緑色の目ってなんだっけ
日本人は多く、黒か焦げ茶色の瞳を持っている。俺はそこに、和というか、日本特有の美というか理解することがそもそも難しいような、日本の美の深奥が秘められているような気がしてならない。
それなのに、近頃の日本人は、異国の人間が持つような、メラニン色素の乏しい青色や灰色の瞳に羨望の眼差しを向ける嫌いがあるらしい。紫外線には弱いし、自然界を生きていくためには、少しく不利な点もあるのにどうしてなのだろうか。
隣の芝が青く見えるのは昔からのことなので、ある程度は仕方のないことなのかもしれないが、カラーコンタクトをいれるような、目にダメージを与える行為に及ぶのは、理解に苦しむ。
無い物ねだりしても仕方ない。
我々は日本人であって、決して外国人にはなれない。そしてその事は、悪いことではないはずだ。
日本人がバタ臭くなりたがるのは今に始まった話ではないが、もっと国の文化と歴史と我々自身に誇りを持ち、胸を張って国際社会を渡り歩けるような意識を持つべきじゃないか。
いつまで我々は、欧米人にぺこぺこしながら生きていかなければならないのか。
それが日本人の生き方だといってしまえばそれまでだが、卑屈な国民性に甘んじていて、なんとも思わないほど我々日本国民は賎民意識に生きられようか。
誇りを捨てるな。国を愛せ。胸を張って生きろ。
自国のことを何も知らず、英語を話すことしかできないないような似非国際人など誰も求めていないし、日本国にとっての害悪でしかない。
「バタ臭いっていうのは、カップルのことをアベックというぐらいに僕には奇妙な表現に思えるね」
ひとしきり俺の話を聞いた、山本雄清はそうコメントした。
「今となってはカップルも古いだろうよ」
「じゃあ何て言うんだい」
知るか。
「それにしても、太郎の発言は右翼的じゃないかい」
「俺は別に、日本が一番だとは思っていないし、日本がよければそれでいいとも思っていない。ただ自分達と違う見た目の人間に対して卑屈になるのはおかしいって言っているんだ」
「変だな。僕は太郎ほど卑屈な人間を他に知らない。それは僕の寡聞のせいかな?」
……。口の減らないやつだ。
俺と雄清の会話は大体こんな感じで、下らないことばかりに頭を使っている。もっと生産的な話をすべきなのかもしれないが、話の内容そのものよりも、話しているという行為に意味があると考えれば、それはそれでいいのかもしれない。
実をいうと、雄清の方は昨日の不正選挙の話の続きをしたがっていたようだが、俺という人間はしつこくされればされるほど、やる気をなくすというのをよく知っているので、その話題には最初に触れたきり、話さなかった。それに、周りの人間に聞かれては、ちとまずい内容であったし。
そういえば緑眼って何か特別な意味がなかっただろうか、と雄清に尋ねようとしたところ、担任が教室に入ってきて、帰りのホームルームが始まってしまった。
まあ、別に取り立てて知るべきことでもないだろう。
俺はそれきり気にするのをやめ、ホームルームが終了する頃には、すっかりその事を忘れていた。
ホームルームが終了して、学校祭の準備に取り組む連中を尻目に俺は部室へと向かった。
およそ校内の敷地を横切るくらいの距離を歩いたら、部室棟の入り口につく。それから最上階である四階まで階段を登り、ムッとする空気に顔をしかめながら、廊下の突き当たりまでいくと、我らが山岳部の部室だ。
遠いのにはいい加減慣れたが、こうも暑いと部活を始める前までにすでに汗だくである。
空気の入れ換えのためか、部室の戸が開け放たれていた。おそらく、佐藤か綿貫が来ているのだろう。
部室に近づき、話し声が聞こえてきたので、女子が両方揃っているのだとわかった。
「よう」
一応の挨拶をして中へと入る。
「こんにちは、深山さん」
うんうん、綿貫は今日もいい子だ。それに対して、
「なんだ来たの」
佐藤は来なくてもよかったと言わんばかりの態度。まあ、いつもこんな感じだけれども。それに別に俺は佐藤に優しくしてもらいたいとは思っていない。
よっこらせ、と腰を椅子にかける。ああ、にしても四階は暑い。山に行きたいな。
とぼんやり考えていると、
「深山さん、今から選挙管理委員室に行きます」
ああ、そう。
「いってらっしゃい」
「深山さんもいくんですよ」
決定事項、事後承諾らしい。山岳部内におけるヒエラルキーの存在は是非とも倫理委員会にかけてほしいものだな。
俺は綿貫に手をとられて、部室から連れ出された。
よく考えてみれば、午前中の内に伝えといてくれれば、俺は無駄に歩くこともなかったのに。
来た道を戻り、本館二階へと向かう。
「それで、何で選管の部屋に来なきゃいけないんだ」
「何かヒントが残されていないかと思いまして」
「なんのヒントだよ」
「愉快犯の正体ですよ」
……
昨日の話はもう終わったことだろ、といっても通じそうにないな。
「深山さん、何か心当たりはありませんか」
その上、人頼みらしい。
「俺が持っている情報は、お前のと同じだぞ。お前が分からないのならば、俺にも分かるわけがない」
「でも深山さん、頭使ってないですよね」
……どうでもいいと思っていたのは事実だが。
いやそれにしても、綿貫に叱られるのはなんだか気分がいいな。むしろもっと叱って欲しい。
「こんな中途で終わったら、なんだか気持ち悪いわ。あんたもちょっとは頭使いなさいよ。馬鹿」
ぐさり。佐藤の言葉は、人の気分を甚だ害する。佐藤に叱られても全く嬉しくない。綿貫との違いはなんだろうな。
いや訂正だ。確かに綿貫は叱っている。それに対して、佐藤は感情の爆発でしかない。綿貫は冷静に俺のことを考えて発言するが、佐藤のはいらいらを俺にぶつけているだけで、あくまでも自分のために怒っているだけなのだ。
こんな分析をしても仕方ないことではあるが。
でもここまで来てしまった以上、餓鬼みたいに逃げるわけにもいかないか。
頭使え、か。人間は生きているだけで脳を使っているはずなんだがな。
俺は昨日の話を思い出すことにした。
まず記入された投票用紙五十枚。それが無効票とすり替えられていた。
昨日ぐだぐだと話していた、犯人の動機は割りとどうでもいい。
さてこの情報で何が推測できるか。
考えるまでもないな。
「犯人はおそらく、選管の人間だ」
すぐにどうして、と尋ねてくる。よく俺に頭使え、とか言えるな。
「票がすり替えられたのは、投票後だ。記入済みの用紙を抜き取ったんだからな。投票後、用紙に触れられるのは、選管か、執行委員か、風紀委員。だが後の二者は開票作業の時に接するだけだ。そこで皆の目を盗んで票を抜き取るなんて無理だろうよ」
「だから犯人は各教室から投票用紙を回収し、開票所まで持ってくるまでにすり替えたって言いたいんだね」
いつのまにか雄清が来ていたらしい。驚かせやがって。
「よくここが分かったな」
「執行室から出たところで、太郎が両手に花で歩いているのが見えたからね」
「片方は棘だらけだがな」
ごふっ。
鳩尾に肘鉄はないだろ。
「何もお前だとは言ってないじゃないか」
俺は涙ぐむ目で佐藤に言った。
「あんたがこっちゃんを棘だらけなんていうわけないでしょ」
「それは言えてるねえ」
雄清は他人事だと思って笑っていやがる。
暴力がまかり通ったら、世も末だな。
「何、雄くん。雄くんも私には棘があるって言いたいの?」
「いやいや留奈。綺麗な薔薇には棘があるもんだろ」
口のうまいやつだ。それで、佐藤は頬を染めている。なんの茶番だこれは。
まったく。
「……前期の選管委員が誰かわかったりするか」
俺は痛む腹をさすりながら尋ねた。
「えっと、業務日誌? みたいなのがあったと思う」
そういって、佐藤は、部屋の棚から埃を被った冊子を取り出した。
「はい」
差し出された日誌を受けとる。
今年度の前期のページを開く。その一番はじめのページに前期役員の名前と組が書いてあった。
一番上の二年生の選挙管理委員長から順に指でなぞり下へとたどる。
途中で指が止まった。
そこにあったのは、意外な名前だった。
二年生。男。
西脇理人。
新聞部部長の名前だった。
「なんで西脇先輩の名前がここにあるんだ」
俺は誰に言うでもなく呟いた。
えっ、どれどれ、と言って雄清は覗き込んでくる。そうして俺の指差す名前を見て、
「ああ、ほんとだ」
といった。
「どうして、昨日何も言わなかったんだ?」
「言い忘れていただけじゃないの?」
果たしてそうなのだろうか。彼がこの事件のことについて調べようと思った理由は、自分達のした仕事に不備があったのではないかと心配したからか? 自分の仲間の誰かが不正を行ったのではないかと案じたからか?
ではなぜ、最も内情を知っているであろう西脇先輩はそのことを言わなかったのか。
不自然だ。
あるいは、彼自身が犯人なのか?
それならば、彼がこのことが露見するのを恐れ、後輩に口止めをしたという事実に合致する。
だがそうだとすると、彼の行動は矛盾している。彼が犯人であるのならば、俺たち山岳部に調査を手伝わせるだろうか。
いや、あるいは……。
俺は思い浮かんだ考えを確かめるべく、抽象的な問いを投げかけた。
「なあ、心配事がある時って、それから目を離していたいか?」
急に何よ、と佐藤は俺のことを見てきたが、俺がいいから答えてくれ、というと、
「見ないで済むのならば、放っておきたいけれど、放っておいたらヤバそうならそばで監視しておきたいわね」
佐藤はそういった。
「僕もおんなじ意見だな」
と雄清。
彼にとって俺たち山岳部員が、心配の種であったのならば? 事件の核心に届きそうだと思ったのならば?
俺はふと昨日の出来事を思い出した。
嫉妬深く、幼稚でしょうもない。
俺がそういったとき、西脇先輩はなんと言っただろうか。よく覚えていないが幾分か顔色が変わっていなかったか?
大それたことをする勇気もなく、小心者。井上奏太という英雄の陰に隠れるちっぽけな存在。
それを聞いた彼は、蒼白になり部室を出て行ってしまったではないか。
ヒーローに嫉妬した哀れな小悪党。
嫉妬の化身。そうだ彼は嫉妬の化身なのだ。
そんな英語の表現がなかっただろうか。妙な言い方だったのは覚えているんだが。
「綿貫よ。英語で嫉妬深い人のことをなんていう?」
綿貫は唐突な俺の質問を単に単語力を試されたものだと思ったようで、すぐに答えた。
「jealousとかenviousといった形容詞を使うんじゃないでしょうか?」
「いやそういう直接的な表現じゃなくて、もっと比喩表現で」
「……でしたら、green-eyed monsterですかね」
緑眼の化物か。ホームルームで抱いた疑問がここで解決されることになるとはな。
佐藤と雄清がポカンとしている中、俺はこの問題にどう落とし前を付けるか考えていた。
誰にも聞こえないような声で呟く。
「記事のバックナンバーが欲しかっただけなのになあ」