第四話 国境の戦い(2)
St-37の機関砲が火を噴き、機銃弾が目の前の赤いF-18Jに吸い込まれていく。撃墜を確信したソーニャだったが、しかし敵のF-18Jは右主翼の半分を失いながらも飛行を続けていた。
恐るべきF-18Jの飛行性能といったところだが、あの状態で戦闘機動を続けているパイロットはもはや異常だ。圧倒的なハンディキャップであるにも関わらず、“悪魔”はソーニャの攻撃を避け続けているのだ。
とはいえ、何事にも限界はつきものである。“悪魔”の奇跡も長く続くものではなく、何度目かの攻撃で“悪魔”の乗るF-18Jは左の主翼も失った。ゆっくりと落下していくF-18Jからパイロットがベイルアウトする。
「こちら、リーリヤ。“悪魔”を撃墜した!」
『本当か!』
早期警戒管制機に搭乗する要撃管制官の興奮した様子が通信越しでもよく分かる。数多くの友軍機を屠ってきた“悪魔”を遂に地上へと叩き落とすことができたのだから無理もない。
「ええ。脱出はされたけど」
『十分だ。……ああ、リーリヤ。一旦、戻ってきたまえ。レウスカが戦線正面の突破に成功したらしい。一度、補給を済ませてから再度出撃して欲しいとのことだ』
「了解」
AWACSとの交信を終えると、ヴィクトルに通信を入れる。彼も敵を追い詰めていたが、撃墜には至っていなかった。
「ヴィクトル、撤退して再出撃しろ、との命令よ」
『撤退か。あと少しだったんだが……』
「“悪魔”を撃墜しただけで、上としては良いみたい。とどめを刺す機会はいずれまたあるわ。そもそも一度、撃墜した相手でしょ?」
『……それもそうだな。俺としても残弾が心許ない。素直に戻るとしよう』
そう言って通信を切ったヴィクトルがソーニャに合流する。ヴィクトルが相手をしていた敵機は、僚機を失ったこともあって追撃してくることはなかった。
衝撃と共に計器が真っ赤に染まる。機体の状態は目で確認するまでもなく、飛行を継続できないと分かる。
レオンハルトの赤いF-18Jは“百合”の攻撃によって両翼の半分近くを失い、今まさに墜落しようとしていた。
「もう駄目か……。今までよく戦ってくれた、相棒」
一言、そうつぶやくと、レオンハルトはシートの脇にあるレバーを思い切り引いた。瞬間、キャノピーが吹き飛び、勢いよく高空へと投げ出される。
ヘルメットに内蔵された通信機が、雑音混じりの通信を繋ぐ。相手はカエデだ。
『隊長! 大丈夫ですか!』
答えようとして、あまりの風の強さに息ができなくなりそうになる。レオンハルトは深呼吸して声を張った。
「心配するな! ちょっと帰るのが面倒になっただけだからな! 基地に帰ったら、救援の手配を頼む!」
『了解です。どうかご無事で……!』
通信が切れる。カエデ自身も敵に追われ、ギリギリの状況のはずだ。
低い高度で戦っていたこともあり、地上まではそれほど時間がかからなかった。着地したところで、急いでその場から離脱する。上空からの攻撃の可能性が、ないわけではないからだ。
周囲は遮蔽物のない荒野であり、隠れるのも一苦労だ。レオンハルトは近くの窪地に飛び込むと、上空を見つめる。そして、敵の攻撃がないことを確認すると、ようやく一息ついた。
「はぁ……。さすがに奴も成長している。まさか撃墜されるとは」
開戦以来、何度もレオンハルトの前に立ち塞がってきた“百合”。思えば、あの敵を墜としたことはない。そう考えると、因縁の勝負は向こうに軍配が上がったことにもなる。
「まあ、私はまだ生きている。死ななければ、負けではないからな」
気持ちを切り替え、基地へ少しでも近づくために歩き始めようとしたその時、視界に仮想ウインドウがポップアップしてきた。戦域情報システムの緊急情報通達だ。
「ちっ…… 地上部隊が突破されたのか」
見れば戦線正面、ラチェル市街地に展開していた第1歩兵師団の一部隊が突破され、敗走している。
普段であれば、また突破されたのか、という感想しか抱かないのだが、今回ばかりは話が別だ。無事に基地へと戻るためには、背後から迫り来るレウスカの地上部隊から何とか逃げ切り、戦線再構築のために撤退しているであろう味方地上部隊と合流しなければならない。
また、救援部隊も、敵の地上部隊が勢いに乗って進撃している間は、前線へ出ることができないかも知れない。
面倒なことになった、と思いつつ、レオンハルトは手持ちの装備を確認し始めた。
「通信機とビーコンはちゃんと動くな。武器と言えば…… これだけか」
手元の武器は自動拳銃が一丁だけ。趣味で購入したE&SのP226だ。特殊部隊向けであり、装弾数も9ミリ弾が十五発と、パイロットが持つ護身用拳銃としては過剰なほどだ。
しかし、予備のマガジンは一つきりであり、特殊部隊でも使用しているとは言え、所詮は拳銃である。敵の大部隊から逃げなければならない身としては心許なかった。
「ないものねだりをしても仕方ない。行くか」
こうして、レオンハルトの長い撤退行が始まった。
レオンハルトが一人きりの撤退を始めたちょうどその頃。国境すぐ近くの街であるブリストルでは、第1機甲師団麾下の第1/27機甲大隊――通称、バンディッツ大隊がレウスカ人民軍の攻撃を受けて大混乱に陥っていた。
本来であれば、レウスカ軍を領内に引き込んだ上で後方を遮断するはずだった第1機甲師団の各部隊は、バンディッツ大隊のようにレウスカ軍の攻撃を受け、まともな迎撃態勢を取ることもままならない状況にある。
「こちら、バンディッツ! 司令部、撤退の許可はまだか!」
『こちらでも状況が分かっていない。現在、楼州連合軍最高司令部へ師団司令部が状況を照会中だ。確認できるまで、その場で待機せよ』
「待機? 待機だと? こっちは敵の攻撃を受けてるんだ! SHAPoLのお偉方が考えた作戦なんざ、とっくの昔に崩壊してるんだよ!」
指揮車の中で、指揮官用の装甲服に身を包んだ将校が怒鳴っている。バンディッツ大隊の隊長であるホルム中佐だ。
ホルム中佐は、待機せよ、の一点張りを続ける旅団司令部に激高し、遂に腰から拳銃を引き抜いて通信機を撃った。
「通信機の故障だ! 司令部との通信が困難になったため、我が大隊はこれより独自の判断で行動を開始する」
「で、どうするんです?」
ホルム中佐の激高ぶりを呆れ顔で見守っていた副隊長のクリストファー大尉が、壊れた通信機を悲しそうな目で見つめるオペレータを横目に、ホルム中佐に質問する。
「決まっている。撤退だ!」
「了解しました。……ああ、君。簡易無線機を用意してくれ。中佐が壊した通信機の代用だ」
憤然とした表情で指揮車から出て行くホルム中佐を見送りながら、クリストファー大尉はオペレータに指示を出した。
十分後、バンディッツ大隊に所属する五十両余りのM3スタッドマン戦車とその随伴歩兵は、ブリストルに激しい砲火を加えるレウスカの大軍を背にしながら、師団が拠点としているイーストアリスへ向けて進軍を開始した。
「大隊本部より全車、聞こえるか? これより我が大隊はイーストアリスへ向けて撤退行軍を開始する。敵はまだ我々がブリストルから脱出したことに気づいていない。今のうちに距離を稼ぐぞ」
簡易無線機を手にしたホルム中佐は、指揮車の助手席にふんぞり返っている。運転手は慣れた様子で、ホルム中佐が視界にいないかのように運転を続けていた。
「隊長、早速ですが悪いニュースです。レウスカ軍に気づかれました。一個大隊規模の戦車部隊が近づいています」
「何だと!」
今し方、レウスカ軍は気づいていない、と演説をぶちかましたばかりだ。ホルム中佐の顔が赤く染まる。恥ずかしく思うのも仕方ない、と思ったクリストファー大尉だったが――
「コミュニストの犬め! 鼻だけは効くようだな。厄介だが、一勝負してから逃げるしかないな」
ホルム中佐はどうやら怒りで顔を赤くしていたらしい。先ほどまで、撤退させろ、と怒鳴っていた人物とは思えないほどの勇ましい意見だ。
「ですが中佐、一歩間違えば包囲される危険性もあります」
「M3なら大丈夫だ。全車、砲戦用意! 追ってくる小癪な敵をなぎ払え!」
ホルム中佐は進言に全く耳を貸さず、攻撃命令を出した。ため息をついたクリストファー大尉だったが、攻撃するとなれば手を抜くわけにはいかない。早速、戦術コンピュータと向き合い、撃破優先度の策定を始めた。
「後方のあれは指揮戦車だな。オペレータ、こいつを最優先撃破目標に設定しろ」
「はっ」
指揮車の戦術コンピュータに打ち込まれたデータは、WAISを介して即座に部隊の全車両に共有される。攻撃目標の設定が終わると同時に、ホルム中佐が無線機を握りしめて叫んだ。
「撃て!」
轟音が響く。一足早く、反転した車列前方の戦車が、後方の戦車が反転する間の援護のために放った砲弾だ。車列後方は、この支援砲撃を受けながら敵の前面で反転するという大胆な行動に出る。
勢いよく進軍していたレウスカの戦車部隊は、この支援砲撃と反転に出鼻を挫かれた。先頭を走っていた指揮戦車が、集中砲火を受けて大爆発を起こしたのである。
「見ろ、砲塔が吹き飛んだぞ!」
指揮戦車に限らず、直撃弾を受けた敵戦車は砲塔が高々と吹き飛んでいる。
『敵戦車部隊、砲撃しました! うわっ!』
爆音と共に通信が途絶える。
「アルファ6? くそっ、やられたか?」
『……い、いえ。大丈夫です。砲塔に直撃弾を受けましたが、問題ありません』
「直撃弾を受けただと?」
この報告には、さすがのクリストファー大尉も目を大きく見開いて驚いた。砲塔というのは決して頑丈とは言えない部分だ。そこに直撃弾を受け、ダメージがないというのは、レウスカ軍の戦車とオーヴィアス軍の戦車には明らかな技術格差が存在することになる。
『こちら、ベータ中隊。追撃してくる敵はあらかた片付きましたが、どうします?』
「このあたりで良いだろう。全車、撤退を再開するぞ」
わずか数分間の戦いだったが、戦闘は圧倒的だった。バンディッツ大隊は、文字通り無傷で同数の敵を撃退したのである。それだけに、今回の結果は納得がいかないものであった。
「なぜ、我が軍は負けているのだ? 今の戦い、圧倒的な勝利だったではないか。だったらなぜ、我々は包囲されねばならんのだ……?」
ホルム中佐が感じた疑問。これは前線の兵士たちに共通の疑問であった。
確かに、レウスカ人民軍の物量は脅威である。少しでも戦線に穴が開けば、後方から補充の部隊がやってくるというのは、精神衛生上もあまり好ましくないことだ。
しかし、バンディッツ大隊のように、局地的には圧倒的な勝利を収めている部隊は少なくない。むしろ、勝っているはずの戦いが、いつの間にか負け戦に変わっている、という印象を多くの兵士が抱いていた。
今回の作戦失敗に関して言えば、SHAPoLが各師団の指揮権を掌握したにも関わらず後方へと撤退し、部隊間の連絡が寸断されてしまったことが大きい。SHAPoLの醜態に不満を持つ兵士は多かった。
そして同じ頃、サリスベリー空軍基地でも、上層部への不満を抱かせるような出来事が起きていた。
「救援部隊が派遣できない? どういうことですか!」
サリスベリー基地のブリーフィングルームで、パイロットスーツを着たままのカエデが基地司令のランドルフ大佐に詰め寄っている。温厚な彼女にしては、珍しい行動だ。
「敵地上部隊が前線を押し上げている。戦線が安定するまで、救援は出せない。二次被害の可能性がある」
ランドルフ大佐の言葉はもっともではある。だが一方で、撃墜されたオーヴィアス空軍のパイロットに関しては、危険を顧みない救援部隊が派遣されているのだ。この明らかな差別待遇に、カエデのみならず、アイギス隊のパイロットたちは憤っていた。
「何だったら、私たちが救援部隊の援護に出ます。少佐だけじゃない。他のパイロットの救援活動も支援します。これなら――」
「――何度も言わせるな。救援部隊は出さない。これは上層部の決定だ。君たちには別途任務が与えられる。それまで待機するように」
それだけ言うと、ランドルフ大佐は基地の警備兵に囲まれてブリーフィングルームから出て行った。
「くそっ! 俺たちはこの国を守るために来たんだ。感謝しろとは言わねぇが、それなりの態度ってもんはあるだろう!」
元々、第6航空団に所属するパイロットたちは日本においても鼻つまみ者扱いされることが多い。これは第6航空団のパイロットの大半が、国を捨てた亡命者であることが原因だ。
しかし、ここまで露骨に捨て駒のような扱いを受けるのは初めての経験だ。
「全員、いるか?」
「閣下……?」
そこへ現れたのは、ヒサカタ少将だった。いつものように、ナラサキ中佐も側に控えている。
「本国から連絡だ。ウェルズリーで一騒動起きたらしい」
「は……? 本国から、ウェルズリーの情報が?」
カエデが不思議そうに尋ねると、ヒサカタ少将が頷く。いつになく真剣な表情だった。
「実はウェルズリーには我が国の諜報員が極秘任務で潜入していたのだが、その彼が敵の工作員との間で盛大な銃撃戦を繰り広げたらしい」
隊員たちの間に困惑が広がる。確かに一大事ではあるが、アイギス隊とは直接的な関係があるようには思えなかったからだ。
「その工作員というのがなかなかな大物でね。例のスパイとも関係があるらしい」
例のスパイ、という言葉に全員の顔が強ばる。彼らの隊長、レオンハルトがかけられている疑惑は、まさしくそのスパイなのではないか、というものだからだ。
「レオンハルトは前線で撃墜されたのだったな? 至急、救援を出し、連れ戻せ。これはSHAPoLの最高副司令官であるフィッシャー大将の命令だ」
「救援を出せ、と言っても断られたばかりですよ?」
「ああ。救援はこちらが出す。救援に出るのは私とナラサキと、君だ」
ヒサカタ少将は、自身とナラサキ中佐を指さした後、カエデを指さしながらこう言った。隊員たちがどよめく。
「そ、それは一体どういう――」
「簡単だ。君には僚機がいない。単機で出撃することは許可できない。よって、私と一緒に救援として出てもらう」
筋が通っていないわけではない。それでも、ヒサカタ少将の言っていることは無茶苦茶だった。
「そんな、少将が救援に出るなんて聞いたことありません! 中佐、中佐も何とか言ってください!」
「……そうしたいのは山々だが、そうもいかない。さっきも言ったが、これはフィッシャー大将直々の命令だ」
救援を出せ、と言うのならば、オーヴィアス軍から捻出すれば良い。カエデがそう主張すると、ナラサキ中佐の顔がますます渋くなった。
「オーヴィアスが救援を出せない、というのは事実だ。正確に言うと、同盟軍のパイロットを助ける余裕がない。助けたければ、自力で行うしかない」
「と、言うことだ。諦めたまえ」
真剣な表情をしていたヒサカタ少将は、いつの間にかニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。
こうして、アイギス隊は奇妙な救出作戦を始めることとなったのである。