第三話 開戦前夜(3)
「アイギス1、交戦。目標、敵新型機」
ルドヴィク中佐の交戦宣言と同時に、混乱から立ち直ったアイギス隊が新型機を包囲するような陣形をとった。アイギス隊はルドヴィク中佐の僚機を含めて三機が撃墜されたが、未だ敵に対して倍以上の数だ。だが、敵に動揺は見られない。
『見たことない機体だが、統一連邦か?』
『イーグルに少し似てるか……?』
謎の新型機は、先陣切って突入してきた隊長機と思わしき一機がルドヴィク中佐にぴたりと食いつき、残りの三機はルドヴィク中佐を援護しようとする他の面々を牽制している。
『隊長、このままだと時間を稼がれてしまいます!』
「分かっちゃいるんだが、な」
ルドヴィク中佐が思い切り操縦桿を引き、上方180度ループで敵を振り切ろうとする。だが、敵機はこのマニューバにも食らいついてきた。
「しつこい奴だな……。これならどうだ?」
急減速してオーバーシュートを狙う。さすがにこの減速にはついて来られなかったのか、敵機がルドヴィク中佐を追い越す。その瞬間を狙って引き金を引いたが、敵は右に旋回して回避した。
「ちっ。腕の良い奴だな」
なかなか素早くて厄介な敵だ。他の隊員も数で優っていながら、敵のマニューバに翻弄され、なかなか狙いを定めることができていない。
ルドヴィク中佐と敵機がシザーズ機動に移ったちょうどその時、通信が入った。
『レーダーに反応。味方機です』
レーダーに目を移すと、確かに光点が二つ、こちらにかなりの速さで接近していた。スクランブル任務に就いていたレオンハルトとカエデだ。
『――ますか? 繰り返す、聞こえますか?』
「聞こえる。その声、アイギス6だな」
『そうです! 遅くなりました』
通信の雑音がクリアになり、アイギス6――カエデの声がようやくはっきりと聞こえるようになる。
「よし。アイギス5、アイギス6、お前たちはここじゃなくて、宇宙センターに向かえ。ちょいと面倒なのに引っかかって、俺たちは向かえそうにない」
『へっ? ど、どういう――』
『――こちら、アイギス5。了解しました』
通信に割り込んできたのは、レオンハルトだ。相変わらず冷静沈着な奴だ、とルドヴィク中佐は笑う。ルドヴィク中佐から見たレオンハルトは、皆が酒場で騒いでいるときでも一人で静かにグラスを傾け、馬鹿騒ぎを楽しそうに眺めている、そんな男だった。
「アイギス5、頼んだぞ。向こうの状況が悪ければ、そのまま帰ってこい」
『了解』
接近していた二つの光点が、この空域から徐々に離れていく。
『二人だけで大丈夫でしょうか?』
「あいつらなら心配ない。それよりも、ここを何とかするぞ」
『りょ、了解です』
レオンハルトの実力は部隊で一番だ――。その言葉を飲み込んで、ルドヴィク中佐は未だに食いついている敵機を振り切ろうと、機体を急降下させた。
ルドヴィク中佐との通信を切った後、十分ほどでレオンハルトの視界にレヴィナス宇宙センターが見えてきた。
レヴィナス宇宙センターはマスドライバー施設を有する大陸最大規模の打ち上げ施設であり、東側諸国ではオーヴィアス連邦のクラーク宇宙センターに次ぐ規模を誇っている。この宇宙センターが狙われた理由は、レオンハルトにも分かる。“ダイヤモンド”だ。
PATOの合同プロジェクトとして建造されたダイヤモンドが、このレヴィナス宇宙センターから打ち上げられる予定となっていた。予定日はもう間もなくであり、“ダイヤモンド”を批判の矛先としていたレウスカが狙うに相応しい獲物であると言えよう。
「こちら、ラピス特別展開部隊所属機だ。宇宙センターの防衛責任者、聞こえていたら応答を」
『こ、こちら管制塔! 援軍か? 早く敵を排除してくれ!』
通信機越しに銃声と叫び声が聞こえる。どうやら管制塔は攻撃を受けているらしい。レオンハルトは速度を上げた。
センターが近づくにつれて、惨状が明らかになる。あちこちで火災が発生し、レウスカ軍の戦闘ヘリが地上の守備隊に対して圧倒的な攻撃を続けていた。重要施設とはいえ、ここを警備するのは軍ではなく、武装警察レベルの守備隊だ。正規軍による本格的な攻撃に対してはほぼ無力と言っていい。
通信機が着信を告げる。管制塔とは違うところからの通信だ。
『こちら、宇宙センター司令部。援護に来てくれたのは君たちだけか?』
「済まない。我々の仲間がこちらに向かっていたのだが、敵の奇襲を受けて立ち往生している」
『いや、来てくれただけでもありがたいよ』
司令部の方は、先ほどの管制塔から入った通信とは打って変わって落ち着いた様子だった。背後からは職員たちの慌ただしい喧噪が伝わってくるが、銃声や爆音は聞こえない。攻撃に曝されていない、というのがこの冷静さの大きな理由だろう。
『来てくれたのに申し訳ないのだが、“ダイヤモンド”はすでに奪われてしまってね。現在の攻撃は、おそらく嫌がらせと追跡を妨害するための陽動だろう』
「陽動とは言え、被害も出ている。まずはヘリを叩こう」
『助かる。必要なデータを送るからデータリンクしよう』
F-18Jに搭載された戦術コンピュータが司令部のコンピュータとリンクし、センター内部の詳細な情報が表示される。
宇宙センターには、ほぼ円形の敷地の中央を東西に分断する形でマスドライバーがあり、ここで北地区と南地区に分かれている。レウスカ軍は主に南地区に集中しており、守備隊はマスドライバーを背中にする形で防衛戦を繰り広げていた。
『上空の戦闘機! 聞こえるか? 早くヘリを墜としてくれ!』
「待っていろ。すぐに向かう」
センター上空に到達したレオンハルトとカエデは、縦横無尽に攻撃を続けるヘリに向かって猛然と降下していく。敵の地上部隊は対空砲火で迎え撃つが、高速で移動する戦闘機に対して、機銃弾を命中させるのは至難の業だ。
狙いを定め、トリガーを引く。次の瞬間、あれほど一方的に攻撃を続けていた攻撃ヘリはあっけなく爆散した。
「アイギス5、スプラッシュ1」
『アイギス6、撃墜しました』
『今だ! 対空ミサイル持って来い!』
レオンハルトとカエデが同時にヘリを撃墜したその直後、瓦礫に隠れていた守備隊員が対空ミサイルを担いで通りに飛び出してくる。次々にヘリが撃墜され、間隙を縫うように守備隊の装甲車が前進を始めた。
『支援に感謝する!』
「せっかく助けたんだから、死ぬんじゃないぞ」
通信を切り、上昇する。対空砲火は続いているが、徐々に沈黙しつつある。空の脅威がなくなった守備隊が敵を押し始めたのだろう。
『司令部よりアイギス5。支援に感謝する。このまま上空から支援を――』
「待て。レーダーに我々以外の反応はあるか?」
『いや、君たち以外に上空に反応はないぞ』
再び通信を入れた司令部の職員は、レオンハルトの言葉に不審そうな声で応じた。
「じゃあ、私の前を飛んでいる、あれは何なんだ?」
『何だと?』
レーダーに反応はないが、レオンハルトにはセンターのはるか上空を飛ぶ二機の航空機が見えていた。その姿は徐々に大きくなっている。すなわち、こちらへ向かってきているのだ。
『レーダーに反応はない。君は一体何を――』
「敵の新型だ。交戦する!」
『待て、これは一体何だ。突然、レーダーに反応が!』
どうやら宇宙センターのレーダーがようやくあの敵機を捉えたようだ。先ほどまで冷静さが嘘のように動揺を露わにしている。
「アイギス5より司令部。それがおそらく敵の新型だ。迎撃するが、他に反応はないか?」
『ない。だが、レーダーの監視は続けよう。君たちはその新型の排除に専念してくれ』
通信を切り、眼前の敵に目を向ける。レーダーに輝く二つの光点には、司令部の戦術コンピュータが敵性機の識別信号を割り振っている。
「アイギス6、準備は良いな?」
『いつでもいけます』
「よし。――アイギス5、交戦」
『アイギス6、交戦!』
正面から敵の新型とすれ違う。機銃弾が飛び交い、レオンハルトの機体を掠めた。そのまま、切り込むような急旋回で後ろを取ろうとするが、敵機はさらに鋭い動きでレオンハルトを躱す。
「なかなかやるな。アイギス6、大丈夫か?」
『だ、大丈夫です』
敵の片割れがカエデの後ろに食いついている。援護しようにも、レオンハルト自身も一進一退のシザーズ機動の最中だ。
敵機が少しだけ旋回に遅れた隙を突いて、レオンハルトがカエデの援護に入る。レオンハルトが放った機銃弾は敵機の面前を通り抜けた。さすがに動揺したと見える敵機は、旋回して距離を取る。
『ありがとうございます』
「仕切り直しと――撤退するのか……?」
二人から距離を取った敵機はそのまま南の空へと向かっていく。不思議に思っていると、司令部から通信が入った。
『司令部よりアイギス5。敵の掃討に成功した。支援に感謝する』
「なるほど。任務終了、というわけか」
レオンハルトがぼそりとつぶやく。所定の目的を達成すれば、優勢であっても撤退する。あれがこれから戦うことになるだろう敵と考えると、非常に厄介だ。
『ん? どうかしたかね?』
「いや、何でもないよ。とりあえず、我々の任務は完了したと考えて良いかな?」
通信越しには歓声が聞こえる。地上は激しい戦いの傷跡が残っており、司令部がある中央棟の付近にも装甲車の残骸が横たわっている。敵を掃討したとはいえ、“宝石”を奪われた上に多大な被害を出しており、とても勝利したとは言えない。
『通信が回復して、サン・ミシェル基地と連絡がようやく取れた。どうやら君たちの仲間は奇襲で戦死した三人以外は無事に帰還したようだ』
「そうか。情報、感謝する」
『こちらこそ、貴機の支援に感謝する。幸運を祈る』
「ありがとう」
通信を切り、機首を基地へと向ける。ひとまず事態は収束したが、懸案事項は残っている。宣戦布告なき攻撃、敵の新型、そして“宝石”の強奪。もはやレウスカとPATOの全面対決は避けられないだろうが、統一連邦という巨大な仮想敵も忘れてはいけない。
ようやく、冷戦を終わらせるための下地が整ってきたタイミングでの開戦は、挑発をブラフに過ぎないと考えていた東側の首脳に大きな衝撃を与えるだろう。
『大尉、帰りましょう』
「そうだな」
レオンハルトたちが基地に帰ったちょうどその頃、PATOは臨時の軍事委員会を招集。楼州議会も臨時総会を開催し、今回の攻撃――後にレヴィナス宇宙センター襲撃事件と呼ばれる――に対する対応を協議した。
翌6月16日午前8時、PATO中央理事会のスタウニング事務総長と楼州議会のカンパニョーラ議長が共同会見を行い、レウスカ軍による宇宙センター襲撃を非難する声明を発表。翌日正午までのレウスカ政府による公式な謝罪と、強奪した“宝石”の即時返還、さらに犠牲者に対する賠償を要求するなど、事実上の最後通牒をレウスカ政府に突きつけた。
これに対し、レウスカ人民共和国のミハウ・ラトキエヴィチ国家評議会議長は、PATOと楼州議会の要求を拒絶。レウスカ人民軍による作戦行動開始を表明し、後に宝石戦争と呼ばれることとなる、冷戦期最後の、そして最大の紛争が始まった。
レオンハルトを始め、第231飛行隊の面々は、これから三年間に渡って最前線を飛び続け、熾烈な戦いに身を投じることとなる。
1991年6月16日、PATO中央理事会事務総長及び楼州議会議長の共同声明
PATO中央理事会及び楼州議会は、
1991年6月15日のレウスカ人民軍部隊によるラピス共和国領空の侵犯行為、国有施設に対する軍民を問わない無差別攻撃に対して、強い非難を表明するものであり、
国連総会、楼州議会による、レウスカ人民共和国のPATO諸国に対する挑発行為への非難決議に留意し、
レウスカ民間人への人道的支援の用意があることを表明した1991年4月29日の経済相互援助会議の決定に留意し、
1991年5月10日の国連事務総長による和平会談の呼びかけに留意し、
1991年6月15日のレヴィナス宇宙センター文民職員を標的とした攻撃に責任を有するか共謀した者は責任を問われなければならないことを強調し、
レウスカ人民共和国の主権、独立、領土保全に対するPATO及び楼州議会の保障を強調し、
国際連合憲章第七章に基づいて行動し、
1.ラピス共和国領空侵犯、国有施設に対する軍民を問わない無差別攻撃に対する、レウスカ人民共和国政府の公式な謝罪を求める。
2.PATO共同計画として開発し、レヴィナス宇宙センターより打ち上げ予定であった衛星「ピースメーカーⅠ」の返還を求める。
3.今回の攻撃における全ての犠牲者とその遺族、並びに国有施設に甚大な被害を被ったラピス共和国政府への賠償を求める。
以上、三点について、
1991年6月17日正午までに、レウスカ人民共和国国家評議会議長ミハウ・ラトキエヴィチの名において、遂行の確約を求めるものである。
PATO中央理事会 事務総長 ラース・ロッケ・スタウニング
楼州議会 議長 アドリアーノ・カンパニョーラ