第二話 疑惑(2)
楼州連合軍最高司令部でスパイ疑惑が持ち上がり、フィッシャー大将を始めとする調査班が極秘裏に結成されたその頃。大物スパイ“エルンスト”の有力候補として各国情報機関からマークされているレオンハルトの身辺も物々しくなってきていた。
すでに日本の帝国公安局が第6航空団内部に協力者を得ているというのはレオンハルトも知っていることだったが、それに加えて帝国憲兵隊から派遣された憲兵が、四六時中レオンハルトの行動を公然と監視するようになったのである。
レオンハルトの属する第6航空団は援軍としてオーヴィアス連邦に派遣されており、首都ウェルズリーに最も近いサリスベリー空軍基地を拠点として連日の訓練に明け暮れていたが、レオンハルトは休憩時間も監視を受けるなど気の休まらない日々を送っていた。
SHAPoLがセントオルバンズに拠点を移した6月14日の朝も、朝食の段階から憲兵による監視がつき、レオンハルトはうんざりしていた。
「いい加減、しつこいな……」
「何か言ったかね、エルンスト少佐」
「いや、何も」
レオンハルトの目の前には、以前取り調べを担当したカワハラ少佐が座っている。彼を含めた10人ほどの憲兵分隊が、特別派遣としてレオンハルトの監視に当たっていた。
「以前は国防大臣の横やりでうやむやになってしまったが、君にかけられた嫌疑は晴れていない」
「私が言えることは以前の取り調べで全て言った。後はあなた方の調査次第だろう」
「その通りだ。だから、君を監視しつつ調査している」
やはりカワハラ少佐とのやりとりはとても不毛だ。他の憲兵もそうだが、彼らはレオンハルトをスパイと決めつけ、その前提で監視を行っている。
朝食が終わるとブリーフィングだ。オーヴィアス連邦の国境目前までレウスカ人民軍が接近している以上、彼らに休みはない。
レオンハルトたちが会議室で待っていると、幕僚を引き連れたヒサカタ少将――本土防空戦における采配を評価され、昇進した――が壇上に登る。普段はナラサキ中佐に全てを任せているヒサカタ少将にしては珍しいことだ。と、スーツを着た男性が幕僚たちの中に混じっていることに気づく。
「あー、諸君。ブリーフィングの前に、まずこちらの方を紹介しておこう」
ヒサカタ少将がこう言うと、スーツ姿の男性が立ち上がる。
「オーヴィアス国防省のバーンスタイン補佐官だ。一ヶ月ほど、前線視察として我々と行動を共にすることとなる」
「国防長官補佐官のアーネスト・バーンスタインです。どうぞよろしく」
バーンスタイン補佐官が礼をする。
「さて、バーンスタイン補佐官の紹介が終わったところで、早速だが本題に入るとしようか。まず――」
ヒサカタ少将がブリーフィングを再開する。レオンハルトは後ろから監視を続ける憲兵の視線に不快感を覚えながら、二十分間のブリーフィングを耐えることとなった。
ブリーフィングが終わり、パイロットたちが解散する。レウスカ人民軍が間近に迫ったことで第6航空団も前線哨戒任務に就くこととなったが、レオンハルトとカエデはその任務から外されることとなった。
スパイ疑惑が理由ではない。先ほど紹介されたバーンスタイン補佐官が、公にはなっていない開戦のきっかけとなった戦闘の当事者から話を聞きたい、と二人を指名したからである。
ヒサカタ少将は本人の了解を得ることなくその申し出を受け、その結果としてレオンハルトから睨まれることとなった。
「そんなに睨むな。仕方ないだろう」
「……空を飛べば、面倒な監視もなくなると思っていたもので」
レオンハルトが不快に思う最大の要因は、やはり監視を怠ることのない憲兵だ。いくら潔白を主張しても聞き入れることなく、どこまででもくっついてくる彼らの存在は、レオンハルトの精神衛生に多大な悪影響を及ぼしている。
「何も哨戒任務から外さなくても、休憩時間にでも呼んでくれれば良かったんです」
「そういうわけにもいかんだろう」
身内であるカエデからも冷たい視線を送られ、為す術がなくなったヒサカタ少将は冷や汗を浮かべながら、後は頼んだ、とナラサキ中佐に全てを押しつけて去って行った。
部下を置き去りにしていく指揮官の姿を呆れた目で見ていると、ナラサキ中佐が深いため息をついた後、咳払いをした。
「いろいろと思うところもあるだろうが、分かってくれ。少将はあれでも君の身を案じている」
「それは…… 分かっていますが……」
本土防空戦の後、特別命令によって釈放されていたレオンハルトは、国防大臣の独断で行われたこの釈放に抗議した公安大臣――レオンハルトをスパイと疑う帝国公安局の監督者によって再び拘束されるという事態に遭っていた。
この際にレオンハルトの身の潔白を声高に主張し、開戦以来、数々の戦闘において獅子奮迅の活躍を見せた“英雄”の釈放を求めたのがヒサカタ少将だ。
一連の騒動はレオンハルトにも詳しくは知らされていない上層部の暗闘の末、監視としてIDPSから職務を委託された憲兵がレオンハルトに帯同する、という玉虫色の決着を見せている。
「オーヴィアスの補佐官を日本の憲兵が監視するのも問題だろうと言うことで、向こうが憲兵を出すことになっている。それで我慢してくれ」
「……分かりました。今さら、断れませんしね」
ため息をつきながら、レオンハルトは渋々了承する。ナラサキ中佐に言ったように、今さら断れることではない。相手が国防省の補佐官ともなれば、下手な対応を取ると外交問題にもなりかねないのだ。
レオンハルトとカエデは謝意を示すナラサキ中佐に見送られつつ、サリスベリー基地の職員に案内され、バーンスタイン補佐官が待つ応接室へと向かった。
応接室に入ると、バーンスタイン補佐官が立ち上がって二人を迎えた。実に爽やかな笑顔だ。
「ようこそ。エルンスト少佐、クシロ大尉。呼び立てしてすまないね」
「いえ。任務ですので」
レオンハルトは何とか笑みを浮かべて答える。一方のカエデは自然な微笑みを浮かべ会釈をした。
バーンスタイン補佐官の後ろにはオーヴィアス国防軍の憲兵が控えており、レオンハルトの一挙手一投足に目を光らせている。とはいえ、カワハラ少佐ほどの不快感を覚えさせるものではない。
「非公式だが、君たちがこの戦争最初の戦いに参加したと聞いている。つまり、君たちが一番の戦闘経験者ということだ」
「まあ、そういうことになりますね」
「そして、開戦以来の君たちの活躍は特筆に値する。まさに英雄と言っていいだろう」
やたらと賞賛するバーンスタイン補佐官の言葉に、レオンハルトとカエデは思わず顔を見合わせて戸惑いを露わにした。
「お褒めにあずかり光栄ですが……」
「いやいや、私は本心からそう思っているよ。“自由のために戦う空の勇士”! 実に素晴らしいじゃないか」
「はあ……」
熱く語るバーンスタイン補佐官に対して、レオンハルトの気持ちはどんどん冷めていく。
「同じ西ベルクからの亡命者として誇らしい限りだ。君のような人物が活躍すれば、亡命者に対する目線も改善するだろう」
「そうなれば幸いです」
事務的に答えるレオンハルトの様子に気づかず、バーンスタイン補佐官はその後も機嫌良さそうに二人から戦闘だけでなく日常生活の話を聞き出していた。
後で知ったことだが、バーンスタイン補佐官の支持母体はオーヴィアス連邦内に住む西側からの亡命者が中心らしい。亡命者であるレオンハルトを英雄として持ち上げ、さらに友好関係をアピールすることで彼らの歓心を買おうとしたのだろう。
思わぬ形で政治に巻き込まれたレオンハルトであったが、いつまでも地上にいるわけにもいかない。
翌日からレオンハルトとカエデも哨戒任務に入り、緊張状態が続く国境の空を飛ぶこととなった。
『サリスベリー・コントロールよりアイギス1。状況を報告せよ』
「こちら、アイギス1。異常なし」
『了解。引き続き、哨戒飛行を続けろ』
了解、と答えて通信を切る。国境の街ヘンダーソン上空を飛ぶレオンハルトは哨戒任務の最中だ。
SHAPoLがセントオルバンズに拠点を移し、国防軍を始めとするPATO軍はオーヴィアス国境防衛のための準備を完全に整えていた。
戦略レベルでの情報漏洩が疑われる今、PATO軍は国境付近でレウスカ人民軍を撃退し、疲弊したところで反攻作戦に打って出るのだろうと前線将兵の間では噂されている。
事実として、レウスカ人民軍はあまりにも長大な補給線の維持に苦労していた。占領された各国のレジスタンスが補給線を襲撃しており、レウスカ側はこれを守るための戦力を割かれていたのである。
また、レウスカ国内に潜入している数少ないスパイから、長引く戦争と戦時体制による生活の苦しさにあえぐ国民が、反ラトキエヴィチの動きを見せつつあるという情報ももたらされている。
ただ、このような大きな流れも前線を飛ぶレオンハルトには実感として感じられるものではない。前線は未だ緊張状態にあり、哨戒任務も多大な精神的負担を強いるものとなっていた。
『こちら、アイギス5。レーダーに反応』
「全機、警戒を――」
『あ…… すいません。味方でした』
警戒態勢を取らせようとしたレオンハルトだったが、肩すかしを食らった。気にするな、と通信を入れてため息をつく。いつ敵が責めてくるか分からない、という状況が彼らを過敏にしているのだ。
このような状況はアイギス隊だけの問題ではない。地上においても、国境監視に当たっている兵士が動物を敵コマンド部隊の襲撃と勘違いして、全軍が戦闘態勢に入ったという冗談のような事態が起きている。
レオンハルト自身も久しぶりとなる戦場の空に気を張っており、いつもよりも慎重に周囲を監視していた。
『隊長、1時方向のあれは何でしょう? 航空機に見えますが……』
カエデの通信を受けて、レオンハルトは1時方向を凝視する。拡張角膜が対象物を自動的に拡大するが、姿がはっきりしない。
「何だ? この距離で見えないはずはないんだが」
『アイギス1、聞こえるか? こちら、サリスベリー・コントロール。レーダーに妙な反応がある。分かるか?』
防空司令部も謎の飛行物体を確認したらしい。緊張が走る。
「はっきり見えない。望遠映像が乱れているよう―― 待て、あれは……」
通信を続けようとして思わず言葉が途切れる。かの飛行物体はかなりのスピードで接近していたのだ。見る見るうちにその姿は航空機の姿を現していく。
「爆撃機だ! 接近中の航空機は敵の爆撃機!」
あの鋭角なフォルムは通常の旅客機では見られない。オーヴィアス空軍が運用するものによく似た爆撃機は、おそらく超音速で国境を突破しようとしていた。
『全兵装使用許可。何としても撃墜してくれ』
「了解。……くそっ、増援だ!」
後方から次々に敵の爆撃機が姿を現す。機体の速度で言えばレオンハルトたちのF-18Jの方が速い。
しかし、この空域を飛んでいるのはレオンハルトとカエデの二人だけだ。対処が追いつかず、突破される可能性がある。
「至急増援を。私たちだけでは対処できない」
『今、発進したところだ。到着するまで何とか防いでくれ』
管制官の声には焦りの色がにじんでいる。レオンハルトが確認した敵機のデータは防空司令部にも送られている。おそらく、レウスカ空軍が保有する全ての超音速爆撃機が、この狭い空域に集中して国境突破を図っており、敵の予想外な攻撃に防空司令部が焦るのも無理はない。
「アイギス1、交戦。アイギス2、とにかく手分けして片付けるぞ」
『は、はい! アイギス2、交戦!』
1992年6月15日。事実上の開戦となるサン・ミシェル事件からちょうど一年となるこの日に、レウスカ人民軍はPATOの盟主たるオーヴィアス連邦への侵攻作戦を開始した。
そして、その最初の一撃を受けたのは、奇しくもサン・ミシェル事件の当事者であるレオンハルトとカエデであった。




