第六話 第二次皇海海戦(1)
月明かりに照らされた海原を複数の艦船が疾走する。鋭角なシルエットを持つその船団の中央を行く船は、周りと比べて異様な大きさを誇っていた。
1941年、第二次世界大戦に日本が参戦した直後に就役し、今なお帝国海軍連合艦隊の旗艦の座を守り続ける歴戦艦。激戦をくぐり抜け、幾多の困難を乗り越えて現代に残る世界唯一にして最大の現役戦艦である、HIMS大和だ。
建造から五十年以上が経ち、さすがに船体の老朽化は隠せないが、積んでいる武装は最新の技術を投入して開発されたものばかりだ。特に、この巨体を生かした大規模な電子戦装置の搭載は、艦隊決戦用の主力戦艦として建造された大和を、敵のミサイル攻撃から艦隊を守る電子の盾へと生まれ変わらせていた。
この大和の電子の盾に守られながら、連合艦隊は皇海を北西へと航行していた。
彼らの任務は皇海へと接近しつつあるレウスカ太平洋艦隊を迎撃し、日本侵攻の意図を挫くことにある。
海軍力で言えば、帝国海軍がレウスカ海軍を大きく圧倒している。だが、空中戦艦の存在が帝国海軍上層部の頭を悩ませていた。
この空中戦艦の脅威に対処すべく、連合艦隊は第1・第2の水上決戦艦隊と空母機動艦隊を全て動員。さらに、背後からの一撃を警戒して日本近海に潜水艦隊を分散して展開するという、事実上の総力戦でこの戦闘に臨んでいた。
海軍だけでなく、空軍も動員されたこの戦いは、日付の変わった1月10日の午前1時頃、空軍が出動させていた偵察機の第一報によって始まった。
大和の艦橋に座する連合艦隊司令長官ノブマサ・ヒサカタ大将――帝国空軍の第6航空団を率いるノブユキ・ヒサカタ准将の叔父だ――の元に通信が入った。オペレータが通信回線を開く。空軍の偵察機からの通信だった。
「こちら、連合艦隊旗艦大和」
『タタタタ。繰り返す、タタタタ』
「ほう…… なかなか粋なことをする」
知らない者が聞けば意味不明な通信だが、帝国海軍の間では有名な通信文だ。
1905年、日燕戦争のハイライトである第一次皇海海戦において、帝国海軍の偵察艦が南燕帝国の北洋艦隊を発見した際、敵艦見ユ、という意味で用いられたのが、このタタタタ、という通信文だったのだ。
奇しくも戦場を同じとする、日本の存亡をかけた戦いにおいて、実に相応しい通信と言えるだろう。この通信は偵察機パイロットによるアドリブだったのだが、その意味するところを正確に把握した連合艦隊の将兵は、大いに士気を上げた。
「全艦に通達。第一戦闘配備を発令する」
「了解。……総員、第一戦闘配備発令。繰り返す、第一戦闘配備発令」
オペレータの通信と共に、艦隊がにわかに活気づく。
帝国海軍が連合艦隊という形で本格的な戦闘に参加するのは、実に第二次世界大戦以来だ。父祖が築いた連合艦隊の栄光ある歴史に自らも肩を並べるという状況に、不謹慎ながらも将兵たちは興奮しているのだろう。
艦隊は、大和や二隻の空母を中心とした輪形陣の幅を若干狭めながら、速度を上げる。陣形の幅を狭めたのは、艦隊の全てを大和の電子支援の範囲内に収めるためだ。敵艦隊を偵察機が発見した以上、警戒網を狭めても問題ないという判断もある。
しばらく航行を続けると、後方から空軍の戦闘機部隊が接近してくる。敵艦発見の報を受け、連合艦隊支援のために出撃してきたのだ。空母からも続々と艦載機のFA-3戦闘攻撃機が発進し、空軍機と共にレウスカ太平洋艦隊へと向かっていく。
時を同じくして、大和に搭載されたレーダーが微弱ながらも敵艦隊からの航空機発進を探知する。艦隊の偵察行動を続けていた偵察機からも、敵機接近につき至急撤退する、という通信が入り、敵も航空戦力を繰り出してきたことが明確になった。
第二次皇海海戦は、まず両軍の航空戦力同士による激突から始まったのである。
一方その頃、帝都憲兵隊の右京拘置所から解放されたレオンハルトは、カエデが用意した車に乗って帝都空軍基地へと向かっていた。
「カエデ、どうして私が拘束されている場所が分かったんだ?」
「お父様の伝手を辿りました。末席とは言え、一応は華族ですからね。公安省にも仲の良い友人がいます」
「それは頼もしいことだ」
レオンハルトが苦笑する。カエデも微笑んでいたが、表情を改めて本題へと入った。
「隊長。隊長が拘束されたのは、もしかすると私が原因かも知れません」
「君が?」
「はい。正確に言うと、私の家が、ですけれど」
家が、という言葉に、レオンハルトはおぼろげながら事情を察する。
「ふむ。つまり、私は華族の政治闘争に巻き込まれた、と言うことかな?」
「おそらくは。公安省は反首相派が多いですし、公安大臣も対立する派閥から出ていますからね」
第一次大戦後、一時は影響力をほとんど失った華族も、国民の政治関心が薄れていく中で影響力を取り戻しつつある。ヒサカタ家が一角を占める御三家はその筆頭とも言える存在であったが、当然ながらこれに反発する勢力もあった。
それが今回の戦争に際して、御三家支配体制を打ち崩すべく暗躍し始めたというところだろう。レオンハルトの拘束は、そのための一つの手段であるとカエデは判断していた。
「クシロ、君は私がスパイだとは思わないのか?」
「ええ。これでも人を見る目には自信がありますから」
ニヤリと笑ってカエデをからかおうとしたレオンハルトだが、カエデのきっぱりとした言葉に二の句が継げなくなる。
「……やはり君は妹に似ている」
「妹さんがいるんですか?」
ぼそりとつぶやいたレオンハルトの言葉に、カエデが敏感に反応した。
こうしてパートナーを組んでいても、なかなかレオンハルトが自身のプライベートを明かすことは少ない。カエデの好奇心がむくむくとわき上がるのも無理はなかった。
「亡命するときに離ればなれになってしまったがね。君と同い年だ」
「そうだったんですか……。じゃあ、今も妹さんを探しているんですか?」
「ああ。日本に来たらしい、という話は聞いたんだがね。それ以上の情報は分からずじまいだ」
車内の雰囲気が暗くなる。それに気づいたレオンハルトがカエデに笑いかけた。
「妹はすばしっこいのが取り柄だったからね。きっと亡命できているはずさ」
そうこうしている内に、車は帝都空軍基地の正門に到着した。警備兵が車を止めるが、カエデが身分証とクシロ家の家紋を見せると、警備兵は慌てて敬礼し、車を通した。
「さすがだな」
「本当ならこういうのはしたくないんですけど、時間がありませんから」
不本意そうに言うカエデに、レオンハルトは思わず笑みがこぼれる。
車が搭乗員待機室の前で止まると、二人は急いでパイロットスーツに着替えて自分の機体へと向かう。すでに連絡を受けていた基地の整備兵がエプロンに機体を出しており、レオンハルトは整備兵に礼を言って、自らの赤いF-18Jに乗り込んだ。
憲兵に拘束されていたからか、レオンハルトはそれほど時間も経っていないのにコックピットの座り心地を懐かしく感じる。その感慨もそこそこに、レオンハルトはカエデと共に戦場の空へと飛び立つ。
離陸してすぐに、今回の航空管制を担当している早期警戒管制機からの通信が入った。
『こちら、エルロイ。戦闘空域に接近中の戦闘機、所属を報告せよ』
「こちら、アイギス1。第231飛行隊所属機」
『こちら、アイギス2。同じく第231飛行隊所属』
レオンハルトとカエデが報告すると、内容を確認しているのか、しばらくして応答が返ってくる。
『……確認した。事前の情報では、出撃不可と聞いていたのだが?』
「諸事情で、な。ともかく誘導を頼む」
『良いだろう。現在、我が空軍はポイントF7-2で敵航空戦力と接触した。君たちはそのままの進路を維持し、戦闘に参加してくれ』
レオンハルトが了解、と答えると、戦術コンピュータがリンクを開始した。レオンハルトの戦域情報システムも更新される。
レウスカは多方面で作戦を展開しているにも関わらず両軍の戦力はほぼ互角であり、レウスカ軍の戦力の厚さが感じられる。レオンハルト自身、かなりの敵機を撃墜してきたという自負があるが、それでもなお多くの戦力を投入してくるレウスカ軍に辟易していた。
「毎度のことながら、奴らの数だけはたいしたものだな」
『数だけと言うが、それでこっちは手一杯だ。余裕があるなら、君が駆除してくれよ』
「任せておけ。実績はそれなりに積んでいるつもりだ」
AWACSの管制官が苦笑する。皇海上空の戦いにおけるレオンハルトの獅子奮迅の活躍を知っているのだろう。
二人はぐんぐん速度を上げ、戦闘空域へと迫る。出撃から少しして、水平線の向こうに連合艦隊の最後尾を発見した。
『こちら、バイパー01。接近中の友軍機、聞こえるか?』
「アイギス1よりバイパー01。感度良好」
空母艦載機からの突然の通信が入る。
『我々はこれから敵空母への対艦攻撃任務に就く。ついてはその支援を頼めないだろうか』
「とのことだが、エルロイ、問題はないか?」
『……こちら、エルロイ。問題ない。バイパー01の攻撃支援任務に就け』
管制官がそう言うと、WAISの情報が更新されてターゲットの現在位置が表示される。レオンハルトが海軍の攻撃部隊と共に攻撃するのは、レウスカ海軍虎の子の空母ヴィエルコレウスカだ。
ヴィエルコレウスカはスキージャンプ台を備えており、艦載機仕様のBol-31を運用する軽空母だ。宝石戦争開戦直前に就役しており、ミハウ・ラトキエヴィチ議長が開戦を決意するきっかけの一つになったと言われている。
レオンハルトとカエデがようやく艦隊上空を通過するというタイミングで、大和の左隣を航行するHIMS龍鳳から二機のFA-3が発艦した。カタパルトから打ち出された二機は、ぐるりと大きく旋回してレオンハルトとカエデの二機編隊に加わる。
『バイパー01よりアイギス1。改めてよろしく頼む』
「こちらこそ」
『こちら、エルロイ。君たちに臨時のコールサインを割り振る』
管制官からの通信と共に、レーダー上の表示がAegis1からJuliett1に変わる。
『君たちジュリエットチームは所定の航路に従い、敵空母へ接近せよ。上空は他の機が押さえる』
「了解した。私も全力を尽くそう」
通信を切り、前方へと目を向ける。眼下には連合艦隊の巡洋艦や駆逐艦が点在しているのが見える。
あっという間に艦隊上空を通過すると、やがて水平線の向こうに交戦中の友軍機が見えてきた。
『敵艦隊からの対空砲火が激しい! 海軍機、どうにかしてくれ!』
『こっちはこっちで敵戦闘機に追われてるんだ!』
『くそっ! 脱出する!』
空母ヴィエルコレウスカから発艦した艦載機の数はそう多くないはずだが、大陸からはるばる長駆してやって来たレウスカ空軍が猛威を振るっているようだ。また、オーヴィアスや日本の空母戦力に対抗すべく、対空能力を重視して編成されているレウスカ太平洋艦隊もかなりの奮戦をしているらしい。
と、そこへ全軍に向けた通信が入った。
『交戦中の空軍機、ただちに退避せよ。これより大和の一斉対空攻撃を開始する』
その通信と共に、WAISに危険高度が設定され、友軍機が一斉に高度を上げた。
次の瞬間、レオンハルトの後方から複数のミサイルが飛来し、日本側の戦闘機に追随しようとしたレウスカ空軍機のそばで炸裂した。各所で炸裂したミサイルは、その破片で付近の戦闘機を切り刻み、何機かがコントロールを失って海上へと墜落していく。
それに合わせるように、退避していた友軍機が一斉に残るレウスカ空軍機へと襲いかかる。
「あれが例のミサイルか」
レウスカ空軍機を襲ったのは、日本の国防技研が対空攻撃用に開発した特殊弾頭の対空ミサイルだ。目標の付近で炸裂し、その破片で周囲の戦闘機を巻き込むことを目的としたものであり、炸裂半径が数百メートルに及ぶという特徴がある。
難点は、それ故に味方が近くを飛んでいると使えないということであったが、今回は事前にブリーフィングで説明していたのか、攻撃前の一斉通信で回避するようにしたらしい。
『いまいち、だな。近接信管のミサイルと大差がない』
『とは言え、これ以上の炸裂範囲拡大は無理なんじゃないですか?』
途中からレオンハルトの編隊に参加した海軍のパイロットがのんびりと会話をしている。
『お喋りはそこまでだ。もう戦闘空域だぞ』
管制官からたしなめられると、海軍のパイロットは笑いながら、全く反省していない様子で謝る。
レオンハルトは苦笑しながらも、はるか水平線の向こうに見えてきた目標の空母ヴィエルコレウスカを睨んだ。
「ジュリエット1、交戦」
レオンハルトの赤いF-18Jを先頭に、四機の編隊は戦場の空へと突入していった。