第二話 皇海上空の戦い(1)
「実際のところ、戦力差はどうなのだ? 同志ソビエスキー閣下は帝国海軍如き敵ではない、と仰っていたが」
「一戦してみなければ、というのが私の意見です。空中戦艦がどこまで海戦で役に立つのか……」
ライカンゲル要塞の要塞司令官執務室には、レウスカ人民海軍の制服を着た軍人たちがそろっている。要塞司令官のものであった席に座るのは、レウスカ人民海軍太平洋艦隊の司令長官であるクレツキー中将、そしてその前に立っているのは太平洋艦隊の参謀たちだ。
クレツキー中将は間近に迫った日本侵攻作戦に向けて、現状を確認するために参謀たちを招集していた。
「むぅ……。だが、日本侵攻作戦はすでに決定事項だ。今さら無理だとは言えんぞ」
参謀たちが呆れた目でクレツキー中将を見つめる。日本侵攻を検討する会議の席上で、安請け合いしたのはクレツキー中将その人に他ならないからだ。
参謀たちから無言の圧力を受け、弱り切った様子のクレツキー中将の前に一人の男が進み出た。
「同志クレツキー閣下、私にお任せください」
「キェシェロフスキー准将……」
「私と私のシチシガにかかれば、帝国海軍など恐るるに足らず。どうぞ出撃をお命じください」
空中戦艦シチシガの艦長であるキェシェロフスキー准将は、自信に満ち溢れた様子だ。本来ならば、艦長クラスではこの会議に出席できないはずなのだが、国家プロジェクトである空中戦艦の艦長であるので特別に出席している。参謀たちにとっては鬱陶しい存在だ。
「そうは言ってもな……」
「閣下、すでにこの作戦は始まっているのです。躊躇している暇はありませんぞ」
詰め寄るキェシェロフスキー准将の胸元に輝くラトキエヴィチ徽章を見て、クレツキー中将は今さらながらに、彼がミハウ・ラトキエヴィチ直々に任命された艦長であることを思い出した。
「わ、分かった。シチシガを前面に押し出そう。水上部隊がこれを援護する」
慌てふためくクレツキー中将に対して、参謀たちは冷たい目を向ける。居た堪れなくなったクレツキー中将は、後事を参謀長に任せて自室へと引っ込んでしまった。
その後、参謀長が具体案を詰めようと会議室で話し合いを持ったものの、キェシェロフスキー准将は、仔細な作戦など不要、とシチシガの出撃を強硬に主張し続けた。参謀長は作戦の取りまとめを諦め、結果として日本侵攻作戦は詳細を詰めないままに開始されることとなった。
参謀たちも、キェシェロフスキー准将に対する反感こそ持っていたが、日本海軍の実力を深刻には捉えていなかったのだ。
1992年1月7日、レウスカ太平洋艦隊のクレツキー中将は正式に日本侵攻作戦「失墜」の総司令官に就任。翌日、太平洋艦隊出撃の先陣としてレウスカ空軍が大規模な戦爆連合を組織し、日本本土――特に軍港や空軍基地など――を目標としてライカンゲル要塞から出撃した。
帝都空軍基地にサイレンが鳴り響く。帝国空軍のレーダー網がレウスカ空軍機の接近を捉えたのだ。アラート待機のF-3C戦闘機が飛び立っていく中、レオンハルトは準備を整えて愛機へと向かう。
整備を担当する若々しい青年が固い顔でレオンハルトを迎えた。
「ご、ご武運をお祈りします!」
「まあまあ、落ち着いてくれ。君が出撃する訳ではないだろう?」
ガチガチに固まった航空整備士にレオンハルトが笑いかけ、F-18Jのコックピットに乗り込んだ。出撃前の始業点検を済ませ、エプロンへと滑りだす。
「アイギス1よりアイギス各機。聞こえるか?」
レオンハルトが僚機へ通信を送ると、一瞬遅れて続々と応答が返ってきた。全員と通信が繋がることを確認すると、後は管制塔からの指示を待つだけだ。
十分ほど待つと、ようやく管制塔から滑走路進入の指示が出る。最終確認の後、管制塔からの離陸許可と共にスロットルを開けた。機体が加速し、体がシートに押し付けられるが、離陸時にかかるGはたいしたものではない。レオンハルトは負荷を感じることなく上昇していく。
帝都空軍基地の管制空域を離れて帝都コントロールの管制空域に入ると、要撃管制官が通信に出た。
『コントロールよりアイギス1。状況は理解しているか?』
「慌ただしく出たからな。状況を確認させてくれ」
『了解した』
戦域情報システムがデータリンクを開始し、レオンハルトの視界に浮かんでいる仮想ウインドウに日本近海の広域地図が表示された。広域地図には無数の光点が輝いており、それぞれ赤と青に塗り分けられている。敵が赤、味方が青だ。
要撃管制官が状況の説明を始める。
接近しているレウスカ空軍の戦爆連合は百五十機を超える規模で構成されており、戦闘機・攻撃機・爆撃機だけでなく、後方には空中給油機や早期警戒管制機が控えていることも明らかになっている。
敵の先頭を飛ぶ三十機ほどの編隊は、日本側の航空戦力を排除して敵防空網制圧任務に入るための戦闘機部隊であろうというのが、監視任務に当たっているAWACS管制官の意見だ。
これに対する日本側は、アイギス隊も含めて二百機にも及ぶ迎撃機を繰り出して対抗しようとしている。レオンハルトたち第6航空団に配備されているF-18Jの他、日本空軍の主力戦闘機であるF-3Cが多数出撃し、レオンハルトの視界にもF-3Cの姿があった。
『以上で説明は終わりだ。質問はあるか?』
「我々の担当はどうなっている?」
『アイギス・スコードロンは高度10000フィートで敵機に接近。上空から攻撃を仕掛けてくれ』
レオンハルトは、了解、と答えて通信を切った。同様の通信を聞いていた僚機が続々と上昇を開始する。レオンハルトも少し遅れて機体を高度10000フィートまで上昇させた。
眼下には、大陸と列島の間に広がる皇海が見える。出撃前は雲一つない晴天だったが、大陸へと近づくにつれて雲が多くなってくる。要撃管制官によれば、レウスカ空軍の先陣は1000フィートほどの低空で日本へと接近しているはずであり、この状況下では敵部隊を見逃してしまう可能性がある。
レオンハルトがそのことを指摘すると、要撃管制官は高度8000フィートを飛ぶように命令を修正した。
レオンハルトがその命令通りに下降を始めようとしたその時、僚機から通信が入った。
『アイギス9よりアイギス1。1時方向、何か見えました』
レオンハルトがその方向を意識して目を凝らすと、拡張角膜が自動的に拡大表示を行う。仮想ウインドウ上に映ったのは、どうも航空機のようだった。その高度は8000フィートで、アイギス9がこれを発見したのは偶然にも8000フィートへ高度を修正するように命令が出されたからだろう。
すぐさま要撃管制官に確認を取るが、そのような機影は確認できない、というのが返答であった。
「アイギス1よりコントロール。未確認機に接触する」
『了解した。十分に警戒せよ』
レオンハルトは部隊を二つに分ける。レオンハルト・カエデのコンビとアイギス5・アイギス6のコンビが不明機に接近し、残る八機はアイギス3ことジグムントが率いるように指示を出した。
高度8000フィートへと降り、不明機へと向かう。近づいていくと、徐々に不明機の姿が明瞭になってきた。
開戦以来、たびたび対峙してきた統一連邦の新型機。間違いなくその機影はSt-37のものだった。東側情報機関の働きにより、すでにその型式番号だけでなく詳細な性能についても明らかになっている。
ブリタニア戦線では互角な戦いを繰り広げることができた。St-37は、環太平洋条約機構にとって脅威ではなくなりつつある。それでも、厄介な敵には変わりなかった。
「不明機はファントム。八機を確認」
『データリンクをこちらでも確認した。WAISに反映する』
レオンハルトたちの拡張角膜を通じて収集された敵の情報がWAISに表示される。これらは生体技術の発展が可能にした情報共有システムだ。予め得られている情報から、敵の残弾数や燃料などの推測値も表示されるなど、かなり高度な情報戦を展開することができるようになっている。
リアルタイムで更新される情報を確認しながら、レオンハルトたちは敵機へと迫る。すると、急にアラームが鳴った。レーダー照射を受けている警告音だ。
「ミサイルを警戒」
『レーダーに異常! 映像が乱れています!』
カエデが叫ぶ。レーダーディスプレイを見ると、確かに砂嵐のような映像が表示されていた。
『データリンク途絶!』
アイギス5の通信と前後して、レオンハルトもデータリンクが途絶してWAISがエラー表示を出す。明らかに電子妨害、それもかなり強力な妨害が行われていた。
「コントロール、ECCMを要請する!」
『――』
「くそっ、通信も駄目か」
要撃管制官との通信までもが妨害されており、レオンハルトたちは孤立無援の状態に置かれてしまう。
電子妨害の元を断つべく、レオンハルトが周囲に目をやって電子戦機を探していると、前方のSt-37がミサイルを発射した。当然、レオンハルトたちはフレアを射出しつつ回避をしようとするが、ミサイルはフレアに妨害されることなく、レオンハルトたちを追尾する。
「面倒なことを!」
レオンハルトは機体を切り込むように旋回させて、何とかミサイルを避ける。強烈なGに意識が遠のきそうになるが、何とか耐え切った。
カエデも回避に成功したが、アイギス5とアイギス6は避けることができずに、至近距離でミサイルの爆風を受けた。
『コントロール不能! アイギス5、緊急脱出!』
『やられた……。脱出します!』
幸い、二人は脱出することができた。下は海だが、海軍の救助部隊が急行するはずなので心配はいらない。
とはいえ、レオンハルトとカエデが著しく不利な立場に置かれたことに変わりはない。
「アイギス2、聞こえるか?」
『聞こえます』
「電子戦機をまず叩くぞ。雲の合間に隠れているはずだ」
『了解』
二人は散開して雲の合間へと向かっていく。攻撃を仕掛けてくるSt-37に対しては、巧みな空戦機動で的を絞らせない。
レオンハルトは雲の中へと突入し、敵の追尾を振り切る。一息ついていると、突然目の前に航空機が現れた。慌てて機首を上げて回避する。航空機の上空を通過する瞬間、レーダーの砂嵐が激しくなった。
「見つけたぞ……!」
旋回して電子戦機の後ろを取ろうとする。電子戦機は大きな機体を旋回させながらレオンハルトの視界から消えようとしていた。
救援通信が入ったのか、二機のSt-37が接近する。レオンハルトは忙しなく旋回しながらも、電子戦機を追い続けた。厄介だな、と思っていると、後ろについていたSt-37の内の一機が突如として爆発した。
『援護します!』
「助かる。任せたぞ」
カエデが援護に入り、レオンハルトを追っていた敵を追い散らす。
レオンハルトは目の前で逃走しようとする電子戦機を正面に捉え、トリガーを引いた。機銃弾が次々に突き刺さり、電子戦機は煙を吹きながら緩やかに降下を始めた。
バラバラになっていく電子戦機を眼下に収めながら、レオンハルトは雲の中から飛び出す。カエデもそれに続いた。
『――ス1、聞こえるか? 繰り返す。アイギス1、聞こえるか?』
「こちら、アイギス1。電子戦機を撃墜した」
通信がようやく回復する。併せて、WAISのデータリンクも復活し、情報が一気に更新された。後方から救援ヘリが近づいているのが分かる。ベイルアウトしたアイギス5とアイギス6の救助に向かっているのだろう。
『そうか。通信が繋がらなかった訳だ。今すぐ、そちらに増援を送る。救援ヘリの護衛をそちらに割こう』
「すまない。助かるよ」
レオンハルトが応答した直後、雲間からSt-37が現れた。通信を切り、再び戦闘へと意識を集中させる。敵は一機減って七機。ようやく敵を落ち着いて見ることができたが、どうも例の“百合”はいないようだ。
機体の状態を確認しつつ、敵機へと迫る。迎え撃つ砲火をギリギリで躱しながら、先頭の敵に機銃弾を叩き込んだ。主翼を失って墜落していく敵機に目を向けることなく、レオンハルトは次の敵に向かっていく。機体の横腹を機銃弾が掠った。
『こちら、メイス1。増援に来たぞ!』
待ちに待った増援の到来だ。四機のF-3Cがレオンハルトたちの後ろから急速接近し、レオンハルトを追い越して敵編隊へと突っ込んだ。F-3Cはすれ違いざまに四機の敵を葬り去る。なかなか練度の高い編隊だ。
『スプラッシュ1』
『グッドキル、グッドキル』
F-3Cは機首を上げ、インメルマンターンで反転する。一方、三機に減った敵部隊も反転して撤退していった。
戦力差ができたから撤退するのか――
そう思ったレオンハルトの機体が、突然激しく揺さぶられた。揺れる視界の中で、増援に来たF-3Cが突如として爆発し、墜落していくのが見えた。
「何が起きたんだ!」
『わ、分かりません!』
カエデが通信に出る。彼女は謎の攻撃を受けなかったらしい。
混乱するレオンハルトたちの左方、雲間からぼんやりと何かが浮かび上がる。反射的に緊急回避した二人の上空に、爆炎が咲く。
「これは一体……」
『高高度偵察機より緊急入電! 敵の空中戦艦が出現した!』
『出現って…… こんな突然に現れるものなの?』
空中戦艦はまさに突如として出現した、と言うほかない。
皇海上空の戦いは新たな局面を迎えた。それは奇しくも、回廊要塞の戦い同様、レウスカ軍の空中戦艦によってもたらされたのである。