085.洗濯
実家に戻ると、青白い光が白々と庭を照らしていた。
光源は、倉庫の庇に引っ掛けたハンガーだ。
冬の日は暮れるのが早い。
ハンガーに魔法の灯を点けてくれたんだろう。
「おかえりー。使えそうな物、取敢えず居間と物置部屋に入れといたよ」
真穂の笑顔が眩しい。
家に居た頃、真穂が笑うのを見た事がない。
いつも暗く沈んだ顔で、困ったような顔をしていた。
俺達は、祖母ちゃんに「ゆうちゃんのお勉強の邪魔になるから、静かにしててね」と言われて育った。でも、ジジイとオヤジが大声出したり、大音量でテレビつけてバカ笑いしてるのは、放置だった。
母さんは、ジジイとオヤジと祖母ちゃんに隠れて、俺と真穂に家事のやり方を教えてくれた。
なんで内緒なのか、当時はわからなかった。
使えなくなった物や食えなくなった食材、不要品や過剰在庫。
ジジイとオヤジは、「勿体ない」って言って、そういうものを一切、処分させてくれない。
ガラクタは天井まで積み上がって、激しく邪魔だ。
ガラクタのせいで掃除できないのに、祖母ちゃんと俺達の母さんは、ジジイとオヤジから「掃除も碌にできないハズレの嫁」呼ばわりされていた。
真穂も、母さんが入院した後くらいから、言われるようになった。
当時の真穂はまだ幼稚園児なのに、ジジイとオヤジからは、「女なんだから家事なんてできて当たり前」みたいなスタンスで扱われていた。
でも、俺とゆうちゃんは、何も言われない。
俺が古新聞を束ねて縛るだけで、祖母ちゃんは「まぁあぁ、男の子なのにお手伝いしてくれるの。偉いねぇ、ありがたいねぇ」って、拝むように喜んだ。
真穂が「これ、なんて無理ゲー?」って状況で、どんなに頑張って洗濯とかの家事をこなしても、ジジイとオヤジは勿論、祖母ちゃんすら、真穂には滅多にお礼を言わなかった。
ジジイとオヤジが見てる時に俺が手伝うと、祖母ちゃんも母さんも、「お前らが不甲斐ないから賢治が手伝う羽目になるんだ」って、滅茶苦茶な超理論でクズ呼ばわりされて、罵られたり殴られたりした。
だから、俺は二人の目を盗んで、こっそり手伝った。
祖母ちゃんからは、「ケンちゃんは跡取りじゃないけど、やっぱり男の子なんだから、家のことはお祖母ちゃんとお母さんに任せて、じっとしてて」って手伝いを断られることもあった。
腐った食材とか、汚いものがあるから、家が汚れる。
まず、それを捨てなきゃ掃除できない。
放置してるから、鼠や害虫が寄ってきて、家が荒らされるんだ。
食材は大量にあり過ぎて食べ切れないから、腐る。
家族の人数と、田畑での収穫量とご近所さんがくれるお裾分けの量を考えて、町へ出た時の買い物の量も調整すればいいのに、「折角、遠出したんだから、手間とガソリン代が勿体ない」って、大量に買い込んでくる。
そりゃもう、冷蔵庫に入りきらないくらい。
冷蔵庫を買い足して、大きいのが二台と小さいのが一台ある。
因みに当時の家族は、ジジイ、オヤジ、祖母ちゃん、ゆうちゃん、母さん、俺、真穂の七人だ。
バイトしてる居酒屋でも、こんなでかい冷蔵庫二台も置いてない。
家出同然で水都の大学に進学して、初めて、自分の家の異常性のレベルを思い知った。
前々から、変だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった。
食い物と掃除以外もそう。
服も、脱いだ服をその辺に脱ぎ散らかして、回収に余分な手間がかかる。
犬や猫を飼ってるわけじゃないのに、家の中でしょっちゅう、靴下が片っぽ行方不明になるって、どういうことだよ。
町へ出た時に、セールだからって服でも何でも大量に買い込むから、片付ける場所が足りなくなって、箪笥や収納家具を買い足す。
仕事柄、服が破れたり再起不能レベルで汚れる事が多いのに、傷んだ服を捨てない。
そしてまた、買ってくる。
箪笥や収納家具に収まりきらなくなった物が、家中に溢れている。
片付けきれない服やガラクタを、鼠や害虫、黴が汚染する。
原因と結果の因果関係をきちんと把握できない。
不都合があれば、誰かに責任転嫁するだけ。
誰かを罵ったり殴ったりするだけで、根本的な問題の解決をしない。
っていうか、解決しようとすると、マジ切れする。
「生意気言うな!」
「誰に食わせてもらってると思ってるんだ?」
「口答えすんな!」
俺達に対しては、それしか言わないから、話し合いにもならない。
問題提起や問題解決方法の発言者が、自分が「格下」認定した嫁や子供だから、って言うのが、その理由。
ジジイとオヤジは、絶対服従であるべき「格下」の分際で、問題をほじくるのは、「格上」の自分達にダメ出しする反逆行為と見做すらしい。
多分、ゆうちゃんもそうだろう。
世間的に見て、どれだけ理不尽なことでも、この家の中では、ジジイとオヤジの言動は絶対に正しくて、逆らっちゃいけないことになっている。
犯罪レベルで、やっていい事と悪い事の区別がついてない奴が、でかい顔して支配している。
格上のジジイ、オヤジ、ゆうちゃんが何をしても絶対正しくて、どんな間違いも絶対に許さなくちゃいけなくて、格下の祖母ちゃん、母さん、俺、真穂は当たり前のことすら許されない。
っていうか、発言権すらなかった。
真穂は、学力も経済力も充分なのにジジイの「女に学問は要らん」の一言で、危うく高校に進学させてもらえないところだった。
住職さん達が上手いこと言ってくれたお蔭で、何とか矢田山の高校に進学できた。
祖母ちゃんが小指を骨折した時、ジジイの「唾付けときゃ治る」の一言で、治療を受けさせてもらえなかった。
そのせいで、祖母ちゃんの小指は動かなくなってしまった。
ジジイとオヤジは町へ出ると、要らない物を大量に買ってくる。
でも、家事に使う、どうしても必要なものは、買わない。「嫁連中に楽させると、碌なことにならないから」って謎理論で。
一家団欒、家族の絆、家族仲良く、大事な事は家族で話し合って決める、家族なんだから分かり合える……
俺と真穂は、その類の事を割と長い間、フィクションだと思っていた。
そんな家で笑える訳がない。
クロエさんが、ゴミ袋を持って庭に出て来た。
双羽さんに何か言ってる。
双羽さんが頷くと、袋の中身をぶちまけた。
服だ。
双羽さんが、水の魔法で洗う。
洗濯機の中身を見ているような、不思議な光景だ。水の中でたくさんの服が踊るように流れ、水が濁る。
クロエさんが新品のゴミ袋を広げる。双羽さんは服だけ袋に入れた。
残った水はドブ色に染まっていた。
ニートの服か……
クロエさんは、双羽さんの命令で、洗濯された服を家の奥に運んだ。
俺達は魔法の灯の下で黙々と今日、庭に出した物の仕分けを続ける。
いつも通り、コーちゃんと政晶君が呼びに来た。クロエさんだけが降りて来る。
ゴミニートは今夜もこの汚屋敷に一人で居るつもりらしい。