第十一話 月の間作戦(4)
攻撃機の支援任務についていたアイギス隊は、攻撃開始から三時間ほど経ってようやく敵戦闘機と遭遇し、これと交戦していた。
敵飛行隊は百合のパーソナルマークを持つパイロットを含んだSt-37の部隊だったが、レオンハルトが接敵早々に一機を撃墜すると、獅子奮迅の活躍を見せて敵を混乱させていた。
そして、レオンハルトは今まさに、宿敵である“百合”をその射程に収めていたのである。
「敵機補足」
レオンハルトは目の前を飛ぶ、敵機をロックオンした。同時にトリガーを引く。放たれた機銃弾はSt-37の横腹に吸い込まれていくように見えたが――
「少し外したか……」
確かに命中はしたものの、致命傷を与えるには至っていなかった。敵機は黒煙を上げながらも飛行を続けている。コントロールも失ってはいないようだ。
だが、レオンハルトが思っていたよりも敵の動揺は激しかった。“百合”が被弾するや否や、他の敵機は“百合”を守るような隊形をとって反転したのである。
さすがのレオンハルトもこの反転は予想外であり、そそくさと撤退してしまった敵を追いかけることができなかった。
敵機が撤退したことに気付いたスカイベースが通信を入れ、レオンハルトから事情を聞く。突然撤退していった、というレオンハルトに対して、スカイベースは少し考え込むとこう言った。
『スカイベースよりアイギス1。とりあえず、攻撃機の援護を続けてくれ。敵の動きについては、こちらで対応する』
「了解」
散らばっていたアイギス隊の各機が集まり、再びエレメント単位での編隊飛行へと戻る。
レオンハルトたちが敵と空戦を繰り広げている間にも、ブリタニア空軍の攻撃機はレウスカ人民軍への猛爆撃を続けていた。激しい爆撃のためにレウスカ人民軍のキングストン包囲網には綻びが見え始めている。
『囮部隊も撤退できるかもしれませんね』
何気ないカエデの言葉だったが、実はこの時、ハーマン中将を始めとする集成部隊司令部は脱出について本気で検討を始めていたのである。これは、ムーンチェンバー作戦の主要目標である二万名に及ぶ将兵の脱出が一段落を迎えつつあることと、レウスカ人民軍の攻撃がなかなか再開されていないことによるものだ。
だが、同時にレウスカ人民軍第2軍も、遅ればせながら攻撃再開を決定していたのである。ムーンチェンバー作戦は最終局面を迎えつつあった。
レウスカ人民軍の占領下となったイートン空軍基地に、第71戦闘機連隊が帰還した。彼らはブリタニア空軍の攻撃機排除という任務を負っていたものの、日本からの増援部隊に敗北。あの赤いF-18Jと互角に戦えるであろうソーニャが深刻なダメージを負ったことで撤退を決めたのであった。
何人かの僚機を失った彼らが帰還すると、先に撤退していたヴィクトルがこれを迎える。他の出迎えはなく、むしろ基地のあちこちで整備兵やパイロットたちが慌ただしく動いていた。
「ヴィクトル、無事に帰れたんだな」
「当然ですよ、中佐。それより、サプチャーク中将がこちらにお越しになっています。我々に用があるそうですよ」
ヴィクトルの言葉に、カザンツェフ中佐は眉をひそめる。良くない噂の多い守旧派の陸軍軍人が、一体何の用があって来たのだろうか。訝しみながらも、カザンツェフ中佐は隊員を引き連れて、サプチャーク中将が待つというブリーフィングルームへ向かった。
広々としたブリーフィングルームには、サプチャーク中将とその副官と思わしき女性将校が待っていた。サプチャーク中将は手振りで全員に席へ着くよう促す。
「同志諸君、ご苦労だった」
「申し訳ありません。任務を――」
「――構わん。そもそも、レヴァンドフスキーがさっさと攻撃を再開しなかったのが問題なのだ。我々に責任はない」
サプチャーク中将は第2軍司令官を辛辣な言葉でこき下ろした。パイロットたちは思わず顔を見合わせる。
パイロットたち動揺に気づいたのか否か、サプチャーク中将は咳払いをすると、後ろに控える女性将校を促し、パイロットたちにプリントを配らせた。
「さて。その紙について説明する前に、まずは現在の状況を教えておこうか」
サプチャーク中将は、そう言うとスクリーンを起動してキングストンの地図を映し出した。
包囲網から脱出せず、囮として残ったブリタニア陸軍部隊は北部へ集結しつつあり、脱出を企図しているのではないかと考えられている。これに対して、レウスカ人民軍第2軍は主力を北部へ移しながらも、キングストン一番乗りを目指す部隊が、一部独断で市街地への侵入を始めていた。
これはミハウ・ラトキエヴィチ議長が、首都一番乗りを果たした者に対して褒賞を与えると明言しているためであろう。今まで、攻撃中止命令によって押しとどめられていたが、第2軍司令部が攻撃再開を決定したことにより、報賞目当ての若い将兵が暴走しているとのことだった。
サプチャーク中将は、この醜態を鼻で笑いながら話を続ける。
「ここからが本題だ。君たち義勇軍団航空部隊は、現時刻を以ってブリタニア戦線から離れることとなる」
パイロットたちがざわめく。サプチャーク中将は、パイロットたちに配られたものと同じプリントを見ながらこう言った。
「諸君らには新たな戦場を飛んでもらうこととなる。詳細はこの作戦書に記しているが、これはここで破棄するものだ。頭に叩き込んでくれたまえ」
作戦書には、こう書かれていた。日本侵攻作戦、と。
ハーマン中将率いる特別集成部隊は、脱出する将兵を乗せた最後の船が出港した、という報告に伴い、市街地北部へ集結していた。
ここで降伏するかどうかについての話し合いが持たれていたのだが、参謀たちはレウスカ人民軍の反応が鈍いことを理由に、集成部隊の脱出を進言したのである。囮部隊ではあるが、どうせならば脱出して抗戦すべき、という参謀たちの意見はもっともであり、ハーマン中将もこれに同意。
これによって、集成部隊は脱出を開始したのだが、ここに来てレウスカ人民軍が攻撃を再開。北部に主力を集中させ始めたのである。
『2時方向、さらに敵戦車部隊を確認しました! 連隊規模と思われる!』
「またか……」
「閣下、空軍からの報告ですが、敵が市街地への侵入を開始したそうです。攻撃が再開されたとしか思えません」
参謀たちの表情は蒼白だ。先ほどまでの有利な戦況が嘘のように、苦しい状況となったからだろう。だが、ハーマン中将ただ一人だけが希望を失っていなかった。
「第7戦車連隊はまだ戦力を保っているな? 外周に配置して積極的に対応させろ。市街地のことは構う必要はない。我々が目指すのは北だ」
「ですが、どこまで行けば良いのでしょうか? 敵がいつ攻撃を断念するのか――」
「敵が断念するまで進むのだ。戦車の速度なら、こちらが上だ。敵の攻撃が届かなくなるまで、全速力で脱出する」
血走った目で断言するハーマン中将の姿は異様であり、参謀たちも反論することができずにいた。
「断じて諦めてはならない。市街地に侵入した敵がいる、ということは、敵は全力で我々に当たっている訳ではない。必ず、どこかに綻びがある」
そう言うと、ハーマン中将は敵味方の配置が分かる限り表示された戦術ディスプレイを睨む。参謀たちも半ば諦観しつつ戦術ディスプレイを見ていたが、一人の参謀が何かに気づいたように声を上げた。
「これは……」
「どうした?」
「あ、いえ。敵は西に移動する一団と南西に移動する一団に分かれています。恐らく、我々の脱出を阻止しようとする部隊と、市街地に侵入する部隊でしょう」
ハーマン中将は何かに気づいたようだったが、黙ってその参謀の話を聴き続ける。
「ここを見てください。二つの部隊の分かれ目ですが、ここが手薄になっています」
進行方向に向かって4時方向、確かにレウスカ人民軍の配置が薄くなっている地点があった。
「推測ですが、ここは穴となっているのではないでしょうか? ここを中心に、二つの部隊は反対方向へ動いています」
「……そこだ。そこを突破するぞ」
全員がハーマン中将を見る。戦術ディスプレイの前で説明していた参謀は、慌てた様子でハーマン中将を止めようとする。
「か、閣下。あくまで私の考えに過ぎません。敵の罠という可能性も――」
「――今さら、罠を仕掛ける必要もあるまい。平押しで十分だ」
ハーマン中将はそう言うと、4時方向への転進を命じる。だが、それに伴いもう一つの命令も出した。
「自走砲部隊に伝えろ。現在の進行方向に向かって一斉射撃だ。同時に4時方向への転進を始める」
「は、はい」
参謀たちは慌てて麾下部隊へ通信を入れ始める。ハーマン中将、一世一代の賭けが始まったのである。
十分後、ハーマン中将の命令通りに自走砲部隊が残弾を撃ち尽くす勢いでの砲撃を始めた。こちらへ向かっていた敵戦車部隊の足が鈍る。
同時に、ハーマン集成部隊が進路を変え、WAIS上に設定された突破地点を目指して速度を上げ始めた。
「敵の動きはどうだ?」
「停滞しています!」
「速度を上げろ! 今のうちに距離を稼ぐぞ」
ハーマン中将はそう言うと、指揮車の上部ハッチを開けて顔を出した。
砲撃を終えた自走砲部隊は指揮車のすぐ後方を疾走している。そして指揮車前方には百数十両に及ぶ、ハーマン集成部隊の全戦力たる戦車部隊が射撃しつつ前進していた。
『10時方向、目標敵戦車。撃て!』
『四号車より本部。残弾、ありません!』
『前方、窪地あり。全車警戒せよ!』
ヘッドセット越しに麾下部隊の通信が聞こえる。各部隊は混乱しつつも果敢に戦闘を繰り広げていた。ハーマン中将は本部に配備された十両ほどの戦車に指示を出す。
「コマンダーより各車。射撃準備。友軍の奮戦に負けるな」
『イエス、サー!』
指揮車の周囲を走るカレイジャス戦車が、砲塔を敵へと向ける。
「目標を設定。目標、0時方向の敵野戦陣地」
進行方向に見え始めたのは敵の野戦陣地だった。敵部隊のいずれかが司令部を置いているのだろうか。
「3、2、1、撃て!」
ハーマン中将の命令と共にカレイジャスの戦車砲が火を噴いた。放物線を描いた砲弾は敵の野戦陣地に見事突き刺さり、大爆発を起こす。
『目標への着弾を確認!』
「大きいな。弾薬庫でもあったか?」
観測員の報告を聞きながらつぶやく。その時、緊急通信を告げるアラームが鳴った。
「何事だ!」
『敵攻撃機の接近を確認!2時方向!』
双眼鏡で2時方向を見ると、確かに攻撃機の機影が見える。対空戦力を持たない集成部隊としては危機敵状況だった。
「空軍の支援機はどうした!」
『こちらに向かっていますが、間に合いません!』
絶望的な状況だ。撤退には致命的だが、戦車搭乗員への緊急降車を命じようと、社内へ降りようとしたその時、別の通信が割り込んできた。
『――えますか? こちらはHMSチェスター』
「海軍……?」
『ハーマン中将ですか? こちらはHMSチェスター艦長のハーパーです』
突如として割り込んできた通信の主は、脱出作戦支援のためにトーヴィー大将が派遣したフリゲートの艦長だった。
『今から、そちらへ接近している攻撃機に対してミサイル攻撃を行います。誘導への協力を』
「構わないのか? 我々の脱出は作戦に予定されていない独断行動なのだが」
『セシル=フィッツモーリス大将閣下たってのお願いですから。集成部隊が動き始めた、と聞いてすぐに支援を要請してこられたんです』
思わぬ朗報だ。慌てて指揮車や偵察車からのレーザー誘導を開始する。
『ミサイル発射。着弾まで40秒』
発射から少しして、キングス湾の方から数十発のミサイルが猛スピードで飛来する。攻撃機部隊は慌ててフレアを射出しながら回避しようとするが、地上からのレーザー誘導によって、ミサイルは惑わされることなく攻撃機へ直進した。ミサイルが次々に攻撃機へと命中し、空中に爆炎が咲き乱れる。
『着弾確認。そちらではどうです?』
「こちらでも確認した。貴艦の支援に感謝」
『北でお会いするのを楽しみにしていますよ』
通信が切れる。攻撃機を撃退し、もはや集成部隊を阻むものはない。
「空の脅威は消えた。怯むことなく前進を続けよ!」
ハーマン中将は全軍に命令を下すと、再び指揮車から顔を出して戦場を見つめ始めた。
その後、レウスカ人民軍の攻撃は不自然に沈黙。これに乗じて、集成部隊は設定された突破地点から次々に包囲網を脱出することに成功した。
ハーマン中将は、脱出に成功した後もしばらくは信じられない様子で警戒を続けていたのだが、脱出から三日経った12月26日に、北部の主要都市バルモラルに到着。ここで、ブロムフォードから撤退してきたセシル=フィッツモーリス大将率いる二万名の将兵と再会した。
キングストンの奇跡と謳われることとなるムーンチェンバー作戦。その最終局面は、ハーマン中将率いる特別集成部隊の、見事な脱出劇によって幕を閉じたのである。
北ブリタニア――正確にはノーサンブリア――の玄関口であるバルモラルには、キングストンからの脱出に成功した二万余名の将兵たちが集結していた。
再会を祝い合う将兵たちの歓声を聞きながら、市役所に一室に設置された会議室には政府・軍の高官が集まり、今後の方針を決める会議を行なっていた。
セシル=フィッツモーリス大将は会議の冒頭で辞意を表明。後任として、ムーンチェンバー作戦の功績によって再び大将へと昇進したハーマン大将を推薦した。ムーンチェンバー作戦の実績があるハーマン大将の地上部隊司令官就任に対して、反対を表明する者はおらず、一度は辞退したハーマン大将も説得に応じた。
また、ここでレウスカ人民軍の攻撃が不自然に沈黙した理由も明らかとなる。
撤退の最中、ハーマン大将が本部配備の戦車部隊に攻撃させた野戦陣地には、実はレウスカ人民軍第2軍の司令部が置かれていた、というのである。第2軍司令部は、司令官のレヴァンドフスキー大将を始めとする幹部が軒並み戦死し、ハーマン集成部隊の追撃どころではなくなっていたのであった。
驚きの事実が判明した後も、防衛体制再構築に向けた話し合いは続いていたが、突如として会議室の扉が開いた。何事かと目を向けた高官たちの視線も意に介さず、日本帝国空軍の制服を着たその将校は、会議に出席していたヒサカタ准将のところへ歩いて行き、耳打ちをする。
報告を聞くヒサカタ准将の表情は徐々に苦々しいものへと変わっていく。
報告を終えた将校が一礼して退室した後、ヒサカタ准将は手を挙げて発言を求めた。
「お騒がせして申し訳ありません。本国からの緊急通信だったようで」
「緊急、かね?」
ベケット首相の問いにヒサカタ准将が頷く。
「はい。首相閣下にもすぐに報告が来るとは思いますが、とりあえずこちらからご報告いたします」
高官たちが顔を見合わせる。首相に対して報告がある、というのはただ事ではない。
「我々、帝国空軍第6航空団に帰還命令が下りました」
会議室がざわめいた。我々を見捨てるのか、という声も漏れ聞こえてくる。
「ライカンゲル要塞が陥落しました。レウスカの太平洋艦隊がライカンゲルに向かっているとのことです。我が国も遂に敵の射程圏内に収められた、ということですな」
飄々としたヒサカタ准将の説明と同時、会議室に衝撃が走った。




