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【サン】

【サン】 高津用賀


 最初は高津が犠牲になった。

 桜の彼氏だ。

 講義が入っているのに大学に来なかった彼氏にメールや電話を入れても、繋がることはなかった。勿論返信も一切無い。何度も連絡を入れては見たものの、電源が入っていませんというアナウンスが響くだけだ。

 一人暮らしをしているアパートにも行ってみたが、カギがかけられていた。何度ノックしても出て来ないし、いる気配も感じられなかった。

 そのまま5日が過ぎ、伊豆に行く予定も話し合わなければならない時期になっているので、もう一度、家を訪ねた。

 この5日間ずっとメールに電話にしてみたものの、電源が入れられることは無く、大学にも姿を現さなかったし、共通の友人に話しを聞いたりしても何も連絡が無いと言っていた。

 久しぶりに行った彼氏の家の前、そこで見たものは、家の中のものがすべてトラックに積まれていく光景。トラックのすぐ横、家の前では、泣きやつれている母親らしき人とその傍らで寄り添う父親らしき人がその光景をただ眺めていた。


「すみません、ええと......」

 何をどう言ったらいいのか分からずに言葉を詰まらせた桜に、母親と思しき女性は、『用賀のお友達?』と聞いてきた。

 そうです。何日も連絡がつかないので来てみたんですが...と答える桜に、

 『そう。ごめんね、用賀がこんなことになっちゃって』

 と訳のわからないことを言う。

「何か...あったんですか?」

「......電車にね...」


 その後は聞かなくても分かる。飛び込んだんだ。

 でも、なんで? そんなことしそうな感じには見えなかったし元気だった。確かにあの時はショックを受けていたけれど、時間とともにいつもの用賀を取り戻して行った。

「あの子ね......同じ駅なのよ」

「うそ...同じ?」

 同じ駅?

「そう、だからきっと、そうね。ずっと忘れられなかったのかしらね、あの子」

 母親はわっと泣き出し、父親の胸に顔をうずめる。

 桜は呆然と立ち尽くし、作業員が荷物を運び出す様子はスローモーション画のように目に映った。

 どのくらいその場所にいたのか分からない。

 どうやってそこから家に帰ったのかも分からないが、気がついたら自宅の前で鍵穴にカギを差し込むところだった。

 高津用賀の家の近所に住んでいたのがよかったのか悪かったのかはさておき、もう会うことはできない彼氏の突然の出来事に動揺し、この先いったいどうしたらいいのか、どうすべきなのかも分からなくなっていた。


 10階建てマンションの屋上からスイカを落としてみると木っ端微塵になる。そして辺り一面に真っ赤な実をさらけ出す。新幹線に飛び込めばそんなかんじだ。

 削り取られた肉はミンチ状になり、ピンク色のころころした塊に脂が光る。どろりとした白い脂の塊や、ソーセージのような細長くぶにゃりとした棒状のものが辺り一面に飛び散るのは、スピードの出ている列車に飛び込んで引きずられた時。


 ホームに入ってきている失速した電車の場合......


 どうなるのだろうか?


 高津用賀ははたしてどういう最後を送ったのか。

 桜はそんなことを考えたくないと思えば思うほど、頭はそっちの方面へと傾いてしまう。


 自宅の天井には黒い染みがひとつ浮かんでいる。

  古い木造家屋のこの家は、様々なところの木目が人の顔に見えたり、ちょっとした染みが、そこにいることのない霊に見えたりしてしまう。

 その霊は、夢の中にまで入り込んでくるときもあった。桜は眠るのがだんだん怖くなってきた。

 子供のころのように、現実に起こったことが夢の中にまで入ってきて、そこでも現実のように追いかけ回されたり、殺されたりすることが度々あった。

 その場合、目覚めた時には汗だくで、心臓はばくばくしていることが多い。そして、夢で良かったと胸を撫で下ろすことがほとんどだった。

 大学生になった今では昔のように見ることはほとんど無くなったが、あの時は夢の中にまであの女が入り込んで来て、いつもそこで私を足下から引きずり込もうとするところで、恐怖に目が冷めるようになった。

 天井を凝視する。

 エアコンの効いた部屋はひんやりと冷たい。

 耳を澄ませば、ベランダに置いてある室外機の回る音しか聞こえない。

 しかし、室外機の横には血まみれの女が立っていて、こっちをじっと見ていることになんて、部屋の中にいる桜には全く気付かなかった。

 その手には指が一本も無く膨れあがり、血と肉と骨が見えている。白目を向いた目は力無く、黒目にいたっては目の後ろの方へ隠れてしまっている。ぽかんと開けている口元からは、血の混じったよだれと、長い舌が顎のところまでダラリと伸びていた。

 ゆらりと一度横に揺れた。

 桜の部屋の前では、飼っている黒猫がベランダに目を向けたまま姿勢を低く保っている。

 部屋の中に踏み入れない猫は賢明だ。

 台所と部屋のぎりぎりのところにかわいらしい前足を揃え、耳を後ろに倒し、瞬き一つしないで真っ黒い目をベランダの外のナニかへと向けていた。

 物が落ちる音がベランダから聞こえ、桜はベッドから飛び起きた。

 猫はじっとベランダを見ている。

 レースのカーテン越しに見える外は真っ暗だ。

 桜は猫を振り返るが猫は未だにベランダに目を向けたまま、体を硬くして動こうとしない。

 一人じゃ怖いので、猫を抱き抱えて一緒に連れて行こうと猫に一歩近づいたとたん、猫は踵を返し、桜の手の間をするりとすり抜けて、台所のシンクの上へと飛び乗った。

 後ろに何かがいる気配がする。

 何か不気味で気持ちの悪く怖いものだ。寒気が走る。

 振り返ることが出来ず、ただただ動きを止めて息を飲むしかない。

 どろりとした脂汗が体中から流れてきた。足の裏や手のひらにまで汗が滴ってきて、むず痒い、そんな気分になる。エアコンが効いている部屋なのに、今はとても蒸し暑い。

 頭皮から流れ落ちる汗はこめかみを通り、ゆっくりと頬をつたい、首元を舐めるようにくすぐり胸の谷間へと流れて行く。

 猫は台所の窓の隙間からするりとすり抜け外へ逃げてしまった。

 首の後ろに柔らかいストールのような肌触りの良いものが、するりと触れた瞬間、桜は振り向きもせずに部屋を飛び出した。

 1DKの部屋はベッドルームを抜ければ台所だ。

 台所の窓の少し開けているところからすり抜けて外へ逃げた猫のようには逃げられない。

 サンダルを履いて、玄関のドアに手をかける。

 回らない。

 何度試しても、回らない。

 がちゃがちゃと音を立てて押しても引いてもびくりとも動かない。

 台所の窓を見た。

 猫だったら抜けられるがやはり人間には無理だ。

 後ろから何かを引きずりながら近づいてくる音が聞こえる。

 低いうなり声と共に、ぼとぼとと肉の塊のようなものが床に落ちる音も聞こえてきた。

 声が出ない。

 玄関のドアを思い切り蹴っ飛ばした。


 開け! 開け! 開け! 開け! 開け! 


 呪文のように唱えてみるが、ドアはびくともしない。


 後ろからはずるずると重たいものを引きずる音とそれに伴って滴り落ちる液体の音も止むことなく耳に届く。

 胃の辺りがくすぐられ、腹の奥がじゅんと音を立てて内側へと引っ張られる嫌な気持ちが入り込んできた。


 お願い! 開いて! 開いて! 開いて! 開いて! 


 開け!!


 渾身の力を込めてドアに体当たりする。

 後ろを振り向けないけれど、すぐ後ろにナニかがいるのが分かる。

 耳元に生暖かい呼吸音が聞こえ、食物が腐ったようないらいらする臭いが鼻の奥に届いた。

 眉間に皺が寄る。

 全身に悪寒が走る。

 見えない大きなナニかは桜の体を後ろから覆い被すように両手を広げてきた。

 桜には大きく黒い影が自分の後ろから覆い被さってくる感覚だけが背中から伝わり、玄関のドアに額をつけて目をぎゅっと閉じ、出来る限り体を小さく丸め、ドアノブを掴んでいる両手に力を込めた。

 影に覆われ、視界が真っ暗になった。

 ごろんと音を立てて桜の足下に転がってきた物は、新聞紙にくるまれた白菜のようなもの。


 ナニ、これ。


 目を少し開け、足下に無造作に転がってきたモノに目を止めた。


 桜の足下に転げ落ちてきたその白菜のようなものを覆っている新聞紙が、何かに濡れたように、だんだんと赤黒く染まってきた。


「ひぇ」


 声にならない声が口から吸い込まれた息と一緒に口から抜けた。

 包まれていた新聞紙がはらりと揺れ、舐めるようにゆったりと一枚一枚剥がれ落ち始めた。。

 ゆっくりと新聞紙がめくれ、包まれていたものが姿を現し目を見開いた。

 覆い被さってきている何か分からない大きなものは、桜の体を後ろから羽交い締めにした。

 苦しくて声が出ない。呼吸が出来ない。

 体が動かない。

 全身が震えて涙が出て、毛穴という毛穴から汗が流れ出る。心臓が大きく跳ねた。

 開かれた毛穴から全ての空気が逃げ出していく錯覚に陥り、呼吸は乱れる。


『これ、好きなんでしょ? どうぞ。あなたのために持って来たから、受け取って』

 後ろから聞こえた声に聞き覚えはない。

 男か女かも定かじゃない。

 二度と聞きたくないような、ぬめっとした汚泥のような声だ。

 桜の目は足下に釘付けになる。

 そこに見たものは、だらしなく口を開き、白い泡が飛び散り、えぐられた片目はどこかへ消え、真っ黒い穴となり、そこから眼球の中にあるはずの赤黒い肉がはみ出ていた。

 両鼻からは不自然に多くの血が流れ、血の塊が鼻の穴を塞いでいた。垂れた舌は生々しくぬめり、床に着いているが、ところどころ切れている。


 ぐじゃぐじゃに変わり果てたその顔は......


 まぎれもない、高津用賀のものだった。


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