第四話 皇海上空の戦い(3)
『よし。一機墜としたぞ!』
意識が遠のきそうなGの中、戦果報告が回線越しに聞こえる。ギリギリの駆け引きは、一応こちらの勝利で終わったようだ。百合のパーソナルマーク、ソーニャは機体を旋回させて敵からの離脱を図る。
『良くやった! その調子で他の奴も墜とすぞ!』
カザンツェフ中佐の声はとても機嫌が良さそうだ。おそらく、空中戦艦が大した戦果を挙げられずに撤退したことが小気味良かったのだろう。空中戦艦の艦長は出撃前、空軍部隊を盾としてしか考えていないような発言をして方々から顰蹙を買っていたのだ。
当初、戦爆連合による敵軍港や対空陣地の攻略が先であったのだが、キェシェロフスキー准将のごり押しによって、空中戦艦が主体の作戦に変更となった経緯がある。前線のパイロットたちは当然の如く空中戦艦を忌み嫌うようになり、この戦いで空中戦艦が醜態を晒したことに、皆が胸のすく思いをしたのだ。
そして、あの赤いF-18Jの僚機を墜とす、という幸先の良いスタートを切り、彼らは勢いに乗って日本空軍の排除にかかろうとしていた。
『よし、この調子で――』
通信が途絶する。一瞬遅れて、爆発音が聞こえた。ソーニャが振り向くと、後ろを飛んでいた僚機が爆散している。
『な、何だ?』
『赤い奴だ! 赤い奴に気をつけ――』
再び爆音と共に通信が途絶した。赤い奴――赤のF-18Jが気づかない間に編隊の真ん中に割って入っていたのだ。編隊が乱れ、ソーニャたちは慌てて散開する。
緊急散開は編隊に割り込まれてすぐだったのだが、赤いF-18Jはそれも予想していたのか、一機の後ろについてこれを撃墜した。
『脱出する!』
『何だ、こいつ? この間と動きが全く違うぞ!』
敵は数で優るこちら側に対して、猛然と襲いかかっている。ソーニャは機体を切り返して反撃しようとした。だが、後ろを取ろうとした瞬間に赤いF-18Jはソーニャの視界から消え去る。
「な…… 一体どこに!」
『下だ! リーリヤ、避けろ!』
ヴィクトルの言葉に、反射的に操縦桿を引き倒す。コックピットのすぐ右横を機銃弾が通過していき、思わず背筋を冷や汗が伝った。
敵はソーニャへの攻撃に拘ることなく、近くのSt-37に襲いかかる。狙われたパイロットは、必死に機体をジグザグさせたが、逃げ切れない。機関砲でズタズタに切り刻まれ、海上へと墜ちていった。
さらに、撃墜された機の向こう側を飛ぶパイロットも、右翼に機銃弾を受けて黒煙をたなびかせている。
『く、くそっ、狙われてる! 誰か助けてくれ!』
姿勢を何とか回復したソーニャは援護に行けない。辛うじて間に合いそうなカザンツェフ中佐が飛び出した。必死に逃げ回るパイロットを追尾する赤いF-18Jを、横合いから殴りつけるように攻撃する。
だが、敵は攻撃を予測していたかのように、カザンツェフ中佐の偏差射撃をひらりと躱した。そして、敵の偏差射撃は過つことなく追尾するSt-37のエンジン部分に直撃し、パイロットが脱出する間もなく爆散させた。
『あ、悪魔だ。あいつは悪魔に違いない!』
『落ち着け! 相手は生身の人間だぞ!』
『だったら、何で隊長の攻撃を避けられたんです! あれを避けられるなんて人間業じゃない!』
パイロットたちはパニックに陥って、カザンツェフ中佐の言葉に耳を貸さない。指示にも従わず、バラバラに逃げ散っていくパイロットたちを赤いF-18Jの僚機が追撃する。
『し、しまっ――』
『やられた! 脱出する!』
精強を誇った第72戦闘機連隊のパイロットたちは、混乱状態のまま次々に撃墜されていく。この戦いだけで、実に半数の六人が撃墜されている。
『……グラーフより司令部。撤退許可を』
『こちら、司令部。そちらの状況は把握した。シチシガはすでに安全圏へ離脱している。諸君らの撤退を許可する』
無感動な作戦司令官の声がカザンツェフ中佐に応える。戦爆連合の指揮官として、空中戦艦にお株を奪われた上に、肝心の露払いがこの様では声が固くなるのも無理はないだろう。
「こちら、リーリヤ。後ろの爆撃部隊はまだこちらに?」
『今から撤退させる。護衛を頼む』
『分かった。任せ――』
カザンツェフ中佐が言い終える前に、赤いF-18Jがトップスピードでソーニャたちを抜き去っていく。一瞬、何が起きたのか分からなかったソーニャだが、すぐに敵の意図を理解し、血の気が引いていく。
「爆撃機が! 急いで戻らないと!」
ソーニャが赤いF-18Jの追尾を始めると、他の面々も慌ててソーニャに続いた。
だが、これを赤いF-18Jの仲間たちが妨害する。嫌がらせのような攻撃が繰り返され、なかなか先を行く敵に追いつくことができない。ソーニャが後ろからの攻撃を急旋回で避けたと同時に、帰路につこうとしていた爆撃部隊から悲鳴のような通信が入ってきた。
『敵機接近! 追いつかれる!』
それは、レウスカ・統一連邦合同部隊の決定的な敗北を告げる通信であった。
操縦桿を引き倒し、右へ旋回する。機銃弾が機体の脇を通り抜けていくが、レオンハルトは気に留めることなく目の前の敵へと向かっていった。レオンハルトの眼前には、今まさに帰投しようとしていた爆撃機の群れが飛んでいる。護衛の数は少なく、攻撃のチャンスだ。
「爆撃機を叩き潰す。各機、支援を」
『りょ、了解』
レオンハルトに応えるジグムントの声はやや引きつっていた。一人で敵部隊へと突っ込み、徹底的にかき回して撃墜していったレオンハルトの腕前に驚いているのだろう。
ジグムントだけでなく、この空域を飛んでいる全てのパイロットが、レオンハルトの異様な戦果に言葉を失っていた。
『なんて奴だ……』
『まさしく、血塗れの鷲だな』
“血塗れの鷲”とは、誰が考えたかは分からないが、レオンハルトの真っ赤なF-18Jと、多くの敵を葬ったことに由来するネーミングだ。この戦い以降、レオンハルトの赤いF-18Jが戦場に現れるたび、味方は「血塗れの鷲」と、敵は「悪魔」と恐れおののくこととなる。
そして、レオンハルトの名声を確かなものとしたのは、皇海上空の戦い終盤の追撃戦だったのである。
レオンハルトは機体を上下左右に旋回させながら護衛機を華麗に躱し、爆撃機が斜線上に入るたびにトリガーを引いていく。
F-18Jの機関砲から放たれた20ミリ弾が、逃げ惑うレウスカ空軍の爆撃機へと次々に突き刺さり、大爆発を起こす。レオンハルトは爆弾倉を見事に捉え、わずかなタイミングを逃すことなくトリガーを引いているのだ。
レオンハルトの神業に気づいたパイロットたちの間に動揺が広がる。
『馬鹿な、全て爆弾倉を貫いているとでも言うのか?』
『信じられん。俺は夢でも見てるのかよ……』
同僚たちの感嘆の声にも耳を貸すことなく、レオンハルトは淡々と爆撃機を狩っていく。まるで七面鳥撃ちのようだ。
敵の護衛機も決して仕事をしていない訳ではない。必死でレオンハルトに食らいつき、攻撃を妨害しようとしているのだが、レオンハルトの腕がそれを遙かに上回っているのだ。
十数機のBol-31が、わずか一機のF-18Jに翻弄され、数十機の爆撃機が雲間を逃げ惑う様は衝撃的としか言いようがない。いくら機体の性能差があるとは言え、ここまでの一方的な戦闘は誰も予想だにしなかったことなのだ。
レオンハルトが十七機目の爆撃機を撃墜した直後、ようやくジグムントたちの執拗な攻撃を抜け出したSt-37の部隊がレオンハルトの近くまでやって来た。
レオンハルトの支援に入ろうとしたジグムントに対して、レオンハルトは通信を入れる。
「アイギス3。お前たちは爆撃機を墜とせ。ファントムは私が相手をする」
『へ? いや、そうは言っても相手は――』
「――同じことを二度言わせるな」
いつになく固い声のレオンハルトに、陽気なジグムントも黙らざるを得ない。
ジグムントたちが爆撃機へと向かうのを見届けると、レオンハルトは六機のSt-37の前に立ち塞がった。
「逃がさんぞ……」
低い声でつぶやくと、スロットルを開けて機体を加速させつつ、敵機へと一気に接近。突然の接近に対応できなかった敵をヘッドオンで撃ち落とすと、そのまま五機の敵とのドッグファイトへ突入した。
敵に囲まれ、間断ない攻撃に晒されながらも、レオンハルトは被弾することなく銃弾の雨をくぐり抜けていく。レオンハルトは、決してトリガーを引かずに攻撃を避け続けているが、これはただ受け身になっている訳ではない。レオンハルトは敵の攻撃を読み、これを避けながら機会を窺っているのだ。
しばらく敵の攻撃を回避するだけの時間が続く。そして、膠着状態に痺れを切らした敵の一人の動きが単調になる。その瞬間、F-18Jの機関砲が火を噴いた。機銃弾はコックピットを撃ち抜き、パイロットを失ったSt-37が炎を上げながら海上へと墜落していく。
「スプラッシュ1」
淡々とした撃墜報告に、味方のパイロットですら息をのむ。
どれだけ攻撃を仕掛けても掠りもせず、逆に一撃で味方を失ったことに動揺したのか、残る四機のSt-37はレオンハルトの包囲を止め、距離を取ろうとする。
だが、それがいけなかった。
レオンハルトは、彼らが距離を取ろうとしたわずかな隙を突いて敵機へと迫り、二機を同時に撃ち落としたのである。残った二人――“百合”と“鴉”――は僚機が攻撃されている間に、全速力でレオンハルトの攻撃圏内から脱出した。
レオンハルトは、ここでようやく戦闘を終え、同じく爆撃機の掃討を終了したアイギス隊と共に帰投しようと、本部に通信を入れた。
「こちら、アイギス1。敵の掃討を完了した」
『こちら、帝都コントロール。敵爆撃機部隊の掃討を確認。艦隊護衛のための交代部隊が到着し次第、帰投を許可する』
「アイギス1、了解」
通信を終え、編隊飛行に戻る。ふと、レオンハルトが眼下の海へと目を向けると、救助ヘリがロープを下ろし、ベイルアウトしたパイロットたちを救助していた。日本側が救出を終え、帰投した頃にはレウスカ軍の救助部隊がベイルアウトしたパイロットを回収しに来るのだろう。
ちなみに、第二次大戦後の慣習として、海上を漂流する兵士についてはその所属国が救助することとなっており、その救助を妨げることは重大な紳士協定違反とされている。このような事情から、海での戦いは双方に捕虜が出ないようになっていた。
それはさておき、交代のための部隊がやって来たレオンハルトたちは基地へと帰投する。
だが、帰投した基地でレオンハルトを待っていたのは、戦勝の立役者を迎える歓声ではなく、冷酷で知られる帝国憲兵であった。
帝都空軍基地の搭乗員待機室には、皇海上空の戦いから帰ってきたパイロットたちで溢れかえっていたが、その入り口付近は別の意味で騒がしくなっていた。
アイギス隊隊長であるレオンハルトを帝国憲兵が取り囲み、それに対してジグムントらアイギス隊のパイロットたちが猛抗議していたのだ。
「ウチの隊長が何したって言うんだ!」
「そうだ、そうだ!」
「黙れ! 我ら帝国憲兵に下った命令は、エルンスト少佐の逮捕だ。邪魔をするなら、公務執行妨害と見なすぞ!」
パイロットと憲兵が押し合いへし合いしているところへ、憲兵とは別の制服を着た男が割って入ってくる。ジグムントたちがその男をにらんだのに対して、憲兵たちは直立不動の敬礼でこれを迎えた。
「エルンスト少佐の身柄確保を命じたのは、我々帝国公安局だ。本件は我が国だけではなく、環太平洋条約機構全体の保安に関わる事案となっている。これに対する妨害は、公務執行妨害では済まない。国家反逆罪として扱うよう指示が出ている」
「国家反逆罪だと……?」
IDPSの者だと名乗った男の言葉にパイロットたちが絶句する。国家反逆罪の罪状が出てくるというのは余程のことだからだ。
男は顔色一つ変えずに続けた。
「とにかく、エルンスト少佐の逮捕については裁判所の手続きも済んでいる。何か言いたいことがあるならば、裁判所で不服申し立てでもしてくれたまえ」
「何かの間違いだろうから、すぐに帰ってくるさ。クシロが帰ってきたら、説明をしておいてくれ。それまでは、ジグムント。お前に隊を任せた」
「少佐……」
レオンハルトが宥めると、パイロットたちもようやく落ち着きを見せた。それを見届けると、男は憲兵を引き連れてレオンハルトを連行していく。
皇海上空の戦いで最も活躍したレオンハルトが、公安当局に逮捕されるという衝撃の冷めぬ翌日、レウスカ海軍の太平洋艦隊が日本に向けて出撃したという報が入った。
アイギス隊は、レオンハルトとカエデという二つの柱を欠いたまま、日本本土上陸を防ぐための一大決戦へと挑むことになったのである。