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宝石戦争(旧版・更新停止)  作者: 東条カオル
第四章 自由の旗の下に
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第一話 疑惑(1)

 1992年1月、第二次皇海海戦において日本海軍が圧勝すると、環太平洋条約機構(PATO)はレウスカ人民共和国に対して、二度目となる和平交渉を呼びかけた。統一連邦のシルアノフ外務大臣の仲介により、レウスカ占領下の中央ローヴィス連邦(FCL)カルルスクーガで行われたこの和平交渉はおよそ半年に及び、一時は和平成立寸前との報道もあった。

 しかし、全面撤退を絶対条件とするPATO――特に占領されたラピス・FCLなどの亡命政府――と、占領地における社会主義政権の樹立、ならびに人民軍の駐留を要求するレウスカとの溝は埋めがたく、5月には和平交渉が決裂。同月の20日からレウスカ人民軍地上部隊の侵攻作戦が再開された。


 こうして中盤戦を迎えることとなった宝石戦争だが、まず西部戦線ではブランデンブルク公国のキルヒバッハ要塞線が一部突破されて領内への侵入を許したほか、東部戦線でも東ローヴィス連合(ELAR)陸軍がピアチェンツァの戦いにて大敗を喫してオーヴィアス連邦との連絡路を遮断されるという事態に陥っており、この時点でローヴィス大陸の過半がレウスカ人民軍の支配下におかれることとなった。

 危機的状況を迎えたPATOは、日本やガリア連合王国などの海洋諸国を中心とする連合部隊を編成し、西部・東部共に最後の砦となるブランデンブルク・オーヴィアス連邦への派遣を決定した。

 これまで数々の戦場を戦い抜いてきたレオンハルトたち第6航空団も、この一員としてオーヴィアス連邦に派遣されている。


 このように、着々と反攻作戦に向けた準備を進めていたPATO軍であったが、その内部では、後に世界中を震撼させることとなる事態が静かに進行していたのである。




 オーヴィアス連邦首都ウェルズリー。“建国の母”ハリエット・ウェルズリーの名を持つこの都市には、東側諸国を牽引するオーヴィアス連邦の、政治と軍事の中枢がおかれている。

 官公庁が建ち並ぶフレデリック通り、その一角を占める国防省オフィスの会議室では、ウォーカー元帥を始めとするPATOやオーヴィアス国防軍、さらに関係する各行政庁の高官が勢ぞろいしていた。


「――それでは、スパイの存在は確実だと?」

「はい。それもかなりの機密が漏れています。何人かはすでに摘発しましたが、どうやら機密情報を一手に集め、レウスカに流している中継役がいるようです」


 中央情報局(CIA)から来た情報員の報告に、会議室がざわめく。開戦以来、深刻な問題となっていたスパイの侵入による情報流出。その全貌がようやく見えてきたのだ。国防軍の高官が興奮気味に尋ねる。


「その中継役は? 特定できているのかね?」

「残念ながら。ですが、拘束したスパイからコードネームだけは割り出しています。コードネームは“エルンスト”」

「“エルンスト”というと、以前に情報機関で問題となった、あの?」


 “エルンスト”という大物スパイが東側に潜入しているということだけはPATOの高官にも伝わっている。しかし、まさかそれがこの戦争で大きな役割を果たしていたとは――。

 高官たちは背筋が凍るような思いを共有していた。


「はい。現在、CIAは連邦捜査局(FBI)国防軍犯罪捜査局(MCIS)と協同で、“エルンスト”の特定及び拘束に全力を注いでおります」


 CIAの情報員がそう報告すると、FBIやMCISからの出席者も同意するように頷く。


「ふむ。ならば、今後は機密情報の漏洩を前提に作戦会議を進めなければならないということか?」

「無茶な話だ。レウスカに対するPATOの作戦行動は全て筒抜けになっているということだぞ」


 軍の高官たちがたちまち渋面で唸った。情報戦という言葉もある現代、軍事行動に関する情報が筒抜けになっている、というのは戦う前から半ば負けているようなものだ。


「深刻になっても仕方あるまい。やりようはある」


 ウォーカー元帥の発言に、ざわめいていた会議室が静かになった。


「最高司令部から前線へ作戦詳細を伝達することは可能だろう。ならば、前もって作戦伝達するのを取りやめ、最高司令部のみで作戦情報を共有すれば良い」

「それは…… 困難ではありませんが、しかし――」

「前線と司令部が乖離してしまうというのはあり得るだろうな。ならば、司令部が前に出れば良いだけの話だ」


 周囲が息をのむ。オーヴィアス連邦の歴史で六人目となる陸軍元帥となり、楼州連合軍最高司令官の地位まで上り詰めた彼が、前線に出よう、と言ったのである。当然、周囲の高官はそれを押し止めようとしたが、ウォーカー元帥の意志は固かった。


「諸君が出ずとも私は行く。国家の守りを預かった軍人として、前線に立つことを厭うわけにもいかん」

「で、ですが……」


 反論しようとした高官も、ウォーカー元帥の強い意志の前に言いよどんでしまう。結果、ウォーカー元帥の案がそのまま採用され、楼州連合軍最高司令部(SHAPoL)は前線に程近いセントオルバンズの街に拠点を移すこととなったのである。




 長かった会議が終わり、高官が続々と会議室を出て行く。その中で、一人の将官がCIAの情報員に目配せした。情報員は軽く頷き、資料を整理するふりをしながら周囲の様子を確認している。

 彼とFBI、MCISからの出席者以外の全員が退出すると、三人は示し合わせたように、ようやく会議室を出た。三人はそのまま廊下を進んでいき、とある部屋に入っていく。待っていたのは、先ほど目配せをした将官だった。


「早速だが、本題に入りましょう。良いですか?」

「はっ」


 将官の物腰は穏やかだが、その目つきは鋭い。彼の名はデズモンド・フィッシャー。ブリタニア王国陸軍大将にして、楼州連合軍副最高司令官を務める、PATO軍の事実上のナンバー2だ。


「それで、最高司令部の中にスパイがいる、というのは本当でしょうか」

「はい。我々の捜査、及び同盟諸国からの情報提供を基にした分析の結果、間違いなく最高司令部にスパイがいます」


 フィッシャー大将はその言葉に興味深そうな表情をした。


「私がそのスパイという可能性もあると思いますが」

「いえ。フィッシャー大将がそうでないことは掴めているのです」

「それは何故?」


 フィッシャー大将の問いに、途端にCIAの情報員の顔が曇った。それを見たフィッシャー大将が堪えきれない、とばかりに笑い出す。


「はっはっはっ。意地悪な質問でしたね。私が“お飾りの副最高司令官”で、重要な情報に触れられないから、でしょう?」

「は……、その、その通りです」

「気にすることはありません。私は無能ではない、と自負していますが、かと言ってPATOを率いるに値するほど有能とも思っていませんから」


 困ったような顔をする三人を前に、フィッシャー大将は皮肉な笑みを浮かべている。


「……軍事のことは我々には分かりかねます。ですが、今回のウォーカー元帥の提案は不自然でありました」


 そう。そもそも、前線部隊に渡される情報は全てではない。そこから情報が漏れたとしても、全軍が為す術なく叩きのめされ、潰走するといった事態にはなかなか発展しにくい。

 さらに、情報漏洩の問題はオーヴィアス連邦単独の問題ではない。PATOに加盟する全ての国で問題となっているのだ。宝石戦争開戦以来、大規模な情報流出によってPATO軍は大敗を喫してきたが、仮にそれが前線部隊から漏れた情報だとするならば、今の今まで手がかりすら掴めなかったというのは奇妙だ。

 関わる人間が増えれば増えるほど、秘密が漏れる可能性も高くなる。それは情報を奪い取ろうとする側にも共通して言えることだ。


「結論として、我々は楼州連合軍全体の情報に接する権限のある最高司令部が一番の容疑者だと考えました。ですが、さすがに最高司令部には協力者を作っていません」

「それで、一番怪しくない私に協力を求めた、ということですか」

「はい」


 フィッシャー大将が感心したように何度も頷く。


「分かりました。協力しましょう。それで、何をすれば?」

「フィッシャー大将は副官が一人しかいないと聞きました。一人増やしたとしてもさほど疑問は持たれないでしょう」

「なるほど。その副官を通じて、見聞きしたことをお伝えすれば良いのですね?」


 CIAの情報員が頷いた。立ち上がって一礼すると、三人は部屋を出て行く。残されたフィッシャー大将は、後ろの窓に近づいてウェルズリーの街並みを眺めている。


「ふむ……。国王陛下の期待に応えるためにも、そろそろ頑張らなければいけませんかね。面倒ごとは嫌いなのですが」




 SHAPoLがセントオルバンズへの移転を決定した翌日、SHAPoLが間借りしていたオーヴィアス連邦の国防省オフィスは引っ越し作業に追われるPATO職員があちらこちらを走り回っていた。


 そんな喧噪から切り離されたように静寂を保っているのが、楼州連合軍副最高司令官フィッシャー大将の部屋である。整理すべき荷物も少ないフィッシャー大将は、唯一の副官であるウォーターフィールド大佐と二人で手早く整理を終えた後、手持ちぶさたに本を読んでいた。


「閣下、新しい副官を呼ぶというのは本当ですか?」

「ええ。前線に行く、となれば多少は仕事も増えるでしょう。副官はもっといても良いのですから、せっかくなので増やしました」


 増えても損はないから増やした、と言わんばかりのフィッシャー大将にウォーターフィールド大佐は脱力する。いつもながら、つかみどころのない人だ。

 ウォーターフィールド大佐がフィッシャー大将の副官になって早三年。順調だった昇進も最近は音沙汰なしだ。同期の中には戦場で功績を挙げて将官に出世している者もいる。仕事のないフィッシャー大将の副官では、今回の戦争における昇進は望めそうにもなかった。


 ウォーターフィールド大佐は、やることがないので仕方なくこれまでの報告書を読み返している。これまで何度もやってきたことであり、そろそろ内容を暗記しつつあった。報告書の内容がピアツェンツァの戦いまで来たその時、部屋がノックされた。


「どうぞ」


 フィッシャー大将が本から目を離すことなくそう言うと、扉が開かれる。入ってきたのはブリタニア王国陸軍の制服に身を包んだ妙齢の女性だった。


「本日付で大将閣下の副官勤務を命ぜられました、ヴィクトリア・ラングリッジ陸軍中尉であります」

「ようこそ中尉。私がフィッシャーです。こちらは君の先輩になるウォーターフィールド大佐です」


 直立不動で敬礼したラングリッジ中尉を、フィッシャー大将はにこやかに迎える。上官から紹介されてしまったウォーターフィールド大佐も慌てて自己紹介をした。


「来ていただいてなんですが、仕事は特にありません。引っ越し作業はもう終えてしまいましたからね」

「はあ……」


 フィッシャー大将の言葉に、ラングリッジ中尉は面食らっている。当然と言えば当然だろう。配属を命じられてやって来た最初の一言がこれでは、困惑するのも無理はない。

 そう思っていたウォーターフィールド大佐だったが、ラングリッジ中尉はすぐにウォーターフィールド大佐の向かいの椅子に座り、持参していた書類を読み始めた。順応は早いらしい。


「あー、中尉。分からないことがあったら何でも聞いてくれ。これでも私はフィッシャー大将の副官を三年務めているからね」

「ありがとうございます」


 にこやかに礼を言ったラングリッジ中尉だが、すぐに真顔になって書類を読む作業に戻った。ウォーターフィールド大佐としては、ただでさえやりにくい上官がいるにも関わらず、厄介な相手が一人増えたように思えてならなかった。


 ウォーターフィールド大佐は知らされていないことだが、ラングリッジ中尉こそCIAが用意した連絡係だ。そして、フィッシャー大将を始めとするこの三人は、今後の最高司令部で巻き起こる大事件の中心人物となるのである。

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