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 夢を見た。

 富多子は自分が四方八方からありとあらゆる電車に押し潰されて苦しみもがく自分を客観視している自分を夢の中でみていた。

 玉のような汗をかいて夜中に起きるが、隣では大梯が気持ち良さそうに寝ていてその横顔を見て安心する。

 ワンルームの部屋はベッドとテーブルとソファをおいたらいっぱいいっぱいだ。

 しかし、この狭さが今の二人には落ち着ける空間となっていて、

 ベッドから出た富多子は静かにソファの上で丸くなり、暗い部屋の中の一点をじっとながめた。

 カラーボックスの中には一冊のアルバムが置いてある。

 写真には笑顔で笑っている大梯と、そこに寄り添うように写っている自分がいる。

 楽しいことを思い出し、暗い気持ちを手放したかった。

 未だに雨は止まず、窓ガラスを打つ雨音は富多子の波打つ鼓動を抑えつけてくれるいい材料だ。

 目を閉じるとあの光景が浮かび上がる。

 自分の後ろに得たいの知れない何かがつきまとっている気がしてならない。

 このままずっと永遠に追われるんじゃないかという恐怖に脂汗が流れた。

 心は蝕まれ憑かれている恐怖を全身に感じながら生活をするのは、苦痛でしかない。


「大梯君」

「......ん?...朝?」

「ん。でもまだ早いから寝てて。私ちょっとコンビニ行ってくる」

「コンビニ? ん、じゃ一緒に行くからちょっと待って」

 そんな状態が何日間も続き、あいかわらずニュースではあの駅のことを報道している。

 気が滅入ってきた富多子はそろそろ限界に近かった。

 起きようとした大梯を、目の前なんだから大丈夫だよ、すぐ戻るしと言って寝ててねって言いながら笑いかけた。

「わかった。じゃ...気を付けて。早く帰ってきて」

「うん」

 雨は本降りになっていて周りの音を全て吸収し、薄暗い空は低く垂れ込み、黒く濡れたコンクリートの間で生活する全てのものをプレスする錯覚に陥る。

 傘をさして家を出た富多子は、家の前のコンビニには入らずにそのまま歩き続けた。

 傘に跳ね返る雨粒の音だけが富多子の耳に聞こえ、雑念は取り払われていく。

 行く場所は決まっていた。

 あそこしかない。

 この悪夢を終わらせるためには、あいつに会うしかない。

 それ以外に方法はない。

 傘を持つ手に力を込めて唾を飲んだ。



 来る。



 あざみは線路の上に立っているが、そこから動けない。

 膝頭まで紫陽花の葉がまとわりつき、喰われていた。

 毒々しく深海のように青黒くなった紫陽花は、富多子を喰うたびに脈打つように花びらを揺らしている。

 もうひとり片づけなければならないと言ったあの日から何年が経ったことか。

 よくやくその日を迎えることができる。

 これで全てが片づくとあざみもまた考えていた。

 線路に弾かれる雨粒が待避所の中で丸くなってじっと動かない桜の顔に当たった。

 目だけを大きく見開き、伏せる格好であざみに狙いを定めている。

 あざみが油断するその一瞬を逃すまいとしているわけだ。油断したその瞬間に食らいつくつもりだった。

「ふんっ。あんたには何もできないのよ」

 鼻で笑って一瞥くれるとホーム上に視線を戻した。


 大梯はあのあと嫌な予感を感じ、すぐに富多子を追いかけたがコンビニにはだれもいなかった。

 コンビニにいないということは行くところはあそこしかない。

 雨が降りしきる中、考えなしに走った。

 傘をさす時間さえ惜しいと感じ、顔に叩きつける雨粒、目に入る雨を手の甲でぬぐいながら先を急ぐ。

 雨の音と自分の呼吸音だけが頭に響き、周りの雑音はかき消された。

 通りを一本中に入ったところで見覚えのある傘が目にはいり、走るスピードを上げた。

 まっすぐに歩き続ける傘の後を追いかける。

 信号が赤に変わり、立ち止まっている間にもどんどん先へ行ってしまい、自分1人取り残されている気分になる。

 赤い信号機、前にどんどん進んでいる傘を交互にもどかしく見て、早く青になれと心で叫んだ。



「うちへ帰ったほうがいい」


 大梯の心臓は一度ドクンと跳ね、太い針で心臓を串刺しにされたような鋭い痛みを覚えた。

 一度瞬きをした後に目の前にはあざみの綺麗な顔がいきなり現れた。

 本当に目の前、手を延ばせばつかめる距離に綺麗なあざみの顔があり、真っ白い肌に魅力的な黒い瞳、瑞々しく光る桜色のリップから覗く白い歯にくぎ付けになった。

 目の前で妖艶に笑うあざみのおかげで傘をさして歩いている富多子の姿がまったく見えない。

「富多子ちゃんを追わないで、彼女をこのまま私へ返して」

「......富多子ちゃんを、どうするつもり?」

「さぁ。わからない」

「君は...もうこの世にいないんだよ。僕達から離れて行くべきところへ戻って」

「何を言っているのかよく分からない」

 くすりと笑うと、骨のように細く真っ白な腕をするりと伸ばし、大梯の顔の前で手のひらを広げた。

 びくりとした大梯のことを目を細めて見るとその手を胃のあたりに深く突き刺した。

 大梯はあざみの手と腕が自分の腹の中に入ってくる冷たい感覚に襲われ動けなくなる。


「あなたはまだ温かいけど、私はもう冷たい。ただそれだけの違い。ほかになんの違いがあるの? 何もない。すぐにあなただってこうなるのに」

 腹の中、分厚い胃をぎゅっと掴まれて胃酸が食道を逆に上がってきて喉の奥が熱く苦くなる。

 これは夢じゃない、現実なんだと思うと全身に鳥肌と悪寒が浮かび上がり下腹がきゅーっと縮み上がる。

「私たちに構わないで。あの子は自分のやったことの責任を果たさないといけないの」

「...自分のことは...棚に上げ...て?」

 掴まれた胃の中から声を振り絞った。

「棚上げ? 違う。私はあの子とは違う。ぜんぜん違う。でも私にはもう時間がないから」

「どういうこと」

「あなたに言う必要は今のところは無い。邪魔をしないでこのままおとなしく帰って。じゃないと、次に会った時はどうなってもしらない。あなたには何もしたくない」

「いまのところ?」

「その時が来たら、私から会いに行く。それが私と会う最期になるはずだから」

 胃の中から腕を引き抜くと、大梯の体はふっと軽くなった。

 あざみは粘着のある透明の液体が自分の腕にぬらりとまとわりついているのを大梯に見せつけるようにして腕をゆったりと回した。

 喉を鳴らすと、動物のように長く伸びた真っ赤な舌で自分の腕ににからまる液体を、舐め取った。


 大梯は無意識に自分の腹に手を当てると体をくの字に大きく曲げて、嘔吐した。

 地面に目を落とし再度あざみの方に戻すとそこにあざみの姿は無く、富多子の姿も既にない。

 耳に入ってきた音は、ずっと降りやまない雨音と自分の肩に降り注ぐ雨の弾ける音、そらから自分の口元から垂れている吐瀉物だけだ。

 世界はグレー一色の冷たいものと映り、濡れた髪の毛の先から透明の雨粒がぽたりぽたりと垂れ落ちる。

 ここに守ってくれるものは何一つ無いことに気付く。

 守ってくれるものが無いのなら、守るべきものはしっかりと守らなければならないことにも同時に気付いた。

「富多子ちゃん」

 大梯が守りたい人は富多子だ。

 少々自分勝手でわがままなところはあるが、自分に対しては素直で明るい性格で何より自分を頼ってくれている。

 頼られることと自分を必要とされることが嫌いじゃない大梯は富多子のことを失いたくなかった。

 青が点滅している信号を睨み、横断歩道を渡るべく腹をおさえたまま右足を前に踏み出した。

 間に合いますようにと願いながら。


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