神高の女傑
翌日山岳部一同は、部誌の制作のため、部室に会した。
俺と綿貫が、伊吹山と鳳来寺山について、雄清と佐藤が愛知の浅間山と、三重の入道ヶ岳について調べた。予定通りすべて、山岳信仰に関係のある山を調査したことになる。
内容としてはそれぞれの信仰がどのようなものであるか、どの宗教とどのような関わりがあるのか、寺社や祠の写真、などを掲載することになる。それにくわえ、地理的内容、気候や植生、動物などについても記事を書く予定である。足りないところは追調査を行い、夏休み終了までには原稿を完成させるようにする、ということで会議は終了した。
会議終了後、雄清が妙なことを言い出した。
「ところで、みんな。僕たち山岳部に白羽の矢が立ちました」
何の話だよ、と俺は眉をひそめる。
しかし雄清は気にも留めず「綿貫さんは知っているよね」と綿貫に向かって確認する。
「はい」
と綿貫は言った。
「だから何の話だよ」
と俺が再度言うと、
「映画撮影に参加することになりました、はい、みんな拍手」
と雄清が答えた。映画か、パチパチパチ……。
いや、まてよ。
「何言ってんだよ。俺はそんなに賛同した覚えはないぞ」
「駄目だよ太郎。もう決定事項さ」
俺の知らぬ間にことは進んでしまっているらしい。民主主義の精神に反している。甚だ遺憾だ。
「俺は反対だ」
「別にいいじゃない映画くらい」
佐藤は雄清達に味方するらしい。……まあ、こいつは俺には味方しないか、常考。
「三対一だよ、太郎」
……、多数決の原理だね! 民主主義万歳! そうだ少数派の意見なんて握り潰せ!
……これが世の理だ。
「そもそも、なんで俺たち山岳部が映画なんぞに」
俺は納得できずに口をとがらせる。俺とて興味のないことに時間を費やせるほど、暇ではないのだ。
「女傑のご用命だよ。お上の命令には逆らえないだろう」
ああ、悲しきかな。よもや高校生のうちから、お上の仰せごとを拝命せねばならんとは。学校とは社会の縮図でしかないのだ。この世は縦社会で我々小市民の権利など、お上の言葉一つで握りつぶされてしまう。
いや、それより
「というか、女傑って誰だよ。オルレアンの乙女が現代に蘇りでもしたか」
まったく雄清は自分の知識が皆と共有されていると思って話すから、困ったものだ。
「それは、ジャンヌ・ダルクだろう。違うよ。まあ、太郎はこういうのに疎いからなあ」
悪かったな。
「神高の女傑と言ったら執行委員長、綿貫萌菜様さ。これ常識だから」
そんな常識は常識ではない。
「綿貫って?」
俺は綿貫のほうを見やった。
今度は綿貫が代わりに答える。
「私の父方の叔父の娘さんです。えっと、私の父は三人兄弟なんですけど、私の父の弟であり、深山さんが知っている叔父の弟です。だから父方の祖父の三男の娘さんですね。年は私の一つ上です」
綿貫が詳しく説明するほど、余計ややこしく聞こえる。
「つまり、お前の従姉ってことだな」
と俺は簡単に言い換えた。
「ええそうですね」
「モエナというのは漢字はどう書くんだ?萌やしに奈良の奈か?」
雄清が萌やしってどうなのさ?と横やりを入れたが、綿貫は構わずに続けた。
「萌はそれでいいですが、ナは菜っ葉の菜です」
萌菜ねえ。かわいらしい名前だな。それでいて女傑とはいったいどんな御仁なのだろうか。
萌菜か。俺は春の日に黄色く輝く、菜の花を思い浮かべた。いや菜花が萌芽するのは秋だったか。
閑話休題。
「それで、女王様が何で映画なんぞを。ご趣味ですか」
「女王じゃなくて女傑」
雄清は健気に訂正する。そんな細かい所気にしなくてもいいのに。女王も女傑も大して変わらないだろう。……いや変わるか。どちらもSっぽそうだが。
……べっ、別にそういうんに興味ないけどっ。
雄清は続ける。
「趣味じゃないよ。生徒会企画で映画を撮ることになったんだ」
「んー、よくわからんのだが、生徒会と執行委員って関係あるのか?」
「ああそれはね……」
雄清曰く、生徒会というのは正確には全校生徒が入っていて、全委員会を含めた集合体をさす。話を分かりやすくするため、運営に直接かかわる役員の集まりを生徒会としよう。
生徒会には二種類ある。立案委員会と執行委員会だ。
立案委員会とは選挙で選ばれる四人の役員からなる。その名の通り、彼らは生徒がより良い学校生活を送れるように校則の修正や、新たな校則の提案を行う。また、生徒主体となって行われる、新入生歓迎行事、学校祭、予餞会等々の企画立案を行う。簡単に言えば、学校行事をやるかやらないかの決定を行うのだ。立案委員長は生徒会長も兼任する。
それに対し、執行委員会は立案が開催決定した行事が滞りなく行われるように、行事の際に忙しく立ち回っている連中らしい。こちらは選挙ではなく推薦で入会する(他薦、自薦を問いていないのがみそだな)。
任期はなく、多くの委員は二年間所属する。執行委員になることはそれなりに名誉ある事らしく、委員が不足したことはないようだ。誰でも望めば入会できるというものでもないらしい。
このように生徒会を二分するわけは、かつて、生徒会が一つで、全ての役員を選挙で選んでいたころ、全ての役員が一年生になったことがあって、その年の学校祭がトラブル続きで、惨憺たる結果に終わったことがあったことに因るらしい。
二度とそのような悲劇を繰り返さないように、一年生で執行委員として学校祭運営に携わったものがその経験を次年度で活かせるように今のような仕組みにした。
聞くに、立案委員というのは随分と暇そうであるが、選挙を残したいと教師が思ったらしく、そのために存在している。
それはそれとして。
「実はね、この企画、立案の思い付きみたいで、今更になって投げ出したらしいんだよ」
なんとまあ、お粗末なことを。
「立案の失敗は生徒会の失敗。執行部の面目も丸つぶれということか」
要はしりぬぐいだ。
「まあ、そういうことかな」
「で、なんでお前がそんなことに首を突っ込んでいるんだ」
そうだ、問題はそこだ。山岳部員は厄介ごとをしょい込む嫌いがある。それは看過できない。大抵、火の粉は俺の方にも降りかかるのだから。どういう経緯で雄清が生徒会の仕事に首を突っ込むことになったのか。
「おいおい、太郎。友人の所属する委員会ぐらい覚えといてくれよ。冷たいねえ」
雄清は大げさにため息をつく。
「お前、執行委員だったっけ?」
「あーひどい」
ああ、そういえば、ちょくちょく部活に遅れたり、こなかったりしたこともあったが、そういうことだったのか。
執行委員になるには推薦がいると言っていたが、こいつはたぶん自薦なのだろう。こいつを推薦する奴がいるとは思えない。
まあ、自薦で入会するにはそれなりに、話力を要しただろうから、その点では敬服するが。
「だからと言って、山岳部員に仕事を手伝わせる理由にはならないだろう」
と言ったところ、
「それがねえ、そうでもないんだよね」
「……女王様は一体俺達に何をさせようっていうんだ」
「山に登れだとさ」
はい? と聞き返す。
「だから、山に登れと」
……
「よくわからんのだが」
「山で撮影がしたいらしいよ。三〇分のシーンを」
映画がどのくらいの長さか知らないが、三〇分というのはかなりの長さだろう。
「それで、撮影機材を運び山を登れる人を探しているらしいよ」
ポーターを遣らせる気かよ。
「強力をやれと?」
「そうゆーこと」
「なんでそんなこと俺達がやらねばならんのだ?」
さっきから、同じようなことを繰り返し言っている気がする。
「まー落ち着いて。僕らにもメリットがあるんだよ」
なんだ、と俺が促す。
「生徒会企画費を文化祭活動費として少し融通してくれるらしい」
ほほう。バイト代を出してくれるという訳か。職権濫用のように思えるが、女傑がよしとするならばあえて異は唱えない。
「それに加えて、僕らが撮影に協力すれば、映画の最後にCMを流してくれるらしい。山岳部の部誌のね。そうなれば完売も夢じゃない」
バイト代に広告。強力をした対価には十分のように思える。
「綿貫さんはほとんど出ずっぱりだから、荷物運びはほとんど僕らがすることになる」
ほえっ?
「今なんと?」
俺は聞き返した。
「荷物運びは」
「違うその前だ」
「綿貫さんはほとんど出ずっぱり」
「なににだよ」
俺は眉をひそめて尋ねた。
「映画に決まっているだろう」
雄清はさも当然であるかのように答える。
「なぜ?」
綿貫は生徒会役員でもなければ、演劇部員でもない。まったく無関係ではないか。
「美人だからじゃないか?」
……そんな安直な理由で。
すると綿貫が「そういう訳ではないと思いますけど」と口を挟んだ。
「じゃあなんでだ?」
と再度尋ねると、わかりませんと、肩をすくめた。
そんな時、なじみ深い放送開始のベルがピンポンパンポンと流れ「連絡です。山岳部の深山太郎さん、今すぐに、執行委員室に来てください。繰り返します。山岳部の深山太郎さん、今すぐに、執行委員室に来てください。執行委員長がお待ちです」ピンポンパンポンとまたベルが流れて放送は終了した。
どうやら、執行委員長様は人を呼び出すほど、偉い人らしい。
向こうは、俺が校内にいることなど、把握してはいないだろう。何せ、今は夏休みなのだ。部活がなくて、お盆を過ぎるまで学校に来ないやつもいる。雄清の説明を聞いて、別に執行委員に協力してやろうという気持ちにはなった。だが理不尽な呼び出しに応じるほど俺はお人よしではない。俺が行かなかったところで責められはしないだろう。
俺は無視を決め込もうとした。
「あんたさ……」
佐藤が軽蔑したまなざしを向けてくるが、構うものか。
「深山さん行かないんですか?」
綿貫の問いにも応じない。
「太郎、よくないよそういうのは」
雄清も非難がましく俺を見ている。
「何が、執行委員長がお待ちだ。用があるなら向こうから来い。学年が上だろうと、お偉い委員長様だろうと綿貫の従姉だろうと俺の知ったことではない。俺は高飛車な人間が一番嫌いなんだ」
と言い放ったところで、戸がガラリと開いた。
見ると、見知らぬ、男子生徒が立っている。上履きを見るに、二年生らしい。
「深山太郎はいるか?」
おうふ。
さすがに、逃げるわけにはいかなかった。
「……俺ですが」
「来てもらう。綿貫委員長がお待ちだ」
使いを遣るとは。呆れを通り越して、感服すらする。
俺が無視を決め込むと予想していたのだろうか。
執行委員長とやら、できる。
よし、いいだろう。綿貫の従姉に会ってやろうではないか。
使いの二年生に案内されるがままに俺は、執行委員室を訪れた。
執行委員室は職員室や事務室、音楽室、放送室などが集まる本館にある。部室棟からは歩いて五分ほどかかった。
二年生の男子が執行委員室の戸を開く。執行室は我が山岳部室のおよそ三倍ぐらいの広さがあった。
部屋の奥にスチール製の机が置いてあり、備え付けられた立派な椅子に、女子生徒が威風堂々として座っていた。彼女が噂の執行委員長様だろう。
従姉らしいが綿貫に似てかなりの美人だ。鼻が高く、目が大きいところが綿貫によく似ている。特筆すべきなのは、綿貫より胸が大きいというところだな。
……俺は若干控えめな方が好みだけれども。
「深山太郎を連行しました」
俺は容疑者かよ、とツッコミを入れたくなったが、お偉い委員長様の手前、止めておいた。
「ご苦労様。ごめんなさい深山君、部活中に呼び出したりして」
委員長はそういったが、特に悪びれている様子は見られない。とはいっても尊大にも見えなかった。
「紅茶は飲む?」と勧められたので、ありがたく頂戴した。
安い茶葉ではなく、香り高きダージリンというのが、太郎的にポイント高い。
俺を連れた男子生徒が淹れた紅茶を少し飲んでから
「俺に何の用ですか?」
と尋ねた。
「君に話があるんだ」
まあ、それは言われなくても分かるが。
「山岳部に生徒会企画の映画撮影の協力をお願いしようとしていることは聞いているね、山本かさやかに」
俺はこくりと頷いた。
「それで、俺を呼んだのはなぜですか」
と俺は再度問う。
「いやね、さやかが君のことをよく話すから、どんな男なのか、気になってね。遠巻きに君のことは見たことはあったが実際に会いたくなったんだ」
見たことがある、と委員長は言った。俺はよく彼女の顔を見てみた。見覚えはない。首を傾げていると
「君何度か、うちに来ているだろう」
と委員長は言った。
「委員長さんは……」と俺が言いかけると、彼女はそんな堅苦しい言い方はよしてくれと言ったので「萌菜先輩は……」と言ったら今度は、使いの男子生徒が反応した。
「貴様、傑様を下の名で呼ぶとは、何様だ」
ケツ?
「おい、私のことを傑様と呼ぶのはよせと何度言ったらわかるんだ」
萌菜先輩がその男子に向かって言った。
「萌菜先輩、こちらはどなたですか」
俺はその男子を示して尋ねる。
「だから、傑様をなれなれしく下の名前で呼ぶな。一年ごときが。このお方はみなの尊ぶところ厚く、全学をしてケツと呼ばしめている方なんだぞ」
「お前、悪意を感じるぞ」
萌菜先輩はあきれ顔でいる。その男子は気にせずに続ける。
「それなのに、ケツに向かって名前を言うとは何様だ、貴様」
「おい」
俺は突然おっぱじまった、夫婦漫才のようなものを口をポカンとして見ていた。
「気にするな、こいつはいつもこうなのだ。榎本和樹。二年で副委員長だ」
「はあ」俺は気を取り直して「それで、萌菜先輩は綿ぬ……さやかさんと一緒に暮らしているんですか?」
榎本先輩は地団太を踏むが俺は気にしないことにした。
「そうなのだ。何となく知っているかもしれないが、うちはいろいろめんどくさくてね。高校は神宮じゃないといけないってルールがあるんだ。私は大阪出身だが、高校の間は愛知の本家に世話になることになっている」
「はあ」
旧家というものはいろいろ大変なんだな。
「さやかは君のことをよく褒めていたよ。深山君はだいぶ頭が切れるそうじゃないか」
「どうでしょう。さやかさんは少々大げさなところがあるんじゃないですか」
というと、
「過剰な謙遜は逆に礼を逸することがあるぞ」
と萌奈さんは釘を刺した。
俺がすみませんといったところで、榎本先輩が
「傑様本当ですか?この青二才が頭が切れる奴とは思えないんですが」
と言った。萌菜先輩はもう訂正する気も失せたらしい。
それより、この人は遠回しに俺のことを馬鹿だと言っている。年一つしか離れていないのだし、この三枚目の先輩には言われたくないなと俺は思った。
「とりあえず、お前よりは聡いだろう」
萌菜先輩はそういった。若干、仕返しの意味合いもある気がする。
執行委員はもっとエリート集団のようなものと思っていたのだが、想像と違って、だいぶ和気あいあいとした感じがするな。
「そんな、傑様! だったら問題出してもいいですか?」
榎本先輩が鼻息荒くそういった。
「そう興奮するな。落ち着け」
執行委員はいつもこのような感じなのだろうか。ある意味雄清にはお似合いの場所なのかもしれない。
「えーっとそうだなあ」
榎本先輩はもはや聞く耳を持たない。萌菜先輩はその横で、全く、と言って首を振っている。萌菜先輩が言っているようにこの人はいつもこんな感じなのだろう。
「ああそうだ。思いついた。よし問題。傑様は何月生まれでしょう」
「えっ」
俺は思わずそう声を出した。そんな問題を出されるとは思っていなかったのだ。
萌菜先輩も「あのな、それじゃ問題にならんだろう」と言っている。
しかし榎本先輩は
「だって頭良いんですよね。このぐらい余裕でしょう」
とまるで小学生だ。
「すまない、深山君。こいつは始終こうなんだ。わたしもうんざりしている」
「お察しします」
榎本先輩はそんな俺達に構わずに「どうした答えられないのか?」とよくわからない挑発をしている。
「さすがにこれは無理だろう。四択にしよう」と萌菜先輩が言った。「三月、六月、九月、十二月のどれかだ」
「傑様は甘いな。まあどうせ、青二才には答えられんだろうが」
別に相手にする必要もなかったのかもしれないが、萌菜先輩の誕生月の予想は立ったので答えた。
「九月生まれじゃないですか?」
「なっ」榎本先輩は心底驚いた顔をした。どうやら、当たっていたらしい。「どっ、どうせたまたまだろ」と榎本先輩は小さく言った。
「ほう、見事だ深山君。さやかに聞いていたわけじゃないだろう。根拠はあるのかい?」
「先輩の名前から判断しました。菜花が萌芽するのは秋ですから。さすがに十二択だと外したかもしれません」
何とも奇妙な命名の仕方とも思ったが。
萌菜先輩はふっと笑って、「さやかが一目置くわけだ。すばらしい注意力だよ。私の名前の由来もあっている」
「たいしたことはないですよ。たまたま気づいただけですから」
そのあとは少し世間話をして、執行室を退出した。
萌菜先輩は俺を試したかっただけなんじゃないか、とちらと思ったが、想像に過ぎないので、それきり考えるのはやめた。
部室に戻ると既に、雄清と佐藤は帰宅したらしく、残っていたのは綿貫だけだった。
「どうでしたか私の従姉は?」
綿貫は俺の顔を見ていった。
「気風のいい人だったな」
俺は良いとも悪いとも言えない感想を述べた。
「そうですか。萌菜さんは綺麗でしたでしょう」
「お前もそう変わらんさ」
「えっ」
綿貫がはっとしたような顔になって、俺は自分が言ったことの意味に気が付いた。
「あっ、いや別に、何でもない」
俺はわざとらしかったかもしれないが、咳払いをして
「それより何でお前は残っていたんだ?佐藤と一緒に帰らなかったのか?」
と続けた。
「実は、井上奏子さんの件で深山さんに話しておくことがあるのです」
井上奏子?
俺は、それが誰であるのか思い出そうとして、額に手をやった。
綿貫はそんな俺を見かねて、「高橋雅英さんの日記に書かれていた女性です」と付け加えた。俺はようやく彼女の事を思い出した。確か、雅英が北岳登攀の一か月前に、奏子は戻ってこないとかなんとか、書いていた人間だ。
俺たちは、井上奏子が大海原に入院したが、結局助けることは出来なくて、高橋雅英は親しかった彼女を失い自暴自棄になっていたのではないかと予想を立てていたのだ。
「思い出したよ。それで、井上奏子は大海原に入院していたのか?」
「入院していたのは確かのようですが、それ以上の事は分かりません。前にも申し上げたように、医療者には守秘義務があって、家族もその例外ではないのです」
「いつ入院していたかもわからないか?」
「それは、十年前としか」
綿貫は申し訳なさそうに言った。
綿貫の調査は難航を極めている。結局、石碑を建てたのが誰であるのかも、分からずじまいだ。このまま何もわからないまま終わってしまうのかもしれない、と俺はぼんやりと考えた。
最初の頃は、調査が完遂しようとしまいと俺は構わないと思っていたが、綿貫さやかという女が俺を仲間として好意を持って接してくれているのだから、彼女の希望通りの結果、つまり綿貫隆一がどうして家を出て、どこに向かったのか、という謎が全てわかればいいのにと思うようになっていた。だから、現状を見るに俺は嘆息するのを禁じえなかった。
その週の土曜、俺たちは映画撮影のために、山頂に城が建てられている、山というか、小高い丘のようなところに来ていた。標高は三百メートル強といったところだろうか。
映画の撮影班は、その企画が生徒会のものであるからそうあるのが当然なわけだが、立案、執行双方の生徒会役員によって構成されていた。萌菜先輩は宣言通りに来ていなかった。
俺はこのような小さな山で撮影するのであれば、わざわざ山岳部を動員しなくてもよかったんじゃないかと思っていた。だが、ここに来て、生徒会役員の多くが野郎であるのを見て、ヒロインとして抜擢された綿貫さやかを、野郎どもの中に一人で置いておくのは危ういだろうと、萌菜先輩が考えたのではないかと思った。
まあ、俺達にはこれを手伝う事で利益を得られるのだから、萌菜先輩が何を考えていようと、気にすることではないのだが。
綿貫はメインヒロインらしいんだが、その衣装はちと人目を引くものであった。薄いぼろきれのようなものを古代の日本人が来ていたような衣服に仕立てている。手塚治虫の火の鳥にでも出てきそうな人の格好だ。
裾が短く、綿貫の白い太ももが眩しく覗いている。そんな綿貫を好奇の目で見る輩が居ないか、俺は始終目を光らせていた。我らが山岳部部長は見世物ではないのだ。
撮影は順調に進み、およそ二時間弱で、山を下りた。綿貫の演技はなかなか見物だった。普段、しとやかに話す彼女だが、あのように腹から声を出すことも出来るのだなと、俺は当たり前のことに感心していた。
山での撮影から数日経過、綿貫は山での撮影の後も、生徒会に呼ばれては撮影に参加していた。さすがに、部外者でしかない俺を含めた他の山岳部員は撮影に参加することは出来なかった。だが、萌菜先輩もいるだろうから、それほど心配する必要はないだろう。
俺はグラウンドの周りを走っていた。もう明日からはお盆に入り、学校に来ることは出来なくなる。しばらく運動しなくなるだろうから、最後と思って、体を追い込んでいるのだ。
綿貫の撮影は今日あたりで終了するだろうか。綿貫の撮影が終わった後に、たまには四人で、冷たいものでも飲みに行くのもいいかもしれないなと、汗をダラダラと流しながら考えていた。
そんな時、横手にがやがやと集団がいるのが、目の端に映った。顔を向けて見ると、生徒会役員共だ。萌菜先輩もいて、綿貫も一緒だ。どうやら撮影が終わって、歓喜に沸いているらしい。
萌菜先輩は背の高い男と話をしていた。俺はその男に見覚えがある気がした。
雄清が俺の後から走ってやってきたので、「萌菜先輩と話している男は誰だ?」と尋ねた。
雄清は例のごとく、やれやれと首を振って「井上奏太閣下、わが校の生徒会長様だよ。太郎は式典でいつも居眠りでもしているのかい?」
とまゆを吊り上げて言った。
そこで綿貫が俺たちに気づき、こちらに近づいてきた。
「深山さん、山本さん、お疲れ様です」
「綿貫さんこそ、撮影お疲れ。もう終わったのかい?」
雄清がそういって、綿貫は、はいと答えた。
綿貫がこちらに来たので、萌菜先輩も俺たちに気づいた。
「やあ、山岳部のみなさん。先日は世話になった。ありがとう」
こちらに近づいてそういう萌菜先輩に対し、雄清はいえいえと言っている。というかお前は役員なのに、部活してていいのか? と俺が言うと、僕の担当は終わっているんだ、と雄清は答えた。
「萌菜先輩は生徒会長と仲がよろしいんですね。俺はてっきり、執行委員と立案委員は仲が悪いのだと思っていました」
と俺は言った。すると萌菜先輩は、
「今回の件は全く、立案の暴走のせいだが、無事に映画も撮り終わったのだし、良しとするよ。むやみにいがみ合ってもいい事なんてないしね。私より年上なわけだし。それに彼は偉大だよ。史上初の五期連続会長なんだから」
といった。
遠巻きに、女子生徒と楽しそうにしている生徒会長様を見て、ただ単に目立ちたいだけなんじゃないかと、俺は思った。萌菜先輩が敬意を払っているから、そんなことはおくびにも出さないが。
「今、技術班が急ピッチで作業を進めているから、あと一時間もすれば試写会が開けると思うんだが、君たちも来るか?」
と萌菜先輩は言った。
「私たちもうかがっていいんですか?」
綿貫はそういう。お前はヒロインだろうが、と俺は思う。
萌菜先輩も同じく「さやかはヒロインだろ」と言い、「それに山岳部には撮影を手伝ってもらったからな。委員長命令で許可を出す」と続けた。
「深山さんどうします?」と綿貫は俺の方を見る。雄清はもちろん見に行くというだろうし、綿貫がこのようにキラキラした目で見てくるのだ、行くしかあるまい。俺は見に行くと返事をして、時間が来るまで部室で待機することにした。