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滋養強壮剤は用法用量を守って

 しばらく休憩して綿貫の顔色も良くなってきたころ、昼下がり、昨日の仲居と女将が部屋に来た。

「お連れ様は大丈夫でしたか?」

 わざわざ確認しに来てくれたのか。

「はい。今は寝ていますが、熱も下がりました」

「ご無事で何よりです。それでお客様、お詫びしなければならないことがあります」

「なんですか」

「お客様は二泊される予定でしたよね」

「はい」

「それが当方の手違いで今日のお部屋が一部屋しか残されていないのです。大変申し訳ありません」

 と言って、仲居と女将がともに深々と頭を下げる。 

 そうか、部屋が一部屋しか空いていないのか。……はて困った。

 別段クレーマーになる気は毛頭ないのだが、旅館のミスで部屋が予約できてなかったのならば、対処してもらわないと困る。どうしたものか。

「それで、解決策はあるんですか?」

「お連れ様と同じ部屋で泊っていただくわけにはいかないでしょうか?」

「いやぁ、俺達はプライベートで来ているわけじゃないんで、相部屋はちょっとというか、かなりまずいんですけど」

 それこそ、スキャンダルだ。こんな醜聞は許されまい。

「本日のお宿代は頂戴いたしません」

「連れのもですか?」

「もちろんでございます。こちらの粗相でお客様にご迷惑をおかけしますので」

「しかしなあ」

 金の問題ではないのだ。

 ガラリと戸が開いた。綿貫が服を着て出てきたのだ。

「深山さんどうされましたか?」

「ミスで部屋が一つしか取れてないらしい。俺とお前とで相部屋にすればロハにしてくれるらしいんだが」

「私は構いませんよ」

「しかし、お前の叔父が」

「叔父には私から話します。叔父は頭の固い人ではないですし、深山さんのことも信用していますから。それに、トラブルがあったのでは仕方ありません」

「うーん。……分かった。じゃあそれでお願いします。俺がここに移ればいいんですか?」

「いえ、当旅館で一番上等の部屋をご用意させていただきます」

 それはまた。たまたま残っていた部屋が、最上の部屋とはついているのか、いないのかよくわからない。怪我の功名とか、不幸中の幸いとか。

「深山さん、すぐに用意したほうがいいんじゃないですか。次のお客さんが来てしまいますよ」

「そーだな」

「ご協力、感謝申し上げます。この度はご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」

 また深々とお辞儀をする。

「いえ、一番いいお部屋に只で泊めさせてもらうんです。文句は言いませんよ」

 その後、仲居と女将に案内され、その「上等」の部屋に行った。昨日泊った部屋の倍ぐらいの広さがあり、露天風呂が付いている。そして……

「ダブルじゃないか」

「ほんとですね。私右側がいいです」

「馬鹿言うな。俺は下で寝る。 

 仲居さん、別に布団を用意してもらえませんか?」

「かしこまりました」

 相部屋とはとんだハプニングだが、これだけ広ければ、綿貫が同室していることを意識せずに眠ることができるだろう。


 仲居は部屋の隅に布団を用意した後で、出て行った。

「今日はゆっくり休め。ぶり返すかもしれんからな。明日も動かにゃならんし」

 部屋に移って少し落ち着いてから、綿貫に向かって言った。

「そうですね。よかったです。日程に余裕をもたせておいて」

「全くだ。明日の山はバスで山頂まで行けるらしいから、それを使おう」

「いいんですか?足で登らなくて?」

「気にするな。お前がぶっ倒れでもしたら、それこそ迷惑だからな」

「……そうですね。すみませんね。深山さんは命の恩人ですよ」

 大げさだな。

「何かしてほしいことがあったら言って下さい。そうだ、お背中を流しましょうか?」

「まだ、頭の働きが鈍いようだな。寝とけ」

 少し綿貫はむくれたように見えたが、言うことに従った。


 三時ごろに綿貫はまた、起きだした。

「頭痛は治ったか?」

「おかげさまで」

 そうか、とつぶやいて、俺は読んでいた本に目を落とした。

「深山さん」

 綿貫が呼びかける。見るとすぐ近くに来ていた。なんだと応答したところ、

「お風呂行きませんか?」

 と言った。

 俺は少し、思案して、

「あんまりよくないんじゃないか。体あっためるの。また倒れでもしたらどうする。さすがに女湯には助けに行けないぞ」

 と返答した。

 すると、「弱りました。汗を流したいんですが」という。

 気持ちは分からないでもないが。

 綿貫はしばらく困った顔をしていたが、

「そうだ、ここでいいじゃないですか」

 と明るく言った。

 俺はよくわからないというように肩をすくめてみせる。

「露天風呂が付いているでしょう。深山さんも一緒に入ってくだされば安心です」

 ……どうやらこのお嬢様は昨日言ったことも、熱のせいで吹っ飛んだらしい。

「お前さ、俺がなんていうか分かっててそういうこと言っているだろ」

「どういうことです?」

 さすがにため息をつきたくなる。

「……もういい。とにかく俺は一緒には入らん。天変地異が起きても」

「でも、外で見ていてくれませんか?私が倒れたらすぐに助けられるように」

「いや、しかし」

「見ててくれないのなら、私の服を引っぺがして体にべたべた触ったこと留奈さんとかに言っちゃいますよ」

「おい」

 さっきと言っていることが矛盾していないか。

「うふふ」

 うふふ、じゃあない。

 綿貫はひとしきり笑ってこう付け足す。

「曇りガラスなので大丈夫ですよ」

 大丈夫なのか?


 半ば強制的に風呂場の前まで連れていかれ、綿貫の入浴シーンを鑑賞するという奇妙な事態になった。磨りガラスがあるとはいえ、なかなか危ないぞ、これは。全裸の綿貫を風呂場から救出する事態にならないことを切に願う。そうなれば逆に俺の大事なものを失くしてしまいそうな気がする。

 俺がほとんど天井を仰いで待っていたのは言うまでもない。

 綿貫が風呂場から上がる段階になって俺も引き上げた。着替えはさすがに見ちゃいけない。

 だがしかし、そんな配慮を打ち砕くのが綿貫さやかである。

「深山さんあがりました」

「おう」

 そういって振り向くと、そこにはバスタオルを巻いた綿貫の姿があった。こいつは俺を試しているのか?

 俺が固まっていると、

「ああ、ちょうどいいサイズの浴衣がなかったんです。申し訳ないですけど……」

「分かった。受付にとりに行くよ」

「すみません」

 俺は思うのだった、あいつは俺のことをカピバラ的な小動物と考えているに違いないと。

 綿貫に浴衣を渡して、風呂に入る。「私も前で見てましょうか?」という綿貫の提言は当然の如く固辞して。

  

 俺が風呂から上がると、綿貫はどこかに行っていたらしく、ちょうど部屋に戻ってきた。手には旅館の紙袋を持っている。

「土産買ってきたのか」

 と聞くと、

「あっ、いえ。高麗ニンジンジュースです」

 と言って、昨日見た、例の「タイタン」を袋から取り出した。

「えっ」

「えっ、だって飲んだら元気になるんですよね。だから明日に備えて飲んでおこうと思いまして」

 そういってから、綿貫は瓶の中身を飲み干してしまった。

「……」

「どうしました深山さん?」

「いや、なんでもない」

 変な媚薬が入っていないことを祈るばかりだ。


 

 その日の夕食は、海鮮料理だった。

「ただなのにこんなのもの食べさせてもらって、なんか悪いな」

 綿貫もそうですねと賛同する。

「もしかしてここのオーナーお前の家とか?」

 というと、

「まさか、違いますよ。でも父はよく使っていたみたいです」

 と答えた。

「叔父さんじゃなくて?」

「はい、亡くなった父です。赤石に登るときにはよく利用したそうですよ」

「もしかしたら、女将さんは親父さんのこと覚えているかもしれんな。だから只にしてくれたのかも」

「かもしれませんね」

「帰る時聞いてみたらどうだ」

 と言ったら、

「それはいいですね。聞くのが楽しみです」

 と綿貫は微笑んだ。

 食事を終えてからは他愛もない話をした。何を話したかはよく覚えていない。


 寝る時間になって、酔っぱらったようになった綿貫がしつこく俺に絡んできたことは、俺の幻覚として忘却の彼方とする。原因が綿貫のあおった「タイタン」であることは言うまでもない。俺の貞操が守られたことだけは、強調しておこう。


 翌日、起床した後、帰り支度を済ませ、朝食を取ったのちに、チェックアウトをする。その時になって、綿貫の親父がここの常連だったことを思い出し、綿貫に確認はいいのかと告げた。

 綿貫はそうでしたと言って、女将に話を聞く。

 驚いたことに女将は綿貫の親父のことも覚えていたし、綿貫さやかが彼の息女であることも予想していたらしい。やはり、それもあって二日目の宿代を只にしてくれたのだろう。

「お父上様のことは残念に思います。惜しい人を亡くしました」

 と女将は言った。

「父のことを覚えていてくださってありがとうございます」

「大切なお客様ですから。ところでお兄様はお元気ですか?」

「兄のこともご存知なんですか?」

「お父上様がよく息子さんのことを楽しそうにおっしゃっていました」

「兄は今、行方不明なんです」

「……そうでしたか。そうとは知らず申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず」

 女将は旅館を後にする俺たちが見えなくなるまで、玄関の外で俺達を見送っていた。


 帰りは予定通りに鳳来寺山へと向かった。寺の坊さんに話を聞いて、何枚か写真を撮ってから、名古屋へと戻った。

 綿貫を家へと送り届け、波乱万丈の小旅行は幕を閉じた。

 

 小旅行から、三日後、調べたことをまとめるために綿貫の家に行った。明日は雄清達の調査とも合わせて部誌のおおよその形を完成させる。

 綿貫邸に行くと、綿貫と彼女の叔母が俺を出迎えた。

「いらっしゃい深山さん。さやかの叔母の京子です。会うのは初めてですね」

 と叔母さんは言った。彼女はやはり、名家の人間らしく、品のある服装をしている。

「はい。はじめまして。深山太郎と言います。さやかさんにはいつもお世話になっております」

「あら。世話になっているのはさやかの方だと思っていたけど。この前の旅行の時も熱中症の看病をしてくださったんですってね。あなたがいなかったら本当に大変なことになっていましたわ」

「たいしたことはしていません」

 と俺は言った。


 あがるように言われたので、俺は靴を脱いで上がった。それから、叔父さんのほうは綿貫の祖父と話をしていて顔を合わせられないのだということを謝られた。俺は気にしないでくださいと言って、綿貫の部屋にお邪魔した。前にも捻挫をした綿貫を背負ってきたことがある。

 それから、綿貫と二人で鳳来寺山のことについてまとめをした。

 

「鳳来寺山のことはこのくらいにして、石碑のことですが」

「何かわかるとは最初からあまり期待していなかったが」

 というと、そうですよねと綿貫も相槌を打つ。

「結局何もわからなかったな。あえて言うならあれに掘られていた文言を書いた奴は誰なんだろうという謎が浮上したが、これは石碑を建てたのが誰かという問題とほとんど変わらないな。お前が言っていたように、金をかけてやるんだから、高橋雅英相当、親しい奴だとは思うが」

「そうですね。それは石碑を建てた動機にもつながると思います」

「しかし、家族は知らない、中部山岳会も知らないと来た」

 綿貫も困ったものですと同意する。

 本当に今後の調査はどうすればいいのやら。

 お堅い話はやめにして、いつものように馬鹿話を綿貫と少ししてから、彼女と叔母に暇を告げ、玄関へと向かった。

 外に出ようとしたところ、応接間から、話し声が聞こえてきた。

「しかし父さん。さやかはまだ十五なんですよ」

 叔父さんの声だ。

「早いに越したことはない。変に期待させるものかわいそうだ」

 老人の声が聞こえる。おそらく綿貫の祖父の声なのだろう。

「本当にかわいそうと思うのならば、そんなことを押し付けはしません。さやかの自由意思に任せるのが筋です」

「そうはいってもお前、大海原はどうするんだ。他の人間に渡すのか?そんなことをすれば俺の親父に顔向けが出来んぞ。隆一が戻ってこないとすればさやかが継ぐしかないんだ」

「あの子に選択権はないんですか?」

 俺はその場をそっと離れた。


 跡取り問題か。つくづく、綿貫と俺の住んでいる世界の違いが思い知らされる。そんなことを思いながら、裏門を出たところ、二十代半ばぐらいの男が、綿貫邸の中をうかがっているのを見つけた。どう見ても怪しい。そう思い声をかける。

「何しているんですか」

 男は俺のことをまじまじと見て、

「あっ、君この家の人かな?」

 と俺に尋ねた。違うと答えると

「そうか」

 と残念そうにつぶやく。

「あなたは誰なんですか」

 多少、語気を強めて言う。

「僕はN病院の医師だよ」

 何をしているのか俺が尋ねると

「いや、それはもちろん綿貫さんにご挨拶に来たのさ。何せ医学界の大家だろ」

 要はゴマすりだ。こんなことをしたところで、綿貫の叔父が目をかけるとも思えないが。

「それでね、いざ家の前に来てみると怖気づいちゃって。突然押しかけてよいものなのだろうかってね」

 そんなことはすぐにでも気づきそうなことなんだが、医者というのは案外馬鹿なのかもと思ったり。

「ところで、君はこの家の人と親しいのかい?どういう関係?」

「お嬢さんと同級生なんです」

「あーなるほど。そういう感じか。僕ももっと早くに家にきとけばよかったな」

「どういうことですか?」

「ああ、ここの家の息子と大学で同期だったんだ。会ったことない?隆一っていうんだけど」

「……ないですよ」

 会えるわけがない。彼は失踪してしまったんだから。この男は知らないのだろうか。

「急に仕事ほっぽり出しちゃって、今何してんのかね。去年から、休職しているみたいだし」

 俺は何も言わないでいた。

「今日のところは引き上げるか。君みたいに家の人に不審者だと思われたら損だし」

 そういって彼は帰って行った。


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