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宝石戦争(旧版・更新停止)  作者: 東条カオル
第三章 敵艦、見ユ
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第一話 束の間の休息

 ライカンゲル要塞は、中央ローヴィス連邦(FCL)が太平洋に突き出したライカンゲル半島に築いた戦略拠点だ。四つの海上要塞と多くの海上トーチカを擁するライカンゲル要塞は、FCL海軍の大部分が母港とする国内最大の軍港でもあった。


 12月26日、FCLの侵攻作戦を進めていたレウスカ人民軍第1軍が、このライカンゲル要塞を攻略。これに応じて、レウスカ太平洋艦隊がライカンゲル要塞へとその拠点を移している。

 そしてこれは、太平洋に浮かぶ島国、日本がレウスカ人民軍の手の届くところとなったということを意味するのであった。




 帝都。日本帝国の首都であり、政治・経済の中心でもある日本最大の都市だ。

 碁盤の目状に区画整理された旧市街を、世界でも有数の高層ビル群に代表される新市街がぐるりと取り囲むように広がっている。新市街の西部は大陸と列島の間に広がる皇海に面しており、旧市街を挟んで反対側の新市街東部には首相官邸や国会議事堂などの政治中枢機構が集中している。


 この新市街東部の一角にある国防省オフィスにて、ライカンゲル要塞陥落とレウスカ太平洋艦隊の接近への対応策が協議され、同時にクガ総理が日本全土に向けて戦時体制への移行を宣言した。

 また、日本侵略の危機に対して、国外派遣されていた空軍部隊が順次帰還することとなり、レオンハルトたち第231飛行隊が属する第6航空団も、ブリタニアから日本へと帰還して来ていた。


 帝都郊外の帝都空軍基地には、第6航空団に所属する戦闘機が次々に着陸しており、レオンハルトもその一員として、滑走路に降り立とうとしていた。


『コントロールよりアイギス1。コンティニュー・アプローチ』

「了解」


 着陸許可が出ると、レオンハルトは機体を滑走路へと向ける。ランディング・ギアを下ろして着陸態勢に入った。

 ゆっくりと滑走路に降り立ったレオンハルトは、そのまま誘導に従ってエプロンに機体を駐機する。キャノピーを開いて搭乗員待機室へと向かっていると、ヒサカタ准将がナラサキ中佐と共に出迎えた。


「やあ。お帰り。ブリタニアではご苦労だった」


 申し訳程度に会釈をしてそのまま黙っていると、ヒサカタ准将が苦笑する。


「まだ怒っているのか? 機体を赤く塗った時はご機嫌だったじゃないか」

「それとこれとは関係ありませんが」

「准将」


 話が進まないと見たナラサキ中佐がヒサカタ准将をたしなめる。ヒサカタ准将は、悪い悪い、と少しも悪く思っていない様子で笑うと、ようやく本題に入った。


「君たちにはブリタニア戦線での功績を鑑みて空軍武功章が授与されることとなった。残念ながら授与式は行われないが、後で私が全員に授与するからブリーフィングルームへ集まるように」

「はっ」


 空軍武功章とは、前線で顕著な軍功を挙げた人物に贈られる勲章だ。戦時には乱発されることもあって、希少性の高いものではないが、授与後は一ヶ月の休暇が必ず与えられるという特権がある。


「ああ、ちなみに特権である一ヶ月の休暇はないからな」


 一瞬だけ芽生えた休暇への希望は無残にも打ち砕かれる。思わずヒサカタ准将を睨みつけると、さすがのヒサカタ准将も焦った様子で付け足した。


「あ、いや。レウスカによる日本侵攻が現実味を帯びているから、休暇は延期になるということだ。それと、三日間の休暇も許可されている」


 それだけ言うと、ヒサカタ准将はそそくさと帰って行く。ナラサキ中佐はため息をつき、詳しくは後ほどまた説明する、と言ってヒサカタ准将を追いかけた。


「どうしたんですか?」


 レオンハルトが振り向くと、いつの間にかアイギス隊の面々が勢ぞろいしている。


「勲章が授与される、という話だ。着替えた後で、ブリーフィングルームに集合する」

「はい」


 部下たちが待機室へ入っていくのを見ながら、レオンハルトはため息をついた。

 どうやら、また働かされるようだ――




 ヒサカタ准将が勲章を授与した後、本来ならば与えられるはずの休暇は、戦時体制であるということを理由に、三日間だけの休暇になったことが伝えられた。パイロットたちは一様に不満そうな表情を浮かべたものの、ヒサカタ准将の後ろに控えるナラサキ中佐の冷徹な眼差しに、文句を言い出す者はいない。


 ヒサカタ准将が退室すると、パイロットたちはぞろぞろと立ち上がり、思い思いに休暇について会話を始める。

 座ったままボーっとしていたレオンハルトに、いつものようにカエデが話しかけてきた。密かにカエデの動きを見ていた周囲のパイロットたちの視線が集中する。


「休暇、短いですけど隊長はどうするんですか?」

「特に予定はないな」


 カエデがレオンハルトの予定を確認する、という状況に周囲の男たちの視線の圧力が増す。


「クシロは実家に帰るのか?」

「はい。そうしようと思ってます」

「そうか。お父上によろしく言っておいてくれ」


 周囲のパイロットたちに微妙な空気が漂う。二人が休暇を共に過ごすことはないようだが、レオンハルトはカエデの父と知り合いなのかもしれない。微妙な雰囲気を保ったまま、二人の会話は続く。


「ブリタニアで兄に送った手紙の返事が来まして、良い上官を持ったな、と書いてありました」

「実に光栄なことだ。お兄さんはこっちに?」

「いえ。今はオーヴィアスの方で」


 第6航空団のパイロットの間では、長らく謎とされてきたカエデのプライベートが思わぬところで明らかになっており、不自然に部屋が静かになる。カエデは気づいていない様子でニコニコと話を続けているが、それに応じるレオンハルトの方は笑いをこらえるのに必死な様子だ。


「隊長、どうかしましたか?」

「い、いや。何でもない」

「そうですか? そう言えば、私ばっかり喋ってましたね。すいません」


 ペコリと謝るカエデにレオンハルトは手を振った。


「いや。あまりカエデの話を聞く機会はないからな」

「それなら良かったですけど……。あ、そうだ。隊長も何か話してください」

「私が、か?」

「はい!」


 カエデがニコニコと嬉しそうに笑っている。


「そうだな……。どうせなら場所を移してゆっくり話そうか」

「そうですね。それじゃ、食堂でコーヒーでも飲みながらにしましょう!」

「ああ」


 そう言うと、二人は連れ立って部屋を後にする。去り際、レオンハルトが部屋に残った男たちにウインクしたことで、彼らはレオンハルトがしっかりと抜け駆けに成功したことに気づいたのである。




 帝都旧市街の上京区、烏丸通と三条通が交差する烏丸三条には、旧白駒藩主である久方(ヒサカタ)家の帝都別邸が鎮座している。この帝都久方別邸の周辺には、久方家の分家筋にあたる諸氏が屋敷を構えていた。

 分家筋の一つである玖代(クシロ)家も同様であり、玖代家の帝都別邸は本家ほどではないものの、男爵家たるに相応しい風格を備えていた。


 冬の夜の寒さの中、玖代別邸の日本庭園に面する縁側には、三日間の休暇をもらったカエデと精悍な風貌の男性が座っている。カエデが空軍の常装冬服であるのに対して、男性の方は和装だ。だが、男性の風貌は苛烈で知られる憲兵将校よりも厳めしい。

 この男性こそ、カエデの父にして帝国海軍第1艦隊司令長官を務めるユキタカ・クシロ中将である。


 二人はカエデが淹れたお茶を飲みながら、庭園を静かに眺めている。不意にクシロ中将が口を開いた。


「ブリタニア戦線でのお前の活躍を聞いた。良くやったな。さすがは私の娘だ」

「もったいない言葉です。お父様」


 二人の会話は少しぎこちない。元々、クシロ中将自身が寡黙だということもあるが、カエデが父の方針に反して空軍に入隊したことも理由の一つだ。

 海軍に入れようとしていたクシロ中将に対して、“中将の娘”という色眼鏡で見られることを嫌ったカエデは、国防大学在籍時にパイロットコースへ進んだ。この一件以来、父娘の間には微妙なすれ違いが生じている。

 とはいえ、同じ空間に居づらいといったほどではなく、会話の切り口に困っている程度のものだ。


 ちなみに、カエデがクシロ中将の娘であるということは、漢字が読めない外国出身のパイロットが多い第6航空団においてはほとんど知られていない。日本人パイロットは薄々気づいている者も多く、ヒサカタ准将に至っては縁戚にあたるために当然ながら知っているが、それでもカエデを“中将の娘”として扱う者はいなかった。

 カエデがレオンハルトに懐いているのも、カエデがクシロ中将の娘であるということを知った後も、レオンハルトがカエデに対する態度を全く変えなかったことがあるからだ。


 クシロ中将は少しの沈黙の後、再び口を開く。


「楓、お前の隊の隊長は何と言ったかな? 確か――」

「――エルンスト少佐です」

「そうだ、エルンスト少佐だ。そのエルンスト少佐だが、彼のことは御前(ごぜん)から聞いているか?」


 御前とはヒサカタ准将のことだ。本家の当主であるために、クシロ中将は私的な場や一族が集まっている場ではそう呼んでいた。


「はい。エルンスト、なるスパイのことですね」

「うむ。帝国公安局(IDPS)のエージェントが調べているだろうが、我が玖代家としても一族の者のそばに警戒すべき者がいる、ということには気を払わねばならん」

「ですがお父様――」

「――楓。お前が少佐のことを信頼しているのは良く分かる。お前から送られた手紙を読めばな。だが、それとこれとは話が別なのだ」


 カエデが黙りこむ。カエデのことを心配しているのだ、ということが伝わってくるだけに、反論ができなかった。


「良いな? エルンスト少佐の動向には気をつけよ。前線部隊のパイロットではあるが、スパイだとすれば何を企んでおるか分からん」


 F-18Jは軍事機密の塊でもあることだしな、と付け加える。


 如何な貴族とは言え、諜報員でもないただの軍人にまで情報が伝わるようなスパイとしては、狙っているものが小粒であるような気はするが、理論的には間違っていない。

 だが、カエデにはレオンハルトがスパイだとはどうにも思えなかった。


 難しい顔をしていたカエデに、クシロ中将がぎこちない様子で微笑みかける。


「難しい話はここまでにしようか。ブリタニアでの話を聞かせてくれないか」

「それは手紙に書きましたが……」

「お前の口から聞きたいのだ」


 クシロ中将がそう言うと、ぎくしゃくしながらもカエデがブリタニア戦線での話を始めた。

 ぎこちなくはあるが、父娘の一つの形がそこにあった。




 カエデが父親とぎこちない会話をしている頃。帝都新市街南部、帝都でも一、二を争う歓楽街である歌舞伎町に、レオンハルトの姿があった。

 レオンハルトは黒のジャケットに濃紺のジーンズというラフな格好だ。変装用なのかナイトサングラスもかけており、いつもとは違って遊び人のような雰囲気を醸し出している。そのためか、すれ違う女性の多くがレオンハルトを振り返っており、声をかける女性もいるほどだ。

 だが、レオンハルトはその全てを断り、目的地へ向かうように迷うことなく歩いて行く。やがて、大通りから少し入り込んだバーへと入った。


 その様子を見ている男が二人いる。タカサキ空軍大尉とエッケルト空軍中尉である。二人は周囲に溶けこむようなグレーのスーツ姿で、適度に客引きをいなしながらも、レオンハルトを追い続けていた。

 どちらも第6航空団に所属するパイロットのはずなのだが――


「こちら、ラット2。対象、バーに入りました」

『ラットチームは外で待機を。マウスチームが入る』

「了解」


 諜報員が標準装備している、無発声型通信装置(テレパス)による通信だ。見た目は普通だが、インカムをつけることなく、また発声することなく通信が可能になるため、情報機関のエージェントが必ずと言っていいほど埋め込み手術を行うほどである。


 そう。彼らは日本の治安・安全保障上の脅威となる存在を排除するため、至る所に潜入しているIDPSのエージェントだ。彼らはスパイ疑惑のあるレオンハルトを監視すべく、第6航空団のパイロットの中から選抜されてIDPSのエージェントとなった経緯がある。

 そして彼らは、レオンハルトが休暇の間に連絡役と接触するのではないか、ということで尾行調査に従事していた。


 予め教えられていた通り、カップルを装った男女のエージェントがバーへと入る。タカサキ大尉とエッケルト中尉は近くの廃ビルの二階から通りを監視し始めた。


『こちら、マウス2。店内には対象と店員以外に客の姿はなし』

『了解。そのまま監視を継続。ラットチームは外の監視を続けろ』


 そのまま三十分ほど監視を続けると、よれたスーツ姿の男がバーへと近づいていく。


「こちら、ラット2。対象の店にアンノウン接近」


 よれたスーツの男はそのままバーへと入っていった。二人に緊張が走る。


『こちら、マウス2。アンノウン確認。対象の隣に座った』


 まさかのビンゴだ。思わず二人は顔を見合わせる。


『盗聴はできるか?』

『ネガティブ。二人は個室に入っていった』

『了解。適当に時間を潰した後、退出せよ』


 おそらく、このバーは密会に良く用いられている店なのだろう。このような店が警視庁のデータベースに載っていないというのは、他人事ながら心配になるものだ。


 三十分ほどして、先ほどバーに入っていった男女のエージェントが店から出てくる。二人はそのまま廃ビルへ入った。


「お疲れ様です」

「そちらも。だが、まだ任務は終わっていない。気は抜かないようにしよう」


 お互いの素性は良く分かっていない。こういう任務では珍しくないことだ。


 さらに一時間ほどして、レオンハルトとよれたスーツの男が連れ立ってバーから出てきた。


「対象が出てきました」

『マウスチームは対象を、ラットチームは後から来た男を尾行しろ』

「了解」


 少し時間をおいて廃ビルを出る。二つのチームはそのまま分かれてそれぞれのターゲットを尾行し始めた。


 タカサキ大尉とエッケルト中尉が追う男は、最寄りの駅から帝都鉄道南北線に乗って新市街北部へと向かう。一時間ほど尾行を続けてようやくたどり着いたのは、これまた帝都北部に広がる歓楽街、北室町だった。

 男は裏通りへと入ると、迷うことなく突き進んでいく。そして、とある雑居ビルへと入った。


「ラット2よりネスト。こちらの対象は雑居ビルに入りました」

『建物に特徴はあるか?』

「あります。“東見調査事務所”と――」


 その後、二人は二時間ほど監視を続けたが、男はその建物から出てくることはなかった。


 レオンハルトを追ったチームの方は、そのまま帰宅しただけであったため大した収穫はなく、結局この日得られた情報は“東見調査事務所”とその職員と思われる男だけであった。

 そして、後日。IDPSの捜査班がこの事務所への強制捜査に入ったときには、すでにもぬけの殻だったのである。


 レオンハルトのスパイ疑惑がうやむやなまま、日本は第二次大戦以来の国難へと突入していくこととなる。

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