第八話 サン・ミシェルの一時間(2)
戦闘開始から三十分。アイギス隊は被撃墜数一という、戦力差から考えれば奇跡のような戦闘を続けていた。とはいえ、その内実と言えばボロボロだ。
アルファチームは一機喪失の他、弾薬が不足し始めている。ブラボーチームもジグムントの機体が不調を来している。チャーリーチームに至っては、四機全てが傷を負い、特に損傷のひどい二機がやむなくヴェルサイユへと撤退した。
三隊に分けたままでの戦闘継続が困難になったルドヴィク中佐は全機を集結させ、サン・ミシェルから少し東の地点での迎撃を決めた。
『ルナール1よりアイギス1。地上部隊は高速道路A12号線に乗った。もうすぐ安全圏に到達する』
オートルートはラピス全土に張り巡らされた高速道路網だ。A12号線はランブイエ市とヴェルサイユ市を結んでおり、現在はヴェルサイユ市に入る地点で野戦陣地が構築されており、対空網も整備されている。
『アイギス1よりルナール1。敵はどれくらいだ?』
『レーダーで確認できるのは三十六。君たちの四倍だ』
「一人四機か。エースまで一機足りないな」
『アイギス5、一人一機は撃墜してますから、ここでしっかり仕事をすれば私たち皆エースですよ』
ルナール1が告げた数はなかなか絶望的だったが、続くレオンハルトとカエデの緊張感のないやり取りに編隊員は脱力する。そもそも、開戦以来の戦闘ですでに五機撃墜を果たしてエースの仲間入りをしているパイロットは多い。
レオンハルトの言葉は的外れだったが、むしろそれによって編隊員をリラックスさせることが目的だったのだろう。カエデは真剣に受け取ったようだったが。
『アイギス1より各機。敵が見えたぞ。戦闘開始だ』
レオンハルトは豆粒大の敵をロックオンして、最後のミサイルを発射。そのまま編隊から飛び出し、機体を加速させた。カエデだけがレオンハルトの動きに追随している。
『アイギス5、何をするつもりだ?』
「まあ、任せておいてくれ」
低空で敵編隊へ接近。レウスカ空軍が保有するBol-31を始めとした戦闘機には下方の敵に対処するためのルックダウン・シュートダウン能力がない。これは東側諸国には知られていないことだったが、現場のパイロットの中には自身の経験からこれに気づいている者もいる。レオンハルトもその一人だった。
ミサイルに気を取られた敵編隊はレオンハルトの動きに対処できず、レオンハルトとカエデは攻撃を受けることなく、敵編隊に接近した。そのまま上昇して編隊の中央部へと突入。二人に見事に割って入られた敵編隊が乱れ、燃料タンクを撃ち抜かれた敵機が爆散する。
「よし」
『アイギス6、スプラッシュ1』
『無茶しやがる……。まあいい、攻撃だ!アイギス1、フォックス3』
「アイギス6、離脱するぞ」
レオンハルトとカエデは敵編隊を通り抜け、インメルマンターンで敵機の上空を取る。
一方、ルドヴィク中佐たちの発射したミサイルは、レオンハルトが先ほど牽制として利用したミサイルと同じく、敵の電子妨害に遭い、敵編隊に辿り着く前に軌道を乱し、あらぬ方向へと飛んでいった。
『妙な電子戦機がいるな。アイギス5、分かるか』
敵編隊はBol-31で統一されている。ということは、電子戦機仕様のBol-31が紛れ込んでいるということだろう。
「分かりませんが、問題はないでしょう。もう、ミサイルの残弾はありませんし、全部墜としてしまえば良いことです」
『メチャクチャだぜ……』
ジグムントがぼやく。レオンハルトの無茶に一度ならず付き合わされた側としては、一言言いたくなるのも無理はないだろう。
レオンハルトはジグムントのぼやきを聞き流し、再び敵編隊とのドッグファイトに突入した。続いて、アイギス隊の各機も交戦距離に到達し、機銃弾の応酬が始まった。
『くっ……。やっぱり駄目だ! 敵が多すぎる!』
『主翼を掠った!』
一方的な展開にこそならないものの、アイギス隊は押されている。数の差はなかなか覆せるものでもない。そんな中でもルドヴィク中佐とレオンハルトの二人は、敵の攻撃に振り回されずにいた。
『アイギス5、やれ』
「了解」
ルドヴィク中佐が機銃弾を巧みに利用し、敵機をレオンハルトの真正面へと追い込んでいく。そして、敵機が飛び込んできた瞬間、レオンハルトは逃すことなくこれを撃墜した。
『ナイスキル、アイギス5』
「アイギス1のおかげですよ」
ルドヴィク中佐の言葉に、レオンハルトがニヤリと笑って――見えるわけではないが――応えた。一方、見事なコンビネーションを見せた二人を警戒したのか、敵編隊はレオンハルトたちを二機ずつで追尾を始めた。
『地形追従モード、開始』
ルドヴィク中佐は、F-18Jが装備している地形追従モードを起動し、超低空飛行を始める。半自動操縦ではあるが、パイロットに大きな負担となる飛行だ。敵はルドヴィク中佐の追尾を始めるが、グラン・プラトーの起伏の多い地形では、地表まで数十メートル程度の超低空飛行は自殺行為と言っても良い。
ルドヴィク中佐が地形追従モードの支援を受けながら飛行しているのに対して、レウスカ空軍のパイロットたちはほぼ自分の腕のみで低空飛行をしている。また、ルドヴィク中佐が訓練でグラン・プラトーを何度も飛んでいるのに対し、敵は初めての飛行だ。
すぐに一機が操縦ミスをして地表に激突、さらに動揺した一方も、上昇して急減速したルドヴィク中佐を追い越してしまい、蜂の巣にされた。
『アイギス1、今のはマニューバキルか? 見事なものだ』
ルナール1が思わず感嘆する。
「さすがはアイギス1。負けてはいられませんね」
レオンハルトは加速しながら、ループ、スプリットSと多様な空戦機動を駆使しながら敵を翻弄する。敵機の攻撃をサイドスリップで躱した後、急減速。一方がオーバーシュートするが、レオンハルトの動きに食らいついた敵もいた。レオンハルトは無防備な背中を曝している。
おそらく、敵パイロットがトリガーを引こうとしたであろう瞬間、レオンハルトの動きを上空から追っていたカエデがコックピットを撃ち抜いた。レオンハルトをオーバーシュートしてしまった敵機も、レオンハルトの機銃弾によって尾翼をもがれ、コントロールを喪失する。
「助かったよ。アイギス6」
『いえ。アイギス5の後ろを守るのが私の役目ですから』
『お熱いのは結構だがな。敵はまだいるぞ』
敵編隊はルドヴィク中佐とレオンハルトから距離を置き、他のパイロットを狙い始めた。アイギス15が四機の敵に囲まれている。援護しようにも、アイギス隊は全員が二機以上の敵機と向かい合っている。救援の余裕はない。
『ぐっ……!』
アイギス15は、何とか追尾を避けようと低空へ逃げるが、敵もそれに追随する。レオンハルトが助けに入ろうとすると、追っていた敵機の内の二機がレオンハルト目掛けて闇雲に機銃掃射を仕掛けた。
上昇して回避したレオンハルトの視界の先で、アイギス15が右主翼を撃ち抜かれた。低空飛行をしていたアイギス15は、姿勢を制御する前に地面に激突し、火達磨になった。脱出は確認できない。
『アイギス15! ヤースケライネン!』
『脱出は確認できたか?』
応答は残念ながら「ネガティブ」のみだ。誰一人として脱出を確認していない。また一人、戦死者が出たことになる。
『ルナール1よりアイギス1。非戦闘要員の脱出が完了した。ヴェルサイユ防空網の準備も整った。撤退を開始せよ』
『簡単に言うがな。逃げ切れるかどうかは分からんぞ』
早期警戒管制機からの通信にもアイギス隊の気が休まることはない。アイギス隊はアイギス15の戦死によって八機となっており、一方のレウスカ空軍機は未だ二十九機を数えている。
思ったよりも非戦闘要員の脱出が終わったこと、そしてヴェルサイユの防空網が整ったことで撤退は許可されたが、敵機が優位な状況では撤退も容易でない。
『アイギス5、先頭につけ。俺が最後尾だ』
「了解」
『俺も後ろにつきます』
ルドヴィク中佐の指示に対してレオンハルトが同意し、アイギス13がルドヴィク中佐に機体を寄せた。ドッグファイトからアイギス隊が徐々に離脱し、ルドヴィク中佐を最後尾として全機がヴェルサイユへの針路を取る。
敵も満身創痍のアイギス隊を逃すつもりはないようで、全機挙げての追撃を始めた。
レオンハルトは機体を加速させつつ、不規則な軌道を飛んで敵の攻撃を避けるが、至近を機銃弾が通り抜けていく。
『しつこい奴らだ……』
「アイギス1、私が囮を」
『そのつもりはない。囮を置いても、敵は二手に分かれるだけだろう』
レオンハルトの提案を最後まで聞くことなく切り捨てる。確かにその通りだが、いつものルドヴィク中佐ならば茶化すくらいのことはしている。ルドヴィク中佐からは普段の余裕が消えていた。
『ルナール1よりアイギス。敵の増援を確認!』
『まだ増えるのかよ!』
『ルナール1、敵はどこからだ?』
『北西だ、9時方向から接近中! なぜ分からなかったんだ!』
ルナール1が困惑混じりに怒鳴る。戦術コンピュータがリンクし、すぐ近くまで敵の増援が迫っていることが分かる。
9時方向、肉眼で二機の機影が確認できる。レオンハルトが意識して機影を凝視すると、拡張角膜が自動的に機影を拡大し、視野に投影する。その機影は、開戦以来、アイギス隊を翻弄している、あの新型機のものだった。
「ファントムだ。増援はファントム!」
『厄介な奴が出てきやがった』
『だから、レーダーで捉えられなかったのか……』
敵が新型ならば、加速だけで逃げることは出来ない。敵の速力はこちらより上だ。いずれ追いつかれ、無防備な背中を曝すこととなる。
『……仕方ない。全機、交戦。各自の判断で攻撃せよ』
ルドヴィク中佐が指示を出すと、レオンハルトとカエデは増援の迎撃へ向かった。
『アイギス5、百合のマークと鴉のマークです!』
「ランブイエ以来だな。全機、手出し無用。こいつらは私たちの獲物だ」
レオンハルトはミサイル警報音と同時に降下。低空飛行へと移る。ミサイルの接近に対して、機体を旋回させながら加速する。目まぐるしく変わる地形をなぞるような低空飛行を続ける内に、渓谷が見えてきた。グラン・プラトーを流れるロワール川だ。レオンハルトはミサイルを引き連れ、渓谷へと侵入する。
渓谷の幅は最大でも200メートル。最も狭い地点では30メートルほどだ。その狭い渓谷を猛スピードでレオンハルトとミサイルが駆け抜けていく。ほぼ直角に川が曲がっている地点で、レオンハルトは急上昇し、崖のギリギリ上を通過する。ミサイルは急激な動きについていけず、崖のすぐ下に激突して爆発した。
「なかなかスリリングだったな。今度は私の番だぞ」
レオンハルトは飄々とつぶやくと、接近してきていた敵機に対して、下から突き上げるような形で攻撃を仕掛けた。崖の上を通過すると、そのまま操縦桿を引き続けてインメルマンターン。敵影が視界に入った瞬間、トリガーを引いた。
敵機はギリギリで機銃弾を避け、左へ270度ロール。そのまま機首を上げ、レオンハルトを照準に捉えようとした。
「――っ!」
インメルマンターンからの無理なブレイクで、壮絶なGがレオンハルトを襲う。だが、その甲斐あって、敵の機銃弾は尾翼を掠めるだけとなった。
敵はそのまま離脱し、飛び去っていく。その機体からは細長い煙がたなびいていた。
『アイギス5、大丈夫ですか?』
「ああ、何とか、な。死ぬかと思ったが。アイギス6も大丈夫だったか?」
『はい。アイギス5が敵に打撃を与えてくれたので、私の相手も離脱しました』
カエデの方へ目を向けると、確かに二機が合流しようとしている。
「こっちは撃退、というか敵が勝手に帰っただけだが……。まあ、何とかなったな」
心配なのはルドヴィク中佐の方だ。レオンハルトが増援に対応するために、他の僚機は追撃していた敵機と交戦している。
「アイギス1、応答願います。こちらアイギス5。敵の増援を撃退しました」
『良くやった。こちらもすぐに撤退を再開する。合流を』
了解、と答えて通信を切る。針路を変えて僚機の下へと急ぐ。
『アイギス1より全機。離脱しろ! 機を逃すな!』
レオンハルトから見て、2時方向で戦っていたルドヴィク中佐たちが、次々に離脱を始める。しかし離脱の瞬間、ルドヴィク中佐の前を飛んでいたアイギス13が敵の攻撃を受けて機体から火を噴いた。
『うわぁ!』
『アイギス13、飛べるか?』
『駄目です、コックピットに煙が!』
通信越しにもアイギス13の混乱が分かる。レオンハルトはアイギス13が極めて危険な状態にある、と感じた。
『くそっ! 推力が上がらない!』
『ベイルアウトしろ! 死ぬよりはマシだ!』
ルドヴィク中佐が叫んだ瞬間、トドメの機銃弾がエンジンに命中し、アイギス13の機体が爆発した。
『アイギス13、ロスト』
『畜生……。全機、離脱だ。犠牲を無駄にするな』
無念そうに言葉を絞り出したルドヴィク中佐が機体を加速させる。敵はようやく追撃を諦めたのか、はたまた燃料が足りなくなったのか、追撃することなく帰還していった。
二十分後、アイギス隊はようやくヴェルサイユを中心とした半径50キロほどの防空網に到達。日が暮れる中を、ラピス空軍機の先導でヴェルサイユ国際空港へと向かった。普段は旅客機が飛び交う空域は、完全に空軍の管制下にあり、前線が北東へと上がっている現在、民間人はヴェルサイユ国際空港から隣国へと次々に出国していた。
そんな中を最優先の管制誘導を受け、ヴェルサイユ国際空港C滑走路に着陸する。ラピス空軍やPATO空軍の戦闘機が上空を通過し、輸送機が駐機されている滑走路を抜けてハンガーへと機体を納めた。
レオンハルトは機体を降り、仲間たちと生還を祝い合う。だが、ルドヴィク中佐は一人、ハンガーを出て滑走路の脇に立っていた。誰一人として近づけない雰囲気を見せるルドヴィク中佐が何を考えているのかは容易に分かることだ。
1991年6月26日、第231飛行隊、戦死3名。
戦後、ヴェルサイユ国際空港で発見されたルドヴィク中佐の飛行日誌には、そう記されているだけだった。