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再会の衝動


 初夏になり、辺りはじとりと汗ばむ季節に入った。

 富多子と大梯は寝苦しい夜を過ごす毎日を送っていた。大学も休みに入り、お互いにバイト三昧の日々を過ごしながらもお互いの時間を大切にしてきていた。

 休みを合わせて海へ行ったり映画に行ったり、買い物に行ったりと、普通の大学生が送る毎日のように二人もまた同じ時間を色濃く育んできた。

 そんなある日、電車で行かなければならないくらい遠くのレストランで音楽サークルのイベントが行われているということで、二人で足を伸ばそうという話になった。

 富多子はこれといって好きな音楽もないが、女房面をして彼氏の趣味に付き合うのもまた楽しいものだと感じ始めている頃だった。

 始まる時間は午後18時。

 そこに行くためにはあの駅を通過しなければならなかった。

 しかし、途中で降りることはないし、この前行ったときもなにも起こらなかったんだから今回だって何もないだろうと考えていた。


 薄い紫色に染まった空に白く輝く星が出始めた頃、ホーム上の空気の流れが変わり始めた。

 昼間いたはずの鳩は忽然と姿を消し、かわりに黒いカラスが羽を大きく広げながら飛び降りてきた。

 魚の腐ったような臭いが鼻につく。その臭いの正体は、ベンチに座って体を左右に揺らしながらうつろな目を宙に漂わせているあざみからだ。

 ホームの下からは顔面がドロドロに溶けた桜があざみを呼ぶように骨の見えた手でホームを叩いている。

 桜はホームには上がってこれない。

 ベンチに座っているあざみを恨めしそうな目で睨むたびに、その眼孔から目玉が落ちそうになる。そのたびに手で押し戻していた。

 そんな桜を感情の無い目で見ているあざみは小さく鼻で笑って視線をまた宙に戻した。

「...来るから、待ちなさい」

 電車の入ってくる方に顔を向けた。

 富多子が乗った電車が来るということを桜に向けて言うと、桜はかっ裂かれた喉から黒く腐った臭い血液を吐き出しながら何かを叫んでいた。

「......そんな喉じゃ何言ってるか分からないわよ。喚くのは私じゃなくて、あいつにしなさい」

 憎しみを表情に現し、鼻の上や額に皺を寄せて睨み付けると、眼球が眼孔からこぼれ落ち、肉が削げて頬骨が剥き出しになった。

 折れ曲がった右足と上半身をホーム上に乗り上げ、黄色い線に手をついた瞬間、バチンという不愉快な音と火花を立て、桜は線路上に叩きつけられた。


「バカな女」

 こぼれ落ちて転がっている目玉をカラスがくわえて飛び去った。

 もうひとつの目玉は黄色い線の上に残されている。その回りには無数の黒い塊、亡霊が集り、手を伸ばしたい衝動にかられていた。

 しかし、そこに触れた瞬間には自分も桜のようになることを分かっているため、なかなか踏み出せない。

 桜は線路上で不自然に曲がった腕と脚と顔を痙攣させていた。

「欲しいの?」

 あざみは黄色い線の上に血だらけになっている自分の足を乗せて、ホーム上から線路に押し寄せている亡霊たちを見下ろした。

 やはりあざみは自分たちとは違うということが分かると、皆一様に憎しみの目を向けた。

「なにその目。あなたたちは私には逆らえないのよ」

 半分黒く腐敗し変色している腕をぬるりと伸ばし、目玉に手を伸ばす。

 線路上からはこっちによこせと腕をあざみの方へ伸ばせるだけ伸ばし、乞う。

 すくい上げられた目玉からは透明な糸が垂れていて、腐りかけている分柔らかく、豆腐のように崩れやすくなっていた。

 目玉を口に入れ、舌と上顎で潰すようにして擦る。

 ぷちんと何が潰れる音がして、じゅるっとしたモノが口の中に広がり、鼻に残る悪臭を放った。

「甘い」

 腐りかけのものが一番甘味があるという。

 肉にしても脂にしても、動物は腐る寸前が一番美味だ。

 腐りかけの甘い目玉を味わうように舌で何回も転がし、蜜を吸う。

 奥歯で噛み潰し咀嚼して...

 にやりと笑ったあざみは眼下に群がる亡霊たちを一通り見回した。

「食べたい?」

 うー...あー...などと、声にならない奇声を発し、よだれを垂らしながら黄色い線を踏んで歩いていくあざみの姿を追う。

 ホームの一番端まで歩いく間、そのあとを亡霊たちもまた同じように着いてきた。

「ほら」

 真っ黒い亡霊たちの頭上に先程まで咀嚼していた目玉を血の混じった唾液とともに吐き出した。

 細かく噛み砕かれた目玉を我先に奪い合う黒い影の塊を満足気に見下すあざみは何かに気づき、顔を左に向けて、顔を緩ませた。


 電車が入ってくるというアナウンスが流れた。


「来る」


 べろりと真っ赤な舌で口の回りを舐め、腕をだらりと前に落とし、引きずるような足取りで更に前方へ、ホームの端へと歩を進めた。


 富多子と大梯は先頭車両に乗っていた。

 二人はこれから向かうサークルの話に夢中になっていて、あの駅に入ってきたことにさえ気づかなかった。

「すごい人数が来るんでしょう? 懐かしい友達に会えるかもしれないね」

「そうだね。富多子ちゃんの昔の友達にも会えるし、僕の友達にも会えるよ。きっと楽しいから紹介する」

「うん。私も大梯君のこと紹介したいなっ」

「なんか、いきなり言うのもあれなんだけどさ、これからもさ、一緒にいようね」

「うんっ」

 電車の中でも手を取り合って見つめ合う二人に回りを気にする余裕はない。

 二人の世界に浸っていて、甘い時間を過ごしていた。

 電車の中はもちろん公共の場でいちゃついているのは見ている方としてはあまりよいものではない。

 しかし、本人同士はそんなことも気分を盛り上げるための要素でしかない。

 富多子はそんな世界にとっぷりと浸っていて、駅に着いたことになど気づかないでいた。

 それが彼女のミスだった。

 先頭車両がホームに入ったところをしっかりと見て、手を振っていたあざみのことを見逃した。

 あざみは富多子を見つけ、笑顔で手を振っていたが、自分に気付かなかったと分かるとその表情を一変させ、白目のない真っ黒い目で通りすぎる富多子のを見続けていた。


 サークルの集まりは想像以上に楽しいもので、お互いの古い友人、知人に紹介することはもちろん、新しく知り合った人たちとの縁もできた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、忘れたい事実はほんの一時頭から離れていく。

「すごい楽しかったね! また行こうね。てか、行きたい!」

「そうだね。来月もやるって言ってたからまた行ってみよう」

「嬉しいっ! 約束ね。それにしてもさ、けっこうな時間になっちゃったね。早く帰って録画したテレビ番組見よっ」

「それはいいけど富多子ちゃん明日1限から講義入ってるよね? 夜遅くなると起きれないよ。大丈夫なの?」

「大丈夫、だって起こしてくれるでしょ?」

「それはもちろんだけど...」

 自分のことを何かと気にかけてくれる彼氏をいとおしいと思うようになったのは最近のことだった。

 決して裏切ることをしない、いつでも側にいてくれる、わがままも受け入れてくれるし、そして愛してくれている。

 手放したくないと思うようになっていた。

 手放してはいけないと思うようになっていた。

 こんなにも自分に気を使ってくれて、最優先に考えてくれる優しい人を失ってはならない。

 どんなことがあってもきっと彼は側にいてくれると富多子は確信し、繋いだ手をぎゅっと握りしめ、微笑んだ。

 もちろん同じように手を握り返して微笑み返してくれる。

 今が一番幸せだ。

 そう思っていた。


 あざみの両目からは真っ黒い血がドロリと流れ、口の端からは唾液がつーっと垂れ落ちた。

 富多子は大梯と見つめあったままなので、この車両の中、後方から自分達をじーっと見ているあざみに気がつかない。

 不自然な歩き方で富多子の方へ近づくあざみの姿は乗客には全く見えていない。

 キャリーケースに入れられた犬が激しく吠えたてるが、あざみと目が合った途端にクーンクーンと鳴き、伏せて腹を見せた。

 ずるずると足を引きずりながら進むあざみの背中はばっくりと開いていて、真っ赤な血肉と背骨が見えている。

 帰ったら何から観る? と、テレビの話に夢中になっていて、それはダメ、あれから観ようなど甘い時間を消化している二人にとって、目の前に迫るあざみは目に入らない。

 あざみが富多子に手を伸ばして触れようとするその前に大梯が富多子の手をとり、電車は目的地、自宅のある駅に着いた。

 間一髪免れた二人は、あざみの横をするりと抜けて電車を降りた。

 電車に残されたあざみは手を伸ばしたまま無表情で首だけを動かして二人を目で追った。


 くくく.........


 耳元まで裂ける口の中からは黄色く変色した歯が垣間見える。

 目を細めて笑っているその目からは透明な液体が流れ落ちていた。


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