第五話 国境の戦い(3)
レウスカ人民軍の戦線突破から一時間。レウスカに致命的な打撃を与えるべく待機していたオーヴィアスの第1機甲師団は、攻撃のタイミングを失った挙げ句、敵の半包囲を受けるという事態に陥り、熾烈な撤退戦を余儀なくされた。
その戦場のただ中を、愛機を失ったレオンハルトが拳銃一つを頼りに、安全地帯を目指して駆け抜けていた。
だだっ広く、起伏の少ない荒野の向こうには発砲炎が見え、それに少し遅れて轟音が聞こえてくる。
戦域情報システムには、動きの鈍い第1機甲師団を飲み込まんとするレウスカ人民軍の大部隊が映っている。荒野の向こうに見えた戦車の群れは、撤退中の友軍だろう。
運良く合流することができれば、撤退はスムーズになるかも知れない。しかし、同時に戦闘に巻き込まれる危険性もあった。どうするべきか、と考えていると、近くで砲撃音が聞こえてきた。
「音が近いな……。友軍なら良いのだが――」
WAISでの表示は赤。すなわち敵だ。その敵と戦闘中の友軍部隊も表示されたが、拳銃一丁で近づくのは自殺行為だろう。
仕方なく、一人で逃げるか、と思ったその時、視界の端に戦車の姿が見えた。戦車の側面にはレウスカの国章が描かれている。とっさに近くの溝へと飛び込みつつ、WAISを確認すると、レオンハルトのすぐ側に赤い表示が出現していた。
「ちっ……! 油断したか」
WAISは万能ではない。友軍が把握している情報を全部隊に共有するのがWAISであり、誰も把握していない敵がいれば、WAISに表示されていないというのは十分にあり得ることだ。
「おい、何か見えなかったか?」
「俺は何も見てないぞ」
「気のせいか……?」
レウスカ語の会話が聞こえてくる。レオンハルトは西ベルクにいた際に同盟国の言語を一通り学んでおり、簡単な会話程度なら聞き取ることができた。
「あそこが怪しいな。誰か見てこい」
「お前が行けよ」
「おい、うるさいぞ。何を騒いでいる」
上官らしき男の声が聞こえた。そのままこちらのことを忘れてくれれば良いのだが、物事はそう上手くいかない。
「大尉、あちらの方で何かを見たとユゼフが」
「何? ……念のために確認しておくか。キンスキー、ミーゼス、ついて来い」
「はっ」
絶体絶命のピンチだ。覚悟を決め、拳銃を握りしめる。会話から考えて、こちらへ来るのは三人だろう。頭の中で取るべき行動をシミュレートする。
まず、指揮官を撃ち、続けざまに残りの二人を片付けた後、全力で戦車の死角へと逃げ込む……。
言葉にしただけでも無謀だと分かる。だが、やるしかない。足音が近づく。レオンハルトは心の中で五つカウントした後、溝から飛び出した。
「なっ――」
飛び出したその瞬間、先頭を歩いていた男に狙いを定めて引き金を引く。指揮官と思わしきその男は、驚愕の表情のまま、頭を撃ち抜かれてのけ反った。
「まずは一人!」
的を絞らせないように右へ跳躍し、転がりながら二発目を放つ。二人の兵士のうち、一人の首に命中した。血しぶきが上がり、呻きながらのたうち回る。
「この野郎!」
レオンハルトのアドバンテージはそこまでだった。味方を立て続けに殺されて頭に血が上ったと見える敵兵は、狙いも定めずにアサルトライフルを乱射したのである。
銃弾がレオンハルトの腕をかすめ、レオンハルトは拳銃を取り落としてしまった。
「くっ……!」
もう駄目か、そう思ったその時、敵兵の後方でゆっくりと前進していた戦車が爆発し、爆風に煽られた敵兵が倒れ込んだ。レオンハルトは無我夢中で拳銃を拾い、倒れた敵兵の頭を撃ち抜く。
「はぁ……。何とか助かったが、今のは一体何だ?」
間一髪でレオンハルトを救った爆発の正体はすぐ明らかになった。
「ん? パイロットか? 待て、動くな!」
「あのパイロットの腕を見ろ。日本の国旗だ。……おい、もしかして撃墜されたのか?」
ゆっくり振り返ると、オーヴィアス陸軍が擁する主力戦車M3スタッドマンとハンヴィー、そしてその随伴歩兵がこちらを見ていた。思わぬ味方の登場に、レオンハルトは思わず息をつく。
「日本帝国空軍第6航空団所属、第231飛行隊のレオンハルト・エルンストだ。先ほど、敵空軍機に撃墜され、脱出した」
「確認する。そのまま待っていろ」
こちらに銃口を向けたまま、オーヴィアス陸軍の兵士が通信を始める。すぐに返信があった。
「……はい、そうです。対象は日本空軍の…… ええ、分かりました。……確認終わりました。こちらはオーヴィアス国防陸軍第1機甲師団、第1/27機甲大隊のミューレンバーグです。これより、少佐を基地まで送り届けます」
通信を終えた兵士が銃を下ろし、にこやかに笑いながらこちらへやって来る。レオンハルトは彼にハグで迎えられ、もう一人の同僚にはバシバシと肩を叩かれた。親愛の情を示しているのだろうが、相手は装甲服を着ている兵士だ。かなり痛い。
「まさかこんなところで“血塗れの鷲”と会えるとは思っていませんでした」
ミューレンバーグと名乗った兵士が尊敬の眼差しをレオンハルトに向ける。レオンハルトはその眼差しに困惑しつつ、オーヴィアス陸軍の兵士が自分を知っていることに驚いた。
「私のことを知っているのか?」
「当然です! 西ベルクから亡命し、日本空軍のパイロットとして数多の共産主義者共を葬ってきた英雄“エルンスト”の名前は、俺みたいな西ベルクからの亡命者にとっては神様みたいなもんです!」
興奮気味に語るミューレンバーグに、レオンハルトは苦笑いを浮かべる。どうやら、バーンスタイン補佐官は盛大にレオンハルトを持ち上げているようだ。
「いや、助かったよ。戦場の真ん中を一人で帰るのは、さすがに心細かったのでね」
「ご安心を。安全に基地まで送迎します。さ、こちらへ」
レオンハルトはミューレンバーグと共に、ハンヴィーに乗り込んだ。
「少し狭いですが、ご辛抱ください」
「徒歩に比べれば天国だよ」
ミューレンバーグの言葉にレオンハルトが軽口を叩くと、車内が笑いに包まれた。
車内にはレオンハルトを含めて六人が乗っているが、申し訳程度の防弾性能しかないパイロットスーツ姿のレオンハルトと違って、彼らは装甲服を着込んでいる。車内が狭苦しいのは仕方がないことだ。
「ハンヴィーと戦車が一台ずつか。珍しい編成だな」
「いえ、実は脱出の際に本隊からはぐれたのです。現在は、向こうのスタッドマンに乗っている戦車長が臨時に指揮を執っています」
部隊からはぐれる、というのがあり得ることなのか、レオンハルトは疑問だったが、実際に彼らははぐれている。
そんなこともあるのか、と思っていると、突然ハンヴィーの至近で爆発が起きた。衝撃でハンヴィーが横倒しになる。
「総員、降車!」
先ほどまでとは打って変わったミューレンバーグの鋭い声と共に、兵士たちが飛び出していく。一難去ってまた一難とはこのことか、と思いながら、レオンハルトは拳銃を握りしめ、彼らと共に外へと飛び出した。
一方その頃、サリスベリー基地ではレオンハルト救出のために前線へ赴くこととなったカエデが、ヒサカタ少将と共に救出用の部隊の到着を待っていた。
同僚たちは上空支援、並びに対地支援のために出撃準備を整えている。自分も戦闘機が良かった、と思いつつ、隣でナラサキ中佐の報告を受けているヒサカタ少将の方を向いた。
「何かあったんですか?」
「レオンハルトがオーヴィアス陸軍の部隊と合流したらしい。ただ、その部隊も戦闘に巻き込まれて、通信が取れなくなったそうだ」
戦場において、通信が取れなくなるという事態は頻繁に起きる。戦闘に巻き込まれたというならば、通信妨害なども盛んに行われているためになおさらだ。
とはいえ、あまり良いニュースではない。
「心配するな。あいつのことだ。どうせ拳銃一つで銃撃戦に参加しているだろう」
「だから心配なんです……!」
ヒサカタ少将の言葉は実に的確だ。レオンハルトにはどうも戦闘を好んでいる気がある。空戦の際に、自ら危険に首を突っ込むことがしばしばあった。
そんなことを考えていると、カエデたちが立つ滑走路への着陸態勢に入った輸送機が見えてきた。
「ようやく来たか」
「あれですか?」
「ああ」
カエデたちの視線の先には日本空軍で運用している、二機のC-2輸送機があった。しかし、その塗装は日本空軍のものとは大きく異なって空色に塗られており、側面には「MSS」の文字が描かれている。
二機の輸送機が滑走路に降り立ち、カエデたちの側に駐機する。ハッチが開き、中からは日本陸軍が運用する軽装甲車によく似た民間用の装甲車が出てくる。
合計六台の装甲車がカエデたちの前に止まり、軍人と民間人の中間のような曖昧な服装をした男性が降り立ち、敬礼をした。
「お待たせしました。牧野警備保障特別警備課です」
「ご苦労」
牧野警備保障、と名乗った男性の顔は、カエデにも見覚えがあるものだった。
「橘のおじさま!」
カエデの親類にして、元日本陸軍中佐のタチバナは、カエデを見るとにこやかに微笑んだ。
「久しいな。だが、今は橘大佐と呼びたまえ」
「細かいことは車の中で説明しよう。さ、乗るぞ」
困惑するカエデの手を取り、ヒサカタ少将は装甲車に乗り込む。タチバナ大佐が最後に乗り込むと、歩兵機動車の車列が出発した。
「それで、これは一体……? 牧野警備保障といえば、確か久遠系の警備会社だったはずですけど」
「その通りだ。そして、牧野警備保障は通常の警備部門の他に、特別警備課というのを持っている。それがこれだ」
御三家の一角を占め、財界に多大な影響力を持つ久遠グループ。その一部門である牧野警備保障は、民間軍事会社としての側面も持っている。
ヒサカタ家一門やそれに連なる将校の、退役後の再就職先ともなっている牧野警備保障は、今回のように御三家の私目的のために運用されることがあり、それを知る一部の人間からは御三家の私軍として、蜥蜴の如く忌み嫌われていた。
ちなみに、牧野警備保障のようなPMSCsは条約によって正式にその立場を認められた交戦団体であり、国際社会で認められた国家と契約を結んでいれば国際法上の戦闘員として保護を受けることができる。
その階級も条約によって定められており、条約階級などと呼ばれていた。
「でも、さすがに他国で勝手に動かすのは国際問題になりませんか?」
「問題ない。牧野警備保障はPATO副最高司令官たるフィッシャー大将と正式に契約を結んでいるからな」
開いた口がふさがらないとはこのことだ。私軍を戦場に投入するヒサカタ少将も、それと契約するフィッシャー大将も無茶苦茶だ。このことが公になれば、彼らの責任問題になるだけではなく、軍全体の信用問題となるだろう。
「そこまでする理由が……?」
「さあな。ただ、フィッシャー大将はこうする必要があると考えているようだ。例のスパイ問題、どうやらPATOの内部に深く巣くっているらしいな」
愉快そうにヒサカタ少将が笑い、ナラサキ中佐がたしなめるように咳払いをする。
「これで私が前線に出る理由が分かっただろう? 我々の私軍を動かす以上、御三家の人間が前に出なければならん」
「これは御三家の私的な戦ということですね? 分かりました。……納得はしてませんけど」
何とも時代錯誤な話だ。とはいえ、ここまで来ている以上はどうしようもない。
「あと十分で通信途絶した地点に到着します」
「了解した。上空支援はどうだ?」
「問題ない、とのことです」
運転手が答える。カエデが窓から上を見ると、はるか上空に粒のような戦闘機の姿があった。おそらくは、あれが上空支援に当たっているアイギス隊だろう。
しばらく、装甲車の走行音だけが響く時間が続く。さすがのヒサカタ少将も、緊張しているのか、と思って目を向けると、ヒサカタ少将はこっくりこっくりと船を漕いでいた。
ナラサキ中佐は慣れているのか、小さくため息をつくと、ヒサカタ少将を視界から外した。
「前方で戦闘が行われています! 通信途絶地点とほぼ同じ位置です!」
「敵戦力は戦車一台、あとは随伴歩兵のようです」
運転手が叫ぶと、助手席に座っている兵士が手元の携帯情報端末を見ながら報告する。カエデがヒサカタ少将を起こそうとすると、すでに目を開けており、自分の銃の手入れをしていた。
「御前―― いえ、少将閣下。どうしますか?」
「決まっている。突っ込むぞ」
「はっ」
ヒサカタ少将がニヤリと笑う。それを見たタチバナ大佐は同じく不敵な笑みを浮かべた。
装甲車が速度を上げる。レオンハルト救出のための戦いが始まったのだ。




