントランスに入る。
受付で、「飯沼春子先生をお願いします」と言ったら、受付の人はどこかに電話をかけて、俺たちに、産婦人科のフロアで少々お待ちください、と言った。
俺達は案内板を見て、婦人科の待合室にへと向かった。
エレベーターを使って、上へと上がる。
外装もホテルのようにきれいなのだが、内装も、とても死神が跋扈する病院とは思えない。そんな暗い感じとは相反していて、本当に佐藤とホテルにでも入ったかのように錯覚する。
と口に出したら、ビンタされた。
「綺麗ね」
待っている間、手持無沙汰だったのか、佐藤が俺に話しかけてくる。
「お前のほうが綺麗だぜ」
はい、棒読み
「馬鹿言ってんじゃないわよ。病院と比べられて喜ぶ女子がいると思ってんの? ていうかあんたに綺麗とか言われても気持ち悪いだけなんだけど。マジキモイ。しゃべんないで」
十倍返しされる。
それはちとひどくなかろうか。喋りかけてきたの君だよね? 僕もしかして人権無いの?
なんだか怒らせてしまったようなので、ご機嫌取りをしようと思って、
「なあ、佐藤」
と言ったら、
「なによ」
ギロリと睨まれる。
わお。すごく不機嫌だね! 君は怒るのが得意なフレンズなんだね!
思うに、俺も雄清もこいつを甘やかしすぎたのかもしれないが、今更どうこう出来るものでもない。
固い雰囲気を、ほぐそうと俺は冗談を言う。
「二人で婦人科の待合室にいると、なんかあれだよな。俺がお前とゴフッ」
逆効果だった。
肘鉄を食らった。
閑話休題。
そうこうしているうちに、白衣をまとった綺麗なお姉さんがやってきた。俺にナンパでもしに来たか。生憎、手持ちは一杯だ。綿貫とか綿貫とか綿貫とかで。
その美女を一瞥する。
足がすらりとして、胸がかっこよく突き出している。髪は後ろで纏められていて、凛としていた。
ナースコスは人気だが、美人女医というのもあり。
……馬鹿か俺は。
「深山君というのはあなた?」
その美女が尋ねてきた。
「はい。飯沼先生の娘さんで?」
「そうよ」
驚いた。これは三十六の姿ではない。二十五、いや二十と言われてもすんなり信じたかもしれない。美人は年を取らないという説を提唱したい。その実証のためにも俺は綿貫と一生を添い遂げるべき。
「院内にカフェがあるからそこでお話ししましょうか」
春子先生は俺たちを手招きして、カフェへと案内し始めた。
彼女についていき、カフェで注文を済ませてから、俺たちは席に着いた。
「それで、お話する前に、あなたたちがどういう関係かお姉さんに教えてくれるかしら?」
三十五でお姉さんと自分でいうには、相当勇気がいるだろうが、春子先生の場合、全く違和感がない。
俺が、ただの部活仲間です、と言おうとしたところ、佐藤に先を越された。
「この男は幼馴染のただの痴人です。痴人は病垂ついたやつです」
と佐藤は言った。
病垂がついた知人? こいつは何を言っているんだ?
しばらくは佐藤の頭のお花畑が、満開になっているのではと、思っていたのだが、すぐに、彼女の言ったことに気が付いた。
「お前すごく酷いこと言ってないか。知るに病垂つけたら愚か者になるではないか!」
「あ、ごめん。噛んだ」
てへっと言いたげな顔で、佐藤は答えた。可愛くねーよ。
どうやったら噛んで、知人が痴人になるんだ。噛んでないじゃないか。
文字の中にちゃんと知人が入っているところが、妙に上手くて、余計腹が立つ。
すごく腹が立ったので、俺は反撃することにした。
「こいつは恥ずかしいほうの恥人です」
春子先生に向かってそういう。我ながら会心の出来だ。
すかさず佐藤が反応する。
「あんたなんて紹介してんの!?」
「お前も大概だろうが」
俺たちのそんなやり取りを見て、春子先生は言う。
「あなたたち仲がいいのね」
「「全然そんなことないです」」
同じことを言った佐藤のほうを見る。
「何ハモらせてんだよ」
「こっちのセリフ」
とここまではアイスブレイク。
なに、俺たちなにげ連携良すぎじゃん。幼馴染エンドあり。……いやないけど。
こほん、と改まってから、俺達は自己紹介をした。
「神宮高校一年、山岳部の深山太郎といいます。飯沼先生にはいつもお世話になっています」
佐藤が続く。
「同じく佐藤留奈です。本日はお時間をいただきありがとうございます」
普段は、男勝りで、行儀の悪い幼馴染が、このようにまともにしているのを見ると、なんだか妙な感覚を覚える。
「大海原病院、産婦人科医、飯沼春子です。本日はわざわざ出向いて下って、ありがとうございます」
俺は軽く咳払いをして、話を始める。
「電話でお話したように、今日は、春子先生に、二十年前のことについて聞きに来たのです」
「ええ」
「あまり楽しい話ではないのはわかっております。気分を害されたら、すぐにでも言ってください」
「……大丈夫よ。もう時効だもの」
「そうですか。ではいろいろな資料を集めて出した、俺達の予想から」
「どうぞ」
俺は深呼吸をするように、深く息を吸って吐いた。
「どこから始めるべきか、判断するのは難しいですが、春子先生の中学時代からがいいですかね。
春子先生と堀越久美子さんは、同じ中学で、同じ部活、陸上部に所属していました。春子先生は陸上選手としての資質を十二分に備えていて、一年生にして、全中への出場を果たしました。
堀越さんが才能に恵まれなかったとは思いませんが、そんな春子先生に比べれば、劣っていたと周りから見られ、自身でもそう思った事でしょう。
二人は、そのまま同じ高校、神宮高校に進学します。
あなたたち二人は、中学のころと同様に陸上部に入部しました。
そこでも春子先生は、ご自分の才能を遺憾なく発揮された事でしょう。エースとして顧問の先生から期待されたかもしれません。
けれども、周りはそれを許さなかった。
始まったのは、優秀すぎる、春子先生に対する執拗な嫌がらせ、いじめと言って良いものだったかもしれません。嫉妬からくる、異物への攻撃でした。
居心地の悪くなった春子先生は、陸上部を退部して山岳部に入った。これはお父様の影響かもしれませんが。
それで終わればまだよかった。
春子先生は部活動のほか、生徒会長としても活躍されていました。
前期生徒会最後の大仕事として、学校祭運営を任された春子先生達、生徒会役員は、伝統である、マスコット制作を生徒会単独でも行おうと考えました。
起こったのは、学校祭当日のマスコット倒壊事故。
陸上部のエースとなっていた堀越久美子は怪我を負い、一年での大会出場をあきらめることになりました。新人戦はそのころからあったでしょうから、それも出られなくなってしまったでしょう。
非難の矢は生徒会に集中した。
学校中が険悪な雰囲気になり、生徒会は責任を取らされ解散。今では立案部と執行部に分けられています。
それで学校に居づらくなったあなたは、……転校していった」
俺はそこで、一度息をついた。春子先生は、ずっと俺の顔を見ているだけだった。
否定もしないが、頷くこともしなかった。
しくじったか。
俺はおそるおそる尋ねる。
「以上が推論ですが、おかしいところはありますか」
「まったく」
春子先生は一言、それだけを呟き、目を閉じて顔を伏せた。少し笑っているようにも見えるが、どこか痛々しい感じもした。
「的外れでしたか?」
眼を閉じたまま、彼女は答えた。
「いいえ、そうでないの。全くあなたの言った通りよ。堀越さんや、他の部員がどう考えていたかは、私も想像するしかないけれど、おそらくはあなたの言った通りなのね」
そしてゆっくりと目を開けて少し天井を見上げるようにして、
「嫉妬か。……その頃の私は、周りからそんな風に思われているなんて、チラリとも思わなかったわ。だから、陸上部のみんなや、先輩たちに、無視されたり、冷たくされたりするのがどうしてか全く分からなかった。
私は、堀越さんとは友達で居たかった。……中学、高校時代はずっと友達だと思っていたわ。
でも違うのよね。彼女は私の事を憎んでさえいたわ。
ようやく才能というものが、危険なものである、ということに気が付いたのは成人してからかしら。特にこの国ではそうなのかもしれない。
周りと違うことは悪である。悪は排斥されるべきだ。
問題なのは、みんなが妄信的にそれを信じていて、あまつさえ、往々にして、それを無意識に行ってしまうことね。
ちょっと周りと浮いている人がいれば、奇異の視線を向け、『あの人は違う人』とひそひそと話す。誰しもがそれを、単に悪いことだとは思わずにやってしまう」
俺も佐藤もそれに何も返せないでいた。
彼女の言っていることは、全く正鵠を射ていた。多分おそらくは俺も同じようなことを、知らぬ間に行ってきているのだろう。
春子先生は続ける。
「それで、それ以上聞くことがあるとも思えないけれど」
確認したいことがあった。俺の予想が正しければ、彼女は嘘をついていることになる。
「最後に一つだけ。……才能が危険なものと自覚したのが、成人を過ぎてから、というのは嘘ですね」
春子先生は怒るでもなく、静かに聞く。
「どうして?」
「なんでマスコットが倒壊したか、春子先生はお気づきでしょう」
春子先生は、飲み物に視線を落とし、「そこまで調べたのか」と小さく呟いてから、
「深山君? あなたちょっと闇抱えすぎじゃない? まだ十五か十六でしょうに」
と意地悪く笑う。
闇か。
俺は苦笑する。確かに俺の捻くれ度合いは、並大抵のものではない。捻りすぎて難度はΩ。採点不能ですらある。とりあえず人の言うことは疑ってかかるし、醜い人の心を見ようとするから、こんな悲しい物事の真相にもたどり着いてしまうのだ。
春子先生は先を促す。
「マスコットの鋲が抜かれたことはお気づきでしたでしょう。先生は誰が抜いたのかもわかったんじゃないですか?」
春子先生は何も言わない。
「校内新聞の記事を読んだのですが、事故当時、マスコットの周りで、堀越久美子を含む集団が遊んでいたと書いてありました。……本当に遊んでいただけなんでしょうか?」
春子先生は視線を落とす。
……やはり彼女は知っている。
「事故を起こした張本人は、あなたではない。あなたの代わりに、一年生ながらエースとして活躍していた堀越久美子を快く思っていなかった人間。陸上部の先輩たちですよ」
……沈黙は肯定の証か。……俺悪役みたいだな。
「堀越久美子もあなたほどではないにせよ、優秀だった。先輩たちが攻撃する動機として十分だった。……どうして言わなかったんですか? そうすれば転校せずに……」
「言えたと思う?」
春子先生は俺の言葉にかぶせる。
「久美子にはせめて陸上を続けて欲しかった。悪いのは全部生徒会、そして会長である私ということにして、全部私が責を引き受ければそれで済んだのよ。周りから敵認定されることの辛さが、私にはよくわかった。久美子に真実を伝える事は、彼女にその苦しみを味わわせることになるの。今も昔も、私は久美子の事を友達だと思っている。たとえ彼女が私の事を憎んでいようと。
どうして傷ついた友達に、そんな仕打ちができるの? 犠牲は一人で十分よ。それに、学校が居づらかったのは、それだけでもないし。女子には特に嫌われていたから。……それが持つ者の宿命なの。後悔してないわ。女子高時代は楽しかったし、ちゃんと大学にも行けたから」
確かにこの美貌。女は好かんだろうな。気になる男子全て取られてしまうだろうから。
俺は分からなかった。自分を憎む相手を助ける理由が。
けれども、そうだな。医者である彼女としては、憎む相手が病院に運び込まれてくれば、助けるのは当然だろうし、そのような資質を持っているから医者になっているのかもしれない。……あれ、もしかして俺医者向いてない?
実名を伏せるという条件付きで、春子先生はこのことを記事にするのを許してくれた。
別れ際、
「生きるのが辛くなったら、いつでも来て。あなた見てると心配だから」
と言われる。
優しいお姉さんに心配されて、俺は満足。生きる糧を得た。
美人で優秀で優しくて、それでいて強い芯がある。大人版綿貫だ。
彼女はまだ独身らしい。綿貫に振られたら結婚してもらおう。……冗談ではなく、俺が二十年、いや十五年早く生まれて彼女に出会っていたら、どうしようもないくらいに惚れていただろう。
「持つ者の宿命か」
下りのエレベーターの中でポツリという。佐藤がこちらを見た。俺は続ける。
「能ある鷹は爪を隠す、とはよく言ったものだ。
能力を持つ者は人に警戒され、ときに攻撃すらされる。
ああ、世の中とは世知辛い。こんな世界壊れればいいのに。
そして甚だ遺憾であるが、俺もおそらくは攻撃される側の人間だ。
そんな俺が、ひっそりとした生活を好むのは、この辛い世の中を生き抜く上での処世術。決して、コミュ障だからではない」
佐藤には、冗談として受け取ってほしかった。いつもみたいに「馬鹿言うな」と言ってほしかった。けれど佐藤は俺を寂しそうに見るだけで何も言わない。
「笑えよ」
俺は気まずくなって、そんなことを言う。
「笑えないわよ」
と佐藤は言った。
何辛気臭くなっているんだ。そう言おうとした。だが彼女の表情は真剣そのものだった。
そんな彼女を笑い飛ばしたかった。けれど、できなかった。
晩夏の陽が地平線へと近づいてゆく。本当にもう夏も終わりだ。残暑もようやく少しづつ薄らいできていて、病院の冷房で冷えた体は、いつまでたっても温まらなかった。




