125.新畳-兄
大晦日の朝。
現場検証は昨日で終わったが、何となくそのまま全員が分家に泊まった。
本家の庭には三軒の畳屋が、新品の畳を積んだトラックで集結している。
「皆様、ご無理を申しあげまして恐れ入ります。お陰さまで新年を新しい畳の上で清々しく迎えられます。ありがとうございます」
マー君が丁寧な礼を述べ、場を仕切ってくれる。
「縁の色柄はお気になさらず、奥の部屋から順に入れ替えて下さい。古畳はこちらで処分致しますので、庭のこの辺に積んで下さい。では、宜しくお願いします」
マー君、ツネ兄ちゃん、執事形態のクロエさん、俺、畳屋さん達と水を連れた双羽さんが家に入った。
ゆうちゃんも遅れて入って来る。
ノリ兄ちゃんと三枝さん、藍ちゃんと真穂は庭で待機。
畳屋さん達が鮮やかな手つきで古畳を外す。俺達はそれを庭に運ぶ。
腐った古畳は、ダニと黴と雑妖の苗床だ。
外側を魔法で洗っても内側から湧いてくる。
掃除してわかったことがある。
この家は、人間の住居じゃない。
化け物の巣だ。
畳の内部にまで滲み通った穢れと怨念。それを喰らって殖える化け物。
穢れも怨念も、この家に住む生きた人間が作り出したものだ。
俺と母さんも、住んでいた頃……いや、今もジジイとオヤジとゆうちゃんを憎んでいる。恨んでいる。
その気持ちも、化け物の餌なんだ。
ジジイと祖母ちゃんはそれを隠す為に、オヤジはナチュラルに、物を溜めて部屋を塞いで、現実から目を逸らしてるんだ。
物で隙間を埋めて部屋を塞いでも、犯した罪が消えてなくなったりはしない。
ゆうちゃんの母親は、ここでずっと、誰かが見つけてくれるのを待っていた。
ノリ兄ちゃんは、屋敷神様が今まで悪い物を外に出さないだけで精一杯だった、と言っていた。その意味が、今になってやっとわかった。
双羽さんが、古畳の搬出が終わった部屋の床を丸洗いする。俺たちにとっては、もう見慣れた水の魔法だ。
今朝、朝飯の後で、三枝さんに呪文の言葉の意味を教えてもらった。
優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、洗い清めよ。
……そんな感じの意味らしい。
水の持つ「清めの力」で、何もかもをキレイにして欲しい。
魔力を帯びた雪解け水が、埃とダニと胞子と糞、そして、雑妖の蔓延る床で渦を巻き、全てを溶かし込んで泥流と化す。内包した汚れをゴミ袋に吐き出し、清水に戻る。
水は双羽さんの命令に従って、何度も何度も繰り返し、化け物の巣窟を人間の住居に復元する。
床板の木目が見えるようになり、部屋全体の明度が上がる。
汚辱を雪がれた部屋を見ていると、俺の心も明るくなった。
ゴミ同然の奴らなんて、恨む価値もなかったんだ。
どうせ、家ごと捨てるなら、今までの恨みも一緒に捨てる。
祖母ちゃんのことを叔父さんたちに託せた今なら、前に進める。
もう、ホントに、自由にどこにだって行ってやるさ。
巴一家と双羽さん、三枝さん、クロエさんには、どれだけ感謝しても足りない。
今はまだ無理だけど、いつか必ず、恩返しする。
何も知らない畳屋さん達は、ちょっと恐がりつつも、面白そうに水の魔法に見入っていた。
丸洗いが終わった床に、畳屋さんが新畳を手際よく敷き詰めてゆく。
畳替えが終わった部屋に藍ちゃんと真穂が、新しいカーテンを取り付け、元々部屋にあった物や新しい座布団など、軽い物を置いてゆく。執事の黒江さんと俺が、新しい家具と家電を物置部屋と納戸から出して、設置する。
十畳の居間は、こたつとテレビ台と薄型テレビと電話。隣の十畳の和室には、何も置かない。
六畳二間続きの祖父母ルームは、布団二組と小さなタンスひとつと、古い金庫と新品の電気ストーブ、それから背の低い本棚ひとつ。本棚の中身は古いアルバムだけだ。
同じ広さのオヤジの部屋は、布団一組と小型のタンスひとつきり。
…………
世の中には、許せることと許せないことがあります。
どうしても許せないことがあって、それが心の重荷になっているなら、自分の気持ちに嘘をついてまで周りの言葉に合わせて無理して許すのではなく、周囲の言葉も憎悪もみんなまとめて捨ててしまうと、かなり楽になれます。
まぁ、その、捨てることが難しいんですけどね。
捨てた状態が、仏教で言うところの所謂「悟り」と言うものなのかも知れません。