第三話 皇海上空の戦い(2)
「全機、敵空中戦艦から距離を取れ!」
突然現れた空中戦艦の対空砲火を避けるため、レオンハルトは僚機に命令を出した。列島へ接近中の敵機を迎撃しようとしていたジグムントたちが慌てて高度を下げる。
空中戦艦の対空砲火は、同じ高度かそれ以上に向けて放たれている。そのため、高度を下げればひとまずは攻撃を受けないだろう、ということだ。
だが、高度を下げればレウスカ空軍の大部隊が控えている。ジグムントたちは、混戦に巻き込まれてしまった。両軍の戦闘機が入り乱れ、激しい砲火の応酬が繰り広げられる。空中戦艦の出現に動揺した日本側がやや押されているが、戦力では負けていない。
一方、その空戦から少し離れたところを飛んでいるレオンハルトとカエデは、空中戦艦から飛び出してきた小型の戦闘機に困惑していた。物理的に限界に近い動きで飛び回る戦闘機を相手に、追いかけることすらままならなかったのである。
空中戦艦に関しては、前回出現した回廊要塞の戦いで大したデータを取れておらず、情報部も詳細を把握できていない。このため、空中戦艦の武装などの情報は曖昧であり、ある軍高官に至っては空中戦艦など存在しない、と主張するほどであった。
空中戦艦と共に現れた小型の戦闘機に関しても、明確にその存在を認識したのは、この皇海上空の戦いが初めてだったのだ。
「実に厄介だ、な!」
後ろに回りこんだ小型機の攻撃を避けつつ、目の前に飛び込んできた敵目掛けてトリガーを引く。しかし、小型機は異常な機動でこれを躱すと、急旋回して逆に攻撃を仕掛けてきた。
命中こそしないものの、さすがのレオンハルトもこれには驚かされる。
「まさか無人機か?」
レオンハルトの予測はまさにその通りなのだが、敵の正体が分かったところで解決方法はない。敵の無茶苦茶な機動に翻弄されるばかりだ。カエデも四方から浴びせられる攻撃を避けるので手一杯になっている。
何とかしようと、レオンハルトは機体をジグザグに動かして攻撃を回避しつつ、小型機に狙いを定めてトリガーを引く。先ほどと同じく、狙った小型機には当たらないが、レオンハルトは構うことなく断続的に機銃掃射を繰り返す。
すると、無理な機動でバランスを崩した小型機がレオンハルトの斜線上に飛び出してしまい、機銃弾を受けて爆散した。
「かなり脆いな。アイギス2、当たれば墜とせる。とにかく攻撃を続けろ」
『りょ、了解です』
コツを掴んだレオンハルトは次々に小型機を撃墜していくが、空中戦艦からは撃墜した以上の小型機が発進する。小型機の数は徐々にレオンハルトたちの対処可能な数を超え、戦術コンピュータも想定外の敵数に処理能力の限界を迎えつつあった。
レオンハルトが取り囲まれ、機銃弾が機体を掠る。
「くっ、もう駄目か……?」
レオンハルトが諦めかけたその時、通信が入った。
『こちら、HIMS長門。これより対空攻撃を開始する。上空の戦闘機はただちに待避せよ』
「ナガト? 海軍が来たのか」
その通信と共に、日本空軍の戦闘機が最大速度で一斉に散開する。一瞬遅れて、先ほどの空中戦艦にも負けない規模の対空砲火がレウスカ空軍の戦闘機や小型機を切り裂いた。
これぞ、日本が世界に誇る帝国海軍の連合艦隊による対空攻撃だ。第二次世界大戦の際、ナチス・ベルク空軍の対艦攻撃に悩まされた経験から、戦後の帝国海軍は対空戦闘能力の強化に励んできた。
その成果を発揮する時が来たのである。長門が旗艦を務める第1艦隊を出してくるあたり、海軍上層部は本腰を入れたようだ。再び通信が入る。
『第1艦隊司令長官の玖代だ。上空に展開する空軍機、我々の出撃までよく耐えてくれた。これより海空一体での防衛戦を開始する』
カエデの父でもあるクシロ中将の通信と前後して、レオンハルトのF-18Jに搭載された戦術コンピュータが、第1艦隊とデータリンクする。そして、長門とその同型艦である白駒に搭載された強力な電子戦装備が、上空の空軍機に対する電子支援を開始した。
近年、なかなか命中しなくなってきているミサイルだが、このように強力な電子支援の下であれば有効に活用することができる。日本空軍はようやく混乱から立ち直り、レウスカ空軍への反撃を開始した。
『タイガー4、スプラッシュ1』
『よし! 敵機撃墜』
『逃げる奴には構うなよ。後ろにもまだ敵はいるんだ。とにかく目の前の敵を追い払え!』
今までの混乱が嘘だったかのように、日本空軍がレウスカ空軍を押し始める。海上からのレーザー誘導によって、レオンハルトが発射したミサイルは逸れることなく目標を追尾する。
だが、そのミサイルは突然目標を見失ったかのように、見当違いの方向へと飛んでいった。同時に、レーダーにも再び異常が発生する。
「またか?」
『何だ、これは――』
通信も途絶する。原因として考えられるのは、高空を飛ぶあの空中戦艦だけだ。
『――えるか? 妨害の発生源は――戦艦と思われる――』
ノイズ混じりだが、長門からの通信も同様の意見であった。この場を乗り切るには、空中戦艦をどうにかするしかない。レオンハルトは、通信回線を開いた。
「アイギス2、聞こえるか?」
『はい。聞こえます』
「よし。……空中戦艦を叩くぞ」
『了解』
レオンハルトとカエデが上昇を開始する。それを見たジグムントとイオニアスが戦闘から飛び出してついて来た。
『俺たちもやるぞ』
「ああ。アイギス5、残りの指揮を頼む」
『了解です!』
アイギス5に部隊の指揮を任せ、四人は空中戦艦へ接近する。激しい対空砲火が彼らを迎えた。それを潜り抜けながら、空中戦艦の上空へと滑り込む。
「まるで空飛ぶ空母だな」
『あれ、もしかして戦闘機じゃないか?』
ジグムントの言葉に、空中戦艦へと目を向ける。確かに、上部甲板と思わしき部分から先ほどの小型機が発進していた。
『隊長の言う通り、まさしく空飛ぶ空母ですね』
『気流とかその辺は大丈夫なのか? 普通、こういうのは飛べないと思うんだが』
ジグムントがそう言った直後、発艦した小型機が空中戦艦の生み出す気流に巻き込まれ、バランスを失った。
やっぱりな、と言ったジグムントの目の前で、失速状態だった小型機がバランスを回復する。その動きは、物理的な限界を超えているように思えた。
『な、何だぁ? あいつ、変な飛び方しやがったぞ』
「いかんな。こっちに来るぞ!」
次々に発艦した十二機の小型機が、レオンハルトたちを取り囲むように接近してきた。三機を相手に曲芸飛行のような機動を強いられる。空中戦艦からの対空砲火をくぐり抜けながら、小型機からの攻撃も避ける。
突然、イオニアスの後ろについていた小型機が、対空攻撃を受けて粉々になった。
『同士討ち?』
「無人機なのは間違いないようだな。同士討ちなんてまるで気にしていない」
レオンハルトの言葉通り、空中戦艦の対空砲火は小型機もしばしば撃墜しているが、攻撃が止む気配はなく、むしろ激しくなる一方だった。
空中戦艦と艦載機の挟み撃ちはとても厄介だ。レオンハルトはこれ以上の発艦を止めるべく上部甲板へと近づくが、途端に警報音が鳴り響いた。
「くそっ、ミサイルか!」
フレアをまき散らしながら、上部甲板スレスレを飛ぶ。離陸しようとしている小型機の直上を通過すると、思い切り機首を引き上げた。
レオンハルトを追尾していたミサイルは、その急上昇について行けずに小型機へと突き刺さり、上部甲板で大爆発を起こす。滑走路のようになっていた甲板に大きな穴が開いた。
さらに、発艦しようとしていた後続の小型機が穴に引っかかり、続けざまに爆発。上部甲板は無残な姿を晒した。
空中戦艦の上部甲板は、進行方向に対して斜めに向かっているアングルドデッキとなっていたのだが、カタパルト部分が損傷している。これで小型機の発進は防げるだろうが、依然として電子妨害は続いていた。強烈な対空網も維持されている。
『くそっ、これじゃ近づけねぇぞ!』
『またミサイルが!』
上部甲板を傷つけられたことへの反撃か、対空ミサイルが空中戦艦の至る所から発射され、アイギス隊を決して寄せ付けない。
そうこうしている内に、第1艦隊に対する攻撃が始まった。轟音と共に、海上に向けて空中戦艦下部の砲台が火を噴いたのである。長門の至近に、次々に水柱が上がる。長門は速力を上げて回避運動を取った。
砲撃は徐々に長門へと近づいていく。五度目の砲撃で遂に砲弾が右舷を掠り、至近距離で炸裂した。
『右舷被弾!』
長門のオペレータからの悲鳴のような通信が入る。長門の速力が目に見えて落ちていく。六度目の砲撃は、確実に長門を捉えるだろう。
レオンハルトたちは下部砲台に向かって急ぐ。四人は一斉にミサイルを発射したが、後一歩及ばず、六度目の砲撃が行われた。砲弾は長門への命中コースを辿る。ミサイルが砲台に命中したことにも気づかず、カエデが思わず叫んだ。
『お父様!』
だが、その砲弾は長門には当たらなかった。ギリギリで長門の左側面に滑り出たフリゲートが盾となったのだ。砲弾は弾薬庫を貫き、フリゲートは大爆発を起こした。爆風に煽られた長門が右へと傾く。
真っ二つになったフリゲートは、瞬く間に海中へと沈んでいった。脱出した乗組員はいない。
『こちら、長門。HIMS睦月の尽力により、当艦の被害は軽微。睦月の犠牲に報いねばならん。諸君の協力を願う』
長門に座乗するクシロ中将が淡々とした声で全軍に告げる。そして、この通信を皮切りとして第1艦隊の猛攻撃が始まった。
『目標、敵空中戦艦! 撃て!』
長門の主砲が火を噴く。僚艦も長門に続いて空中戦艦を攻撃する。
レオンハルトたちに下部砲台を潰されてしまった空中戦艦は、第1艦隊の対空攻撃に対処することができない。空中戦艦は被弾しながらも、高度を上げつつゆっくりと反転する。
『逃がすな! 畳み掛けろ!』
『こちら、ジャック1。追撃するので、援護を』
日本空軍の戦闘機部隊が空中戦艦に追いすがる。だが、そこにレウスカ空軍が立ち塞がった。St-37の編隊が現れ、空中戦艦を追おうとしていたF-3Cに襲いかかったのだ。
空中戦艦は乱戦に突入した空軍機を尻目に、速度を上げて空域を離脱する。
『くそっ、逃げられるぞ!』
『厄介な!』
St-37の群れは、見事に日本空軍の追撃を防いで空中戦艦の離脱を援護した。レオンハルトたちも、St-37の部隊に捕まっている。それも、ブリタニア戦線でも戦ったあの“百合”が所属する部隊だ。
『何度も何度も……。しつこいんだよ!』
「空中戦艦にはもう追いつけないな。とりあえず、こいつらだけでも何とかするぞ」
真正面からのヘッドオンを避け、切り込むように右斜め下へと高度を下げる。それに対して、敵は右斜め方向へのスライスバックでレオンハルトたちの後ろを取ろうとした。
「かかった……!」
そのタイミングを見計らって、レオンハルトは機体を急減速させる。ショルダーハーネスで思いきり体が締め付けられるが、歯を食いしばってGに耐えた。
百合のパーソナルマークのSt-37はオーバーシュートして、レオンハルトの目の前に飛び出た。トリガーを引くが、不安定な姿勢の中での攻撃はなかなか当たらない。レオンハルトの攻撃も機体のギリギリを通り抜けていった。
「ブレイク! オーバーシュートするぞ!」
レオンハルトがとっさに叫ぶが、カエデの反応が一歩遅れる。カエデの機体がオーバーシュートした。
『あ――』
機銃掃射を受け、カエデの機体が切り刻まれる。ボロボロになった機体は黒煙を噴き出しながら、海上へと墜落していった。
「アイギス2! 脱出しろ!」
カエデからの応答はない。そのまま機体は雲の向こうへと隠れてしまった。そのまま、レーダーからカエデ機の反応が消失する。脱出は、確認できない。
「くそっ! アイギス2、応答しろ! カエデ!」
『――こちら、アイギス2。脱出しました』
弱々しい声だが、カエデからの応答がようやく返ってきた。思わずため息をつく。
空中戦艦が離れたことで、微弱な通信電波でも捉えられるようになったようだ。カエデとの通信は良好とは言えないものの、何とか聞こえている。
「アイギス2、聞こえるか? すぐに救援を向かわせる。それまで耐えてくれ」
『……了解』
『おい、どうかしたのか?』
『脱出する時に、少し怪我を……』
思わず、レオンハルトの顔が苦々しいものになる。いくら戦闘に参加するパイロットとは言え、女性が怪我をするというのは気分の良くないものだ。それが自身の部下となれば、なおさらのことである。
レオンハルトの目がすっと細められた。その瞳は、カエデを傷つけられたことへの怒りに燃えている。
「……さて。ウチのお姫様に傷をつけた責任、取ってもらうとしようか」
レオンハルトの声は、ジグムントとイオニアスの二人が聞いたことのないほど低い声であった。
後に、ジグムントは同僚にこう語っている。隊長だけは怒らせてはいけない―― と。