謎の男。
その男を見かけるのは、これで三度目だった。
一度目は、私がコンビニから出て行くところで、彼とすれ違った。職業柄、周囲にいる人間の顔を、つい見てしまうので覚えていた。何が嬉しいのか知らないが、にやにやと笑みを浮かべている、変わった青年だと記憶していた。
二度目は、私が煙草を吹かしている最中で、ガードレールにもたれている私の前を、彼はビニール袋を揺らしながら通り過ぎて行った。私のいた場所は、コンビニからは目と鼻の先であり、彼の自宅はこの近くなのかもしれないと思ったりした。彼は一度目と同じように、嬉々としていた。
三度目は、私が携帯電話を切り、再びそのマンションを見上げたところだった。落胆したように肩を落とす彼が、こちらに向かって歩いてきた。彼が来た方角には、先ほどのコンビニがあり、彼は同様にビニール袋を提げている。これはどういうことかと思ったが、おそらく私がマンションへ足を運んでいる間に、彼はもう一度あの店に行ったのだろうと想像した。
目の前を横切っていく寸前に声をかけた。彼のあまりの豹変ぶりが気になってのことだったが、暇を持て余していたというのもある。
「どうしたんだ」と訊くと、彼はこちらを見て、一瞬怯えたような眼差しを向けたあと、搾り出すような声で言った。
「何のことですか」
私が自分の疑問を口にすると、彼は一層顔をくしゃくしゃにして、手にしていたビニール袋をゆっくり掲げてみせた。
「今日、大好きな映画のDVDの発売日だったんです。ずっと前から予約してたんですけど、それを取りに行って、僕もうすっごく嬉しくて、急いで帰って、即行で見ようって決めてたんですよ。なのに、ディスクを再生させても、一向に映画が始まらないんです!」
彼の言い分はこうだった。初期不良によるものなのかわからないが、いくらやってみても見ることが出来ない。どこへ訴えるべきか迷った末に、購入店へと持ち込んだ。あのコンビニのことである。だが、冷たく突っぱねられて終わりだった。
「レシートや、引き換えの紙がないからって」
彼はそれを、購入したと同時にどこかへ捨ててしまったらしい。一応探してはみるが、望みは薄いだろうということだった。
「それは良くない話だ」
私は腕を組んで、彼の話を聞いていた。何度も頷き、納得したうえで、彼に協力することにした。名を尋ねると、彼はもじもじしながら青木と名乗った。
その後、私は青木と連れ立ってコンビニに話をつけに行った。店員は私のときも応対してくれた高校生くらいの若者で、青木を見ると、あからさまに鬱陶しそうな表情を見せたが、彼の後ろに立つ私の存在に気づくと、急に折り目正しい態度をとり出した。
けれども、それは所詮態度であって、店員は相変わらず青木に対してぞんざいだった。無理だという旨を述べ、知らぬ存ぜぬを突き通した。私は首を傾げていた。涙目になっている青木を押しのけ、店員に詰め寄った。目と目を合わせてみると、彼の視線が端から端に泳いだので、少々声を荒げてみた。彼が本当に真実を述べているのかどうかを、確かめただけだ。私は真実が知りたかった。
店内が見事に静まり返り、雑誌を読んでいた何人かが、外へと出て行く音が聞こえた。
店員は肩をびくつかせ、何度も謝罪の言葉を述べた。私が肩から手を離すと、彼は慌てたように、奥から帳簿のようなものを持ち出してきた。これから何が始まるのか知らないが、青木と店員が、先刻と違う雰囲気で会話をしているので、私は退散することにした。
元の場所へ戻り、ガードレールの冷たさを背中に感じながら一服していると、青木がいそいそとやってきて、地に付かんばかりの勢いで頭を下げた。結局、向こうが直接販売元に送り返してくれることになったそうだ。青木は至極満足そうだったが、私は腑に落ちなかった。
「映画は見れないのか」
「はい。でも新しいのを送って下さるそうなんで、気長に待ってます」
本人がそう言うので、私もしぶしぶだが、首肯した。煙草の灰が手から静かに落ちる。
「あの、さっきから気になってたんですけど」
去り際に、青木がこちらを振り返った。私が視線を向けると「ここで何をしているのか」と、彼は問うてきた。
「人を待ってるんだ」
私は答え、目線をマンションへと移した。
巨大な長方形の箱の中に、更に小さな箱が、規則的に並んでいる。十一階の建物が私に与える印象はその程度のものだった。既に夜間になってからだいぶ時間が経っているので、小さな箱にはそれぞれさまざまな色彩が現れてきていた。そのうちの一つが、私の待ち人の部屋であるが、そこは空虚な暗闇があるだけである。
「早く来てくれるといいですね」
青木はそうは言ったが、私にはもう心に決めていることがあった。携帯電話で時間を確認し、彼の行った先と反対方向に私も歩き出した。
階段をのぼり、五階の、とある扉の前までやってくる。もう何度そうしたか知れないが、呼び鈴を鳴らす。数回試したところで、今度は扉をノックする。反応はない。
定刻はとうに過ぎていた。留守ならばいかんともし難いと待っていたが、そうではない場合のことを、私は考えていなかった。もう一度、呼び鈴を鳴らし、扉を叩いたあとに、私は大きな声で待ち人の名前を呼んだ。彼女が中にいることを前提に、あらん限りのことを言ってみる。私は彼女がそこにいるかどうか、真実が知りたかった。
やがて、扉がゆっくりと開かれる。私は、その漆黒の闇が導くままに、部屋の中へと入っていく。
以前、ブログで書いた作品です。
※現在ブログでは読むことは出来ません。
何が起こるわけでもないストーリーの中で、
不穏さ、不気味さを漂わせてみたく書いた実験作です。
後味の悪さを感じてもらえれば、作者的にニヤリです。