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鼻持ちならないですか

 面倒事の対処法で一番優れているものはなんだろうか。

 愚問だな。

 一人苦笑いする。俺はよく知っているはずじゃないか。

 そうだ、目をつむり見て見ぬふりだ。大体、西脇先輩に何か言ったところで、問い詰めて白状させたところで、何が変わるというのだ。

 それにまだ確証がないのだ。

 西脇先輩が前期の選管委員で、俺達にその事を伏せていたからと言って、彼が犯人だと言えるだろうか。

 余計なことを言って先輩の心証しんしょうを悪くし、過去記事のバックナンバーが見られなくなったら本末転倒だ。


 俺は立ち上がり、

「新聞部に行ってくる」 

 と告げて、選管の部屋を出て行こうとする。三人に何しに行くのか尋ねられたので、バックナンバーを借りに行くのだと言った。

「なら私も」

 と言って、綿貫も立ち上がりかける。

「いや、お前は来るな。いても面倒なことになるだけだ。先に部室に戻っておいてくれ」

 俺がそう言ったら、しん、としてしまった。

「ちょっと、深山。そんな言い方はないでしょ」

 と佐藤が非難する。

 ああ、いい方が少しきつかったかもしれないな、と少し反省しながら、選管室を出た。雄清が心配そうな目で俺のことを見ていた。なぜかは知らない。


 あいつらは俺が何を考えているか分からないだろう。だがそれでよいのだ。西脇先輩が犯人なんじゃないか、という意識を植え付けたところで仕方がないではないか。独断専行どくだんせんこうで、周りからすれば俺は自己中心的な人間そのものだが、生まれてこの方俺はそう見られ続けてきたのだ。今更どうこうする気はない。他人の評価に頓着とんちゃくしていられるほど俺は暇ではない。


 過去記事のバックナンバーをもらう。ただそれだけをすればいい。いらないことは詮索せんさくしない。初めからすべきだったことをすればよかったのだ。


 新聞部の部室の前に立ち、戸を叩いた。

「どうぞ」

「失礼します」

 昨日と同様に、部室の中には部長の他に部員はいなかった。

 西脇先輩は中央に置かれた机に向いて座っていた。俺が入ってきたのをちらりと見る。

「……君か」

 西脇先輩は、静かにそういった。ひどく疲れているように見えた。

「過去の記事を見せてほしいんです。そういう約束でしたよね。それとも、まだ調査を続けますか?」

「……調査?ああ、選挙のか。……いやいいよ。もう十分だ。昨日のあれは……」

 西脇先輩は言葉を途中で切り、黙り込んでしまった。

「先輩?」

 西脇先輩は何も言わず、じっと自分の手を見るようにしている。

「先輩?調査をもうやめるのならば、過去の記事を見せてくれませんか?」

「……だめだ」

 俺は自分の耳を疑った。だが、聞き間違えたのではなかった。彼のその表情は明らかな敵愾心てきがいしんを示している。俺に対する憎しみを。

 そして俺はついに確信してしまった。ああ、やはり西脇先輩が……。

 もはや最初にいだいた西脇先輩に対する、好意的な印象は消え去ってしまった。

「どうしてですか?」

 その理由をよくわかっているのに聞くというのは、白々しい気がする。だが他にどうしろというのだ。

「駄目なものは駄目だ。帰ってくれ」

 俺は深く息を吐いた。


 できれば上級生とのいさかいは避けたかったんだがな。

 思えば、入学してからこれまで俺は幾人の人の感情を逆撫さかなでする行為を行ってきただろうか。多く、非があるのは相手側だったし、俺も好き好んでそのようなことをしてきたのではない。

 しかし、俺はそれでも、自分の行為が正しいものだと断言するに足る根拠を持ち合わせていない。人には人の考え方がある。人によって悪と善が入れ替わることなど往々にしてある。西脇理人にとっての俺が、今、悪であることは言うまでもない。

 絶対的な悪など存在しないし、絶対的な善も存在しない。

 俺は言った。強い光は強い陰を生む。

 だが、どちらが光でどちらが陰かなんて人間にどうしてわかろうか。

 その判定は極めて恣意しい的なものだ。

 それを絶対的に決められるとしたら、そいつは神様だけだ。

 俺は神か? 人の罪を糾弾するに足る資格を持っているか?

 違うな。

 だが、俺はそれをしなければならないのだ。己の目的を達成するために他者の気持ちを踏みにじる。それが人間という存在だ。

 人間がこの世に誕生して幾星霜いくせいそう、信奉するものを貫き通してきたのが人間だ。「敵」を踏みつぶし続けてきたのが人間だ。

 今更、俺が躊躇ためらうことではない。

 

 俺は覚悟を決め、口を開いた。

「先輩、今までの人生で悔いのあることってありましたか?」

 西脇先輩は困惑したような顔をし、何も言わなかった。

 俺は続ける。

「俺は悔いばかりです。俺の人生は後悔と苦々しさとでできているんじゃないかと思うことが度々あります。自分の無能さ、平凡さを卑下ひげし、優秀な人間をねたみ、自分にないものを持っている者達に嫉妬する。俺はそんな自分が嫌いです。そして自分を嫌う自分が心底嫌いです。

 ですけど、俺達人間はそういう風にできてしまっているんじゃないでしょうか。人は悩む。未来永劫みらいえいごう悩み続ける。どれだけ富み、どれだけ欲しかったものを手に入れても、人は満足しない。俺達人間は満足できない。それがこの世界の仕組みを支える根幹だから。

 悩むのを止めればすなわち停滞です。俺達人間は自分にないものを求め続け、歩き続けなければならない。

 だから俺はそういう人が周りにいようと、非難できない。それが人間の本質だから。

 悩み続けるのをやめさせることはできない。それが俺達が人間たりうる由縁ゆえんだから。

 しかしです、他人から奪おうとするのは少し違う。そういうものは自分で手にいれてこそ価値があるんです。自分で生み出そうとするから、悩みに価値を見いだせるんです。

 嫉妬は大いに結構。

 だけど、他人を攻撃するのは御門おかど違いです」

 言い切ってから思う。

 俺ほど嫌なやつはいないな、と。

 偉そうなことをいっているのは、よく分かっている。だが他にどうしようというのだ。

「……君はなんでもお見通しみたいだな」

 先輩は俺が何を知ったか、悟ったようだった。

「……あなたは軽い気持ちでやった。どうせ何かが変わるとは思ってなかった。だから、抜き取った票を処理することもせずに放置しておいたんだ。しかしです。軽い気持ちでそういうことをしてしまうのは、そういうよくない感情がつねに心の中に渦巻いているからでしょう」

「そう……なのかもしれないな」

「俺はこの事を誰にも言うつもりはありません。先輩が気の迷いでしたことにいつまでもねちねちと文句を垂れるほど俺は暇じゃありませんから。

 ただ、過去記事だけは見せてください。それで、終わりにしましょう」

「……分かった。いつの記事だ」

「二十年前と十九年前の記事です」

 西脇先輩は立ち上がり、奥の棚からバックナンバーを取って俺に渡した。

「見終わったら持ってきてくれ。俺はもうこの部室には来ない。別なやつに言えばわかるようにしておく」

 俺は一礼して、部室を出て行こうとした。

「君ほど鼻持ちならないやつはいないよ。だけどそれは君の言うことが正しいからだ。君にはもう会いたくないけれど」

 上級生にここまで徹底的に嫌われるのは俺ぐらいだろうな。

「……善処しますよ」


 もはや今日何度目かわからない溜め息をついて思う。

 いつか、俺は誰かに刺されるかもしれんな。

 俺は敵を作りすぎる。ほとんど、いやすべての場合意図せずして。

 人畜無害であろうとするのに、何か目に見えない大きな力がそれを邪魔しているように思えてならない。

 鼻持ちならない奴、か。俺はこれまで幾人にその思いを抱かせてきたのだろうか。想像だにできないな。



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